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第5話「最後通牒」

この知識で、国を救えるかもしれない。

そう思った、あの日。

だが、その機会は、思ったよりも早く訪れた。

そして、私は無力だった。

現在。

十八歳。

リベルタへの道を、レオンと共に歩きながら。

私は、三年前のことを思い出していた。

十五歳の誕生日。

前世の記憶を、完全に思い出した日。

あの日から、私は変わった。

前世の知識を密かに蓄え、いつか使う日を待っていた。

そして、その時は来た。

三年前の秋。

帝国の最後通牒という形で。

でも、私は何もできなかった。

ただ、父上と対立することしか。

三年前。

十五歳の秋。

あの日も、謁見の間にいた。

父上が玉座に座り、廷臣たちが並んでいる。

そして、帝国の使者。

黒い軍服を着た、冷たい目をした男。

私も、その場にいた。

王女として。

そして、転生者として。

「これが、ドライゼン帝国皇帝陛下からの親書である」

使者は、巻物を広げた。

「アイゼンブルク王国は、帝国の保護下に入れ。さもなくば、我が軍は貴国を敵国と見なす」

謁見の間が、静まり返った。

廷臣たちは息を呑む。

父上は、動かなかった。

「返答の期限は、三日だ」

使者はそう言い残し、踵を返して去っていった。

重い扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。

そして、議論が始まった。

「陛下、これは実質的な降伏要求です」

宰相が言った。

「保護下に入るということは、属州になるということ」

「だが、断れば戦争だ」

別の廷臣が言う。

「帝国軍は五十万。我が国は一万五千。勝ち目はない」

「では、降伏しろというのか」

「いや、しかし」

廷臣たちが、口々に言い合う。

私は、黙って聞いていた。

頭の中で、前世の知識を総動員していた。

歴史。政治。外交。

この状況を、どう打開するか。

答えは、すぐに出た。

降伏するしかない。

でも、完全な降伏ではなく。

条件付きの降伏。

自治権を保ったまま、形式的に帝国の保護下に入る。

そして、時間を稼ぎ、内部から変革を。

前世の歴史で、何度も見た戦略。

弱小国が大国に対抗する、唯一の方法。

私は、口を開こうとした。

でも、その前に。

「降伏は、しない」

父上の声が、響いた。

謁見の間が、静まり返った。

全員が、父上を見る。

「陛下」

宰相が言った。

「しかし」

「我が国の誇りを、帝国に売り渡すことはできぬ」

父上の声は、静かだったが、揺るぎなかった。

「アイゼンブルクは、建国以来二百年。一度も他国の支配下に入ったことはない」

「ですが、陛下。現実を」

「現実は承知している」

父上は立ち上がった。

「だが、誇りを失った国に、未来はない」

私は、思わず声を上げた。

「父上」

父上が、私を見た。

「アリア」

「お願いです。もう一度、考え直してください」

謁見の間が、ざわめいた。

王女が、王に意見する。

異例のことだった。

「何を言っている」

父上の声が、低くなった。

「誇りより、命です」

私は一歩前に出た。

「誇りを守って滅びるより、生きて未来を繋ぐべきです」

廷臣たちが、顔を見合わせた。

父上は、私を見つめた。

「アリア。お前は王女として、何を言っている」

「父上こそ、王として、何を考えているのですか」

私は食い下がった。

頭の中で、前世の知識が囁く。

歴史は証明している。

誇りのために滅んだ国が、どれだけあるかを。

ポーランド。チベット。数え切れない国々。

でも、生き延びた国もある。

屈辱に耐え、時を待ち、復活した国々。

「誇りのために民を死なせるのですか」

私は続けた。

「それが王の務めですか」

「黙れ」

父上が、初めて怒りの声を上げた。

私は、たじろいだ。

でも、引かなかった。

前世の知識がある。

この状況を、打開する方法がある。

「父上、お願いです」

私は、前世の知識を総動員して言った。

「形式的に帝国の保護下に入りましょう」

「何?」

父上の目が、鋭くなった。

「ただし、条件を付けるのです」

私は、続けた。

「自治権の保証。税の軽減。軍の独立」

廷臣たちが、ざわめいた。

「それは、実質的な独立ではないか」

一人が言った。

「そうです」

私は頷いた。

「形だけ帝国に従い、実は独立を保つのです」

「それでは、属州と変わらぬではないか」

父上が言った。

「いいえ、違います」

私は、前世で学んだ歴史を思い出す。

弱小国が大国に対抗した方法。

「時間を稼ぐのです。形だけでも帝国に従い、内部から力を蓄える」

「それは、屈辱だ」

「屈辱ですが、生き延びる道です」

私は、必死に訴えた。

「歴史は証明しています」

前世の知識が、言葉になる。

「誇りのために滅んだ国よりも、屈辱に耐えて復活した国の方が多いと」

父上は、しばらく黙っていた。

そして、首を横に振った。

「それは、屈辱だ」

「父上」

「お前に、何がわかる」

父上の目が、厳しい。

「民は、誇りある王を求めている」

「いいえ」

私は首を振った。

「民が求めているのは、平和です。安全です。明日も生きられるという、保証です」

前世の知識が、言葉になる。

政治学。社会学。

人々が本当に求めるものは、何か。

「誇りは、生きてこそ意味がある」

私は続けた。

「死んでしまえば、誇りも何もありません」

父上は、しばらく黙っていた。

そして、深く息を吐いた。

「アリア。お前と私は、『守る』の意味が違うようだな」

「父上」

「私は、この国の誇りを守る。お前は、この国の命を守りたいのだろう」

父上は、遠くを見た。

「どちらも正しい。だが、私は王だ。王として、誇りを選ぶ」

「父上、お願いです」

私は、必死に訴えた。

「もう一度、考え直してください」

「決定は、下した」

父上の声に、もう迷いはなかった。

「下がれ、アリア」

私は、唇を噛み締めた。

前世の知識が、役に立たない。

説得の技術。交渉術。

全部、学んだはずなのに。

父上の心には、届かない。

「父上」

「下がれと言った」

その声に、もう反論の余地はなかった。

でも、私は最後に言った。

「父上、あなたは間違っている」

父上は、驚いたように私を見た。

王女が、王に向かって。

間違っていると。

謁見の間が、静まり返った。

私は、父上を真っ直ぐ見つめた。

「誇りより、命です」

父上は、何も言わなかった。

ただ、私を見ている。

その目に、何が映っているのか。

私には、わからない。

「下がれ」

父上が、もう一度言った。

私は、深く頭を下げた。

そして、謁見の間を出た。

廊下で、私は壁に手をついた。

悔しい。

前世の知識があっても。

三十年分の経験があっても。

何も、できない。

父上を、説得できない。

国を、救えない。

窓の外に、向日葵畑が見える。

あの日、前世を思い出した場所。

この知識で、国を救えるかもしれない。

そう思ったのに。

涙が溢れそうになって、私は顔を上げた。

マルタが、心配そうに近づいてきた。

「アリア様」

「マルタ」

「お聞きしました」

マルタの目が、悲しそうだった。

「陛下は、戦うおつもりだと」

「ええ」

私は頷いた。

「止められなかった」

「あなた様のせいではありません」

マルタが言った。

「陛下は、お決めになったのです」

「でも」

「あなた様は、よくおっしゃいました」

マルタは、私の手を握った。

「誇りより、命だと」

「マルタは、どう思う?」

私は聞いた。

「もし、あなたが私の立場なら、どうする?」

マルタは、少し考えて答えた。

「わかりません。でも」

「でも?」

「アリア様の言葉は、民の声だと思います」

マルタは、窓の外を見た。

「民は、誇りよりも、明日のパンを欲しているのではないでしょうか」

その言葉に、私は何も言えなかった。

そうだ。

民が求めているのは。

誇りではなく。

生きること。

明日も、今日と同じように生きられること。

それなのに。

「私は、何もできなかった」

私は、ぽつりと言った。

「前世の知識があっても。転生者であっても」

「前世、ですか?」

マルタが、不思議そうに聞いた。

「いえ、何でもないわ」

私は首を振った。

前世のことは、まだ誰にも言えない。

レオン以外には。

「マルタ、もし国が滅んだら」

私は言った。

「私と一緒に来てくれる?」

「アリア様」

マルタの目が、潤んだ。

「もちろんです。どこまでも」

その言葉に、少しだけ救われた。

でも、胸の痛みは消えない。

私は、父上の執務室へ向かった。

扉をノックする。

「入れ」

父上の声。

私は、扉を開けた。

父上は、窓の外を見ていた。

「アリア」

「父上」

私は、部屋に入った。

「先ほどは、失礼しました」

「いや」

父上は、振り返った。

「お前の言うことも、わかる」

「父上」

「だが、私には私の、守るべきものがある」

父上は、私に近づいた。

「誇り。名誉。王としての、務め」

「それより、命を」

「アリア」

父上が、私の頭に手を置いた。

「お前は、強い子だな」

「父上」

「私の言うことは、理解できまいな」

「はい」

私は、正直に答えた。

「理解できません」

父上は、小さく笑った。

「そうか」

「でも」

私は言った。

「もし、国が滅びたら」

父上の手が、止まった。

「私は、必ず向日葵を咲かせます」

父上は、少し驚いた顔をした。

「向日葵を?」

「はい。この国が、確かに存在したという証として」

父上は、しばらく私を見つめていた。

そして、小さく微笑んだ。

「そうか。ならば、頼んだぞ」

「父上」

「お前なら、できるだろう」

父上の目が、優しかった。

「向日葵のように、太陽を向いて生きろ」

その言葉に、私の胸が締め付けられた。

「父上は、あきらめたんですか」

「諦めたのではない」

父上は首を振った。

「選んだのだ」

「選んだ?」

「誇りを持って戦い、誇りを持って散る」

父上は、窓の外を見た。

「それが、王の務めだ」

私は、何も言えなかった。

前世の知識が、何の役にも立たない。

この人を、説得できない。

救えない。

「行け、アリア」

父上が言った。

「私の決意は、変わらぬ」

私は、震える足で、部屋を出た。

扉を閉める前に、振り返った。

「父上、あなたは間違っている」

もう一度、言った。

父上は、何も答えなかった。

ただ、窓の外を見ている。

私は、扉を閉めた。

廊下で、私は立ち尽くした。

無力だ。

前世の知識があっても。

転生者であっても。

何も、できない。

父上を、止められない。

国を、救えない。

涙が、溢れた。

声を殺して、泣いた。

誰にも見られないように。

でも、心の中で誓った。

いつか、必ず。

向日葵を、咲かせる。

この国が、確かに存在したという証として。

そして、父上の誇りも。

いつか、理解する日が来るかもしれない。

その日まで。

私は、生きる。

現在。

リベルタへの道。

私は、レオンの背中を見ながら、涙をこらえていた。

あの時。

私は、何をすればよかったのか。

前世の知識で、もっと上手く説得できたのではないか。

もっと、違う方法があったのではないか。

答えは、出ない。

でも、一つだけわかる。

前世の知識は、万能じゃない。

転生者だからといって、全てを救えるわけじゃない。

この世界には、前世では理解できない価値観がある。

誇り。

名誉。

王としての、務め。

それを、私は軽視していた。

理想論だけでは、人は救えない。

前世で学んだはずなのに。

また、同じ過ちを。

「おい」

レオンが立ち止まった。

「どうしたんですか」

「泣いてるのか」

レオンが、振り返った。

私は、慌てて涙を拭った。

「泣いてなんか」

「嘘つくな」

レオンは、私に近づいた。

「何があった」

「何も」

「また嘘だ」

レオンは、私の目を見た。

「お前の目は、嘘をつけない」

私は、目を逸らした。

「昔のことを、思い出しただけです」

「昔?」

「三年前」

私は、ぽつりと言った。

「父上と、対立したこと」

レオンは、何も言わなかった。

ただ、聞いている。

「私は、降伏すべきだと言いました」

私は続けた。

「誇りより、命だと」

「お前の父は、拒否した」

「はい」

私は頷いた。

「父上は、誇りを選びました」

「それで、戦争になった」

「はい」

涙が、また溢れそうになった。

「私は、何もできませんでした」

「お前は、悪くない」

レオンが言った。

「自分を責めるな」

「でも」

「お前の父は、自分で選んだんだ」

レオンの声が、優しかった。

「誇りを選んだ。それは、王としての選択だ」

「でも、間違っています」

私は言った。

「誇りより、命です。何度でも言います」

レオンは、しばらく黙っていた。

そして、小さく息を吐いた。

「アリア」

「はい」

「お前の言うことも、お前の父の言うことも、どっちも正しい」

「え?」

「誇りも大切だ。命も大切だ」

レオンは、遠くを見た。

「どっちを選ぶかは、その人次第だ」

「でも」

「お前は、命を選んだ。お前の父は、誇りを選んだ」

レオンは、私を見た。

「どっちが正しいかなんて、誰にもわからない」

その言葉に、私は何も言えなかった。

レオンは、また歩き出した。

「行くぞ。リベルタまで、あと少しだ」

私は、その背中を追った。

そして、心の中で思った。

あの時から、全ては決まっていた。

父上の選択も。

私の選択も。

そして、国の運命も。

でも、私は諦めない。

いつか、必ず。

向日葵を、咲かせる。

それが、私の使命。

転生者としての、使命。

私は、前を向いた。

レオンの背中を追って。

リベルタへ。

新しい人生の、始まりへ。

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