めでたしめでたし
「る、ルゥ……」
グラニアは、目に見えて動揺し始めた。クレトや周囲を圧倒していた禍々しいオーラはしぼみ、険しかった表情はおろおろと落ち着かない。戸惑うばかりの子どものようである。
そんな彼女に、ルゥは念を押すように手をのばす。
「グラニア。迎えに来たよ」
「わ、私を退治しに来たんでしょう!?」
「何言ってんだよグラニア! 僕が君を退治するはずないじゃないか」
「し、し、信じられない!!」
グラニアは目尻をつりあげてルゥを睨んだが、それは子どもが精一杯意地を張っている程度のものにしか見えなかった。
その表情も崩れてしまうと、やがて彼女は、自分をじっと見つめるルゥから隠れるように、俯いてしまった。
「私、貴方に酷いことをした! あなたに弱いままでいてほしくて! 可愛いままで、私のルゥでいてほしくて! ずっと、いろいろ手を回してた!!」
「どういうこと?」
「先回りして強い敵を倒したり、ルゥを狙う奴らを排除したり、たくさんルゥの冒険の邪魔をしたの! 私、私はそんな奴なの。ルゥにずっとか弱いままで、私を退治できない存在でいてほしくて……私のルゥでいてほしくて……私……」
声を震わせるグラニアの暴露に、ルゥは「はー」、と呆気に取られたような溜息を吐いた。
「それでかあ。前から少し、おかしいなーとは思ってたんだ。順調過ぎるかなーって……」
「いや色々おかし過ぎただろ!?」
「万が一くらいの確率でこんなこともあるのかなって……」
クレトに平然と言ってのけるルゥだが、彼には万が一の確率が何度も自分に訪れてもおかしくないと、あるいは訪れるに違いないという確信があった。
おかしな思い込みではない。何故ならルゥ自身が既に、この世で唯一の存在だからである。
そのことを理解しているクレトは、ため息を飲み込んだ。
「(勇者に選ばれ、剣の才能があり、おまけに今世一の魔女に愛される――こう考えると、ホンット嫌味な存在だなコイツ。……最後の一点で台無しだけど)」
「なるほどなー、グラニアが頑張ってくれてたんだね。ごめんね、気付いてあげられなくて。ありがとう、グラニア」
「ど、どうしてそんなに優しいの? 私、貴方の才能を潰してたのよ?」
「君の目的はともかく、結果として僕らのことを助けてくれていたんでしょう? 感謝するに決まってるよ」
「でも私はただ貴方に、攻撃されたくないだけだった。可愛い貴方でいてほしくて、貴方の成長できる機会を全部潰して……だから貴方、今でもそんなに弱いままなのよ!?」
「よわ……」
ルゥは、真剣な顔をしたグラニアの率直な言葉に傷付いた。
横のクレトは、仲間としての情からそっと彼から目を逸らした。これが彼なりの友情である。
「まったく、グラニアは心配性だなあ。あのね、僕はただの人間だよ? 僕がどれほど強くなっても、君を倒せるようになるわけないじゃないか!」
おどおどするグラニアに、ルゥはやれやれと言わんばかりだった。
「人間はどれだけ鍛えても、君ほどには強くなれないの! 分かった?」
「でも、でも……」
「考えてごらんよ。この世界には色んな強い生物がいるだろう? ……その中に一つでも、君に敵う存在がいたかい?」
「い、いない。でも、ルゥだから。ルゥは私の永遠の心の輝きだから、私より強くなって――ううん。私ほどじゃなくてもどんな人間より強くなって、私に挑んできてもおかしくないから。だから――」
「だから、僕は君が大好きなんだから、そもそも君に挑まないんだってば!」
グラニアの両手を包み込むように握りしめ、ルゥは叫んだ。
グラニアははっとしたようにルゥの顔を見つめたが、やがてそっと目を伏せた。
「……そうね、ルゥは、優しいものね」
「君はどうしたって、僕を信じてくれないよねえ。僕を信じてよ。僕も、君を信じるから」
「どうして? どうして、私なんて信じられるの?」
「僕が以前、『暴力はよくない』って君に言ったら、いつも君はそれをちゃんと――いや。いつも君なりに、守ろうとしてくれていたじゃないか」
「うん。私、ちゃんと守ったわ」
「うん。知ってるよ」
囁きかけるルゥに、グラニアはそっと顔を上げた。
ルゥの優しく、穏やかな青色の瞳が、グラニアを見つめている。暖かな、青い空の色――。
「ルゥ。私もたぶん、貴方が好きよ。魔女だけどきっと、貴方が好き――」
「あはは。君が僕のこと好きなんて、ずっとずっと知ってたよ!」
ルゥはグラニアを抱き締めた。自分よりも遥かに背の高い少女を、力強く抱き締めた。
横で見ているクレトは、もうこれ以上この場にいたくないと思い、空気であることを心がけていた。
「……ねえグラニア。僕の万が一の才能、全部芽生える前に止めちゃったんだから責任取ってよ」
「責任って?」
「(ここぞと言う時に鈍いのはコイツの勿体無いところだよな)」
横で気配を殺しながらクレトは思った。木とか草になりたいと思いながらひたすらじっとしていた。
一方のルゥはというと、照れくさそうに「あー」とか「えーと」、とか声をあげたあと、またグラニアに視線を戻して、赤く染まった頬を掻いた。
「結婚しよう」
へへ、とルゥは笑った。
「本当は、僕が結婚できる年齢になってから申し込むつもりだったんだけど。でもまずは婚約の申し出を――ってグラニア? 聞いてる?」
「き、聞いてるわ! あなた何を考えているの!?」
「なにって、今言ったとおりだけど……。ほら、薬草買った時に婚約指輪も買いたかったんだけど、サイズ分からなくて……」
「……私、お姫様じゃないわ。世界の混沌全てを寄せ集めてできたような、そんな存在なのよ? そんなのと、あなたは――」
「いいよ。僕だって別に王子様じゃないし。それに僕は教会側の人間だから、王族と結ばれる可能性なんてそもそもゼロだし。する気もないし。そんなこと気にしなくていいよ」
とうとう言葉を失くしたグラニアに、ルゥはふと視線を落とした。そのどことなく気まずげに伏された目に、グラニアは目を丸くした。
「……でも僕、その前に、君に謝らないといけないことがあるんだ」
「あなたが? 私なんかに?」
「うん。クレトにはもう聞いてもらったんだけどね――」
ルゥは、先程クレトに話したことを再度、グラニアに説明した。グラニアは最初に一瞬だけクレトを睨み付けた後はずっと、大人しくルゥの話を聞いていた。
「……だから僕は、君に謝らなければいけないんだ」
「ルゥ、勘違いしてるのね」
今度は、グラニアが微笑む番だった。彼女の笑顔はどこか儚げで、静かに澄んだ雰囲気を漂わせている。
「貴女に出会う前の私は、何者でもなかった。ただ、そこに在るだけ――だから、出会う前の私なんていないの。ルゥに出会ってからの私が、今の私の全てなのよ」
「……だけど、『悪い魔女』なんて。君が自分のこと、僕に討伐されるような存在だって、思うのは――」
「違うの。私、あなたに理解される存在になりたかったの。あなたの生きる世界に在る『何か』になりたかったの」
驚き、声もなく顔を上げたルゥに、グラニアは照れたように頬を染めて笑った。
「本当ならあなたと同じ人間になりたかったけど――なりたいって思うようになった後でも、私、それだけはできなくて……。私ったら、ひどいのよ。欠片も人間らしく振る舞えないんだもの」
「グラニア、」
「人間がね、私と同じような存在には見れないの! 面白いし好奇心は惹かれるけど、尊べない……でも、これが分かるようになっただけ、成長したって思ってね。でも、ここが私の限界かも」
泣き笑いを浮かべていたグラニアは、そこで俯いて涙を零した。
「そんな私のことを、誰が許してくれるっていうの……」
「なに言ってんだよグラニア。僕が許す。あとクレトも許すってさ」
「え、俺!? いや、俺は許すも何も、そもそもがどうでもいいんだが……というか、俺ら二人が許したところで……」
「ふざけたことほざかないでよ、クレト。僕が許す。世界が許す。世界に選ばれた僕が許す。僕一人を選ぶような世界だ、僕が許せば世界が許すんだよ」
困惑しながらもクレトはその瞬間、あの時のことを思い出した。二人、宿の一室で話しあったときのことだった。
――だから、そんな世界なら救ってやってもいいかなって、そう思うんだ。
呆気にとられたクレトに、ルゥは微笑みかける。
「クレト、これがいつかの答えだ。だから僕は、勇者なんてやってるんだよ」
『……今更だけどよ、なんでお前、勇者なんてやってるんだ?』
いつかの問いが、クレトの脳裏をよぎった。
「(……やっぱり、こいつもこいつでおかしいんだよなぁ)」
クレトは諦めの溜息を吐いて、それから、力の抜けた笑みを浮かべた。
「……まあ、そんなお前らに付こうとする俺も、よっぽど酔狂なのかもしれないけどさ」
「僕ら三人、変わり者同士で悪くないさ。ね、グラニア?」
「ルゥ……ありがとう…………。あと、クレトも、ありがとう……」
明るい笑顔で頷くルゥの横、クレトは「どういたしまして」とため息まじりに呟いた。
「さて、これからどうする?」
「先は長そうだなあ」
「長いからこそいいんじゃない。僕達の冒険はまだまだ続く!」
「冒険の前に、この辺りの片付けだけなんとかしないとな……」
クレトは周囲を見渡す。力を失い、地に伏せた大量の茨。少しだけドーム状の壁として、クレト達の姿を隠してくれている。
「グラニア、兵隊さんたちは無事だよね?」
「ええ。殺してはないわ。さっきの爆発で、意識はすべて刈り取ってしまったけど……」
「それは放っておけないね。泥棒が来るかもしれないし。彼らが起きるのを待って、彼らが起きたら――そのまま、片付けに協力してもらおうか」
「大丈夫よ、ルゥ。私に任せて。私が原因のことだもの。私が全部片付けるわ」
「そんな。僕らだって手を、」
貸すよ、という言葉は続かなかった。その前にグラニアが手を叩くと、茨は一瞬で黒い灰と化しほろほろと崩れ落ちた。そしてそのままグラニアが手を動かすと、風が吹きすさびその灰を全てどこかへと運んでいった。
ルゥとクレトは無言でそれを見送った。グラニアは褒めてもらいたがる子どものような目でルゥを見つめている。
「ええと。さすがだね。グラニア」
ルゥの言葉にグラニアは笑い、そしてクレトにドヤ顔を見せつけた。
死ぬほど面倒臭いなと思ったクレトは「すごいですね」とだけ言ったのだが、グラニアは満足げだった。
やがて気絶していた兵たちが目を覚ましたので、ルゥ達は事情を説明しに行った。
最終的に、この土地自体の魔力の暴走の結果おきたことであり、勇者としてルゥがそれを収めたことにした。
「なるほど。さすが勇者様。……」
兵たちを統率する隊長は、そこでちょっと無言になった。
ついさっきまで居なかった見知らぬ女が、ルゥにぴったり引っ付いて、食い入るような目でルゥだけを見つめているためだ。そしてルゥもクレトも、当たり前のようにそれを受け入れている。
「ええと、そちらの方は?」
「ええと、新しい仲間です。魔法使いなんですよ」
「なるほど」
全然なるほど、というような声ではなかったが、それ以上ルゥ達も説明する気はなかった。
隊長もそれ以上言及することはなかった。そしてそのまま任務完了という報せとともに帰っていった。
「じゃあ俺達も行くか」
「うーん。次はどこにいこうか?」
「さあな。どこに行ったってやることは変わらないだろうし」
クレトがこの地域の地図を取り出す。
ルゥはふとグラニアの方を振りかえった。
「ねえグラニア」
「どうしたの、ルゥ」
「信じてよ。僕のこと。そしたら僕、いくらでも頑張れるんだ」
恥ずかしそうに笑うルゥに、グラニアは目を丸くした。
それから、幸福とともに微笑んだ。
「ええ。信じるわ」
今度はルゥが目を丸くする番だった。彼は今聞いたことが信じられないという顔で、グラニアを見つめている。
そしてグラニアは生まれてはじめて、心の底から声をあげて笑ったのだった。
完結です!
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