第3話「前世の断片」
「俺は元帝国の暗殺者だ」
レオンの言葉が、洞窟の中に響いた。
私は、その場に固まった。
暗殺者。
帝国の。
この人は、敵。
私を殺すために送られた、刺客。
「なぜ、そんなことを」
私は震える声で聞いた。
「なぜ、今それを言うんですか」
レオンは、背中を向けたまま答えた。
「お前には知る権利がある」
「知る権利?」
「ああ」
レオンは振り返った。
その灰色の瞳が、炎に照らされている。
「俺が誰か。なぜお前を助けているのか」
私は立ち上がった。
「じゃあ、教えてください」
「言っただろう。俺は帝国の暗殺者だった」
「だった?」
「今は違う」
レオンは火のそばに座った。
「任務を放棄した。お前を殺さなかった時点で、俺は帝国を裏切った」
私は、レオンの顔を見つめた。
「それは」
「後悔はしてない」
レオンが言った。
「お前を殺せなかった。それだけだ」
沈黙が落ちた。
火が、パチパチと音を立てる。
私は、ゆっくりと座った。
「レオンさん」
「何だ」
「あなたは、これからどうするんですか」
レオンは、遠くを見た。
「さあな」
「帝国は、あなたを」
「追ってくるだろう。裏切り者として」
レオンの声は、平坦だった。
「だが、それもいい」
私は、何も言えなかった。
ただ、レオンの背中を見つめていた。
この人は。
私のために、全てを捨てた。
なぜ。
「レオンさん」
「何だ」
「どうして、私を殺せなかったんですか」
レオンは、しばらく黙っていた。
そして、小さく息を吐いた。
「お前の目を見た」
「私の、目?」
「ああ」
レオンは、火を見つめた。
「まだ、生きようとしていた」
私は、自分の目を意識した。
向日葵色の瞳。
王家の眼。
「死を受け入れた目じゃなかった」
レオンが続けた。
「妹を、思い出した」
私は、息を呑んだ。
「妹?」
「エマ。八歳で死んだ」
レオンの声が、低くなった。
「向日葵が好きな子だった」
向日葵。
その言葉に、私の胸が痛んだ。
「お前の目は、エマと同じだった」
レオンは立ち上がった。
「寝ろ。明日も早い」
私は、何も言えなかった。
ただ、レオンの背中を見つめていた。
この人にも、失ったものがある。
大切な人が、いた。
私と同じように。
この人がいなければ、私は死んでいた。
二度目の人生も、終わっていた。
でも、レオンが救ってくれた。
殺す任務を放棄して。
全てを捨てて。
私は、この人に借りがある。
いつか、返さなければ。
レオンの妹、エマ。
向日葵が好きだった少女。
私も、向日葵を愛している。
前世でも、今世でも。
だから、レオンの想いも背負う。
エマの分まで、生きる。
私は、外套に包まって横になった。
火の温かさ。レオンの気配。
少しだけ、安心した。
懐を探る。
あの日、向日葵畑で拾った種。
まだ、ある。
焼け焦げた、小さな種。
でも、生きている。
私は、種を握りしめた。
いつか、これを蒔く。
前世の夢を、この世界で叶えるために。
目を閉じる。
そして、眠りに落ちた。
◇
また、あの夢を見た。
三年前、十五歳の誕生日。
向日葵畑で思い出した、前世の記憶。
普段は忘れているふりをしている。
アリアとして生きるために。
でも、時々こうして蘇る。
特に、疲れている時は。
夢の中。
私は、別の世界にいた。
高い建物。ガラスの窓。灰色の空。
知っている場所。
前世の、場所。
私は、机に向かっている。
いや、私じゃない。
田中陽子。
三十歳。
NGO職員。
私の、前世。
パソコンの画面を見つめている。
指が、キーボードを叩く。
カタカタと音がする。
時計を見る。
夜の十時。
窓の外は、暗い。
でも、無数の明かりが輝いている。
都会。
東京。
日本。
前世の、世界。
「田中さん、まだやってるの?」
誰かが声をかけた。
陽子は顔を上げる。
「ええ、この報告書、明日までなので」
疲れた声。
でも、諦めない声。
「無理しないでね」
「大丈夫です」
陽子は、また画面に向かう。
サンフラワープロジェクト。
向日葵の、プロジェクト。
途上国の子どもたちに、教育を届ける。
学校を建てる。教師を育てる。給食を提供する。
それが、陽子の使命。
私の、前世の使命。
画面に、数字が並んでいる。
予算表。スケジュール。進捗報告。
あと少し。
あと少しで、プロジェクトが完成する。
アフリカの、あの村に。
子どもたちの笑顔が見られる。
向日葵のように、太陽を向いて笑う子どもたち。
陽子は、それを夢見て。
でも、疲れていた。
毎日、遅くまで働く。
休みもない。
家に帰るのは、日付が変わってから。
眠るのは、三時間。
また朝が来る。
また働く。
「田中さん、帰らないと終電逃すよ」
また声がかかる。
「もう少しで終わります」
陽子は答える。
そして、また画面に向かう。
指が、動く。
カタカタ。カタカタ。
でも、突然。
視界が、揺れた。
めまい。
頭が、割れそうに痛い。
胸が、締め付けられる。
息が、できない。
「田中さん?」
誰かが叫ぶ。
陽子は、倒れた。
床が、冷たい。
天井が、遠い。
蛍光灯の光が、眩しい。
ああ、これは。
過労死。
陽子は、死ぬ。
三十歳で。
プロジェクトを、完成させられないまま。
ごめんなさい。
子どもたち、ごめんなさい。
誰かが、陽子を揺さぶっている。
声が聞こえる。
でも、遠い。
意識が、薄れていく。
暗闇が、迫ってくる。
ごめんなさい。
みんな、ごめんなさい。
私は、やり遂げられなかった。
視界が、真っ暗になる。
でも、その時。
光が見えた。
眩しい、暖かい光。
そして、声。
「あなたの想いは、無駄にならない」
誰?
優しい声。どこか懐かしい声。
「別の世界で、プロジェクトを完成させて」
別の、世界?
「向日葵を、咲かせて」
向日葵。
そう、向日葵。
私の、使命。
「行きなさい。新しい人生で」
光が、陽子を包んだ。
暖かい。
とても、暖かい。
そして。
意識が、遠のいた。
◇
「起きろ」
レオンの声。
私は、ガバッと体を起こした。
息が荒い。心臓が激しく打っている。
汗が、額を流れる。
また、あの夢。
三年前に思い出した、前世の記憶。
田中陽子としての三十年間。
それからずっと、この記憶と向き合ってきた。
二つの人生。二つの記憶。
普段は、アリアとして生きている。
でも、時々こうして夢に見る。
前世の記憶を。
今夜の夢は、特に鮮明だった。
過労死した、あの瞬間まで。
「アリア」
レオンが、私の名前を呼んだ。
今までは「お前」だったのに。
「大丈夫か」
心配そうに、覗き込んでいる。
その優しさに、涙が出そうになった。
洞窟の天井。
朝の光が、入口から差し込んでいる。
私は、周囲を見回した。
ここは、洞窟。
私は、アリア。
アイゼンブルク王国の王女。
そして、田中陽子の生まれ変わり。
「大丈夫です」
私は答えた。
「ただ、昔のことを思い出しただけ」
昔。
前世の、昔。
レオンは、眉をひそめた。
「顔色が悪いぞ」
「すぐ、良くなります」
私は、深呼吸した。
落ち着け。
今は、アリアとして生きる。
前世の記憶は、心の奥にしまっておく。
でも、忘れない。
いつか、あの夢を叶えるために。
「水を飲め」
レオンが水筒を渡した。
私は、水を口に含んだ。
冷たい。
少し、落ち着いた。
「行けるか」
「はい」
私は立ち上がった。
体は、まだ震えている。でも、動ける。
レオンは、火を消した。
「今日中にリベルタに着く」
「本当ですか」
「ああ。あと半日だ」
二人は、洞窟を出た。
森の中。朝の空気が、冷たい。
鳥の声が、響いている。
レオンは、慣れた様子で森を進む。
私は、その背中を追いながら、考えていた。
三年前、十五歳の誕生日。
向日葵畑で、全てを思い出した。
田中陽子としての三十年間。
サンフラワープロジェクト。
過労死。
転生。
それから、私は二つの人生を生きてきた。
アリアとして。
でも、心の中には陽子がいる。
前世の知識がある。
前世の経験がある。
前世の夢がある。
それを、いつかこの世界で叶える。
向日葵を咲かせる。
子どもたちに教育を届ける。
平和な世界を作る。
それが、私の使命。
「おい」
レオンが立ち止まった。
「どうしたんですか」
「誰か来る」
レオンの手が、剣に伸びた。
私は、息を潜めた。
足音。
複数。
また、帝国兵?
木々の向こうから、人影が現れた。
三人。
粗末な服を着た、男たち。
武器を持っている。
山賊だ。
「よう、そこの二人」
一人が、にやりと笑った。
「金目の物を置いていけ」
レオンは、動かなかった。
「断る」
「おいおい、聞こえなかったか?」
山賊が一歩前に出た。
「金を出せって言ってんだ。そっちの女も、置いていけ」
私の背筋が凍った。
レオンの目が、冷たくなった。
「もう一度言う。断る」
「なら、死ね」
山賊が、剣を抜いた。
他の二人も、武器を構える。
レオンは、ため息をついた。
「アリア」
「はい」
「後ろに下がってろ」
私は、言われた通りに後ろへ下がった。
レオンが、剣を抜く。
刃が、朝日を反射して光った。
「三人か」
レオンが呟いた。
「すぐ終わる」
山賊たちが、一斉に襲いかかった。
レオンが、動いた。
速い。
信じられないほど速い。
一瞬で、一人の懐に入る。
剣を一閃。
山賊が倒れる。
二人目。
三人目。
レオンの動きに、無駄がない。
まるで狼のように、敵の間を縫って、確実に急所を狙う。
灰色の狼。
そう、この人は狼だ。
あっという間に、三人全員が倒れた。
レオンは、剣を鞘に収め、振り返った。
「怪我はないか」
「はい」
私は頷いた。
でも、足が震えている。
地面には、三人の山賊が倒れている。
レオンは、人を殺した。
また。
私のために。
暗殺者。
この人は、元帝国の暗殺者。
どれだけの人を、殺してきたのだろう。
でも、私を守ってくれている。
「行くぞ」
レオンが歩き出した。
私は、その背中を追った。
森を進む。
時々、レオンが立ち止まって周囲を警戒する。
帝国兵や山賊の気配を探っているのだろう。
昼過ぎ。
小さな泉のほとりで休憩した。
レオンは腰を下ろし、懐から干し肉を取り出した。
「食え」
私に半分差し出す。
「ありがとうございます」
私は受け取った。
固い。噛み切るのに苦労する。でも、空腹には代えられない。
二人で、無言で食事を続けた。
水面に、自分の顔が映っている。
金色の髪。向日葵色の瞳。
アリア・フォン・アイゼンブルク。
十八歳。
でも、頭の中には。
鏡に映る、別の顔。
黒い髪。茶色の瞳。
田中陽子。
三十歳。
二つの顔。
二つの人生。
私は、両方。
「レオンさん」
「何だ」
「この世界に、電気はありますか」
レオンが、不思議そうな顔をした。
「電気?何だ、それは」
「いえ、何でもありません」
私は首を振った。
そうだ。
この世界には、電気がない。
パソコンも、スマートフォンも、電車もない。
前世の知識が、全て使えるわけじゃない。
でも。
「民主主義は、ありますか」
「何だ、それは」
「選挙で代表を選ぶ仕組みです」
「聞いたことがないな」
レオンは首を横に振った。
そうか。
この世界には、まだない概念。
でも、いつか。
いつか、この知識が役立つ時が来る。
レオンは立ち上がった。
「行くぞ。日が暮れる前に、リベルタに着きたい」
また歩き出す。
私は、その背中を見ながら思った。
前世の知識。
使える部分と、使えない部分がある。
でも、それでいい。
使える知識を、最大限に活かす。
組織運営。交渉術。教育理論。
歴史の教訓。民主主義の概念。
この世界を、変えるために。
森を抜けた。
開けた場所に出る。
遠くに、街が見えた。
城壁に囲まれた、大きな街。
海が見える。港に、たくさんの船。
不思議と、よく見える。
城壁の上を歩く人影まで。
こんなに遠いのに。
レオンが、私を見た。
「視力がいいな」
「え?」
「普通、あそこまでは見えない」
私は、自分の目を意識した。
向日葵色の瞳。
昔から、遠くがよく見えた。
でも、それが特別なことだとは思わなかった。
王家の眼。
この目には、何か力があるのだろうか。
「あれが、リベルタだ」
レオンが言った。
自由都市リベルタ。
帝国も手を出せない、中立の街。
私の、新しい出発点。
「ようやく、着いたんですね」
「ああ」
レオンは、歩き出した。
私は、その背中を追う。
そして、心の中で問いかけた。
これは、前世の記憶なのか?
答えは、もう出ている。
そう。
これは、前世の記憶だ。
田中陽子として生きた、三十年間。
過労死して、転生した。
アリア・フォン・アイゼンブルクとして。
三年前、十五歳の誕生日に、全てを思い出した。
それから、二つの人生を生きてきた。
そして、今。
国を失い、全てを失った。
でも。
前世の知識がある。
前世の経験がある。
前世の夢がある。
それを、この世界で叶える。
田中陽子の使命。
サンフラワープロジェクトを完成させること。
アリア・フォン・アイゼンブルクの使命。
向日葵を咲かせ、国を取り戻すこと。
二つの使命は、一つになる。
向日葵を咲かせる。
子どもたちに教育を届ける。
平和な世界を作る。
それが、私の使命。
転生者の、使命。
私は、レオンの背中を追い続けた。
リベルタへ。
新しい人生の、始まりへ。
懐の中の、向日葵の種。
焼け焦げた、小さな種。
いつか、これを蒔く。
そして、必ず咲かせる。
一面の、黄色い花畑を。
そして、心の中で確信した。
これは、前世の記憶なのか?




