表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/34

第十一話 闇夜に光る刃

 アーシャが池で溺れかけ、再び倒れてから二日が経った。


 王宮の玉座の間にて、ファリードはひとり王の前に進み出ていた。


「──国王陛下。アーシャ王女殿下との御縁を、どうか早めていただきたく存じます」


 琥珀の瞳を燃やし、必死に訴える青年を、シャフリヤール王は冷ややかに見下ろした。

 王の瞳に浮かんだのは、わずかに退屈そうな影。


「ふむ……婚儀を早めたいと?」

「はい。アーシャ王女殿下は御命を狙われ、危うい状況にございます。毒殺未遂、池への転落……いずれも偶然とは思えません。私がこの命に代えても守り抜きます。どうか一刻も早く、彼女を正式に私の妻とお認めください」


 ファリードの口から放たれた、力強い言葉。

 しかし王は、ただ薄く笑っただけだった。


「……好きにするがよい」


 軽々しい一言に、ファリードの胸に冷たい衝撃と怒りの感情が走る。王の眼差しには娘を案じる気配など微塵もない。


 ──アーシャ王女が冷遇されていると聞いてはいたが、これほど酷いとは……。


 怒りに震える手を握りしめ、ファリードは心に誓った。


(……ならば私が守る……誰が見捨てようと、私が彼女を守り抜く……)


 その背を見送る王の瞳に宿っていたのは、アーシャへの無関心と冷酷な打算のみだった。


* * *


 陽が沈んだばかりの王宮の奥、ラーニアの居室。

 豪奢な鏡の前で紅の口紅を引いたラーニアは、怒りに震える手で扇を閉じた。


「……婚儀を早める、ですって?」


 彼女の鳶色の瞳に燃える炎は、嫉妬と恐怖の混ざった色。

 ファリードがアーシャに夢中になっている姿を思い出すたび、胸の奥で何かが焼け爛れる。


(このままでは……ファリード様は本当に、あの子のものになってしまう……!)


 鏡の中の自分を睨みつけ、ラーニアは低く囁いた。


「アーシャ……今度こそ、必ず消してやるわ……──出てきてちょうだい」


 その声に応じるように、部屋の奥に控えていた若い侍従が静かに姿を現す。


「行きなさい。今夜こそ、あの女を……必ず闇に葬るのよ」


 ラーニアの唇が笑みに歪む。甘い香が漂う室内に、死の気配だけが濃く残った。


* * *


 その頃、離宮。

 ようやく熱が落ち着いたアーシャは、二日ぶりに食事を摂った後ソファで微睡み、眠りについていた。

 侍女たちは、目覚めたアーシャが湯殿で着替えられるように準備をしている。


 眠る王女アーシャを寝台まで運んだターリクは、傍らの椅子に腰掛けた。静かな部屋で、じっとその寝顔を見守っている。


(……必ず、この方を……)


 強く拳を握ったとき、幼い日の記憶が脳裏に蘇る。


* * *


 ターリクが六歳のとき。

 育ての母だったウルファに連れられ、初めて王妃リディアの部屋に足を踏み入れた。

 ウルファは、王妃付きの世話係としてターリクが五歳の頃からこの王宮で住み込みの使用人として働いており、ターリクも王宮の片隅に住まわせてもらっていた。


 そこは、王宮の中でも陽の当たらないひっそりとした一角。

 薄暗い部屋の寝台に横たわっていたのは、白い肌に淡い金の髪を持つ美しい女性──リディア王妃だった。

 儚げな微笑みを浮かべたその人は、ゆっくりと体を起こすと、幼いターリクに手を差し伸べた。


「……あなたが、ターリクですね」


 その弱々しい白い手はかすかに震えていたが、不思議な温もりに満ちていた。

 リディアはターリクを優しく抱き寄せ、細い腕でそっと包み込んだ。


「まだ、こんなに幼いのに……よく頑張っていますね」


 その温かな胸に抱き締められた瞬間、ターリクは知らないはずの温かさを感じた気がした。

 ──これが母の温もりなのだろうか、と……。


 やがてリディアは、寝台の傍らのゆりかごから小さな赤子をそっと抱き上げた。

 その赤子の名はアーシャ。リディアと同じ白い肌に紫水晶のような瞳を持つ、産まれたばかりの第二王女だった。


「この子は、私にとってただひとつの光……。この子には、光に満ちた長く幸せな人生を歩んで欲しいのです……だから、“アーシャ”と名付けました」


 震える声でそう語ると、微笑んだリディアは赤子をターリクの腕に抱かせた。

 赤子はとても小さかったが、まだ幼いターリクの腕には少し重かった。恐る恐る抱いたまま、ターリクが赤子を見つめると、澄んだ紫水晶の大きな瞳が見つめ返してくる。

 ターリクが微笑むと、赤子アーシャも笑い返した。


(笑った……!)


 ターリクにとって、こうして赤子を抱いたことも、赤子に微笑まれたことも初めての経験だった。

 アーシャを抱いて微笑むターリクを、リディアは潤んだ瞳で見つめた。


「あなたは、他の使用人たちと違って、この子と年も近い……どうか、この子を──アーシャを守ってあげて欲しいのです」


 その瞳は涙を滲ませながらも、子を想う母の祈りを強く宿していた。


 幼いターリクは、ただ一言だけ答えた。


「わかりました」


 ターリクの言葉に目を潤ませて「ありがとう」と微笑んだリディア。

 そして、傍らに立っていたウルファの皺だらけの手が砂色の頭をそっと撫で、見上げるとウルファも温かな微笑みを浮かべていた。


 その瞬間、まだ小さな少年の胸に重く熱い誓いが刻み込まれた。

 この生涯をかけて果たすべき使命──それは、ひとりの小さな姫を守ることだった。


* * *


 記憶が途切れ、意識が現在へと戻る。

 ターリクは眠るアーシャの手を取り、そっと握った。

 まだ幼かった自分に縋るほど追い詰められていた王妃リディア、そして託された姫は命の危機にある。


(リディア王妃様、ご安心ください……私が、この命に代えてもアーシャ様をお守りします)


 ターリクの青い瞳が静かに燃える。

 その背後の窓から、冷たい夜風がかすかに吹き込んだ。


* * *


 その頃、離宮の外。

 砂を踏むかすかな音が、月明かりの下に響いていた。

 黒衣の影が、ひとり、またひとり──塀を越えて忍び寄る。


「声を上げるな。必ず仕留めるよう命じられている」

「任務は速やかに……証は残すな……」


 低い囁きと共に、刃が抜かれる。

 冷たい鋼が月光を受け、鋭く光を反射する。


 闇夜に光る刃が、離宮に眠る花へと忍び寄る──。

次回、第十二話「星降る夜の逃亡」


闇夜に閃く刃──守るために剣を握る衛兵ターリクと、運命に翻弄されて戸惑うアーシャ

銀の星々が照らす先に待つのは、希望か、それともさらなる闇か──。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ