第二十二話 迫る影との戦い
夕刻の街路は、朱に染まる光と人々のざわめきに包まれていた。だが、昼の賑わいとは違い、そこには一日の疲れを背負った重い空気が漂っている。
ターリクは、追手の噂を耳にしてから一刻も早く街を出る決意を固めていた。露店で干し肉や水袋を手早く買い揃え、周囲を絶えず警戒しながらアーシャを伴って歩く。
「……急ぎましょう。日が沈む前に街を出なければ」
彼の低い声に、アーシャは頷いた。二人は人混みを縫うように進み、夕闇に沈む街外れへと急いだ。
だが、門が見えてきて間もなく、人気の少ない路地に入ったところで、黒い外套の男たちが道を塞ぐ。
(……来たか)
ターリクの手が即座に剣の柄に伸びる。
二人を囲む男たちの目は、アーシャに真っ直ぐ注がれていた。
* * *
「アーシャ様、決して離れないでください」
彼の言葉と同時に、最初の刺客が襲い掛かってきた。
剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。ターリクは巧みに敵の刃を受け流し、反撃に転じた。だが、数が多く、アーシャを庇いながらでは不利だった。
「くっ……!」
背後から迫る影に気付いた瞬間──。
「やめて!!」
甲高い声が響き、鈍い音が続いた。
振り返れば、アーシャが棒切れを必死に握りしめ、刺客の額を突いていた。
男は白目を剥き、崩れるように地面へ倒れ込む。
アーシャの肩は大きく震えていた。
だが、その震える手は棒を放さず、紫水晶の瞳は怯えながらも敵を睨んでいた。
「アーシャ様……あなたが……」
呆然と呟くターリクに、彼女は震える声で答える。
「護身のために、前にいた衛兵長に教わったことがあるの。……でも、実際に闘うのは初めてよ……」
小さな唇が必死に強がるように結ばれていた。
* * *
だが状況は好転しなかった。
アーシャが一人倒したことで一瞬怯んだ刺客たちだったが、すぐに体勢を立て直し、数の優位を活かして襲い掛かってくる。
ターリクは剣を振るいながらも、常にアーシャを気にして背を庇い続けなければならなかった。
(……このままでは守りきれない! ……だが、アーシャ様を一人で逃がすわけにも……)
焦燥が胸を焼く。
ターリクの剣が閃き、砂塵の中で鋼の響きが幾度も交錯した。
敵のひとりを斬り伏せても、すぐに別の影が背後から迫る。数は減らず、むしろ囲みは狭まっていくばかりだ。
「……っ!」
四方から迫る刃を受け止める度に、腕に鈍い衝撃が走る。額から流れる汗が砂に滲み、視界を曇らせた。
アーシャは震える手で棒を構え、ターリクの背に寄り添っていた。心臓が破裂しそうなほど早鐘を打つ。それでも目を逸らさない。──何があろうと、彼と離れるつもりはなかった。
「ターリク……」
思わず呼んでしまった声に、彼は振り返らず答える。
「大丈夫です、アーシャ様……必ず、お守りします……」
だが、その声に宿るのは決意だけではなかった。自分一人の力では守り切れぬかもしれない──そんな焦燥が滲んでいた。
刺客の一人が砂を蹴り上げ、ターリクの視界を奪って襲いかかる。咄嗟に剣を払ったが、土煙の向こうから別の刃が突き込まれる。
「ぐっ……!」
肩口を浅く裂かれ、ターリクの砂色の衣に血が滲む。
「ターリク!」
アーシャが震える声で叫んだ。
彼女は棒を振り上げ、迫る影に必死で立ち向かおうとする。しかし、非力な腕では押し返すことも難しい。衝突の衝撃で体がよろめき、砂地に膝をつく。
その瞬間──。
「娘を捕らえろ!」
低く短い合図とともに、複数の手が一斉に伸びた。
アーシャの腕を掴み、細い体を持ち上げるように引き寄せる刺客たち。棒がアーシャの手から離れ、乾いた音を立てて砂に落ちた。
「いやっ!」
アーシャの抵抗もむなしく、彼女の華奢な体は容易に刺客に捕らえられた。
「アーシャ様!」
ターリクが叫ぶ。
彼の視界に、刺客の腕の中で震えるアーシャの姿が映った。夕陽に照らされる紫水晶の瞳が、必死に彼を求めるように揺らめいていた。
アーシャは必死に身を捩るも、力の差は歴然だった。瞳は恐怖に揺れ、ターリクを求めて震える。
「ターリク……!」
「アーシャ様──!」
ターリクは閃く剣を振り払い駆け寄ろうとしたが、別の刺客が行く手を阻み、鋼が火花を散らす。
ターリクの胸を突き破るのは、怒りと悔恨。
(……私が、不甲斐ないばかりに……!)
握る剣に力を込め、彼はなおも抗おうと足を踏み出した。だが、残った刺客たちに囲まれてしまう。
その刹那、アーシャを捕らえている刺客たちは彼から遠ざかるように退き、夕陽に照らされた街外れへと消えていった。
ターリクの名を叫ぶ細い声は掻き消され、空気に残るのは砂塵と血の匂いだけ。
大切な主を奪われたターリクの喉奥から、唸りが漏れた。
次回、第二十三話「攫われた花」
街外れで襲撃を受け、混乱の中でアーシャは刺客たちに囚われてしまう。
その時、思いもよらぬ存在が現れ、事態は急転する。
一方、追いすがるターリクの前にも、新たな出会いが待ち受けていた。
それは、二人の運命をさらに大きく揺るがす始まりで──。




