第二十九話 明かされる想いと真実
夕陽に照らされる、美しい海辺を歩く二人。
白い砂浜からは、果てしなく広がるサフィールの青い海と、海沿いの高台に佇む白い城が望める。
柔らかな潮風に、アーシャの薄紅を纏う金の髪と、薄桃色のヴェールが靡いた。
「綺麗……」
彼女の呟きに、ターリクもまた視線を海に向ける。
寄り添うアーシャから漂う甘い花の香が、あの砂漠の夜を思い起こさせる。だが今は彼の胸を締め付けるのではなく、愛しい温もりを与えていた。
「アーシャ様……」
ターリクの声は、潮騒に溶けるように静かだった。
いつになく真剣な声に、その胸に寄り添っていたアーシャが少し体を離してターリクを見上げる。
「私は……ずっとお伝えしたかったことがあります」
彼は深く息を吸い、アーシャの正面に立つ。海風に砂色の髪が揺れ、海よりも青く深い瞳でアーシャを見つめる。
「アーシャ様……私は、あなたをお慕いしております……一人の女性として、愛しているのです」
その言葉に、目を見開いたアーシャが両手で口元を覆う。潤んだ紫水晶の瞳から涙が零れる。
「どうか……これから先は、私の妻として共に生きてください」
アーシャは涙を零しながら、何度も頷いた。
涙を零して微笑むアーシャに安堵の表情を浮かべると、ターリクは涙を拭ってからそっと抱き締める。
アーシャは、この上なく幸せそうに微笑んで、その胸に体を預けた。ターリクも瞳を伏せて、淡く微笑む。
二人を、優しい波音が包みこんだ。
「アーシャ様……」
体を少し離すと、涙に濡れる紫水晶の瞳を見つめて、ターリクは言葉を続ける。
「そして、もう一つ……お伝えしなければならないことがあります……」
ターリクのわずかに緊張を帯びた眼差しに、アーシャも緊張した面持ちで見つめ返した。
「私は……実は、この国の……サフィールの王子なのです……」
海風が強く吹いて、二人の髪を揺らした。アーシャの薄桃色のヴェールが靡き、涙に濡れた花の顔を覆う。
「私もつい先日、使者から真実を知らされました。幼い頃に行方不明になった王子なのだと……。けれど……身分を知る前から、私はあなたを愛していました。これは揺るぎない真実です」
「どうか……私の花嫁になってください」と、彼は深く頭を垂れるように告げた。
アーシャは、沈黙していた。
海風が落ち着き、顔を上げたターリクがそっと薄桃色のヴェールを整える。だが、アーシャの顔は凍りついていた。
「アーシャ様……?」
感激に涙を浮かべて微笑んでいたはずのアーシャの瞳から、涙が幾つも零れ落ちていた。
「……わたしじゃ、あなたに釣り合わないわ……」
「アーシャ様、そのような──!」
狼狽えたターリクは慌てて手を伸ばすが、彼女は俯いたまま首を振って涙を零す。
「お父様は、わたしを捨てたのよ……私はもう、ザフラーンの王女じゃないわ……」
泣きながら紡がれたその言葉に胸を締め付けられ、ターリクは彼女を強く抱き締めた。
「私は“王女”だからあなたを愛したのではありません……アーシャ様だからこそ、愛しているのです」
見上げてくる紫水晶の瞳から溢れる涙を、指でそっと拭う。
「あなたと共に生きられないのなら、私は王子であることも、国も……全てを捨てます」
「ターリク……」
涙を浮かべる紫水晶の瞳には、真剣な眼差しのターリクが映し出されている。
その時、背後から砂を踏む足音が響いた。
「失礼致します。──ターリク様、両陛下がお待ちです」
使者の視線がアーシャの涙に留まり、驚きの声を上げる。
「姫君、いかがなさいましたか?! ターリク様……花嫁を泣かせるとは……」
その言葉に、アーシャが涙に濡れた瞳を瞬かせる。
厳しい視線を向けられたターリクは耳の先を赤くし、少しだけ瞼を伏せる。
「……実はもう、『花嫁を連れ帰る』と伝えてしまいました。両親も、楽しみに待っているのです……」
小さく「お許しください」と呟いた彼に、アーシャは涙を浮かべたまま微笑んだ。
「……わたし……あなたの傍にいて良いのね……」
「勿論です。……もしアーシャ様が傍にいてくださらないのなら、私は国を捨てます」
「ターリク様、何を仰るのですか!!」
使者が思わず声を上げたが、二人の瞳は互いだけを映していた。
* * *
馬車が石畳を進み、遠くに見える白亜の城門が夕陽に照らされて輝く。
城下の喧騒は遠のき、やがて美しい城が静かに姿を現した。
城門の上にはサフィールの青い紋章が掲げられ、見張りの兵たちは一斉に槍を掲げて敬礼した。
城の外壁は海風を受けて白く輝き、城壁を這う蔦が小さな花を咲かせている。塔の上には青い瓦が陽光を反射し、白と青の対比がどこまでも清らかに映えていた。
広い中庭に足を踏み入れると、噴水の水がきらめき、海から運ばれる風にしぶきが舞う。回廊の柱は真珠のように白く磨き上げられ、天井には海と星を描いた鮮やかなモザイク画が広がっていた。
玉座の間はさらに壮麗だった。大理石の床には藍色の絨毯が敷かれ、両脇には黄金の燭台が並び、天井からは無数のシャンデリアの灯が下がっている。
だが、その荘厳さの中に満ちていたのは冷たさではなく、柔らかな温もりだった。
玉座の間に二人で足を踏み入れると、王と王妃が涙に濡れた瞳で立ち上がる。厳かな空気は一瞬にして家庭の温かさへと変わった。
──アーシャにとって、それは「国の王と妃」ではなく、「家族のように温かな人々」と映った。
「あぁ……その瞳……やはり、我らの息子だ……!」
「ターリク……! 顔をよく見せてちょうだい……」
王は目を潤ませ、王妃は堪えきれず涙を零し、ターリクへと駆け寄る。
「あぁ、ターリク……よく戻ってきてくれましたね……」
駆け寄った王と王妃が、涙を零しながらターリクを抱き締める。ターリクは戸惑いの表情を浮かべながらも、微笑んで二人の肩に腕を添えた。
その光景を見て、思わず涙を零すアーシャ。父と母に抱き締められるターリクを見た瞬間、胸の奥に温かい痛みが広がった。
自分もまた、ようやく家族を見つけたような気がしたのだ──
「アーシャ様、ようこそサフィールへ……あなたはもう、わたくしたちの大切な娘です」
王妃はアーシャを慈愛に満ちた眼差しで見つめると、その白い頬を伝う涙を、迷わず抱き締めることで受け止めた。
王妃の腕に包まれて、アーシャは震えながら涙を流した。その温かさに、胸の奥がじんわりと満たされていく。
涙は止まらなかったが、その涙はもう、悲しみの色ではなかった。
母を知らぬ彼女にとって、初めて触れる“母の抱擁”だった──
次回、第三十話「未来への誓い」
サフィールの空に鳴り響く祝祭の鐘。
祝福の中で二人は未来を誓い合う──




