ぽっちゃり令嬢の勤務先は、魔法局路地裏の秘密カフェ
可愛い日常的なラブストーリーです。
可愛いラブストーリーは…………後半、大暴走となります。
おいそこの魔法使い、あんたのことだよ。
子爵令嬢。
といっても、六女ともなれば嫁に行くことすら難しい。
カリエンテ子爵家は子沢山だった。
お父様とお母様の仲がすこぶる良いのが原因だ。
末っ子の私には、お兄様が五人とお姉様が五人もいる。兄弟姉妹の数、私を合わせて十一人、両親を合わせると十三人という大所帯の家族だった。
家を継ぐ長兄はいいとしよう。
次男以下のお兄様たちは、自分の処遇を何とかしなければいけなかった。家を継げない、ということは何処かに婿入りしなければいけない、ということだ。お兄様たちは釣り合いの取れそうな令嬢を、次々に引っかけ……んんっ、相思相愛になることに奔走し、婚姻相手を決めて行った。
お姉様たちはさらに悲愴だった。最新の流行を取り入れ流行りのメイクと話題を武器にして、毎晩のように婚活に励んでいた。出来るだけ高位で顔のいい貴族を手玉に取り籠絡……んんっんっげほっ、愛を確かめ合い結婚に繋げていった。
幸いカリエンテの血筋は、見目のよい顔身体に生まれるらしく、お兄様もお姉様も満遍なく結婚して家を出ていった。
しかし、茶会だ夜会だパーティだと、毎日のように参加していれば、いくら貴族といえどお金などあっという間に飛んでいく。お兄様お姉様を送り出したカリエンテ子爵家の資産はすっからかんになっていた。
お父様から家督を譲り受け、九人の兄弟姉妹を婿や嫁に送り出した長兄は、十五歳になった末っ子の私に申し訳なさそうに言った。
「ローラ、お前にかける金がなくなった」
……だよねー。
ドレスだアクセサリーだ夜会服だと散々お金をつぎ込んで、婿入りや嫁入りの際の持参金を捻出したのだ。真っ当に子爵家を経営したところで、これだけの人数を送り出せばお金なんて残ってるわけが無い。借金を作らなかっただけでも長兄は偉いと思う。
少し髪が薄くなってきた長兄を、私は大変に尊敬している。
さらにどういうわけか、私はカリエンテの血筋の恩恵を受けなかった。
お兄様お姉様は、背が高く抜群のプロポーションで整った容貌をしているのに、私だけずんぐりと背の低いぽっちゃり体型に育ってしまった。カリエンテ家の令嬢なのに、どっからどう見ても、顔はふつー。身体はぽっちゃり。
私はお姉様たちを見て悟っていた。
もともと顔がよくてスタイルもいいのに、努力に努力を重ねて万全のオノレを作り上げパーティに挑んでいた、お姉様たち。
ふつー顔のぽっちゃりがどんなに努力したって、お姉様たちみたいな美しい淑女には、なれっこない。
私は長兄の整った困り顔を見上げながら、自分の将来を見切ったのだ。
「お兄様。私、お嫁には行かないから、お屋敷の片隅に住まわせてくれる?」
◇ ◇ ◇
ゲイジュ島産のコーヒー豆を中挽きにして、ドリッパーにセットする。お湯を注いで少し蒸らし、ゆっくりと円を描くようにお湯を注いでいった。コーヒー豆がふんわりと膨れ上がり、香りが華やかに広がっていく。
サーバーに落ちるコーヒーの量を確認しながら、私は落ち切る前にドリッパーを外した。 サーバーから二つのコーヒーカップにコーヒーを注ぐ。
よし。
私は窓際のカップルの元へ、コーヒーを運んでいった。
――このカフェで働き始めて、四年が経つ。
私は、自分の食い扶持は自分で稼ぐ事にしたのだ。子爵令嬢と名乗っただけでお金が湧いてくるような魔法は、残念ながらこの世にはない。生きていくためのお金はオノレで何とかするしかないのが、現実だ。
我が家からほど近い、老舗のカフェである。
古いレンガ造りの建物に黒い木製のドア。アンティークな緑色の看板には『カフェ アンシェン』と店名が記されている。路地裏にある分かりにくい立地なので、たどり着けない人もいる。
カフェの周りにはいくつかのお役所があり、ランチ時はとても混む。数種類のランチセットが、オーダーされては飛ぶように運ばれていく。
お役所さん、一斉にランチ休憩入るの、やめてくれませんかね?
特に魔法局が近いため、店内はいつも魔法使いでいっぱいだ。
魔法の杖専用の置き場まである。縦置きできる格子升状の置き場に、いろんな種類の杖が刺さっている様子は圧巻だ。最近の流行りは上に円形の飾りみたいなのがついてる杖だ。何かしら意味がある形なんだろうが、素人目にはかさばって大変だな、くらいにしか思えない。
ランチ時が終わって一息つけるようになってから、私の賄いタイムになる。
今日はBランチにしよう。ラグーソースのスパゲティと白身魚のフライ、野菜サラダのワンプレートだ。マスターが残ってた唐揚げと目玉焼きをつけてくれた。ラッキー。
店内の隅っこで食べようとお皿を置いた途端に、ドアベルが鳴った。ちょうどマスターが仕込みで、手が離せそうにない時だった。
おっと、いけない。私はエプロンを片手に接客に立った。
「いらっしゃいませ」
エプロンを身につけながら対応に立つと、店内に入ってきたのは常連のお客さんだった。
多分魔法局の人で、いつも黒いローブを纏っている。杖は持っていない。白皙の肌に真っ直ぐに長い黒髪、凍てついたようなサファイアブルーの瞳を持っている、細身の男性だ。
見た目が、とにかく美しい。
初めてお目にかかった時は、ちょっと言葉が出なかった。美人のお兄様とお姉様に囲まれて育った私でさえ、息を飲んでしまうとは、相当だ。男の人でこれだけ綺麗な人は、見たことがない。
この常連さんは座る席が決まっている。店内の隅の、とにかく目立たない席を指定してくる。よくそこで仕事の続きっぽいことをしたり、難しそうな本を読んだりしていた。
「いつものお席へどうぞ」
「……今日も、『あれ』で」
「かしこまりましたー」
常連さんは流れるように席へ移動した。そこに腰掛けると、気を付けていないとそこに誰もいないんじゃないかと思うほどに存在感が消える。すんって、お店と同化してしまう。
同じ魔法局の人がたまたま隣に座ってて、常連さんに気づいてビクゥッてなるのを何回か見たことがある。とても面白い。
そして、あの常連さんの『あれ』というオーダー。これは私と常連さんの、秘密のオーダーだ。
あることがきっかけで、常連さんの『あれ』は、私が思う今彼が飲みたい飲み物を用意する、というオーダー方法になってしまった。
綺麗な顔で喜怒哀楽がほぼ出ない常連さんの、今飲みたいもの。実は私もよくわかってない。
的はずれなもの出していたらホントごめん、とはいつも思っている。
今日はなんとなくゆっくりしたいのかな、と考えた私は紅茶の準備をした。紅茶はポットで提供するので長く楽しめる。茶葉はアッタム。コクのある味と華やかな香りでゆっくりと楽しめるだろう。
カップにお湯を注ぎ温めながら、温めた茶器に茶葉を一杯入れる。お湯を注いで時間を計り、常連さんの前に提供する。
常連さんは今日も難しそうな本を開いていた。
「お待たせいたしました。アッタムティーです」
「……紅茶か」
「あれ、今日は外しました?」
「いや、とてもいい」
「ありがとうございます!」
常連さんがカップにお茶を注ぐのを見て、私はお辞儀をしてその場を離れた。よし、今日も秘密のオーダー、外さなかった。冴えてる、私。
トレイをカウンターに戻してから、エプロンを外してランチに向かう。ランチの場所を店の隅っこに選んでいたので、常連さんのお近くになってしまった。
フォークを手にいただきますをしかけた時に、「君、君」と声がかかった。常連さんが難しい顔しながら私に声をかけていた。今までこんなことはなかったので、私はちょっと驚いた。
「……食事の最中だったのか」
「いえ、直前でした」
「良かったら、ここで食べないか」
「……うえっ?」
「ここだ」
常連さんが自分の前のスペースを、指でトントン叩いている。
うええ、超絶美貌の真ん前で、賄いですかー。
私の賄いの内容見たら、ぽっちゃりがどうやって作られてるのかバレちゃう!
……とは思ったものの。
私のぽっちゃりは見たら分かることだし。こんな綺麗な顔見ながら食事なんて一生に一度あるかどうか分かんないし。ある意味サービスタイムだ。うん、役得。
私はお皿を持っていそいそと移動してみた。常連さんの真ん前だ。
無表情なのはいつものことだが、相変わらず見事な造形美だ。黒髪はどこまでも艶やかに流れ、白い肌に女性的な細い眉と凛としたサファイアブルーの瞳は、完全なシンメントリー。高く真っ直ぐな鼻筋の下には薄く綺麗な唇がある。
絶景だわー。口角をほんのちょっと上げてくれたら、国を滅ぼせるくらいの破壊力はあるわね。
そんな綺麗な男の人の前で、私は「いただきます」とフォークを手に取った。綺麗なもの見てもお腹は膨れないから、ちゃんと食べよう。お魚のフライ、揚げたてさくさくー。
常連さんも形のいい唇に紅茶のカップを寄せている。飲み方まで綺麗とか、この人無敵すぎる。
「……君に聞いてみたいことがあった」
「なんでしょう」
「一年ほど前のあの時、なぜオーダーしたものと違う物を持ってきたのか」
「…………」
「あの時私は、コーヒーをオーダーした。君は違うものを持ってきたね」
『あれ』という、秘密のオーダーのきっかけだ。
一年前のあの時、普段よりすっごく機嫌悪そうな常連さんが、ぶっきらぼうに「コーヒー」と呟いた声が今でも耳に残っている。その突き放したような声音は、傍で聞いただけで、苦い思いをしたと分かる声だった。
だからこそ、抗ってみたくなったのだ。この人は今、とても辛いみたいだから、和らげてあげられないかなって。怒られることを覚悟の上で。
「私、エイダーフラワーのジュースをお持ちしましたね」
「正直、腹が立ったよ。なぜ頼んでもいないものを持ってくるのかと」
「お客様が、すごく苦そうな顔してたので」
私はラグーソースの上に目玉焼きの黄身をトロリと絡めた。濃いめのラグーソースを卵の黄身がまろやかにしてくれて相性がいい。唐揚げとも合う。
細身の常連さんの前で唐揚げを頬張ると、罪悪感を感じるのはなんでだろう。
「苦そうな顔してる人に、苦味のきいたコーヒーお出しするの嫌だなあって。エイダーフラワーのお花の香りと柔らかな甘みで、まずは和んで貰ってから、コーヒーをお出ししようかと思いました」
「すごく、美味かったんだ。ジュースなど数年ぶりに飲んだのだが…………確かにあの時は、意に染まない出来事の直後だった。
なぜ不機嫌であるとわかった? 私は部下から、表情筋が死んでいると言われて久しいが」
「ぶふっ」
綺麗な無表情で表情筋が死んでるとか言わないでほしい。可笑しい。
確かに、常連さんの表情筋、死んでる。死に絶えている。あ、ダメだ、笑える。
私はくすくす笑いながら、パスタをくるくる巻いた。ラグーソースたっぷりがうちのウリだ。
「なんとなく、嫌なことあったんだろうなあ、くらい分かりますよ」
「……気づかれたことはない」
「誰も言わないだけじゃないですか?お客様、魔法局の偉い人っぽいから、気を遣われて」
「そうなのだろうか……では、今日の紅茶はどんな理由でのセレクトだ」
「今日はお店でゆっくりしようとしてらっしゃるかと。ただの息抜きではなくて、ゆっくり何かを考えたいのかな、と」
「……すごいな、君は」
目を見張った常連さんは、驚いているように見えた。お、ちょっと表情筋が復活の兆し。
その後もボソボソといくつかお話をした。
意外なことに、常連さんは話すことが嫌いではなさそうだった。「魔法の杖って流行りとかあるんですかー?」「今の流行りは円形空洞の弾性理論を元にした金属製のもので」「すごく重たそうですよね」「重い上に、魔法に何の影響も及ぼさない」「意味なーし」などと、途切れずに世間話などをしながらのランチになった。
私は最後のパスタを食べきって水を飲んだ。
ごちそうさまでした。
よし、休憩終了。
今日はいいランチだったな。目の保養できたし。ちょっとだけ美人な常連さんのこと知れたし。さて、仕込みの手伝いに行かなきゃ。
立ち上がろうとした私の手を、常連さんがいきなりつかんできた。びっくりした私を、常連さんは綺麗な瞳で真っ直ぐに見つめてきた。サファイアブルーの双眸はいつになく真剣だった。
「……私は魔法局所属、シュルト・エイガーという」
「……はあ」
「突然ですまない。ずっと考えていたことを、今日はどうしても伝えたくて」
「…………はあ」
「単刀直入に言う。君が欲しい」
「はあっ?」
「君みたいな人を、私は求めていたんだ」
「はああっ?!」
とんでもない美人に、君が欲しいとか言われた私。なんだこれ、なんの寸劇だろう。
ふいに私は、常連さんにまだ手を握られたままであることに気づいた。思わず「ぎゃあああ!」って言いながら、常連さんの手を振りほどいたのは、悪気があったからじゃない。
◇ ◇ ◇
いやー、ちゃんと詳しく説明しろ、って話ですよ。
私は魔法局の入り口ホールで、コーヒー・紅茶の出張販売をしていた。
お店のランチタイムが終わってから二時間だけ、魔法局のホールでお茶とお菓子の販売を始めたのだ。
常連さん、エイガーさんは、前から手軽にお茶が買えるといいなと思っていたらしい。『カフェ アンシェン』の出張販売を手伝ってくれた、エイガーさんの部下さん達が言っていた。
エイガーさんは仕事が立て込んでいるとお店に向かう時間などなく、水分補給として水を飲むくらいしかできなかったという。
もちろん魔法局内でお茶をいれることは可能だ。しかし、美しいエイガーさんに誰がお茶をいれ、誰が持っていくかというくだらない内容で、女性陣の戦いが起こったことがあるそうな。
奇しくもここは魔法局だ。空中に炎が現れ、氷のつぶてが浮かび、つむじ風が巻き起こり、女性たちの壮絶な戦いが行われようとしていた。
熾烈な戦いの火蓋が切って落とされる前に、突然巨大な雷が落ちた。中庭の巨木に雷を落としたエイガーさんは、黙って女性たちの前を通り過ぎ、女性たちの前で自ら水魔法でコップに水を入れ飲み干した、らしい。
――水分補給なら自分でできるから、お前らの茶などいらねえよ。
無言の行動と凍てついた無表情で、女性たちを黙らせたという。あの壮絶な美貌で冷めきった目を向けられたら、あえてお茶をいれようなんて誰も思わないだろう。
うーん、怖い怖い。
それに、マスターの選ぶコーヒーやお茶は品質がいい。お金を出して買う価値があるお茶なのだ。さすが『カフェ アンシェン』品質。
魔法局に出店するや、エイガーさんだけでなく、たくさんの魔法局の人が並んで買ってくれるようになった。
さらにマスターの奥さんの作るお菓子がとても美味しい。しかも可愛い。
初めはエイガーさんが推薦して連れてきた娘って事で、若い綺麗なお姉さま方に冷たい目線を向けられていた。
「何なのあのデブ」って声も聞いたよ。聞こえてたよ。
だが、私の手元には手軽に買える美味しいお菓子があるということで、すっかりお姉さま方に懐かれてしまった。今や「ローラちゃん、そのドーナツ、会議終わったら必ず買うから、取っといて!」くらいのお言葉をいただいている。お菓子の力は偉大だ。
それに、ぽっちゃり体型のふつー顔で、誰にでもにっこにこしてる私は、あっという間に警戒対象外になったようだ。エイガーさんを狙う会・無害認定だ。
「あのエイガーさんがああいう子を選ぶわけないし」って声も聞いたよ。聞こえてたよ。
もう少し聞こえないように噂した方がいいと思うけどね、お姉さま方。
てことで私は今、魔法局でお茶の出張販売を、絶賛提供中なのである。
目の前では、エイガーさんの部下であるニーノさんが、コーヒーを二つ買っていた。のほほんて顔をした若い男の人だ。自分の分と、エイガーさんの分を買いに来たそうだ。
エイガーさんは仕事で席を外せないらしい。エイガーさんはほとんど毎日買いに来てくれるけど、たまにこういうこともある。あの美貌が見れないと、ちぇって気分になる。
でも、ニーノさんも喋りやすくていい人だ。出張販売の出店の際も、色々と骨を折ってくれた。今も雑談に花が咲いている。
「ほんとにねえ、『君みたいな人を求めていた』とか言われたら、何事かと思っちゃうじゃないですか」
「そうなあ」
「まさか、魔法局にお茶の出張販売しに来てくれ、なんて思わないですよー」
「あの人ってさ。表情筋と、あとは圧倒的に言葉が足んないんだよね」
「分かるかも。そのくせ無茶振り上等な人だし」
「聞いたよー。お店だとローラちゃんにお茶の種類お任せだって?」
「そうなんですー。
あの無表情から何が飲みたいのか推測するんですよ。毎回命を張ったドキドキの間違い探しみたいでしたよ」
「なのに、いつもドンピシャで部長の気分当てるんでしょ、ローラちゃん。部長のその日の気分が読めるなんて、スキル高すぎだよ。
俺たち、そのスキル欲しいもん」
エイガーさんは、部下の人に部長と呼ばれている。どんな部署の部長なのかは知らない。でも、やっぱり偉い人だったようだ。
ニーノさんは、コーヒーのひとつにたっぷりミルクを入れた。ミルクたっぷりはニーノさんのコーヒーだ。
エイガーさんはいつもブラックだもの。
「部長さあ、気分にムラのある人だから、取り扱いが難しいんだよね。無口で無表情だから、機嫌が良いか悪いかも分かりづらいし。機嫌悪い時のダメ出しとか、鬼だし」
「へええ」
「天才肌だから、説明とか訳分からんし。部長もなんで俺たちが分からないのか、分かってないし」
「そこは大人として、お互いに歩み寄ってくださいよ」
「昔よりマシになったけどね。あの完全無欠の美美しい顔で眉間にシワとか寄せられてみ? 無抵抗でごめんなさいしたくなるから」
「それはちょっと、同情します……」
「ローラちゃん、あの部長とよく会話できてんなあ、とか思うもん」
私はエイガーさんとの会話を思い出してみる。言ってることわかんなくてつまんない、とか思ったことは無い。
でも、なんというか……
「幼子に話されてるような気配はします……」
「うーん、幼子」
「私、魔法局にいる美人さんたちに比べて、幼く見えるからでしょうか」
「まあ、実際に年の差あるしねえ」
「私、とっくに結婚して子供もいるような歳なんですけど」
「ローラちゃん、いくつよ」
「十九歳です」
実際に、うちのお姉様たちは二十歳前後でお嫁に行っている。二番目のお姉様なんか十六歳でお嫁に行った。今や三児の母である。
私は結婚を諦めた時点で、綺麗になろうとかすっぱり諦めているが。
幼く見られるとは思っていなかった。
ニーノさんは私を眺めながら、うーんと唸った。
「……確かに、幼い」
「適齢期の女性に対して失礼極まりないですね、ニーノさん」
「ごめんごめん。
でもねえ、部長の気持ちもちょっとわかるというか。特に、俺らみたいな特殊な部署にいると、常に小難しい話ばっかしてるから」
「それって、私が頭弱いように見えると?」
「違う違う! そういうんじゃなくて……」
「ぼけえっとした人間がいると安心だなあ、とか」
「ちょっとローラちゃん、自虐キツくないっ?」
「ニーノさん。早く持っていかないと、コーヒー、冷めますよー」
「うわ、やべえ!怒られる!」
ニーノさんは慌ててコーヒーを両手で持って歩き出した。「またね、ローラちゃん」と声をかけてくれる。
ニーノさんに軽く手を振りながら、私は自問する。
……幼い、か。
言われたことなかったけど、私、幼く見えるのかなあ。確かに魔法局の女性はかっこいい女性が多い。いかにも大人の女性、って感じだ。
うちのお姉様たちも、大人っぽい色気のある女性を目指してたし。
目の前を歩いてくる銀髪の緑の目の女の人とか、すっごい大人っぽいなあ。細身なのに黒いマントからチラ見えしてる胸は豊満だ。お姉様たちが目指してた感じの女性だ。
どう足掻いても、ぽっちゃりな私がなれないような女だ。脳内のどっかにある、憧れの世界に住む人で、想像もつかないようなハイソな生活をしてる人。
たぶんああいう人は、人の世のものじゃないものを摂取して生きているんだろうなあ。モツ煮とか食べたことないに違いない。ドーナツ五個を目の前に並べて、ど・れ・に・し・よ・う・か・な、なんてした事ないに違いない。それはそれで、なんて可哀想な……
「コーヒー、いただける?」
目の前の銀髪のすごい美女は、お客さんだった。
ぽけっと見上げて呆けていた私は、「た、ただ今ご用意します!」と慣れた作業をギクシャクと開始した。
びっくりしたぁ。
とりあえず、美女だってコーヒーは飲む、ってことは理解した。
◇ ◇ ◇
最近のエイガーさんは忙しい。
そして不機嫌。
いつもじゃないけど、不機嫌な事が多い気がする。
出張販売だとコーヒーも紅茶も一種類しか用意できないから、お店の時のように『あれ』ができないのがもどかしい。
今日も一番後ろに並んでくれてるけど、不機嫌オーラが増して行っている気がする。無表情だから分かりにくい。でもなんか怒ってる。
私は、目の前のお客さんにコーヒーを渡した。
よく喋る男子だ。オーダーからずっと話しかけられている。魔法局に入りたての子で、年齢が近そうな私が、話しやすいのかもしれない。
「ね、ローラちゃんてどこ住んでるの?」
「教えませーん」
「だよね。でもさ、この前東通りのマルシェにいたよね」
「人違いじゃないですか?」
「そうかなー。そっくりだったけど。
そうそう、あの近くに美味い店があって」
「彼女さん連れてってあげてください」
「俺今フリーだし。ローラちゃん、今度……」
「おつぎのお客様、どうぞー」
「あ……」
次のお客様のオーダーを聞く。
ナイスミドルなオジサマだ。
注文は紅茶とジンジャークッキー。ジンジャークッキーは甘さ控えめで、男性のファンも多いのだ。
紅茶をポットから注いでいると……
「ローラちゃんの紅茶は癒されるね」
「そうですかー?」
「ああ、他では味わえない趣がある」
「うちのマスター、茶葉の目利きがすごいので」
「今度、ワンランク上のティールームに連れて行ってあげよう。手に入りにくい高級な茶葉が……」
「たぶん、私じゃわかんないですー」
「大丈夫、私が手取り足取り……」
「お待ちのお客様、さくっとどうぞー」
……なぜ今日に限ってやたらとお誘いを受けるのだ。お客さんとアフターデートなどしたことないし、したいと思ったこともない。
みんな、ちゃんと見えてる? 天下無双の、ぽっちゃりふつー顔のローラだよ?
同性のお誘いだったらわかるんだ。実際にノリで誘われたこともある。
でも、今日は男性からあからさまなデートのお誘いが連続している。このぽっちゃりふつー顔の私に、連続で。
裏があるとしか思えないんだよね。
私をたぶらかして得する人が、何かが糸を引いてるような。
列の最後に並んでいた、不機嫌マックスなエイガーさんの顔を見た。
ニーノさんなんか、機嫌が良いか悪いか分からないとか言うけど。
みんな、本当に分からないのかな。綺麗な無表情だけど、一触即発的なピリピリ顔、分かるよね? 触れたら爆発しそうなこの雰囲気、気付くよね?
エイガーさんは整いまくった不機嫌そうな顔のまま、私を見下ろしていた。
「……君は随分と、人気があるんだな」
「エイガーさん、言葉の端から端まで鋭いトゲが出てます。どうしました?」
「どうしたも何も……」
「随分、お待たせしちゃいましたからね」
「そうじゃない。そうではなくて」
「そうではなくて?」
「………………今日こそ店で、『あれ』を頼みたかったな」
「はい。『あれ』ですね。私もお出ししたいです」
「今日の私に、君は何を出してくれるんだ?」
「今のエイガーさんには、まったりと甘い、桃ジュースをお出ししたい」
「ふっ。今の私には、桃ジュースか」
エイガーさんが少し口角を上げて笑った。
……うわ、眩しい。
破壊力抜群の笑顔に、私は立ちすくんだ。見てはいけないものを、見てしまったのだろうか。目が痛い。
エイガーさんが女だったら、本当に傾国の美女になり得るわ。一瞬意識が飛んじゃうような美しさ。 笑顔、危険。笑顔、凶器。
私はちょっと横を向いて深呼吸した。
落ち着けー。
美人に戸惑ってる場合じゃないの。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが」
「なんだ」
「魔法局内で、政治的駆け引きとか、あったりします?」
「……」
「たとえば、役職を巡って派閥が争うとか」
「……ある」
「しかも、エイガーさんも入れてこの数日内で動きがあるとか」
「………………あるな」
「あら、図星」
エイガーさんは長いまつ毛の目を瞬いた。
口の中で何かを唱えると、手の中に長い魔法の杖が現れた。木製のふしくれのある、オーソドックスな杖だった。
突然杖が現れた、ってことは。
これは噂で聞いたことのある、収納魔法だろう。多分。
すごーく熟練の、ベテラン魔法使いしか使えない魔法だ。それくらいのことは、魔法に疎い私でも知ってる。初めて見た。
エイガーさんは、収納魔法が使えて『部長』なんて呼ばれてる、すごい魔法使い、なのかもしれない。
エイガーさんはさらに何かを唱えている。とん、と杖で床をつくと、出張販売のコーヒーワゴンの周囲が何かで覆われた。空気の中に、キラキラしたものが混じっているみたい。きれい……
「沈黙魔法をかけている。ワゴンの周囲は音が漏れない。我々の会話は誰にも聞こえない。もう少し、寄ってくれるか」
言われて私はエイガーさんに一歩近づいた。ほとんどくっつきそうになる。ひええええ。
「すまない、広い範囲で展開すると魔法を使っていることがバレてしまう。ここは魔法使いの巣窟だから」
「そ、そうですね」
「気配も遮断している。相当敏感な者以外は、ここに私たちがいることにも気づかないだろう」
「でも、お茶を買いに来る人が」
「みんな、君は少し席を外していると思う。ワゴンの前に誰もいないから」
……そういう風に見えているんだ。
私はエイガーさんに目を向けた。エイガーさんは綺麗な無表情でじいいっと私を見つめていた。
うわああ、近いいいっ。
すごい近くで目が合った。
透き通るようなサファイアブルーの瞳。
綺麗すぎて目が痛いっ。
「……さきほどの、政治的駆け引き、というのは」
「えーと、ですね。
エイガーさん自身か、エイガーさんの所属している派閥かなにかが、今大事な役職か何かを競っているとして」
「……ああ」
「反対勢力はそういう時、大抵アラ捜しを始めるわけですよ。金銭トラブルがないかとか、しがらみからの違法な癒着してないかとか」
「…………」
「大好物はスキャンダルでしょ。不倫なんてしてたら、反対勢力としては最高ですよね」
エイガーさんは眉間に皺を寄せて苦い顔をしてみせた。エイダーフラワーのジュースを出した時、みたいな顔だ。
ふと疑問に思って、私はエイガーさんに尋ねた。
「エイガーさん、奥様は?」
「私は独身! だ!
不倫ではない!」
「……そんな強く言わなくても。
お付き合いしている女性は?」
「……いるだろうが」
「いるんだー。
じゃあ、その方の近辺気をつけてくださいね。エイガーさんの情報引き出すか、取引に持ち込まれる可能性があります」
「……私ではなく、相手を狙うのか」
「貴族社会では、あるあるですよねー」
「ああ、だから、だったのか」
「何がです?」
「他の男に、口説かれてたから」
「ちょっと、エイガーさん!
まさかそれ、口説かれてるの分かってて見てただけ、とかじゃないでしょうね?!」
エイガーさんは気まずそうに横を向いた。私から明らかに目を逸らした。うわ、この人、自分の彼女が口説かれてんの、黙って見てたんだわ!
美人の余裕なのかしら。どうせ自分以外になびかないだろうっていう、途方もなく高い位置からの、揺らがない自信。
これだから! 顔が良くて才能のある人ってば!
「そんなに余裕ぶっこいてると。その彼女、いつ誰に取られたって、文句言えませんからね」
「それは、困る」
「うちの真ん中のお兄様なんて、それで二回婚約失敗しましたからね。四男五男が結婚決めたのに、三男が最後まで残ってましたから!」
「……君の実家、カリエンテ子爵家、か」
「以前お話ししたことありましたっけ。私がカリエンテ子爵家の娘だってこと。
さっきまで、私に群がっていた男の人たちもそのつもりですよ。カリエンテの尻軽女なら楽勝とでも思ったんでしょ」
カリエンテの尻軽女。
私の五人のお姉様たちのことだ。
婚活に必死だったお姉様たちは、男性に気に入られようと一生懸命だった。だって、カリエンテの家に残ったって、未来は無いもの。
だから、色んな男性と付き合ってたし、色んな浮名も流してた。
五人のお姉様を総称して、ついたあだ名が、カリエンテの尻軽女。
結婚してからは旦那様一筋で立派に家庭を守っているのに、悪いあだ名は残ってしまった。一生懸命だった、証なのにね。
婚活をしてないのに、私にもそのあだ名は適用されるらしい。カリエンテと名乗ると、遊べる女だと勘違いする男がいる。だから、なるべく苗字は名乗らないようにしていたのだが。
魔法局のお偉いさんが連れてきた、出張販売のカフェ店員。素性を調べればあっという間にカリエンテとバレてしまうよね。
エイガーさんの身辺を探りたい人が、ターゲットの周りでウロチョロしてるカリエンテ家の女がいたら、まずそこから落とそうとするのは必然だ。
特に、政治絡みの案件が近日にあるのなら、なおのこと。尻軽の、カリエンテだ。
カリエンテの女を誰よりも早く手に入れて、エイガーさんの弱みを探って、握りたい。
そんな腐臭が、ぷんぷん臭ってましたとも。
「……巻き込んでしまったんだな」
エイガーさんがしゅんとして、私の肩に手をかけた。綺麗な造形で切ない顔はやめてくれ。きゅん、とかしてしまう。
「すまない。そんなつもりはなかった」
「理由がわかれば、問題ないですよー。ひたすら断り続ければいいんだし」
「しばらく、出張販売はやめておくか?」
「ここをやめたら、お店で同じことが繰り返されるだけでしょう。それに、『カフェ アンシェン』のお茶なしで、ここんとこすごーく忙しそうなエイガーさんは、耐えられるの?」
「…………辛いな」
「あはは、エイガーさん、正直者ー」
私がからからと笑うと、エイガーさんも安心したような笑みを浮かべた。光が差すような笑みである。表情筋が立派に活躍している。なんだ、ちゃんと働いてるじゃない、表情筋。
それにしても。
こんな近くでこの笑顔は、やばーい。綺麗な造形からの自然な笑顔。まともに見たら恋に落ちるってば。
そういうね、人の心臓壊すような凶悪な笑顔は、お外に晒しちゃいけません。通行人の迷惑になります。すぐさま取り押さえて、お片付けを……
あ、今魔法で周りの人には見えないんだっけ。
光り輝くような笑顔は私を捉えると、ふいに甘さを含んできた。
しっとりとした甘い視線は、そのまま暴力に繋がった。心臓が鷲掴みされるように痛い。強烈に痛い。
あれ? なんだこれ。
甘いサファイアブルーの双眸が私を捕らえていた。エイガーさんは、破壊神を宿した甘い笑顔のまま、私の顔に近づいた。近い近い。破壊神が暴れてる。心臓痛い。心臓壊れる。
あれよあれよと、今までになく接近されて。
ちゅっと、こめかみにキスが落とされた。
あまりのことに心臓を止めかけた私に、エイガーさんは「できる限り、手は打つから」と囁いて、するりとその場を立ち去った。
うっすらと、きらきらしていた空気もなくなった。
魔法が解けたのだ。
「あ、どこ行ってたのよ、ローラちゃん! 紅茶と、チョコチップとシナモンのクッキーね!」
「は、ははははい!」
「ローラちゃん、顔赤いよ。熱でもある?」
「ないです! 健康です、はい!」
「うん、見るからに健康そう。
でも不在にするなら、『不在中』ってカードとか下げときなさいよ」
「そうですね、ほんとにね」
「どうしたのローラちゃん。
変な魔法にかかっちゃった、みたいな顔してるわよー」
……変な魔法。
そうか。私、魔法をかけられのか。
魔法、だったんだね。
……あの、こめかみに触れるだけの、ちゅ……。
エイガーさんの、恋の魔法。
…………そんなの、ずるいな。
その気もないのに、あんなに甘い顔でキスするの、反則だよ。
恋になんか、簡単に落ちてしまうよ。
エイガーさん、彼女いるくせに。
たまたまそばにいた私なんか手玉にとって、楽しいの?彼女に悪いとかないの? エイガーさんにとって、あれは必要な遊びだったの?
恋に落ちてしまった。
エイガーさんに恋してしまった。
叶うはずも無い恋に落ちてしまった。
魔法だったらいつか解ける。
でも、エイガーさんの仕掛けた魔法は、私の心に深く根ざしてしまったみたいで。
解けない恋の魔法なんて、仕掛けられた方はたまったものじゃなくて。
私はただ、エイガーさんの立ち去ったホールの先を、ぼんやりと眺めることしか出来なかった。
エイガーさん。
痛いんだよ。苦しいんだよ。
……どうしてくれんのよ、もう……。
◇ ◇ ◇
「どうしたの、ローラちゃん???」
休日明けに、いつものようにワゴンを押して出張販売に来た私を、ニーノさんが見つけて止めた。
へへ。マスターにも行かなくていいって言われたんだけど。行かない、という選択肢はなかったよ。ちょっとふらふらするけど。
ニーノさんはワゴンを押してくれて、人気のない階段に連れていってくれた。そこに座ると、日陰でちょっと風が通って気持ちいい。
難しい顔したニーノさんが、腕を組んで私を見下ろしていた。
「酷い顔色だよ、ローラちゃん。ふらふらしてるし」
「マスターにも言われました……」
「俺の経験上、そんな状態に陥るのは。
寝ないで食わないで三日目突入、状況的に進展なしな崖っぷち案件の真最中」
「わあ、大体合ってるー」
「かなり末期の状態だからね。何があったの、ローラちゃん」
ニーノさんはいい人だ。本当に純粋に、私のことを心配してくれている。
だから、愚痴ってもいいかなあ。
こんなぽっちゃり令嬢の恥ずかしい話、しちゃってもいいかなあ。
「……恋煩い、ですよぉ」
「コイワズライ?」
「そうとしか思えません。もう、寝れないし食欲無いし」
「相手のこと、思うと?」
「そう」
「どんなカンジ?」
「…………叶わない恋に叩き落とされたあげく、這い上がったって見上げるしかできないハイスペックな相手が、私に甘い罠仕掛けてくるんですぅ! 私なんてチョロいからいちいち引っかかってドギマギして心臓止まるかと思ってるのに、相手は彼女いるしそのくせ不器用だから守り方下っ手くそでこっちからアドバイスとかしてあげて何やってんだコイツとか思った途端に私の心配とかしてくれてなんだよきゅんとかさせんなコノヤロウって見限ろうとすると悪魔みたいな極上笑顔で更に恋のどん底に落とすっていうマジ鬼畜が」
「……いるんだねー」
「いるんですよ!!!」
あ、喋りすぎて酸欠。
ニーノさんがワゴンからアイスティーを入れて渡してくれた。商品だけど、いい。飲んでしまえ。
喉を潤していると、ニーノさんがため息をつきながら首を振っていた。ちょっと半笑いなのはなぜだろう。
「第三者の立場の、俺から見るとね、
ローラちゃんは悪くない。圧倒的に相手が悪い」
「あったり前じゃないですか! 私のこれなんて、単なる片想いですよ、片想い!
片想い禁止令なんか出したら世の中の恋愛はほぼ消滅しますからね!」
「そうだねー。
でもね、タイミングがうまいこと噛み合うと、両想いになっちゃったりする事もあるわけで」
「なんすか、それ。なめてんすか、それ。
私の立場から言わせてもらえば、そんなミリも期待が持てない奇跡の可能性について語るにはまずもっておまえの実体験から語れ、ってことになりますよ」
「ローラちゃん、早口ー。
ね、ちょっと落ち着こうか」
「落ち着いてます。落ち着いて絶望して天に召されそうなだけです!」
「ま、まあまあ、お茶でも飲んで」
言われるがままに、私はお茶を口に含んだ。
お茶を口に含んだまま、私は見てしまった。
遠くにいるけど、エイガーさんだ。
黒いまっすぐな髪に黒いローブ姿。姿勢はいつも凛として正しい。いつものエイガーさんだ。
隣には、以前にコーヒーを買ってくれた、銀髪の美女がいる。緑の目をした、目の離せない美人である。
エイガーさんは自然体で銀髪美女の肩を指で叩いた。振り向いた銀髪美女は、本当に綺麗で。
見上げた美女に頬を寄せて、エイガーさんは透明な無表情のままキスを――
「ぶーーーーーーーーっ!!!」
「のわっ!汚ねえっ」
「…………エイガーさんの…………彼女…………?」
「え? 何?
……………うわ、うわー。タイミング悪ぅ」
「……知ってたの? ニーノさん、知ってたの?」
「あー、あのね。違うんだ」
「…………違わない」
「誤解……ああっ!
待って、ローラちゃん!」
私は走り出した。
闇雲に走った。
裏路地に逃げ込んで、人目を避けて走った。
涙が後から後から流れてきて、視界がずっとぼやけていた。
馬鹿みたいじゃん。
馬鹿なんだよ。
ちゃんと、目の前で見ないと理解できない、馬鹿なんだよ。
お似合いだった。目が潰れそうなほどの美男美女だった。
なんだよ。
ズルじゃん。チートじゃん。完成形じゃん。
ぷよぷよした身体で、平坦な顔して、エイガーさんの隣にいた私が、恥ずかしい。
今日だって無理して出張販売に来たのは、一目でもエイガーさんのこと見れないかなって、思っただけなんだ。
見れたよ。
見て後悔したよ。
終わった、ってことが理解できたよ。
…………だけどさあ。
なんで私に、あんなに甘い笑顔とキスをくれたのよ。
あれが無ければ、戻れたかもしれないのに。
いつもみたいに、こんにちはって、できたのに。
深みに嵌めたのは、あなただよ!
いっそ、嫌いになりたいよ、エイガーさん……。
◇ ◇ ◇
「ローラ、お前の結婚式の日取りが決まった」
「はい?」
「結婚式の日取りが決まった、と言ったんだ」
「……お兄様。その、最近寂しくなってきた頭の中身、ついに沸騰しましたか?」
兄の書斎に呼ばれて行ってみれば、いきなり私の結婚式の話をされた。
誰かの、じゃない。
私の、結婚式だ。
うちのお兄ちゃんは、どうかしちゃったのだろうか。
こちとら失恋したばっかだってのに。
長兄は私の反応に、あからさまに機嫌を悪くした。寂しくなった頭、が効いたのかもしれない。
せっかくいい話をしてやったのになんだお前のその態度、寂しくなった頭取り消せ、と目が雄弁に語っている。
て、いうかねえ。
結構、激しく失恋を引きずっている私に、軽々しく結婚式とかいう単語投げかけてくるなっての。ナイーブでセンシティブでブレイクハートなんだよ、今の私はさあ。
心の中がまだあの人でいっぱいなのに、いきなり別の男の所へなんか嫁にいけるか!
代わりに兄貴が嫁にいけ!
しかもいきなり結婚式ってなんだ。出会い⇒プロポーズ⇒婚約⇒結婚、イコール結婚式でしょうが。すっ飛ばすにも程があるっての。常識力疑うわ。そんな縁談、速攻断れ。呪われろ。
あまりに私が不機嫌なので、長兄のほうでもおやと思ったらしい。訝しげに問いかけてきた。
「おまえ、相手から何も聞いてないのか」
「相手も何も。私、付き合ってる人なんて、いませんが」
「……付き合ってる人、いない?」
「いません」
「は?」
「は?」
「ん?」
「んん?」
は? じゃないの。ん? でもないっつーの。
付き合いたいと思う前に振られたの。
完全に相手の気の迷いで、火遊び未満な花火みたいなお遊びされて、目の前でガチ恋見せられて振られたの。
つーか、そんな内容詳しく兄弟に話したくないな!!!
なんなんだ、この拷問はっ!!!
長兄は私の状況を、なんとなく理解したらしい。
ちょいちょいと指で私を呼んだ。私が執務机に近づくと、兄は引き出しからごそっと書類を取り出した。
「これ、相手の身分証明書」
「ん?」
「在局証明書、学歴証明書、健康診断書、資産管理表、各種資格証明書、無犯罪歴証明書」
「んん?」
「多忙なため婚約期間を設けないことに対する謝罪文、一代貴族の叙爵が男爵から子爵になりえるため来年に持ち越す内容の弁明・謝罪文」
「んんん?」
「私も何度かお会いしているが、誠実な方だ。見た目で誤解されやすいだろう。
先日、両親との面会も実現した。母上が大喜びだ」
「……お兄様」
まだわからんのか、という顔を兄はした。
うっすらとした予感と、まさかという理性が、私の中で大喧嘩していた。予感と理性が頭の中で、拳と拳で語り合っている。
私の中の喧嘩を終わらせるには、こう聞くのが手っ取り早い。
「お兄様。その方の、お名前は」
「シュルト・エイガー殿だ」
……………………エイガーさん。
エイガーさん!!!
「シュルト・エイガー殿。魔法局開発部部長。次期副局長候補。
平民の出自ながら抜群の魔力量を見込まれ魔法局に入局。魔法開発の特許を得て一代貴族子爵に叙爵予定。若手のホープとして、魔法界隈では知らぬ人はいないというが」
「うーーー」
「その美貌が災いして正当な評価を受けず、本人の排他的な言動でかなり浮いた存在であったらしいが。ここ一年ほどの開発部の成長は目を見張るものがあり、指導者としての能力を開花し始めたと定評がある」
「……」
「……なあ、ローラ」
長兄は、わけがわからんと匙を投げた。
「おまえ、どこでどうやってこのエリート、捕まえてきた?」
◇ ◇ ◇
『カフェ アンシェン』のいつもの席で、私はエイガーさんと向かい合っていた。
席の周りにはマスターには許可をもらって、エイガーさんに沈黙魔法をかけてもらった。エイガーさんは戸惑っていたが。
エイガーさんの前にはダット産のコーヒーが、私の目の前にはハーブティーが置かれている。このハーブティの香りにはリラックス効果があり心が安らぐはずだなのが…………私には効いてないみたいだ。
エイガーさんはひたすら困惑しているようだった。私の怒りの原因が全く思いつかないのだ。
……そう、思いつかないような人だった。
「……どうした。結婚式の日取りが気に入らなかったのか?」
恐る恐る私に問いかけたエイガーさんを、私は躊躇なく睨みつけた。
全く欠片も遠慮することなく、私は口を開いた。
遠慮する気持ちなんか、ここに来る前に丸ごと捨ててきた。さらけ出さないとやってられなかった。
「バーーーーーカ」
「!」
「バーカ、バーカバーカ!
頭いいくせになんでバカなのよ、バカ!」
「おい、突然どうした」
「このくらいの突然なんて、なんてことないわ。とんでもない突然くらったのはこっちだよ! 何が結婚式だよ、バカ!」
「おい」
「日取りがどうとかじゃないでしょ。その前にやっておくべき必要なことってあるよね?!」
「は?」
「私、結婚するなんて、聞いてない!!!」
エイガーさんはハッとしたように手で口を抑えた。見開いたサファイアブルーの瞳は、こんな時なのに透明で綺麗だった。
エイガーさんはゆっくりと私に目を向けてきた。エイガーさん自身が物凄く動揺していた。
「……言ってない」
「バカー!!!」
目の前にいる、他に類を見ないほどのとんでもなく美人な男。残念なことに、こういう所は類を見ないほどのバカだった。
お茶を飲んで落ち着いて。
私はエイガーさんにじろっと目を向けた。
どうやら反省したらしい下を向いたエイガーさんは、普段より小さく見えていた。
「今まで何をどんな風に、しでかしてくれてたんだか、順を追って聞きたいんだけど」
「はい」
「きっかけは何よ」
「『あれ』が、とにかく素晴らしくて」
私とエイガーさんの、秘密のオーダーだ。
『あれ』を始めたのは一年くらい前。その頃エイガーさんは、魔法局の開発部と並行して、技術指導部の仕事も背負わされていた。
もともと他人と関わるのが苦手なエイガーさんが、技術指導という人と関わりまくる仕事をさせられた。つまり、分かりやすく壁にぶち当たっていた訳で。
「私の言っている言葉が伝わらない。説明しても誰もできない。そういうことの連続で」
「はあ」
「とにかく人に何かを伝えるのが億劫になっていて。どうせ言っても分かんないんだろうって。言っても分からないんだから聞いてくるなと、その。……かなり荒れていて。
そんな時に、君が『あれ』をくれた」
「エイダーフラワーのジュース」
「伝えなくても伝わっている。それどころか、私自身が気づいていないことに気付いている。
神の視点をもつ女の子なのかと」
「大げさ」
「本気で思ったんだ」
今も思ってる、とエイガーさんは顔を背けた。
驚いたことに、エイガーさんは照れていた。エイガーさんの照れ顔なんて初めて見た。
うわ、なんだこれ。この造形でこの照れはありか……ありだ。そして、この照れを誘ってるのは……私なんだ。
うひゃあ。
それからエイガーさんは、私のことを調べ始めたらしい。
カリエンテ子爵家の六女、の時点で躊躇はあった。カリエンテの尻軽女の噂を知っていたからだ。知っているどころか、カリエンテの令嬢から誘いをかけられていた経験もあって……お姉様たち、いい男にはガンガン行くタイプだから。
調べていくうちに、私が夜会もパーティも参加しない、ただのカフェ店員であることが分かってきた。現在付き合っている男はいない。周りにそれっぽい影もない。
「それから、アプローチを始めた」
「……どれが? どこが?」
「毎回この店で『あれ』をオーダーする。私に興味を持ってもらうために」
「……アプローチ?」
「そう」
「……そんなもん、アプローチなわけあるか! そんなんで好意向けられてる、なんて分かるかー!」
「君、分かってなかったのかっ?」
綺麗な顔して、一丁前に驚くな!
カフェ店員に注文することがアプローチなら、私はもう五百回くらい結婚しとるわ!
ほんと、この人かなりダメだ。この分野はポンコツだ。
綺麗なポンコツはさらに暴走する。
私との結婚を考え始めた。
「……君は子爵令嬢だから、私と結婚すると平民に落ちてしまう」
「気にしてないですけどね」
「私は気になる。しかもかなり歳も離れているし、カリエンテ家に結婚を申し込んだ時点で年齢を理由に弾かれる恐れもある。せめて貴族位がほしい。外堀はきちんと埋めておかないと」
「ちなみにエイガーさん、おいつくですか」
「三十五だ」
「!!!
今日イチでびっくりした。さんじゅうごおおお???」
「叫ぶな。沈黙魔法が効いているとはいえ」
「さんじゅうご」
「言うな」
……十六も離れてるなんて思わないじゃん。
せいぜい二十五六……いってて二十八くらいかと。
詐欺師だわ。年齢詐欺だわ。おっさんの年齢詐欺師だわ。
美しい年齢詐欺師は、貴族位を希望した。
職場の上司に相談すると、今手がけている魔法研究を完成させて特許を取れば、一代貴族位の男爵位くらいもぎ取れると。
一代貴族というのは、世襲せずに一代限りで終わる貴族位のこと。国に対して大きな功績のあった人物に贈られるものなのだが。……そんな大したことしてる人なのか、この詐欺師。
研究自体はほぼ完成されていたこともあり、一代貴族位の叙爵は確実である。
そこでエイガーさんは私に告白することにした。
「いや、待て。
告白?」
「君に、告白した」
「どれですか?」
「……言わせるのか」
「ここで照れるとかいらないです」
「……君が、欲しいと」
「あー、言った! 言ってた!」
「そこから、付き合えることになったわけで」
「付き合ってないよ」
「え?」
「え?」
認識の違いはここだけではなかった。
エイガーさんの愛の告白『君が欲しい』、が、『君に魔法局へ出張販売しに来て欲しい』、に見事に変換された。誰も疑問を持たずにそういうことかと納得して実現化されたあたりが罪深い。エイガーさんの言葉の足りなさと、私への恋愛対象除外感がうかがえる。
エイガーさんもあれえ? とは思ったようだが、ほぼ毎日魔法局で私に会える、という目の前のエサにほだされた。毎日ウキウキと出勤していたらしい。少し分かってきたけど、この人、紙一重だ。
私と付き合えたと思っているエイガーさんは、着々と結婚に向けて邁進する。
カリエンテ家の当主である私の長兄と連絡を取り、初対面のその場でいきなり結婚に必要と思われる書類を分厚い束で押し付けた。緊張して引きつった無表情の美貌の男が、力任せに分厚い書類を押し付ける姿に、兄は引いていたという。
このあたりまでは、一代爵位が貰えたらその後結婚ね。頑張れば子爵位が貰えそうなんだけど、研究の進捗からして来年になりそう。じゃあ結婚は来年あたりにしようね。
くらいのやんわりとした話だったらしいが。
状況がエイガーさんの心に火をともした。
「君の出張販売、物凄く売れてなかったか」
「おかげさまで。マスターもホクホクしてます」
「常連のような男がよく君に話しかけている」
「そりゃ、話くらいします」
「しかも複数人! 一人じゃないんだ、何人もいるんだ!」
「あのね、魔法局に勤めている人が何人いるか知ってる?」
「私の婚約者なのに」
「婚約してないけどね」
「こんな愛くるしさと愛嬌の塊みたいな君が、こんな有象無象の低レベルな男たちの目に晒される環境はよくない、絶対」
「私に対する目が曇っていることは置いといて。
魔法局勤務ってだけでエリートですし、女性もたくさんいる職場ですよー」
「結婚を急がねばならなくなった。つまり、研究内容を一段階引きあげて完成させ、今年度中の子爵位を狙う」
「もう、考え方が異次元」
そんなに頑張らんでもカリエンテ家の嫁き遅れが片付く案件だから、子爵位は特に必要ないんだけど。
とは兄は言えなかっただろう。何せ目の前で目の血走った美形が暴走してるのだ。兄の心中をお察しする。
今年度内の子爵位狙いに的を絞ったエイガーさんは、研究に没頭した。確かに忙しそうで、出張販売のワゴンにはエイガーさんの姿が現れない日も確かにあった。
研究は実を結び、画期的な魔法活用の理論が構築され、エイガーさんは見事に特許を取得した。今年度内の子爵位叙爵はほぼ確実だろうと、私の両親と祝杯をあげた。
それが、一昨日の話。
「あのさあ」
「うん」
「エイガーさんは、私との未来のために一生懸命頑張ってくれたんだよね」
「そう」
「私に告ってくれて、兄や両親とも会ってくれて、身分も釣り合うようにと研究を頑張ってくれて、少しでも早く結婚できるように無理してくれて」
「そうなんだ。すごくキツかったんだ。上司も部下も、無茶なスケジュール組むんじゃねえてめーの事情にこっちまで巻き込むなふざけんなって、よく怒ってて」
「うん、そうだよねー。頑張ったんだよねー。
ただ、今の話さ」
「ん?」
「ほぼ私、いなくね?」
エイガーさんは自分の話を思い返しているらしい。軽く眉を寄せたエイガーさんは憂いを帯びて、いつもより色気を含んだ艶のある美しさだった。このままお店の飾りとして放置しておきたい。
エイガーさんは黒黒とした長いまつ毛を上げて私を見た。信じられないと、サファイアブルーの瞳を揺るがせた。
「なんで君、いないんだ?」
「……っばあーーーかっっ!!!」
私もいい加減、語彙力が尽きてきた。
いろいろ誤解していたことも分かってきた。
エイガーさんの彼女、というのは、全くそんな自覚のなかった、私のこと。
私を激しく動揺させたキスは、彼氏として思わずしてしまった行為だったこと。「女みたいな見た目でも、私も男だから」と、恥ずかしそうに面を伏せる三十五歳。いや、あんたの見た目は性別と年齢超えてるからね。
ああ、まだ聞いてないことあった。
あの銀髪美女!
「ところで、二股かけてる銀髪女性のことなんですが」
「ふ、二股? そんなことするか! 私はずっと君一筋で……」
「キスしてるとこ見ましたけど」
「キス? 私が?」
「魔法局内で、堂々と」
「……は?」
「ニーノさんも言ってました。タイミング悪いと。魔法局公認カップルの片割れが、私と結婚てどういうことでしょう」
「いや、それは」
「どっちが一号ですか? まあ、普通に考えてあの美女ですよね。私二号ってことですよね。
こんなぽっちゃりふつー顔でも、私にだってプライドあるんで。一発殴らせてもらってから、お別れでいいですね?」
「待った! 待ってぇ」
エイガーさんは私の両手を掴んできた。ひきつった焦り顔が珍しくて、私はジロジロ観察してしまった。エイガーさんの表情筋、今日は大活躍だ。
「誤解してる。彼女はそういうんじゃない」
「例え私が一号で彼女が二号だとしても。
もはやエイガーさんは軽蔑対象でしかないですけど」
「違うってば! なんで二股から離れられないんだ。
彼女は、私の上司! マリン・スミス魔法局副局長」
「えー……あの美女が」
「魔法局のナンバースリーだ。私が特許を取ったから、実質ナンバーツーに格上げは確実だな」
「魔法局内の政治的な話って」
「それだ」
エイガーさんは片手で髪をかきあげた。片手は私の手を握ったまま。
「君との結婚も話してある。彼女はわざわざコーヒーを買いに行ったとか」
「いらっしゃいましたね」
「興味本位で見に行ったらしいよ。めちゃくちゃからかわれた。あの人、性格悪いんだ」
「はあ」
「それと。彼女、耳が弱くて。昔、魔法の実験で失敗してね」
エイガーさんは握った私の手を指でそっと撫でている。お顔は女性的な美しさのエイガーさんだが、指は無骨で硬かった。
「話しかける時は肩をつついてから、耳に口を近づけて話すようにしている。特に野外やホールのような広い場所では音が拾いにくいみたいで」
「なるほど」
「そういえばこの前、ホールでここに立て、こっち向け、とか細かく指導された後、お前の論文の矛盾点を見つけてきたぞ、まだまだヒヨっ子だな雑魚と、喧嘩売られて」
「えー」
「ふざけんなどこだ言ってみろと彼女の耳元で怒鳴り散らしたけど」
「……それって、こういう角度じゃないですか?」
私はエイガーさんの顔に、自分の顔を斜めに近づけた。エイガーさんは、目を見張って私を見ている。
「はたから見たら、キスシーンですよね」
「……」
「銀髪女子のエイガーさんの上司は、私がいること知ってて、私から見てラブシーンに見えるように仕向けたとか」
「……あの人、性格悪いんだ」
「それ、二回目。軽く手玉に取られましたね」
「……あ、待って。そのまま」
「は?」
「キス、するんだよね」
私はかなり近くからエイガーさんの斜め顔を見ていた。期待値の上がりまくったサファイアブルーの瞳を確認し、そっと椅子に座り直した。
いい大人があからさまにがっかりするんじゃない。
私は、はあぁぁぁとため息をもらした。
エイガーさんは私のため息にびくぅっとなっている。しかし、ずっと繋いだままの手は、いまだにさすさすと指が動いていて……
「……何やってんですか」
「以前に君の手を握ったら、振りほどかれたから。繋いでくれていて、嬉しい」
「はあ」
「だから、一生この手を解けなくなるような魔法を構築中で」
「こらあ!」
「あと三十分もあれば術式が完成する……っああ!」
私はエイガーさんの手を振りほどいた。放っておくととんでもない魔法作るぞ、この人。魔法の才能も考えもんだな。
ものすごく悲しそうな顔して落ち込むエイガーさん。美形の落ち込み顔って、世界が終わったような風情が出るんだね。世界を闇に落としたのはこの私、という気分にさせられ……あー、もう!
私はエイガーさんの隣に移動した。ゆったりしているとはいえ、一人席だ。ぎゅうぎゅうにおしりを割り込ませた。
驚くエイガーさんの肩に向けて、私は呟いた。
「ご覧のとおりのぽっちゃりです。こんなぷよぷよでいいんですか」
「……君みたいな子は、健康的な体つきっていうんだよ。風邪もひきそうにない、理想的な身体だ」
「顔もふつー」
「この顔を私はいつも探している。一日に一度でも見られれば、その日はいい日だと決めている」
「……エイガーさんて、言葉が足りないし顔にもあんまり出さないし分かりにくいのはしょうがないんだけど」
私は不満をぶつける。
だってこれは絶対、エイガーさんが悪い。
私と結婚するために、私の親族囲い込んで、魔法で特許取って、貴族位を手に入れようとして、いっぱい変な方向で頑張ってるエイガーさんだけど。
一番、大事なことを言ってない。
「私、エイガーさんから、名前呼ばれたことない」
エイガーさんは目を見開いた。
信じられないことに、私の名前を呼ぶことを失念していたんだ、この人。
美しいサファイアブルーの瞳は、驚愕してからいきなり甘く色付いた。あの凶悪な甘い顔だ。心臓が痛い。痛いけど気持ちいい。
抱き寄せられた私の視界は、エイガーさんの長い髪で外界の景色が遮断された。目に入るのは、目に沁みるような笑顔だけ。
唇を奪われる寸前に、エイガーさんのとびきり甘い囁きが聞こえてきた。
いろいろポンコツなエイガーさんだけど、この言葉だけは正解だった。
「ローラ、愛している」
魔法使いの止まらない大暴走でした。美形の無駄使いが好きです。
評価★★★★★、ブックマーク、リアクション、感想など頂けると、嬉し恥ずかしくて天岩戸に引き籠もり、また執筆を始めると思います。天岩戸は自動ドア希望です。
読んでいただき、ありがとうございました!
勢いで続編も作ってしまいました。エイガーさんのさらなる暴走が気になる方は、ぜひこちらもどうぞ。
https://ncode.syosetu.com/n0616kx/