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7.繰り返す日常

 ──鬼はそと、福はうち


 相も変わらず、鳥居から立ち並ぶ白装束の男たちが低い声で同じ言葉を繰り返しながら、揃って紙垂(しで)を振っている。その後ろで、茣蓙(ござ)に座った女たちが男たちの言葉の合間に、短い錫杖(しゃくじょう)を鳴らしてうつむいていた。

 仰々しく見えるその行いはどうやら鬼を追い払うためにしているらしく、誰もが全員至極真剣な面持ちをしているのだから呆れてしまう。鬼にしてみればただただうるさいだけの騒音なのだが、なるほど考えてみればそれだけで、早く立ち去りたくはなるなと関心さえしてしまった、十数度目の節分の日。


 今年も飽きもせず鳥居の下に現れて、まっすぐに階段の下まで歩いた。見上げれば社の簾の隙間から、柘榴石(ざくろいし)と目が合う。見下すような冷たい視線に特段の感情を示すこともなく、鬼は榊の傍に祀られる大豆の入った樽を肩に担ぎ上げて、さっさとその場を立ち去るのだった。

 次第に遠ざかる声と錫杖の音。

 樽を担ぐ手と反対の小指を耳に突き刺して、じんと淡く痛む耳の奥を抑えながら深いため息が出た。


「あー…五月蠅ぇ」


 今日は雲一つない晴天で、雪の少なくなってきたこの時節では少し暖かく感じるほどだったというのに、毎年におけるこの決め事のおかげでやや気分が滅入ってしまった。

 とはいえ、大豆を運ぶのはもう慣れたもので、例年通りさくさくと山を登り終えて、墓石代わりの岩の前に豪快な音を立てて樽を置いた。

 乗せていた肩側の首を鳴らして、腕を回す。人間よりも何十倍と力の強い鬼であるため、一樽程度の大豆に疲労など感じはしないが、人間たちの仰々しいお出迎えのおかげで疲労感だけは立派なものである。


「毎年同じものじゃぁ、いい加減飽きるか?」


 岩に酒を遠慮もなしにかけながら、ふんと鼻で笑う。

 飄々とした青い鬼の「たまには餅とやらも食わせろ」という声が聞こえそうで、口角が上がる。けれどもうどんな声だったかまではぼんやりし始めていて、寂しいような清々するような、複雑な気持ちが胸中を泳いだ。


「毎年そうやって独り言を言ってるの?伊呂波(いろは)


 不意に背後から声をかけられて振り向けば、見慣れた白装束が牛ほどの大きさの(いぬ)に跨って近づいてきていた。


「随分と早ぇな」

「お婆の腰の調子が悪いらしくって、隙だらけだった!」


 悪戯が成功したような顔で笑うのは、先ほどの村の娘である福という少女。初めて出会ったときに比べればすっかり背が伸びて、齢も十を超えた少女らしい活発な顔になっている。

 数年前から、入山禁止とされている古月山にこっそりと出入りしては、赤い鬼の元へ通っているが、何か目的があるのかと言われればそういうわけでもなく。食物を持ってきては一緒に食べようと言い出したり、景色を見てのんびり過ごしたりと自由なものだった。

 赤い鬼を、気軽にその髪によく似た紅葉の名「伊呂波」と呼び、山の雑事で彼が不在であれば(ねぐら)(こま)と遊んで待つ程に、気を許した年月はもう六年になるだろうか。

 まるで懐かれすぎた子猿のようで鬱陶しいと思いつつも、向き合うと決めた以上は好きにさせているのが、他ならぬ伊呂波だ。


「今年も面倒そうな顔だったね」

「そういうお前は随分と偉そうな目つきだったじゃねぇか」


 五月蠅い鳥居の向こう、階段の上の社に見えた鋭い柘榴石。にこにこ笑っている今の彼女からは想像もできないような、冷たい瞳だったように思う。


「あ、わかった?伊呂波の真似してみたんだよぉ」

「んなこったろうと思ったよ」


 ケッと悪態をつきながら、さっさと岩の方へと向き直る伊呂波に倣う様に、福も狛から降りて隣に並んだ。

 この数年の間に、この岩がどんな存在であるか直接聞いたことはなくとも、福にはなんとなく想像はついていた。滅多に執着を見せることがない伊呂波の、唯一の大切な物だ。


 二尺近くもの差がある伊呂波の顔を、ちらりと盗み見る。

 岩を見ているようでいて、その先を見つめるような黄玉(おうぎょく)が小さく揺れていた。


「おい」


 不意に、伊呂波が福を見下ろしながら右手を差し出してくる。何かを要求するようなそれに、福は首を傾げた。


「…なに?」

「とぼけんな、出せ」


「なにを~?」


 にやりと笑う福は、生まれてしまった悪戯心に思わず彼から距離を取る。それに屈することもなく鼻を鳴らす伊呂波が、差し出した右手をひらひらと上下に揺らした。絶えず尻尾を振る狛が、その手を瞳で追っている。


「餅。あんだろ。匂いがする」

「えー…これは私のおやつなのになぁ」


「つべこべ言わずに出せ」

「乱暴!くださいって言って!」


「うるせぇ」


 それ以上やれば機嫌が悪くなることなど、この数年で嫌というほどわかっている。頬を膨らませながら懐紙(かいし)を取り出した。


「なんと今日は黄粉(きなこ)がございません」

「…あ?んだよ、じゃあこの大豆砕くか?」


「ううん、今日はこっち」


 袖元から小さな瓶を取り出して、にんまりと笑う福。訝し気に小瓶を見つめた伊呂波は、中から小さく液体の音が聞こえることに気づいた。


「なんだそれ」

「これに砂糖入れてお餅につけたら美味しいの!」


「…ほう?」


 満更でもなさそうに、焼餅に器用に小瓶の中の黒い液体をかける福を見守っている。

 今よりずっと幼かった彼女が、やたらと勧めて来た「餅」を食べてからというもの、顔には出さないが妙に気に入ってしまった伊呂波。最初こそ、福が取り出すまで気にも留めないふりをしていたが、今となっては催促までするようになったのだから、鬼もまた変わるものだ。


「はい」


 白からうっすらとした茶色に変貌した餅は、懐紙の中でやっぱりやる気のない風体ではあるものの、この弾力と風味が好ましいのだから不思議である。

 福が差し出した懐紙から一つ摘まみ上げて匂いを嗅いでみると、香ばしさが鼻腔をくすぐった。なるほど、この液体も元は大豆だろうか。

 獣並みの嗅覚で原材料には気付けても、一体全体どうやってこんな色になるのかがわからない。つくづく人間というものは暇な生き物だなと思う。


「……ん」


 ぽいと口に放りこめば、いつも通りの餅の弾力の合間に香ばしい香りが鼻を抜けていく。いつもの黄粉は甘さのある淡白な味なのに比べれば、こちらは少々塩味が強く、申し訳程度に入れた甘さが引き立っている。新たな餅の顔に「ほぉ」と声が漏れた。


「美味しいでしょ!この前、行商人が来てこれ売ってくれたの。醤油っていうんだって」


 行商人と言えば、この山の唯一の山道を極稀に徒歩で抜けていく、あの大荷物を担いだ人間の事だろうか。大した整備もしていない獣道に毛が生えた程度の山道を、自分の倍はあるのではないかとすら思える大きな荷物を器用に背負って、慣れたように上り下りするのはいつ見ても面白いなと思っていた。

 ただでさえ余所者が故に、山を害さないかと伊呂波は彼を見張ることも欠かさないし、荷物の中にはいつも何某かの食料も含まれているのだろう、山中の獣が時々狙って近づいたりもするので、彼らがいらぬ物を口にせぬよう牽制する事も多い。

 結果的には行商人が獣に襲われることなく山を抜ける手伝いをしてしまっているのだが、下手に山中で命を終えられるよりは良い。生死問わず、人間に関わる様な面倒事は目の前の少女だけで手いっぱいなのである。


「ねえ、伊呂波…この最後の餅、この岩に供えても良い?」

「…あ?」


 大して口にもしない大豆ならまだしも、餅の事となればつい反射的に反論しそうになって、伊呂波は慌てて口を噤んだ。餅への執着を悟られるのは何故だか癪なので、搔っ攫って口に放り込んでしまいたい衝動を抑えながら頷くのだった。


「大豆ばかりで飽きちゃってるかもだし」

「…ふん」


 一人で呟いていた言葉の揚げ足を取ったつもりなのか、福はにやりと笑いながら伊呂波を見上げた。

 懐紙に残った最後の一つをそのまま岩の前に置けば、まだ寒い冬の冷たい風がそよそよと吹き抜ける。吐く息は白い。夜に向けて気温が下がりそうだ、雪が降るのかもしれない。


「狛が寒がってんぞ、さっさと洞窟入って火でも起こしてろ」

「はぁい」


 彼女が来るようになってから、ただ眠るだけでよかった岩場の隙間から、小さな洞窟へと塒を移した。青いのの墓標近くにもともとあった岩陰を、伊呂波が少々掘り進めたものだ。一人で使うには広すぎるが、雨風も避けられて思ったよりも居心地が良い。

 中には焚火がいつでも付けられるように石や枯れ木が集められている。ここなら山に燃え広がる可能性も低ければ、自分の寝床としている場所なので動物たちも安易には近づいてこないのだ。


 そうして冬は焚火に当たり、夏は下の小川で涼んだりして、のんびり過ごすのが彼女たちの日常となっていた。


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