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第二十五話 取り戻した花

【第五章のあらすじ】


苦悩と別離を越えて、引き離された二人の絆は、揺るぎない愛へと変わっていく。


そして、ふたりが辿り着いた海辺の国で、ついに明かされる真実。

溢れる愛と祝福に、二人は包まれる──

 運命に翻弄されたふたりの物語は、ついに再び重なり始める──


 カリーム邸に保護されたアーシャは、当主夫妻とファリードと共に夕食を囲むはずだったが、ファリードの父であるカリーム家当主は急用が出来たとのことで屋敷には戻らなかった。

 結局アーシャは、当主夫人とファリードの二人と卓を囲むこととなった。


 だが、屋敷中の者たちから温かな笑顔で丁重に饗され、離宮では見たこともないような豪勢な料理がたくさん並べられても、淡く微笑むアーシャの瞳には影が差していた。

 その様子を、当主夫人は心配そうに見つめ、変わらぬ笑みを浮かべるファリードは心に翳りを落としていた。


* * *


 予定よりも遅く、明け方になってから帰宅したカリーム家当主。


 早朝、当主である父に呼び出されたファリードは、父の書斎に通された。窓から差し込む朝の光が帳のように漂い、父の声は低く響いた。


「……ファリード、落ち着いて聞くように」


 開口一番そう言った父の表情は、いつになく厳しかった。ファリードの琥珀色の瞳が僅かな緊張に揺らぐ。


「……アーシャ王女殿下の件だ。今日、ここに迎えが来られる」

「迎え……? 一体誰が……」


 ──王宮から、迎えが来るはずがない。あの晩、刺客に襲われ離宮から姿を消した王女を捜索もしなかったというのに……。


 ファリードの問いに、父は静かに口を開いた。

 はっきりと告げられた男の名と肩書きに、ファリードの瞳が見開かれる。


「……まさか、あの男が……」


 ファリードが狼狽えて声を上げた瞬間、「不敬だぞ!」と父に鋭く諫められる。


「とにかく、あの御方が来られる以上、我らに抗う術はない。……アーシャ王女殿下のことは、諦める他ないのだ……」


 「残念だがな……」と呟かれたその言葉に、ファリードの胸は重く沈んだ。彼は言葉を失い、力なく立ち尽くすしかなかった。


* * *


 その頃、アーシャは露台から朝の光に染まる庭園を眺めていた。


(あれは……?)


 ふと、カリーム邸の門前から入ってくる四頭立ての濃紺の馬車と、馬に乗った一団が目に入った。

 その馬車は目立った装飾はないが品のある美しい佇まいで、玄関の前で優雅に止まった。

 馬から降りた一人の男が馬車の扉を開け、降りてきた姿にアーシャの胸が跳ねる。

 馬から降りた揃いの紺の外套を纏った一団が並び、その中心に立つのは、ターリクだった。


 以前は砂色の衣を纏って市井に紛れていた彼が、いまは深い紺の正装に身を包み、陽光を受けて堂々とした姿でそこにいた。


「ターリク!」


 堪えきれず、アーシャは部屋を飛び出した。水色のヴェールを翻し、長い廊下を駆け抜けると、階段を早足で降りる。


(ターリク……!)


 アーシャは息を弾ませて、玄関ホールの扉を押し開けた。

 玄関に立つターリクの姿を目にした瞬間、アーシャの瞳から涙が溢れる。


「アーシャ様……!」

「ターリク! 会いたかった……!」


 彼の名を呼ぶと同時に、アーシャはその胸に飛び込んだ。力強く抱きとめるその腕の温もりに、全ての不安が溶けていく。


「……お迎えに上がりました」


 低く、しかし確かな声が耳元に届く。抱き締められた彼女は頷き、震える体を預けた。


 そこへ、カリーム家の当主と夫人、そしてファリードが姿を現した。

 夫人は残念そうに唇をそっと噛みしめ、当主は沈黙したまま事の成り行きを見守る。


 ファリードの揺れる瞳は、寄り添う二人を捉えて離さなかった。

 胸の奥で押し殺したはずの想いが、鋭い痛みとなって広がっていく。


 けれど──やがて彼は、静かに言葉を紡いだ。


「……アーシャ様。どうか……お幸せに」


 ファリードは、その一言を発した瞬間、胸を切り裂かれるような苦しみが込み上げ、拳を強く握りしめた。

 だが、アーシャが涙を浮かべて「カリーム様、ありがとう」と微笑んだ時、彼は悟った。

 この笑顔こそが、彼女の幸せの証なのだ、と……。


 切なげに目を伏せるファリードを一瞥し、ターリクは当主夫妻に深々と一礼した。

 そして、アーシャの背にそっと手を添えると、迷いのない歩みで玄関を後にする。


 朝日を受けて並ぶ二人の背が遠ざかっていく。

 その光景を見送るファリードの胸には、痛みと切ない誓いが入り混じった炎がまだ燻っていた。


 ──やがて扉が閉じられ、静寂が訪れる。


 ひとり残された息子の背を、当主と夫人は心配そうに見つめていた。だが、ファリードは振り返らず、無言のまま自室へと足を運んだ。


* * *


 部屋に戻ると、ファリードは扉を背にして立ち尽くした。

 声に出せない名を胸の内で呟いた瞬間、張りつめていた心が堰を切ったように揺らぎ、ファリードの頬を熱い涙が伝う。

 瞼を閉じても、微笑んで去っていった愛しいアーシャの姿が消えない。


 ──私が、笑顔に……幸せに、したかったのに……。


「……愛する女性ひとを失うのは、こんなに苦しいのか……」


 低く漏れた声は掠れ、指先が震える。

 

 初めて感じる胸の痛みに、思い出すのは、かつて自分に縋った女たちの姿だった。

 「本気で愛してしまった」と泣いて縋り、頰を濡らした令嬢たち。だがそのすべてを、彼は笑顔で突き放してきた。


 「遊びで良い」と擦り寄ってきたのは、令嬢たちの方。それを「本気になった」と言われてもあの時は理解できなかった。

 「本当に愛してしまった」だなんて、随分ふざけている──恋も知らず、誰も愛したことのなかったあの頃は、涙を流す姿を滑稽だとすら思っていた。


「……私は……最低の男だな……」


 自嘲するように笑いながら、涙が止まらなかった。胸を締め付ける痛みに身を屈め、手で顔を覆う。


 ──それでも。


 やがてファリードが静かに顔を上げると、赤く充血した瞳にかすかな光が宿っていた。


 ──いつか……また彼女のように、心から愛せる女性に出会えるだろうか……。


 愛した彼女アーシャとは、恐らく二度と会うことはない──けれど、心のどこかで、その幸せを祈り続けるだろう。

 その祈りと想いは、朝の光に溶けながらも、確かに彼の胸の奥で燃え続けていた。


 ──こうして、ファリードの初めての恋は、静かに幕を下ろした。

第二十六話「海辺の国を目指して」


再会を果たしたアーシャとターリク。

寄り添う温もりに胸を満たしながら、二人が目指すのは──約束の地、海辺の国サフィール。


揺るぎない愛の鼓動が、蒼き海へと続く道を照らす。

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