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2.餅と黄粉と砂糖と少女

『どうだ、人間とは面白かろう?』


 青い髪の青年が、にやりと歪めた口元を隠しもせずに得意げに声に出して笑う。

 額の中央から生えた年季の入った1本の角が、空を向いている。左耳の大きな木造りの耳飾りが揺れて、カラカラと音を立てるのを呆れた気持ちで見上げていた。


 ふっと意識が浮上して、視界に見事に色づいた赤い椿が広がる。夢を見ていたのかと納得してあたりを見渡せば、いつもの 寝床にしていた小さな洞窟だった。

 そうだ、いつもあんな風に笑うのを見上げていたな。今よりずっと背が低く、昨日やってきた子供と似た背丈だった頃、毎日青い髪の青年の後ろをついて回っていた。


 よくわからないことばかり言う鬼だった。鬼は人間に興味がない生き物だと教えたくせに、自分はどうもアレらに興味深々で、暇さえあれば遠くからのんびりと観察していた。やれ棒と糸で魚を捕まえていただの、やれ食材を掛け合わせて食っていた物が美味そうだの。心底どうでもいいと思えることを、翡翠(ひすい)の瞳を輝かせながら語るのだから呆れたものだった。


 だが、いくら言われても、人間に好奇心をくすぐられたことはない。自分が生きる以上の量の自然の実りを目の前で刈り取っていく、軽蔑の対象でしかなかった。


「さて、昨日の豆をどうするか」


 見せしめのように人間から豆を搾取してはいるが、毎年どう処理するかは悩みの種だった。大して食べたいとも思えない淡白な味に、口の中の水分を奪う性質を好きにはなれない。

 だが、毎年同じ日にわざわざ山を下りて一樽奪っていくのは、数年前に自分自身が始めた決め事であり、どこか義務感にも似ていて。自己満足と言われればそれまでだし、たとえ誰かにそう言われても大して気にはならなかっただろう。


 猿や猪など、大豆を食べる動物も少なくはない。少しずつ与えて回るか、とノロノロと腰を上げた。




「おもち」


 何だこいつは。

 昨日見た子供が、同じ場所に同じ(いぬ)に跨って豆の入った樽を見つめていた。

 こちらに気づいた彼女が、おもむろに懐紙を取り出してたどたどしく広げていくと、紙の色より少しだけ茶色を帯びる、ひび割れた白い石のようなそれが姿を現した。そしてそのまま、ずい、とこちらに持ち上げる。


「なんだ」

「おもち」


「いらん」

「おいちよ」


 つぶらな柘榴石(ざくろいし)の瞳がまっすぐこちらを射抜いてくる。恐怖も戦慄もない、純粋な色が揺れていて、動揺してしまうのがこちらの方などと認めたくはなかった。


「こえを、ひでやくの。きなこと、…あ、おさとうもあるよ」


 小さな手を覆う「もち」の上に、「さとう」と「きなこ」とやらが入っているのであろう袋を器用に積んでいく。はい、とこちらを見上げてその手を再び近づけた。


 これを、どうしろというのだろうか。

 片眉を下げて、鬼は困惑した。もちという食べ物を見たこともなければ、興味もない。だから不要だと答えたはずなのに、「おいしいよ」と勧められて会話が成立しない。そもそも好きになれない人間という生き物と 分かり合おうとも思わないのに、この無遠慮な距離の詰め方が不快でならない。


「二度と来るな」


 結論として、鬼はその場を去ることを選んだ。木々の切れ間の向こうに広がる崖に飛び降りて、ところどころにある岩の出っ張りを渡るように飛び、あっという間に真下の小川にたどり着く。ふと、先ほど少女がいたであろうはるか頭上の崖の向こうに視線をやるが、彼女が顔を出している様子はなかった。

 人だろうが動物だろうが、幼い生き物が知る世の常は少ない。鬼である自分の言われ様や接し方など知りもしないのだろう。きっと今夜には「あの山に登ってはいけない」と人が教え、今後あの人の子の顔を見ることはない。

 ふん、と短く息を吐いて、鬼は小川をたどるように少し先にある滝に向かって歩き出した。


 人間は嫌いだ。

 何度も心の中で繰り返す。言葉を交わすことさえ望まない。それは己が己であるために必要な様に思えて、けれど誰に強制されたわけでもないのにと我に返り。自分ではない何かが胸の内で騒いでは消えるを繰り返して、煩わしく思う。つい先日までは淡々と、人間に関わることなく過ごせていたのに。ざわつく心中が落ち着かなくて、鬼はたどり着いたばかりの滝に頭を突っ込んだ。


(樽を置いてきてしまった)

(少し時間を置いたらあの童も消えているだろう)


 冷たい水に頭が冷えて静かになったころ、やっと頭を出して つんつんと己の足をつつく魚を見つめながら、小さくため息をついた。




 数時間後、鬼は我が目を疑う。

 大豆を取りに戻ってみれば、樽の上には先ほどの少女が持っていたはずの懐紙と小さな袋が重ねて置かれていたのだ。

 強情、という二文字が脳裏を掠める。姿が見えたわけでも声が聞こえたわけでもないのに、彼女の存在を感じてしまって深いため息が出た。


「何がしたいのだ、あの童」


 袋を這う数匹の蟻が、砂糖を求めて右往左往する。それを優しく払いながら徐に袋を摘み上げて、何とはなしに太陽にかざしてみたが、特段その視界に変化があるわけでもなかった。

 次に懐紙に視線を落とす。綺麗に折り畳むつもりもなさそうに、くしゃりと先を(すぼ)められたそれがこの山にはあまりに不似合いだった。


『おいちよ』


 指を懐紙の隙間に滑り込ませて、手を広げる。歪な形の白いひび割れた餅と呼ばれた物体。初めて見るそれを恐る恐る指で撫でてみれば、とても美味そうだと思えるような感触ではなかった。


『ひでやくの』


 餅を見下ろす、伏せられた少女の瞳を思い出す。穢れを知らぬであろうその色に潜む光が、先日産まれたばかりの野生の鹿の子を思わせた。

 彼女は知らないだけなのだ、責める気にもならない。


 鬼はそっと懐紙を閉じた。元通りに先を窄めて、袋とともに懐に仕舞い込む。ガコ、と樽を持ち上げて、今度こそその中身を猿たちに分け与えようと歩を進めるのだった。


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