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第7話「父の最期」

分かり合えなかった父との、約束を果たすために。

そう誓った、あの冬から。

三年の月日が流れた。

そして、その時は来た。

別れの、時が。

三年前の冬から、三年後。

私は、十八歳になっていた。

あの日以来、父上とは言葉を交わしていなかった。

顔を合わせても、挨拶だけ。

父上は、戦の準備を続けた。

私は、図書館に籠もった。

前世の知識を蓄え、いつか役立つ日を待った。

でも、その日は来なかった。

いや、来たのだ。

国が滅びるという形で。

春。

十八歳の春分の日。

私の誕生日。

その日、帝国軍が国境を越えた。

報せは、瞬く間に城に届いた。

私は、謁見の間にいた。

父上が、玉座に座っている。

廷臣たちが、青ざめた顔で立っている。

クラウスも、マルタも。

皆、そこにいた。

「帝国軍、五万。国境の砦を突破」

伝令が、息を切らせて報告する。

「このままでは、三日で王都に到達します」

謁見の間が、静まり返った。

誰もが、知っていた。

この日が、来ることを。

でも、誰も止められなかった。

父上は、動かなかった。

ただ、玉座に座って、前を見ている。

「全軍、出撃の準備を」

父上の声が、響いた。

「陛下」

宰相が言った。

「まだ、降伏の使者を」

「必要ない」

父上は、立ち上がった。

「我々は、戦う」

「ですが」

「これは、命令だ」

父上の目が、厳しかった。

宰相は、深く頭を下げた。

廷臣たちも、一斉に。

私だけが、立ったままだった。

父上と、目が合った。

三年ぶりに、真っ直ぐ見つめ合った。

父上の目に、何かが浮かんでいた。

悲しみ?

後悔?

いや、違う。

決意だ。

揺るぎない、決意。

私は、何も言えなかった。

ただ、父上を見つめていた。

父上は、小さく頷いた。

そして、謁見の間を出ていった。

廷臣たちも、続く。

気づけば、私とマルタだけが残されていた。

「アリア様」

マルタが、震える声で言った。

「大丈夫ですか」

「ええ」

私は頷いた。

でも、足が震えていた。

ついに、来た。

戦争が。

父上が選んだ、戦争が。

その日の夕方。

私は、向日葵畑にいた。

まだ芽吹いたばかりの、小さな緑の葉たち。

三年前と、同じ。

あの日も、春分の日だった。

前世の記憶を、思い出した日。

そして、今日。

十八歳の誕生日。

国が滅びる日。

風が、吹いた。

まだ冷たい、春の風。

でも、どこか暖かい。

足音が聞こえた。

振り返ると、父上が立っていた。

鎧を着ている。

剣を腰に帯びている。

出陣の、準備。

「父上」

私は、立ち上がった。

「アリア」

父上は、向日葵畑を見た。

「ここにいたのか」

「はい」

私は頷いた。

「昔から、好きな場所でしたから」

父上は、小さく微笑んだ。

「お前の母も、ここが好きだった」

「母上が?」

「ああ」

父上は、遠くを見た。

「お前が生まれた日も、ここにいた」

私は、何も言えなかった。

母のことは、ほとんど知らない。

生まれてすぐ、亡くなったから。

「母さんは、言っていた」

父上が続けた。

「この子に、向日葵のような人生を」

「向日葵のような?」

「ああ」

父上は、私を見た。

「太陽を向いて、真っ直ぐに生きる。それが向日葵だ」

その言葉に、胸が熱くなった。

「お前は、その通りに育った」

父上は、私の頭に手を置いた。

「優しく、強く、真っ直ぐに」

「父上」

「だが、私とは分かり合えなかった」

父上の目が、悲しそうだった。

「それは、私のせいだ」

「いいえ」

私は首を振った。

「私のせいです」

「アリア」

「私が、理解しようとしなかった」

涙が溢れそうになった。

「父上の想いを」

父上は、しばらく黙っていた。

そして、深く息を吐いた。

「アリア。お前は、間違っていない」

「え?」

「誇りより、命。お前の言う通りだ」

父上の声が、優しかった。

「民を想い、命を大切にする。それは、正しい」

「父上」

「だが、私には私の、守るべきものがあった」

父上は、向日葵畑を見た。

「この国の誇り。二百年の歴史。先祖から受け継いだもの」

「それより、命を」

「わかっている」

父上は頷いた。

「お前の言うことも、わかっている」

「なら、なぜ」

「だが、私は王だ」

父上は、私を見た。

「王として、誇りを選んだ」

私は、何も言えなかった。

父上の目に、迷いはなかった。

「お前の母が、最期に言った言葉を知っているか」

父上が、急に言った。

「いいえ」

「『アリアを、頼みます』」

父上の声が、震えた。

「『向日葵のように、育ててください』と」

涙が、溢れそうになった。

「私は、約束を守った」

父上は、私を見た。

「お前を、向日葵のように育てた」

「父上」

「だから、お前も約束を守ってくれ」

父上の目が、真剣だった。

「生きて、向日葵を咲かせると」

「アリア」

「はい」

「生きろ」

父上が言った。

「この国が滅びても、お前は生きろ」

「父上、何を」

「約束してくれ」

父上の手が、私の肩を掴んだ。

「必ず、生き延びると」

「でも」

「私は、戦う」

父上の声が、低くなった。

「この城で、最後まで戦う」

「父上!」

「だが、お前は違う」

父上は、私を抱きしめた。

「お前は、逃げろ」

「そんな」

「城が陥ちる前に、逃げるんだ」

父上の声が、震えていた。

「そして、生きろ」

「父上」

「向日葵を、咲かせろ」

父上は、私を離した。

その目に、涙が浮かんでいた。

「この国が、確かに存在したという証として」

その言葉に、私は何も言えなかった。

三年前。

私が、父上に言った言葉。

覚えていてくれたのか。

「約束してくれ、アリア」

父上が、私の目を見た。

「必ず、生き延びると」

私は、涙をこらえて頷いた。

「約束します」

父上は、小さく微笑んだ。

「良い子だ」

父上は、向日葵畑を見た。

「お前の母も、喜んでいるだろう」

「母上」

「ああ。天国で、見ているはずだ」

父上は、私に背を向けた。

「行くぞ。もうすぐ、日が暮れる」

父上は、歩き出した。

私は、その背中を見つめた。

鎧に覆われた、小さな背中。

もう、会えないかもしれない。

最後かもしれない。

「父上」

私は、叫んだ。

父上が、立ち止まった。

「愛しています」

私は、涙を流しながら言った。

「ずっと、愛していました」

父上は、振り返らなかった。

でも、肩が震えていた。

「私も、だ」

小さな声が、風に乗って聞こえた。

「ずっと、愛していた」

そして、父上は歩いていった。

向日葵畑を離れ、城へ。

戦場へ。

私は、その場に座り込んだ。

涙が、止まらなかった。

分かり合えなかった。

でも、愛し合っていた。

それだけは、確かだった。

その夜。

帝国軍が、王都に迫った。

城壁の外に、無数の松明が見える。

まるで、星のように。

でも、それは死の光。

私は、部屋で荷物をまとめていた。

マルタが、手伝ってくれている。

「アリア様」

マルタが言った。

「本当に、よろしいのですか」

「ええ」

私は頷いた。

「父上との、約束だから」

マルタは、悲しそうに微笑んだ。

「私も、ついて参ります」

「マルタ」

「当然です」

マルタは、私の手を握った。

「あなた様と、どこまでも」

扉が、激しく叩かれた。

「アリア様!」

クラウスの声。

私は、扉を開けた。

クラウスが、血相を変えて立っていた。

「どうしたんですか」

「帝国軍が、城門を破りました」

クラウスの声が、震えていた。

「もう、時間がありません」

「父上は」

「陛下は、城門で戦っておられます」

クラウスは、私の腕を掴んだ。

「早く、逃げてください」

「でも、父上を」

「陛下のご命令です」

クラウスの目が、真剣だった。

「あなた様を、逃がせと」

私は、唇を噛み締めた。

父上。

最後まで、私を守ろうとしている。

「わかりました」

私は、荷物を持った。

懐を探る。

向日葵の種。

三年前に拾った、あの種。

まだ、ある。

いつか、これを蒔く。

父上の想いと共に。

私は、種を握りしめた。

そして、マルタを見た。

「行きましょう」

「はい」

三人で、部屋を出た。

廊下を走る。

遠くから、剣がぶつかり合う音が聞こえる。

叫び声。

悲鳴。

城が、戦場になっている。

裏門へ向かう。

途中、何人もの使用人とすれ違った。

皆、怯えた顔をしている。

「王女様」

誰かが叫んだ。

「どうか、ご無事で」

私は、頷いて走り続けた。

裏門が見えた。

そこに、一頭の馬。

クラウスが、用意してくれたのだろう。

「アリア様」

クラウスが言った。

「この馬で、国境へ」

「クラウスさんは」

「私は、陛下のもとへ」

クラウスの目が、決意に満ちていた。

「騎士として、最後まで」

「クラウスさん」

「早く」

クラウスは、私を馬に乗せた。

マルタも、後ろに。

「リベルタを目指してください」

クラウスが言った。

「あそこなら、安全です」

「クラウスさん、ありがとう」

私は、涙を流しながら言った。

「生きて、また会いましょう」

クラウスは、小さく微笑んだ。

「ええ。必ず」

でも、その目は嘘をついていた。

もう、会えないと。

そう言っていた。

馬が、走り出した。

裏門を抜ける。

城が、遠ざかっていく。

炎に包まれた、城が。

私は、振り返った。

最後に、もう一度。

父上がいる、城を。

城門が見えた。

その前に、一人の騎士が立っている。

金色の髪。

鎧に覆われた、背中。

父上だ。

帝国兵が、何十人も襲いかかる。

父上は、一人で戦っている。

剣を振るう。

敵が、倒れる。

でも、数が多すぎる。

「父上!」

私は叫んだ。

でも、声は届かない。

風に消えていく。

父上が、また一人の敵を倒した。

その動きに、迷いはない。

王として。

騎士として。

誇りを持って、戦っている。

でも。

敵の数が、多すぎる。

父上の動きが、少しずつ鈍くなる。

疲労。

傷。

それでも、父上は剣を握り続けた。

そして。

父上が、膝をついた。

剣が、地面に突き刺さる。

それを支えに、立ち上がろうとする。

でも、体が動かない。

敵が、囲む。

剣が、振り上げられる。

「父上!」

私は、目を逸らそうとした。

でも、見ていなければ。

これが、最後なのだから。

剣が、振り下ろされた。

父上が、倒れた。

動かない。

もう、動かない。

「父上……」

私の声は、風に消えた。

涙が、止まらなかった。

マルタが、私を抱きしめた。

「アリア様」

「父上……父上……」

私は、マルタの肩で泣いた。

馬は、走り続けた。

城から、離れていく。

炎に包まれた、城から。

父上が倒れた、城から。

遠くから、悲鳴が聞こえた。

城壁が崩れる音。

全てが、灰になっていく。

でも、私は前を向けなかった。

ただ、振り返り続けた。

父上がいた場所を。

もう、見えない。

炎と煙に、覆われている。

でも、確かに見た。

父上の最期を。

誇りを持って戦い、誇りを持って散った、王の姿を。

「アリア様、前を」

マルタが言った。

「前を、向いてください」

私は、涙を拭った。

そして、前を向いた。

父上は、言った。

生きろと。

向日葵を咲かせろと。

その約束を、守らなければ。

私は、懐の種を握りしめた。

いつか、必ず。

この種を蒔く。

父上の想いと共に。

馬は、走り続けた。

闇の中を。

未来へ。

それから、三日。

私たちは、森の中を進んでいた。

帝国兵に見つからないように。

食料も水も、わずかしかない。

でも、前に進むしかなかった。

三日目の夕方。

小さな村に着いた。

でも、村は焼かれていた。

家々が、黒く焦げている。

人の姿は、ない。

帝国軍が、通った後だ。

私は、馬から降りた。

村の中を、歩く。

全てが、灰になっている。

そこに、一人の老人がいた。

焼け跡に座り込んで、呆然としている。

「大丈夫ですか」

私は、老人に近づいた。

老人が、顔を上げた。

その目に、光はなかった。

「誰じゃ」

「旅の者です」

私は、水筒を差し出した。

「水を、どうぞ」

老人は、水を飲んだ。

そして、ぽつりと言った。

「王は、何をしておったのじゃ」

その言葉に、私は凍りついた。

「我々を、守ると言ったのに」

老人の声が、震えていた。

「帝国と戦うと、言ったのに」

「王は――」

私は、言葉を選んだ。

「王は、死にました」

老人が、私を見た。

「死んだ?」

「はい」

私は頷いた。

「城門で、最後まで戦いました」

「戦った……」

老人は、遠くを見た。

「剣を握りしめたまま、倒れたと聞きました」

私は続けた。

自分に言い聞かせるように。

「王は、誇りを持って戦い、誇りを持って散りました」

老人は、何も言わなかった。

ただ、焼け跡を見ている。

「守れなんだではないか」

老人の声が、絞り出すように小さかった。

「何も、守れなんだ」

その言葉が、胸に刺さった。

父上。

あなたは、何を守ったのですか。

誇り?

名誉?

でも、民は守れなかった。

国も、守れなかった。

私は、老人に食料を渡した。

「これを、どうぞ」

「済まんのう」

老人は、受け取った。

私たちは、村を後にした。

また、森の中へ。

マルタが、心配そうに私を見た。

「アリア様」

「大丈夫よ」

私は、微笑んだ。

でも、心は痛んでいた。

父上の選択は、正しかったのか。

誇りのために、戦ったのは。

でも、民は救えなかった。

答えは、出ない。

ただ、前に進むしかなかった。

四日目の朝。

森の中で、私たちは帝国兵に囲まれた。

五人。

全員、剣を抜いている。

「動くな」

一人が言った。

「金目の物を、全て出せ」

マルタが、私を庇った。

「アリア様、お逃げください」

「マルタ」

「早く」

その時。

一人の帝国兵が、倒れた。

背中に、剣が刺さっている。

誰?

木々の向こうから、男が現れた。

灰色の髪。灰色の目。

傷だらけの顔。

レオン。

私を殺すために送られた、暗殺者。

でも。

レオンは、帝国兵を次々と倒していった。

まるで狼のように。

素早く。

的確に。

容赦なく。

あっという間に、五人全員が地面に倒れた。

レオンは、剣を鞘に収めた。

そして、私を見た。

灰色の瞳。

感情が読めない、瞳。

「怪我は」

「ない、です」

私は、震える声で答えた。

レオンは、少し考えて、言った。

「ついてこい」

「え?」

「帝国兵が、この辺りを巡回してる」

レオンは、歩き出した。

「安全な場所まで、案内する」

私は、マルタを見た。

マルタも、困惑している。

でも、選択肢はなかった。

この人は、私を殺すはずだった。

暗殺者。

でも、今、助けてくれた。

なぜ?

「早くしろ」

レオンが、振り返った。

「また、来るぞ」

私たちは、レオンについていった。

これが、レオンとの出会い。

全ての、始まり。

現在。

リベルタの城門の前。

私は、レオンの背中を見ながら、思い出していた。

父上の最期。

城門で、一人戦う姿。

剣を握りしめて、倒れた姿。

分かり合えなかった、親子。

でも、愛し合っていた。

それだけは、確かだった。

「父上」

私は、心の中で呼びかけた。

「私は、生きています」

あなたとの約束を、守っています。

「そして、必ず」

向日葵を、咲かせます。

あなたの想いと共に。

あなたが守ろうとした、誇りと共に。

いつか、理解します。

あなたが何を守ろうとしたのか。

王の務めとは、何だったのか。

その日まで。

私は、生きる。

「アリア」

レオンが、振り返った。

「行くぞ」

「はい」

私は、前を向いた。

リベルタへ。

新しい人生へ。

父との約束を、果たすために。

懐の中の、向日葵の種。

いつか、必ず咲かせる。

一面の、黄色い花畑を。

父上。

見ていてください。

私は、前を向いて生きます。

向日葵のように。

太陽を向いて。

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