第8話「灰色の狼」
レオンとの出会い。
それは、全ての始まりだった。
暗殺者と、亡国の王女。
敵同士だったはずの、二人。
でも、運命は二人を引き合わせた。
◇
帝国兵を倒したレオンは、無言で歩き出した。
私とマルタは、顔を見合わせた。
この人を、信じていいのか。
灰色の髪。灰色の目。
傷だらけの顔。
まるで、狼のような。
でも、選択肢はなかった。
この人がいなければ、私たちは死んでいた。
私たちは、レオンの後を追った。
レオンは、時々立ち止まって周囲を警戒する。
帝国兵の気配を探っているのだろう。
そして、また歩き出す。
言葉は、交わされない。
ただ、足音だけが響く。
私は、レオンの背中を見つめていた。
この人は、誰なのか。
なぜ、私を助けたのか。
暗殺者なら、殺すはずなのに。
「なあ」
レオンが、急に立ち止まった。
「はい」
私は、緊張して答えた。
「お前、名前は」
レオンが、振り返らずに聞いた。
「アリアです」
私は答えた。
「アリア・フォン・アイゼンブルク」
レオンは、少し黙っていた。
「王女か」
「元、ですけど」
私は、苦笑した。
「もう、国はありませんから」
レオンは、何も言わなかった。
また、歩き出した。
マルタが、小さく囁いた。
「アリア様、あの方は」
「わからないわ」
私も、小さく答えた。
「でも、敵じゃない。多分」
「多分、ですか」
マルタの声が、不安そうだった。
「今は、信じるしかないわ」
私は、レオンの背中を見た。
「この人がいなければ、私たちは死んでいた」
マルタは、何も言わなかった。
ただ、不安そうに、レオンを見ていた。
◇
昼過ぎ。
レオンは、小さな洞窟に案内してくれた。
「ここで休め」
レオンが言った。
「帝国兵は、ここまでは来ない」
「ありがとうございます」
私は、頭を下げた。
レオンは、何も言わずに外へ出ていった。
マルタが、心配そうに私を見た。
「アリア様、大丈夫ですか」
「ええ」
私は頷いた。
「疲れたけど、大丈夫よ」
マルタは、荷物から毛布を取り出した。
「これを、どうぞ」
「ありがとう、マルタ」
私は、毛布に包まった。
冷たい。
春だというのに、まだ寒い。
でも、毛布の温かさが、少し心を落ち着かせてくれた。
「マルタ」
「はい」
「あなたも、休んで」
「でも」
「いいから」
私は、微笑んだ。
「あなたも、疲れているでしょう」
マルタは、少し迷ってから頷いた。
「では、少しだけ」
二人で、毛布に包まった。
沈黙が、落ちた。
洞窟の外から、鳥の声が聞こえる。
風の音。
平和な音。
でも、私の心は、平和じゃなかった。
父上のことを、思い出す。
城門で、一人戦う姿。
膝をつき、倒れる姿。
あれが、最後だった。
もう、会えない。
涙が、溢れそうになった。
でも、こらえた。
今は、泣いている場合じゃない。
生きなければ。
父上との、約束を守らなければ。
足音が聞こえた。
レオンが、戻ってきた。
手に、何かを持っている。
兎だ。
「食料だ」
レオンが言った。
「焼いて、食え」
「ありがとうございます」
私は、受け取った。
レオンは、火を起こし始めた。
慣れた手つき。
一言も発さず、黙々と。
あっという間に、火が燃え上がった。
私とマルタは、兎を捌いた。
前世では、こんなことしたことなかった。
でも、この三年で、覚えた。
サバイバルの、知識。
兎を串に刺し、火で炙る。
油が滴り、ジュウジュウと音を立てる。
いい匂いが、広がった。
レオンは、火の前に座っていた。
じっと、火を見つめている。
何を考えているのか。
わからない。
兎が、焼けた。
レオンは、焼けた兎の一番良い部分を、さりげなく私に差し出した。
「どうぞ」
一言だけ。
でも、その目が優しかった。
マルタにも、同じように。
この人は、優しい。
不器用だけど、優しい。
「ありがとうございます」
私は、受け取った。
三人で、兎を食べた。
無言で。
ただ、火の音だけが響く。
食事が終わった。
レオンは、立ち上がった。
「少し、見回ってくる」
「私も、行きます」
私は、立ち上がった。
レオンが、私を見た。
「危ない」
「でも」
「ここにいろ」
レオンの声が、低くなった。
「戦えないなら、ここにいろ」
その言葉に、私は何も言えなかった。
確かに、私は戦えない。
剣術は、中級程度。
魔法も、大したことない。
レオンのような、戦士じゃない。
レオンは、洞窟を出ていった。
私は、その場に座り込んだ。
マルタが、心配そうに見ている。
「アリア様」
「大丈夫よ」
私は、微笑んだ。
でも、心の中では思った。
私は、無力だ。
前世の知識があっても。
転生者であっても。
この世界では、力がなければ何もできない。
父上を、止められなかった。
国を、救えなかった。
そして今、レオンに守られている。
私は、何もできない。
ただ、守られるだけ。
悔しい。
でも、どうしようもない。
私は、懐を探った。
向日葵の種。
まだ、ある。
いつか、これを蒔く。
その時まで。
私は、生きる。
力をつける。
前世の知識を、活かす。
そして、向日葵を咲かせる。
それが、私の使命。
◇
夕方。
レオンが、戻ってきた。
「帝国兵は、いない」
レオンが言った。
「明日、リベルタを目指す」
「リベルタ?」
私は聞いた。
「自由都市だ」
レオンは、火のそばに座った。
「帝国も、手を出せない」
「そこなら、安全ですか」
「ああ」
レオンは頷いた。
私は、安堵した。
リベルタ。
自由都市。
帝国の支配が及ばない、中立の街。
そこなら、生き延びられる。
「レオンさん」
私は、聞いた。
「なぜ、私を助けてくれたんですか」
レオンは、しばらく黙っていた。
そして、小さく息を吐いた。
「さあな」
それ以上、何も言わなかった。
私は、聞きたかった。
でも、レオンの表情が、それ以上聞くなと言っていた。
この人には、何か理由がある。
私を助けた、理由が。
いつか、聞ける日が来るだろう。
今は、ただ感謝するだけ。
沈黙が、落ちた。
火が、パチパチと音を立てる。
「お前、これからどうする」
レオンが、急に聞いた。
「どうする、って」
「リベルタに着いたら」
レオンは、私を見た。
私は、少し考えた。
何になる?
王女じゃない。
国もない。
私は、何者なのか。
「わかりません」
私は、正直に答えた。
「でも、一つだけ」
「何だ」
「向日葵を、咲かせます」
私は、真っ直ぐレオンを見た。
「父が、言いました」
「父?」
「この国が、確かに存在したという証として」
私は、懐から種を取り出した。
「これを、蒔きます」
レオンは、種を見た。
しばらく、じっと見つめていた。
その目に、何かが浮かんでいた。
懐かしさ?
悲しみ?
「向日葵か」
レオンが、小さく呟いた。
「はい」
私は頷いた。
「いつか、必ず」
レオンは、種を見つめ続けた。
そして、小さく微笑んだ。
初めて見る、レオンの微笑み。
不器用だけど、優しい微笑み。
「なら、手伝ってやる」
レオンが言った。
「え?」
「向日葵を咲かせるの、手伝ってやる」
レオンは、私を見た。
「お前一人じゃ、無理だろう」
「でも」
「俺も、向日葵が好きだ」
レオンの目が、少し優しくなった。
その言葉に、私は何も言えなかった。
胸が、熱くなった。
この人も。
何かを、失ったのだろう。
大切なものを。
私と同じように。
「ありがとうございます」
私は、涙をこらえて言った。
「よろしく、お願いします」
レオンは、小さく頷いた。
そして、また火を見つめた。
沈黙が、落ちた。
でも、先ほどとは違う。
少しだけ、暖かい沈黙。
マルタが、微笑んでいた。
この人なら、信じられる。
そう思った。
◇
その夜。
私は、なかなか眠れなかった。
マルタは、すぐに寝息を立てている。
疲れているのだろう。
レオンは、洞窟の入口で見張りをしている。
背中が、月明かりに照らされている。
私は、起き上がった。
そっと、レオンに近づく。
「眠れないのか」
レオンが、振り返らずに言った。
「はい」
私は、レオンの隣に座った。
「少し、お話ししてもいいですか」
「ああ」
レオンは頷いた。
二人で、外を見た。
月が、綺麗だった。
星も、たくさん見える。
私は、レオンを横目で見た。
その横顔に、深い影が見える。
傷。
たくさんの、傷。
レオンの手にも、古い傷がたくさんある。
どれも深く、痛々しい。
この人は、どれだけ戦ってきたのだろう。
何と戦ってきたのだろう。
そして、何を失ったのだろう。
「レオンさん」
「何だ」
「あなたは、なぜ暗殺者に」
レオンは、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「復讐だ」
それだけ言って、また黙った。
私は、何も聞かなかった。
この人の目が、それ以上聞くなと言っていた。
復讐。
誰に対する復讐なのか。
何を失ったのか。
いつか、話してくれるかもしれない。
今は、そっとしておこう。
沈黙が、落ちた。
でも、不思議と心地よい沈黙だった。
「妹を、思い出した」
レオンが、急に言った。
「妹?」
「ああ」
レオンは、月を見上げた。
それ以上、何も言わなかった。
妹。
きっと、大切な人だったのだろう。
私は、向日葵の種を握りしめた。
この人も、何かを失ったのだ。
私と同じように。
「レオンさん」
「何だ」
「一緒に、向日葵を咲かせましょう」
私は、真っ直ぐレオンを見た。
レオンは、少し驚いた顔をした。
そして、小さく頷いた。
「ああ」
その言葉に、私は微笑んだ。
この人と一緒なら。
きっと、向日葵を咲かせられる。
父上との約束も。
レオンの妹への想いも。
全部、向日葵に込めて。
私たちは、しばらく月を見ていた。
沈黙。
でも、暖かい沈黙。
二人の間に、何かが生まれた気がした。
信頼。
絆。
まだ、名前はつけられない。
でも、確かにそこにある、何か。
「寝ろ」
レオンが言った。
「明日も、早い」
「はい」
私は立ち上がった。
「おやすみなさい」
「ああ」
私は、マルタのそばに戻った。
毛布に包まる。
心が、暖かかった。
レオンがいる。
この人が、守ってくれる。
そして、一緒に向日葵を咲かせる。
私は、安心して目を閉じた。
そして、眠りに落ちた。
◇
翌朝。
私たちは、リベルタを目指して歩き出した。
レオンが先頭。
私とマルタが、後ろを歩く。
森を抜ける。
開けた場所に出る。
遠くに、街が見えた。
城壁に囲まれた、大きな街。
海が見える。港に、たくさんの船。
「あれが、リベルタだ」
レオンが言った。
自由都市リベルタ。
帝国も手を出せない、中立の街。
私の、新しい人生の始まりの場所。
「ようやく、着いたんですね」
私は、微笑んだ。
「ああ」
レオンは、歩き出した。
私は、その背中を追う。
灰色の狼。
そう、この人は狼だ。
孤独で、傷ついた狼。
でも、私を守ってくれる、優しい狼。
レオンの背中に、朝日が当たっている。
灰色の髪が、光を受けて輝いている。
その姿が、とても頼もしかった。
私は、前を向いた。
リベルタへ。
新しい人生へ。
レオンと共に。
マルタと共に。
そして、いつか。
向日葵を、咲かせる。
それが、私の使命。
転生者としての、使命。
そして、レオンの妹への、約束。
名前は、まだ知らない。
いつか、教えてくれるだろう。
その日まで。
私たちは、共に歩く。
灰色の狼と、向日葵の王女。
私たちは、リベルタへと歩いていった。
希望を胸に。
新しい未来へ。




