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27.白糸に手繰られる

 白い鬼がにやにやと笑っている。頭蓋骨が重いとでも言いたげに傾げた首をグラグラと揺らして、白く長い髪を垂らしていた。


「何って、きみと同じ鬼だよ。ここからずっと西の山で生まれたんだ。ほら…この角って隠せるんだよ、体も小さくしたり気配を隠したりできるんだけど、知らなかったみたいだね」


 違う、と伊呂波は思った。確かに『同種』の気配を感じるし、それは天流(あまる)と同じほどの年月を生きたのだろうと思えるほどに重く濃い。しかし違うのだ。伊呂波の頭の中を埋めるのはただただ、降って止まない疑問だ。


「なんだ、お前は…自分の山はどうした。何故ここにいる…?」

「ああ、そうか、そうだね」


 白い鬼は納得したように頷いた。飄々とした雰囲気が、天流に少し似ている。けれど圧倒的に違うのが、その歪な存在感だ。

 伊呂波の頬を無数の汗が走った。


「鬼は生まれた山から出たいとすら思わないもんね。せいぜい山の異常を感じ取れる範囲でしか動かないし、それ以上離れてしまったら気が気じゃないからね」


 わかるよ、と言いたげに白い鬼が笑う。何もかもを知っているように顎に指をあてながら、鬼の生態を説明している師さながらだ。


「安心して、さっきの藤の花は風にさらわれちゃったのを私が拾っただけだよ…揶揄ってみただけ。赤目の子には触れてもない…人間は嫌いだって言ったろ」


 赤目は特に。と続けて眉間を寄せる。それは嫌悪や怒りと言った感情より、自嘲に近いように思えたが、今の伊呂波にはどうでも良かった。


「自分の山はどうした…」

「さあ…?どうしてるんだろ…もう100年は帰ってないな」


 白い鬼はあっけらかんと両の手を空に向けて肩を竦めた。まるで他人事のようなそのそぶりが、伊呂波には信じられなかった。

 今この足の下の大地が形成する山は、伊呂波が生まれ育った場所だ。生まれたその時から、この山で生きていくのだと本能的に悟っていた。先住の鬼であった天流がそう教えてくれたように、山の隅々を見渡して整えることが生きる理由で、この山を出て麓の村に行くのが関の山。どこか違う山を見てみようだなどと考えたことはない。

 つ、と頬を流れた冷たい汗が顎先から落ちた。


「ああ、心配しないで。山を出て数十年後に一度様子を見に戻ってみたけど、次の鬼が生まれてて上手くやってたから」


 なんとかなるもんだね、などと笑う目の前の光景が、まるで夢の中の様にしか思えない。



『俺たち以外にも、鬼っていんのかなぁ?』


 かつて、暇つぶしのように青い鬼に聞いたことがあった。少年だった鬼は豊かな想像力を駆使して、ここから見えるずっと遠い山を指さしては、『あそこには緑色の鬼がいるかもしれない』などと真剣に語ったことを思い出す。それをカッカッとわらった青い鬼は、ただ一言『そうかもなぁ』と間延びした声で返しただけだった。

 ここに2人もいる鬼と言う種族が、他に存在しないとは思わない。けれど自分たちがそうであるように、この山を訪れる鬼がいるわけがないかと当然の様に納得もしていた。


『俺たちはこの山から遠くには行けないもんなぁ』


 その認識を崩したことがない。不自然なほどに、一度もないのだ。



「…感じる?」


 白い鬼がにやりと笑う。まるでその思考に陥ってほしかったかのように、こちらの顔を覗き込んで笑う。

 伊呂波は首を横に振った。認めたくないと思った。湧き出る物がなんなのか、知りたくなかった。


「感じてよ。…そのために私がいる」


 心臓が早鐘を打つ。ひとたび芽生えた疑念が、異常な速度で成長していくのを感じる。駄目だ、と思った。これはこのまま胸の内で咲かせていいものではない。

 無意識に、伊呂波が白い鬼の顔面目掛けて拳を振り抜く。けれど彼はひょいとそれを避けて、まるで伊呂波のその行動も許容範囲内だとでも言いたげに話を続けた。


「あの山にも、あそこの山にも、…ほら見える?あのずっと向こうに薄っすら見える山にも、鬼はいるんだよ」


 あそこはどんな髪色だったかなぁと首を傾げながら、伊呂波の休みない攻撃を避け続けた。遠くの山を指さしては、足を払おうとする伊呂波の蹴りを飛び跳ねて避け、顔を掴もうと迫りくる手には上体を大きく後ろに逸らした。終始にこにこする様はまるで戯れる童のようだ。けれど同じ鬼であるはずの彼が恐ろしい別の何かに見えるのは何故だろう。まるで鬼の枠を超えてしまった、本当の異端者のようだ。

 …そうだ、異端だ。天流や自分のような外れ方ではない、それは今の今まで存在しなかった場所に突然咲き乱れ、繁殖し続ける藤の花の様に。

 伊呂波は激しい焦燥感に追い立てられながら白い鬼の脳天に素早くかかとを落とすが、風に泳ぐ木の葉さながら、彼はひらりと交わして笑い続けた。


「山の麓には人間が必ず1つ、村を作ってるのは知ってる?…まるで寄生虫みたいにね」


 山から流れる川は澄んでいて飲み水に最適であることを人は知っている。山裾の木々から実りを貰い、平らで柔らかな土地に種を撒き苗を植える。そうして人が寄り集まって村を作るのは自然なことだと思っていた。

 そんなことを考えながら、白い鬼に一度避けられた蹴りの勢いのまま、素早く足を入れ替えて回し蹴りを入れる。けれど相手もまた片腕で軽々と受け止めて、あとから衝撃音だけが間抜けに響いた。


「何百年もかけていろんな山を見て来たんだよ…そんな鬼は私くらいだろうね」


 大きく飛び跳ねて距離を取ってから振り返った白い鬼が、誇らしげにこちらに視線を寄こす。目を細めて笑うのが癖なのだろうか。瞳の色を忘れてしまいそうなほどだ。


「不思議なことに、どこの村にもいるんだ…赤い目の人間が必ず、1人。鬼になんの抵抗も持たない、奇天烈な人間だよ」


 真っ白い指が1本、空を向く。脳裏を掠める柘榴石(ざくろいし)は、驚くほどに赤い鬼の生きたほとんどの日々を共にしていた。

 気づけば伊呂波は息を切らしていた。こんなにも力任せに動いたことなど、生まれてこの方あっただろうか。鬼相手だとここまで体力を使うものなのか、と驚いてしまう。


「戦い慣れてないね、…前にいた青鬼くんとは手合わせしなかったの?」


 しゃがんで手の甲に頬を乗せる白い鬼が、不思議そうにこちらを見上げた。青い鬼、と言われて思い浮かぶのは1人しかいない。


「天流を…知ってるのか」

「あまる?…そっか、名前を貰ったんだね彼も」


 可哀そうに、とでも続けたそうに、白い鬼は悲壮感を漂わせて笑う。彼も、とは伊呂波の事だろうか、それとも…


「彼は面白い鬼だったね。…同じことを話したのに、殴りかかってこなかったよ。他の鬼はみーんな私の存在が許せなくなるらしいんだけど、天流だっけ?彼はその本能に逆らってるように見えた」


 本能が何かは知らないが、青い鬼が気を荒立てたことなど、そういえば一度もなかったように思う。息を整えながら伊呂波は、かつての友の飄々とした様しか思い出せないのは、そういう性格を生まれ持ったのか、それとも長い年月を生きて到達した悟りのようなものだと勝手に思っていた。

 白い鬼がどこか寂しそうで、ふと、かつて慕った青い鬼の話をもう少し聞きたくなっている自分に気が付いた。


「天流は…いつお前に会ったんだ」

「え…いつだっけな。君も生まれてなかった頃だよ、多分50年くらい前だと思うけど」


 何の気ない言葉を返されたことなど久しいのか、どこか嬉しそうに語尾を震わせる白い鬼。闘争心がしぼんでいくのを感じる。この状態になって初めて、どうして唐突に殴りかかっていたのかと我に返った。


「初めて、友と呼べる鬼だと思ったよ。いろんな話をしたんだ」


 それまでにやにやとべたつく笑みを浮かべていた白い鬼が、懐かしそうに眼を細めた。


 長い年月渡り歩きながら、見た事聞いたことを面白おかしく話したという。いつもなら鬼に出会えば会話も成り立たずに戦闘状態になるものだから、白い鬼も浮足立ったと声を弾ませた。


「彼は少し前から人間に興味が湧いたと言ってたなぁ…それまで普通に生きていた人間が蔑まれたり悲しんでみたり、…かと思ったら意地だけで己の立場を翻して笑っていたり」


 50年前…といえば、福の言う“お婆”の世代の話だろうか。短い命を咲かせて散らす周期の短い人間の世代などなかなか把握も難しいのだけれど、伊呂波は何となく彼女の話のような気がした。


「ほとんど100年も生きられない人間が、一所懸命に生きる姿が面白いって言うんだよ。まるで雨雲の向こうの太陽でも掴み取ろうとしているようだって…鬼にだってそんなことは出来ないのにね……私には理解できなかった」


 殴りかかってこなくなった伊呂波を眺めながら、白い鬼が話し続ける。元々話し好きなのだろうか、その口は止まらなかった。


「理解はできなかったけれど…わかる気はしたんだ」


 瑠璃色の瞳が真剣な面持ちでこちらを捉える。赤い髪が風に揺れるのを眺めながら、どこか遠くを見ているようでもあった。


「私もね、昔名前を貰ったんだよ。…赤い、目をもつ人間に」


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