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第9話「野営の夜」

リベルタまで、あと二日。

レオンは、そう言った。

森の中を、私たちは歩き続けた。

灰色の狼と、向日葵の王女と、献身的な侍女。

奇妙な、三人組。

五日目の夕方。

レオンは、森の中に野営の場所を見つけた。

小さな泉のそばに、平らな場所。

木々に囲まれていて、外からは見えにくい。

「ここで、夜を明かす」

レオンが言った。

私とマルタは、荷物を降ろした。

疲れた。

足が、痛い。

でも、文句は言えなかった。

レオンは、黙々と火を起こし始めた。

慣れた手つき。

一言も発さず。

あっという間に、火が燃え上がった。

夜が、近づいてくる。

森が、暗くなっていく。

鳥の声が、遠ざかる。

代わりに、虫の声が聞こえ始める。

私は、火のそばに座った。

温かい。

マルタも、隣に座る。

レオンは、立ったまま周囲を警戒していた。

その背中が、火に照らされている。

傷だらけの、背中。

「レオンさん」

私は、声をかけた。

「座ってください。休んでください」

「いい」

レオンは、短く答えた。

「俺が見張る」

「でも」

「お前たちは、休め」

レオンの声に、迷いはなかった。

私は、何も言えなかった。

この人は、ずっと私たちを守ってくれている。

休む暇もなく。

マルタが、小さく囁いた。

「アリア様、あの方は本当に優しいですね」

「ええ」

私は頷いた。

「不器用だけど、優しい」

レオンの背中を見つめた。

孤独な、狼の背中。

どれだけの戦いを、してきたのだろう。

何を、失ってきたのだろう。

夜が、深まった。

マルタは、眠っている。

毛布に包まって、穏やかな寝息。

私は、まだ起きていた。

眠れなかった。

父上のことを、思い出してしまう。

城門で倒れた姿を。

最後の言葉を。

「生きろ」

私は、生きている。

約束を、守っている。

でも、これからどうすればいいのか。

わからない。

「眠れないのか」

レオンの声が、聞こえた。

「はい」

私は答えた。

レオンが、火のそばに座った。

珍しい。

いつもは、立ったまま警戒しているのに。

「無理するな」

レオンが言った。

「体を壊すぞ」

「大丈夫です」

私は、微笑んだ。

「レオンさんこそ、休んでください」

「俺は、慣れてる」

レオンは、火を見つめた。

沈黙が、落ちた。

火が、パチパチと音を立てる。

私は、レオンの横顔を見た。

傷だらけの顔。

でも、整っている。

鋭い目。

でも、時々優しい。

レオンの手に、古い傷がたくさんある。

どれも深く、痛々しい。

この人は、どれだけ戦ってきたのだろう。

何と戦ってきたのだろう。

そして、何を失ったのだろう。

「レオンさん」

「何だ」

「あなたの、妹さんのこと」

私は、ゆっくりと言った。

「聞いてもいいですか」

レオンは、しばらく黙っていた。

長い沈黙。

拒絶されるかと思った。

でも。

「エマ」

レオンが、小さく呟いた。

それだけだった。

「エマ、さん」

私は、その名前を繰り返した。

レオンは、何も言わなかった。

ただ、懐から何かを取り出した。

小さな、向日葵の種。

火に照らされて、黄金色に輝いている。

「これを、握ってた」

レオンが、ぽつりと言った。

それだけ。

でも、その言葉の重さが、わかった。

私は、息を呑んだ。

妹さんの、形見。

最期まで、握っていた種。

レオンの手が、震えている。

種を、握りしめている。

私は、何も聞かなかった。

聞いてはいけない気がした。

この人の痛みは、深すぎる。

言葉にできないほど。

沈黙が、続いた。

火の音だけが、響く。

レオンは、じっと種を見つめている。

その目に、何かが浮かんでいた。

悲しみ。

後悔。

そして、愛情。

「いつか、蒔きたい」

レオンが、ぽつりと言った。

その声が、震えていた。

「はい」

私は頷いた。

「一緒に、蒔きましょう」

レオンは、私を見た。

その目が、少し潤んでいた。

小さく、頷いた。

それ以上、何も言わなかった。

でも、それでいい。

今は、ただそばにいる。

それだけで、十分。

私は、自分の種を取り出した。

父上から受け継いだ、向日葵の種。

「私も、持っています」

二人で、種を見つめた。

小さな、種。

でも、そこには大きな想いが込められている。

失った人々への。

未来への。

レオンが、小さく微笑んだ。

不器用だけど、優しい微笑み。

「一緒に、咲かせよう」

レオンが言った。

短い言葉。

でも、その言葉に、全てが込められていた。

「はい」

私は微笑んだ。

二人の種。

いつか、一緒に蒔く。

エマさんのためにも。

父上のためにも。

失った全ての人々のために。

沈黙が、落ちた。

でも、暖かい沈黙。

二人で、火を見つめる。

種を、握りしめて。

時間が、ゆっくりと流れていく。

「寝ろ」

レオンが言った。

「明日も、早い」

「はい」

私は立ち上がった。

でも、その前に。

「レオンさん」

「何だ」

「ありがとうございます」

私は、真っ直ぐレオンを見た。

「あなたがいてくれて」

レオンは、何も言わなかった。

ただ、小さく頷いた。

私は、マルタのそばに戻った。

毛布に包まる。

心が、暖かかった。

今日、レオンのことを少し知れた。

エマさんのことも。

そして、レオンの痛みも。

でも、全てを知る必要はない。

少しずつ、でいい。

この人は、不器用だから。

言葉にするのが、苦手だから。

だから、待つ。

いつか、話してくれる日まで。

私は、目を閉じた。

そして、眠りに落ちた。

夜中。

私は、目を覚ました。

何かの気配を感じて。

レオンが、まだ起きていた。

火のそばに座って、種を見つめている。

その背中が、とても小さく見えた。

孤独な、背中。

でも、もう一人じゃない。

私がいる。

マルタもいる。

一緒に、向日葵を咲かせる。

レオンは、種を懐にしまった。

そして、立ち上がって周囲を警戒し始めた。

ずっと、私たちを守ってくれている。

休まずに。

私は、また目を閉じた。

この人を、信じよう。

一緒に、歩こう。

向日葵を咲かせる、その日まで。

翌朝。

私は、鳥の声で目を覚ました。

朝日が、木々の間から差し込んでいる。

暖かい。

レオンは、もう起きていた。

火を消し、荷物をまとめている。

一晩中、起きていたのだろうか。

顔に、疲れが見える。

でも、何も言わない。

「おはようございます」

私は、声をかけた。

「ああ」

レオンは、短く答えた。

「準備しろ。すぐ出る」

「はい」

私は、マルタを起こした。

二人で、荷物をまとめる。

昨夜の会話が、頭によぎる。

エマさんのこと。

向日葵の種。

レオンの、小さな微笑み。

全てが、現実だった。

私は、懐の種を確認した。

まだ、ある。

レオンも、自分の種を持っている。

いつか、一緒に蒔く。

その日が、楽しみだった。

「行くぞ」

レオンが言った。

私たちは、歩き出した。

リベルタへ。

あと、一日。

もうすぐ、着く。

新しい人生が、始まる。

レオンと共に。

マルタと共に。

そして、いつか。

向日葵を、咲かせる。

エマさんの分も。

父上の分も。

失った全ての人々の分も。

私は、前を向いた。

レオンの背中を追って。

灰色の狼の、背中を。

昨夜より、少しだけ。

その背中が、近く感じた。

もう、一人じゃない。

私たちは、共に歩く。

希望を胸に。

森を抜ける。

朝の光が、まぶしい。

レオンが、立ち止まった。

前方を、見つめている。

私も、同じ方向を見た。

木々の隙間から、何かが見える。

城壁。

街。

「見えたか」

レオンが言った。

「はい」

私は頷いた。

リベルタ。

もうすぐ、着く。

新しい場所。

新しい人生。

でも、一人じゃない。

レオンがいる。

マルタがいる。

向日葵の種がある。

それだけで、十分だった。

「行こう」

レオンが、歩き出した。

私は、その背中を追った。

もう、迷わない。

前を向いて。

向日葵のように。

太陽を向いて。

私たちは、リベルタへと歩いていった。

灰色の狼と、向日葵の王女。

新しい未来へ。

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