第100話 竜、追放されたのに今は楽しいと語る
「む、また豚ですかな?」
「はい♪ お醤油は豚さんのお肉に合うんです」
「なるほど、これはええのう」
「なんです?」
蓋を開けた皿の上にはスープに浸された豚肉があった。これもブルホーンも肉だが、少し厚めだ。しっかり湯気が出て熱いことが伺える。
ヴァールが尋ねると、ディランが頷いて答えた。
「これは角煮という料理じゃ。四角いじゃろ? これは酒にもご飯にも合うわい」
「あー、ディランのおっちゃんの好物なんだな」
「お、よく分かったのう」
「あーう♪」
ガルフの好物発言にディランが目を丸くしていたが、ディラン以外は『顔でバレバレだと』苦笑していた。
ほころぶディランの髭をリヒトが撫でていた。
その間にコック達が角煮を各人に盛り付けていく。ふるふるとしたお肉を前にユリが嬉しそうな声を上げる。
「うわ、柔らかそう~♪ 焼いただけだと結構硬いもんねブルホーンって」
「さ、熱いうちにどうぞ♪」
「では……」
「ちょっと触ったら崩れるくらい柔らかいですわ……!?」
そして各々が角煮を口に入れると、その瞬間、全員の顔がほわっと綻んだ。
「おお……凄いな、味が濃すぎないのにしっかりと風味が口に残る……!」
「この脂の部分がぷるぷるで触感がとてもいいですわね……!!」
「なんだこれ、本当にブルホーンの肉か!?」
「フフフ、これはトワイト様がずっと茹でて蒸らすことを念入りに行っていたのです……!」
モルゲンロートとローザがびっくりした顔でお肉を口に運び、その動きは止まらない。ヒューシも声を上げると、コックの一人が説明をしてくれた。
「なんでコックさんがドヤ顔なんだろう……」
「まあ、トワイトさんが凄かったみたいだしいいんじゃない? リーナはどう?」
『これ、ものすごく美味しい!』
「うふふ、良かったわ♪ このぷるぷるしている脂は美容にいいから女の子は特におすすめですよ」
「……! そうなのですね! わたくしにもう一つくださいな。ああ、このオショウユというのは本当に美味しいですわね……なんにでも合う感じがしますわ」
トワイトが角煮の効果を口にすると、ローザが女性らしく反応してもう一つ要求していた。
レイカとユリは流石にお城の食事でおかわりはできないと顔を見合わせて困った顔をする。
「うーん、これは素晴らしいですね。ディラン殿が好物というのも頷けます」
「そうじゃろう。婆さんの角煮は他の者よりも美味いのじゃ」
「それはほめ過ぎですよ、あなた」
「仲いいよね二人とも」
「そりゃあ、娘のあたしでも恥ずかしいくらいだもの」
そこでトーニャが肩を竦めて両親の仲の良さは変わらないと言う。喧嘩をしているのを見たことがないと。
「喧嘩しないのが凄いわよね。私、ガルフとよく喧嘩するし……」
「そうだなあ」
「ワシは喧嘩をするほど婆さんに不満は無いからのう。いつも飯を作ってくれ、洗濯をし、掃除も二人でやる」
「お父さんも畑仕事や狩り、洗濯物を干しに行ったりしてくれるじゃありませんか」「そういうところよね……ガルフ、気を付けましょ……」
「ああ……なんというか掃除とかちゃんとやるわ……」
ディランとトワイトが夫婦の秘訣のようなものを口にすると、ガルフとレイカが何故か沈んでいた。
「ははは、結婚したらまた変わる。私とローザもそうだったからな。しかし、東の国はこう美味しいものを食べているのか?」
「角煮は手がかかりますからいつもとはいきませんけれど、お味噌汁や豚汁、肉じゃがは食べられていますね」
「これが庶民の味、なのか……?」
トワイトの言葉に何故かコレルが驚いていた。そこでトーニャがふふんと鼻を鳴らしながら角煮を口に入れる。
「東の国の料理はママの得意レシピだから美味しいのは当然よ! こっちで言うレストランよりもおいしいと思うわよ?」
「うふふ、ありがとうトーニャちゃん♪」
「でも、すき焼きは出るかなーって思ったんだけど」
「「「……!」」」
角煮はもちろん美味しいが、すき焼きという料理が出なかったのは意外だとトーニャが言う。するとその場に居た全員がぴくりと耳を動かしていた。
「あれは醤油がたくさんあった方がいいから止めておいたの。トーニャちゃんは好きよね。生卵をつけて食べるの」
「生卵を!? お腹壊すわよ!?」
「ド……アレだから丈夫なのか?」
すき焼きも気になるが、生卵を食べると言うのがおかしいと一同がガタガタとしていた。ヒューシがドラゴンだからかと勘繰ったが、トーニャが返す。
「向こうの卵は物凄く洗浄していてお腹を壊さないのよね。こっちのは危ないんだっけ?」
「一発アウトだな」
「確かに言われてみれば東の国は食に対する研究はおかしいくらいじゃのう」
「うふふ、そうかもしれませんね。でもジェニファーの卵なら大丈夫かも? 産んだ瞬間にキレイにすれば美味しいわきっと」
「こけー?」
トーニャが不思議そうにお腹壊すのかと問うと、ガルフが冷や汗をかきながら返す。そのままでは生で食べられるとは思えないと首を振る。
だが、トワイトはジェニファーのなら安全ではないかと口にし、当のジェニファーは足元でトワイトを見上げていた。
「こほん! 興味深い話だが、すき焼きというのはどういった料理かな? それを用意することはできるのだろうか……?」
「卵無しでも食べられるのかどうかも気になりますわ……!」
そこでモルゲンロートとローザがすき焼きについて言及しだす。しかし、トワイトは困った顔で返す。
「お醬油以外にもたくさん材料が要るので今は難しいですね。お豆腐やこんにゃくも欲しいですし、お塩とお砂糖もたくさん使うので高いんです」
「むう……やはり聞いたことがない食材が出てくる……」
「ザミールだけでは難しいですかね。私が行ってもいいですぞ」
「バーリオ、お主が食べたいだけでは……?」
くっくと笑うバーリオにモルゲンロートが口を尖らせていた。そこでヴァールが笑顔で父親へ言う。
「まあまあ、未知の料理はまたお楽しみにして今はこの料理を楽しみましょう。私はワインをいただこうかな」
「あら、いいわねヴァール。わたくしも」
「ふう……確かにそうだな。トワイトさん、今日はありがとうございました。依頼としてお金は支払う。たまにこうやって作ってはいただけまいか?」
「そうですねえ」
「お金を貰えるならええんじゃないか? ワシは手伝えんが、婆さんがいいなら構わん」
「だそうです♪ お父さんがいいと言うならたまにで良ければ」
「ありがたい。うむ、角煮のスープも美味いな。ああ、そうだトワイトさんも席について一緒に食べませんとな」
モルゲンロートがそう言って席につかせ、和やかな食事会は進んでいく。
「あ、トーニャ食べるの早いわね」
「好きなものは先に食べるのよ!」
娘も人間に交じって楽しそうに食事をする。その様子を見てディランはポツリと呟く。
「まあ、里を出た時はどうなるかと思ったが、こういうのも悪くないのう」
「そうですね。リヒトを育てる楽しみもありますし、トーニャちゃんも帰ってきましたからね」
「あーう♪」
「「「わん!」」」
「「「ぴよー」」」
「こけ」
「はいはい、あなた達もね」
「のんびり行きたいところじゃて。そういえば息子の方はどうしておるのかのう」
「あの子は心配性ですけどしっかりしていますし大丈夫ですよ、きっと。子供でも作っているかもしれませんね」
「里のみなは元気かのう――」
夫婦はそんな話をしながら静かに食事を続ける。
ここにいる誰よりも長生きで、恐らく生涯を見届けるであろう人間達を見て目を細めながら――