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第6話「分かり合えない親子」

父上、あなたは間違っている。

あの日、そう言った。

でも、父上の決意は変わらなかった。

そして、私たちは分かり合えないまま。

時だけが、過ぎていった。

三年前。

十五歳の冬。

帝国への返答から、三ヶ月が経っていた。

父上は、帝国の要求を拒否した。

使者は、冷たく笑って去っていった。

それから、城の空気が変わった。

重苦しい。

まるで、嵐の前のような。

誰もが、知っていた。

戦争が、来ると。

廷臣たちは、連日会議を開いた。

軍備の増強。食料の備蓄。同盟国への使者。

でも、誰もが知っていた。

それでは、足りないと。

私は、図書館にいた。

父上の書斎から持ち出した、軍事書。

歴史書。戦術書。

前世の知識と、この世界の知識を。

必死に照らし合わせていた。

何か、方法があるはずだ。

弱小国が、大国に勝つ方法が。

ゲリラ戦。

焦土戦術。

持久戦。

前世の歴史で、弱者が勝った例。

ベトナム戦争。アフガニスタン。

でも。

それには、民衆の支持が必要だ。

外部からの支援も。

そして、何より。

時間が。

扉が開く音がした。

顔を上げると、父上が立っていた。

「父上」

私は立ち上がった。

「アリア。ここにいたのか」

父上は、部屋に入ってきた。

私の机を見る。

軍事書。歴史書。

そして、私が書いた、大量のメモ。

「勉強熱心だな」

「父上」

私は、父上を見た。

「まだ、間に合います」

父上は、ため息をついた。

「アリア。まだ、そんなことを」

「帝国に、使者を送りましょう」

私は、前世の知識を総動員して言った。

「条件付きで、降伏を」

「もう、その話はやめろ」

父上の声が、低くなった。

「でも」

「私の決意は、変わらぬ」

父上は、窓の外を見た。

雪が、降り始めていた。

最初の雪。

冬が、来た。

「父上は、民のことを考えていないんですか」

私は、思わず言った。

父上が、振り返った。

「何?」

「民は、戦争を望んでいません」

私は続けた。

「平和を、望んでいます」

「お前に、民の何がわかる」

父上の声が、厳しくなった。

「わかります」

私は、真っ直ぐ父上を見た。

「私は――」

言いかけて、止めた。

民の声を聞いてきた、と言おうとした。

でも、それだけじゃない。

前世で見た、戦争の記録。

争いの中で苦しむ人々。

失われた命。消えた未来。

その記憶が、頭によぎる。

でも、それは言えない。

転生者だということは、誰にも。

この知識があることも。

「何も、ありません」

私は、目を逸らした。

父上は、不思議そうに私を見た。

「アリア」

父上は、私に近づいた。

「お前は、最近変わったな」

「え?」

「十五の誕生日から」

父上の目が、私を見つめる。

「何かあったのか」

私は、答えられなかった。

あの日。

向日葵畑で、前世の記憶を思い出した日。

でも、それは言えない。

言えば、どうなるか。

狂人として扱われるか。

魔女として処刑されるか。

「何も、ありません」

もう一度、繰り返した。

「そうか」

父上は、私の頭に手を置いた。

「お前は、優しい子だな」

「父上」

「民を想い、国を想う」

父上は、微笑んだ。

「立派な王女だ」

「でも、父上の心には届かない」

私は、ぽつりと言った。

父上の手が、止まった。

「アリア」

「私は、何を言っても」

涙が溢れそうになった。

「父上を、止められない」

父上は、しばらく黙っていた。

そして、深く息を吐いた。

「アリア。お前は、まだ若い」

「若い?」

「十五歳だ。世の中の厳しさを、まだ知らない」

父上は、窓の外を見た。

「王とは、孤独なものだ」

「父上」

「民を守るために、時には心を鬼にしなければならない」

父上の声が、遠くなった。

「誇りを守るために、時には命を賭けなければならない」

「でも」

「お前には、わからないだろう」

父上は、私を見た。

「まだ、お前は王ではないのだから」

その言葉が、胸に刺さった。

私は、王ではない。

ただの王女。

父上の決定を、覆す権限はない。

「いつか、わかる日が来る」

父上が言った。

「お前が王になった時」

「私が、王に?」

「ああ」

父上は頷いた。

「もし、私が死んだら」

「父上!」

「お前が、この国を継ぐのだ」

父上の目が、真剣だった。

「その時、わかるだろう」

「何が、ですか」

「誇りの重さが」

父上は、私の肩に手を置いた。

「王の務めの、重さが」

私は、何も言えなかった。

父上は、部屋を出ていった。

一人残された私は、机に座り込んだ。

分かり合えない。

父上と、私は。

分かり合えない。

前世の知識があっても。

三十年分の経験があっても。

父上の心は、理解できない。

誇り。

名誉。

王の務め。

前世の世界では、命より大切なものはなかった。

でも、この世界では違う。

命より大切なものが、ある。

私には、理解できない。

でも、父上には理解できる。

それが、私たちの違い。

私は、窓の外を見た。

雪が、降り続いている。

向日葵畑が、白く染まっていく。

夏には、あそこは黄色に染まる。

でも、今は冬。

全てが、白く凍りつく。

それから、一週間後。

私は、城下町にいた。

マルタと一緒に。

市場を歩く。

人々の声が、聞こえる。

「帝国が、攻めてくるらしいぞ」

「本当か」

「ああ。もう時間の問題だ」

不安そうな声。

怯えた声。

人々は、知っている。

戦争が、来ると。

私は、立ち止まった。

パン屋の前。

そこに、母親と子どもがいた。

「お母さん、パンは?」

子どもが聞く。

「ごめんね。今日は我慢して」

母親が、申し訳なさそうに言う。

「戦争が来るから、お金を取っておかないと」

子どもは、悲しそうに頷いた。

私は、その光景を見て、胸が痛んだ。

これだ。

これが、民の声。

戦争を恐れる、民の声。

誇りより、明日のパンを求める声。

前世で見た、戦争の記録。

避難民。飢える子どもたち。

同じだ。

どの世界でも、民が求めるものは同じ。

生きること。

ただ、生きること。

私は、懐から銀貨を取り出した。

パン屋に近づく。

「このパンを、あの親子に」

私は、銀貨を渡した。

パン屋が、驚いた顔をする。

「お嬢様」

「いいから」

私は、マルタに目配せした。

マルタが、パン屋に耳打ちする。

パン屋は、深く頭を下げた。

そして、パンを包んで、あの親子に渡した。

「王女様からだ」

母親が、驚いて私を見た。

私は、微笑んだ。

母親は、深く頭を下げた。

子どもも、一緒に。

「ありがとうございます」

母親の目に、涙が浮かんでいた。

私は、頷いて、その場を離れた。

マルタが、ついてくる。

「アリア様」

「マルタ」

「優しいのですね」

マルタが、微笑んだ。

「優しいだけじゃ、何も変わらない」

私は、ぽつりと言った。

「父上を、説得できない」

「アリア様」

「民は、こんなに苦しんでいるのに」

私は、市場を見回した。

不安そうな顔。

怯えた顔。

皆、戦争を恐れている。

「私は、何もできない」

マルタは、しばらく黙っていた。

そして、静かに言った。

「アリア様は、もう十分にしておられます」

「何も、できていないわ」

「いいえ」

マルタは、私の手を握った。

「あなた様は、民の声を聞いておられる」

「でも」

「それだけで、十分です」

マルタの目が、優しかった。

「いつか、その声が届く日が来ます」

私は、何も言えなかった。

いつか?

いつなのか。

父上が、死んだ後?

国が、滅んだ後?

それでは、遅い。

「マルタ」

私は聞いた。

「あなたは、戦争をどう思う?」

マルタは、少し考えて答えた。

「私は、ただの侍女です」

「でも、民の一人でもあるわ」

マルタは、窓の外を見た。

「正直に言えば、怖いです」

「怖い?」

「はい。戦争が来れば、多くの人が死ぬでしょう」

マルタの目に、涙が浮かんだ。

「でも、陛下のお決めになったこと」

「マルタは、誇りより命だと思わない?」

マルタは、しばらく黙っていた。

そして、小さく答えた。

「わかりません」

マルタは首を振った。

「でも、生きていてくれなければ、何も始まらないと思います」

その言葉に、私は何も言えなかった。

そうだ。

生きていなければ。

何も、始まらない。

誇りも、名誉も。

生きてこそ、意味がある。

でも、それを父上は理解しない。

私たちは、城に戻った。

廊下で、一人の男性に会った。

銀髪の、凛とした騎士。

父上に仕える、クラウス。

「アリア様」

クラウスが、深く頭を下げた。

「クラウスさん」

「城下町へ、行かれていたのですか」

「ええ」

私は頷いた。

「民の様子を、見に」

クラウスは、少し驚いた顔をした。

「王女様が、直接?」

「はい」

「それは、素晴らしいことです」

クラウスが、微笑んだ。

「民は、喜んでいたでしょう」

「でも、何も変わらない」

私は言った。

「父上の決意は、変わらない」

クラウスの顔が、少し曇った。

「陛下は、お決めになったのです」

「クラウスさんは、どう思いますか」

私は聞いた。

「この戦争のこと」

クラウスは、しばらく黙っていた。

その目に、何か深い影が見えた。

まるで、遠い過去を見ているような。

何か、辛い記憶があるのだろうか。

「私は、騎士です」

クラウスの声が、少し震えた。

まるで、何かを押し殺すように。

「騎士?」

「陛下に仕える、騎士です」

クラウスの目が、真剣だった。

「陛下のご命令に、従うのみです」

「たとえ、それが間違っていても?」

クラウスは、少し驚いた顔をした。

王女が、王を否定する。

「アリア様」

「答えてください」

私は、真っ直ぐクラウスを見た。

「たとえ、それが間違っていても、従うのですか」

クラウスは、深く息を吐いた。

「それが、騎士の務めです」

「務め」

私は、その言葉を噛み締めた。

また、務め。

父上も、務めと言った。

クラウスも、務めと言う。

この世界の人々は。

務めのために、命を捨てる。

前世では、考えられないこと。

「でも」

クラウスが、続けた。

「アリア様のお気持ちも、わかります」

「クラウスさん」

「民を想う、そのお心」

クラウスは、微笑んだ。

「立派です」

「でも、何も変わらない」

「いつか、変わります」

クラウスが言った。

「アリア様が、王になられた時」

また、その言葉。

父上も言った。

私が王になった時。

でも、それは。

父上が、死んだ時。

「それでは、遅い」

私は言った。

クラウスは、何も答えなかった。

ただ、悲しそうに微笑んだ。

その夜。

私は、父上の執務室を訪ねた。

扉をノックする。

「入れ」

父上の声。

私は、扉を開けた。

父上は、机に向かっていた。

書類の山。

軍事計画。防衛戦略。

「アリア」

父上が、顔を上げた。

「どうした」

「お話が、あります」

私は、部屋に入った。

父上は、ペンを置いた。

「何だ」

「もう一度、お願いします」

私は、深く頭を下げた。

「帝国との戦争を、やめてください」

父上は、ため息をついた。

「アリア。またか」

「今日、城下町に行きました」

私は、顔を上げた。

「民は、怯えています」

「知っている」

「パンを買うお金も、惜しんでいます」

「それも、知っている」

「なのに、なぜ」

私は、声を荒げた。

「なぜ、戦争をするのですか」

父上は、立ち上がった。

「アリア」

「民は、誇りより、明日のパンを欲しているんです」

私は、必死に訴えた。

「誇りで、腹は膨れません」

「黙れ」

父上が、初めて怒鳴った。

私は、たじろいだ。

父上の目が、厳しい。

「お前は、何もわかっていない」

「わかっています」

私は、食い下がった。

「民の声を、聞いてきました」

「民の声?」

父上が、冷たく笑った。

「民は、何もわかっていない」

「父上!」

「目の前のパンしか、見えていない」

父上は、窓の外を見た。

「だからこそ、王が導くのだ」

「導く?」

私は、信じられない思いで父上を見た。

「誇りを持って生きることを」

父上の声が、低くなった。

「屈辱の中で生きるより、誇りを持って死ぬことを」

「それは、傲慢です」

私は言った。

「民の命を、勝手に決めるなんて」

父上が、振り返った。

その目が、悲しそうだった。

「アリア。お前は、本当に何もわかっていない」

「わかっています」

「いや、わかっていない」

父上は、私に近づいた。

「王とは、孤独なものだ」

「父上」

「正しいことをしても、理解されない」

父上の目に、何かが浮かんでいた。

「それでも、進まなければならない」

「でも、それは間違っています」

私は言った。

「誇りより、命です」

父上は、しばらく私を見つめていた。

そして、深く息を吐いた。

「お前と私は、永遠に分かり合えないのかもしれないな」

その言葉が、胸に刺さった。

「父上」

「下がれ、アリア」

父上は、背を向けた。

「もう、来るな」

その言葉に、私は凍りついた。

もう、来るな。

父上は、私を拒絶した。

「父上」

「行け」

父上の声に、もう迷いはなかった。

私は、震える足で、部屋を出ようとした。

扉に手をかける。

でも、最後に振り返った。

「父上、あなたは間違っている」

もう一度、言った。

父上は、何も答えなかった。

ただ、窓の外を見ている。

背中が、とても小さく見えた。

私は、扉を閉めた。

音が、やけに大きく響いた。

廊下で、私は壁に手をついた。

分かり合えない。

父上と、私は。

永遠に、分かり合えない。

涙が、溢れた。

声を殺して、泣いた。

誰にも見られないように。

私は、懐を探った。

あの日、向日葵畑で拾った種。

まだ、ある。

焼け焦げてもいない。

小さくて、固い種。

いつか、これを蒔く。

父上の想いと共に。

私は、種を握りしめた。

そして、心の中で誓った。

いつか、必ず。

向日葵を、咲かせる。

この国が、確かに存在したという証として。

そして、父上の誇りも。

いつか、理解する日が来るかもしれない。

その日まで。

私は、諦めない。

向日葵を、咲かせる。

それが、私の使命。

現在。

リベルタへの道。

私は、レオンの背中を見ながら、あの日のことを思い出していた。

三年前の冬。

父上と、最後に言葉を交わした日。

「もう、来るな」

あの言葉が、今も胸に残っている。

それから、私は父上の執務室を訪ねなかった。

顔を合わせても、挨拶だけ。

もう、何も言わなかった。

分かり合えないと、諦めたから。

でも、今になって思う。

あの時、もっと話せばよかった。

もっと、父上の言葉を聞けばよかった。

そうすれば。

もしかしたら。

理解できたかもしれない。

父上の想いを。

王の務めを。

誇りの重さを。

でも、もう遅い。

父上は――

「アリア」

レオンが、立ち止まった。

「見えたぞ」

レオンが指差す先に。

城壁に囲まれた、大きな街が見えた。

リベルタ。

自由都市。

私の、新しい人生の始まりの場所。

「ようやく、着いたんですね」

私は、涙を拭った。

「ああ」

レオンが、歩き出した。

私は、その背中を追う。

そして、心の中で思った。

父上。

私は、まだあなたを理解できていません。

でも、いつか必ず。

あなたの想いを、理解します。

そして、向日葵を咲かせます。

それが、私の使命。

転生者としての、使命。

私は、前を向いた。

リベルタへ。

新しい人生へ。

分かり合えなかった父との、約束を果たすために。

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