第一章 二階堂絵里《永久歯》永久消失事件4
「二階堂絵里は知ってるだろ」
「あのいいとこのお嬢様だろ」
深窓の令嬢みたいな見た目の奴が皮肉げに嘲笑って差したのは、我ら霞ヶ丘小学校同級生の中でも、モノホンのお嬢様だった。言っても私立、小中高エスカレーター式の学校である。通っているのはそれなりに裕福な家庭の子が多い。ただ、その中でも二階堂絵里は頭一つ抜けてお嬢様だったというだけ。そう、だった。
県内に十店舗を構える家具店の社長の娘。小学校三年生時点で確かその店舗数で、今後数年でさらに数を伸ばすことになるんだが……。俺のいた現代では、大規模チェーン店進出の波に押され、その店舗数を一気に減らし、終いには倒産まで追い込まれることになる――まあ、そのへんは俺の知ったことじゃないんだ。不祥事がどうとかも絡んでいたような気がするが。
「あの子がどうかしたのかい」
おや? と、俺は思う。
接点など殆ど無いと思っていたのだが。愛の態度は随分二階堂に対して思うところあるようだ。
「校庭の隅っこに回転塔ってあるだろ?」
「あるね」
愛が頷いた。また指をくるくるやった。
回転塔。
平成中期頃までは公園や学校でよく見かけた遊具。
真ん中に背の高い支柱が立っていて、そこに大きな鉄の輪が、鉄の鎖で繋げられ吊り下がっている。輪の部分は掴める程の高さと太さで、鉄の鎖と輪は支柱の回りをぐるぐると回転するように出来ている。
必然、輪を掴んでいると体に強い遠心力が加わる。それだけの遊具。
それの何が楽しいんだと思われる方も大勢いるだろう。が、強い遠心力が加わる、それだけで楽しいのだ。子供にとっては。大人だって楽しいかもしれない。
「あれは、俺のいた時代ではほぼ全滅している」
「全滅? 何故?」
「撤去されたんだ」
もちろん、規制され、見かけなくなった遊具はもっとたくさんある。だが、回転塔は中でも抜群に危険度が高かった為、真っ先に規制の対象になった。
「怪我人が続出したんだ。いや、これまでもずっとしていたんだろうな。それでやっと、と言うべきか、目を付けられ始めた」
「ああ」
と、愛は納得するように校庭の方を見やった。ここからだと木の影になっていてよく見えないが、きっとあの木の向こう側では、今日もあの凶悪極まる楽しい遊具が、いつか出るであろう犠牲者を今か今かと待ち構えているのだろう。
撤去された遊具がアレばかりでないことは言わないでおこうか。こいつが外で遊ぶとは思えんが、今後の楽しみを奪うような事を言うのもあれだし。
「でも、絵里ちゃんって、休み時間は体育館に行って友達と一緒に一輪車で遊んでるだろ?」
「ちゃん」
「?」
「いや」
首を傾げられた。愛が「ちゃん」っていうのが何かおかしくて口を付いてしまったが、いらん発言だったようだ。俺は首を擦ってから次の言葉を紡ぐ。
「確か……放課後だ。珍しく女子たちと遊ぶことになったんだ。そう、雪。いきなり雪が降ってきたんだよ。それでみんなテンション上がって……。皆が外へ出たがったんだ。いつも放課後残って遊んでる奴ら全員がな」
思い出すように喋る。
いまいち曖昧な部分もあるが、概ね間違っていないはず。
「君も?」
「うん。俺もいた」
問い掛けられ、あの時に戻ったような気がしてくる。昼休みの終わり、それとも五時間目の終わり際だったか。窓の外を見ると雪が――
「あ、ほんとだ。雪」
愛が呟いた。
言った通り、ぱらぱらと雪が舞い始めていた。景色に記憶が想起される。
「回転塔から吹っ飛んだんだ」
正しく、彼女は吹っ飛んだ。
「勢いに負けて。回転塔が回転する勢いに負けて、二階堂絵里は回転塔から手を離した。遠心力が加わり、勢いに乗った体はそのまま先にあった――鉄棒か……雲梯だったと思う――の柱に顔から突っ込んだ」
そして、
「顔面から突っ込んだ二階堂絵里は前歯三本、生えたばかりの永久歯三本を失う大怪我を負った。顔中血まみれで、痛みに絵里は大泣きして、先生が飛んできて、絵里は途中失神して気を失い、すぐに救急車が呼ばれて搬送されたが、失った永久歯は二度と戻ることはなかった」
俺は、
「俺は、それを横で見ていたんだ。すぐ横で」
動くことが出来なかったのを今でも後悔している。