第六章 少女の王国 20
チャプター20 いつかの土曜日。
「あげる」
「いりません」
夏希は同年代の女子のようにそこまでかわいい物に目がないという程ではない。見てくれはあまり気にしない方だと自負している。しかし、目の前のコレは幾ら何でもという話だった。それ以前の問題でもあるのだが……。
「つぶれたお饅頭みたい」
「つぶれまんじゅうだってー。ひどいねー夏希ー」
「うーん」
視線を猫らしき物体へと合わせる。夏希の記憶の中にある猫と違う。テレビで見たことあるアレ。そう、パグにだったら見える。猫には見えない。
「顔だけに模様付いてるせいで他がハゲに見えるね」
「夏希ってけっこう毒舌?」
「そんなことない」
反射的に応えた。最近、愛や菊と一緒にいることが多いせいで感染ってしまったのかもしれない。椿はそうでもない方だ。どうでもいいことを頭に浮かべつつ、腹を擦ってみる。
「に」
やっと鳴いた。ちょっとかわいい。
「なんであたし……」
いろはは家に唐突にやって来た。何の約束もしていなかったため夏希は驚いた。嬉しかったと同時に迷惑だった。まだ洗濯物干し終わってない。あんまり放置してると臭くなっちゃいそう。いろはの相手して、それから今日の買い物となると夕方以降になる。土日は混んでいる。行けなくはないがあまり気が進まない。冷蔵庫何か残ってたっけ。
いろはは何かカゴを携えていた。割と大きめのカゴで前部が金網になっていた。首を傾げてみせても、いろはは微笑んだまま何も喋らない。何だろうと覗いてみたらコレがいた。
貰ってくれる家を探しているのだろうか。
とりあえず夏希の部屋に通し今に至る。
「失った物はべつの何かで埋めなければならない」
「はい?」
「等価とはいかない。私でもそれはむり。失ったものの大きさは計り知れないもん。自覚症状がないのは一番危うい。夏希が何をどこまで知覚して自認しているのか知らない。けれど、認識させるには大き過ぎる問題だとも思う。でもね。放置はできないんだ。私は見てきたから。失った物を別の何かで補おうと必死になって潰れていく人の姿を。この目で」
いろはが右目を指差した。そこには空洞が広がっているだけ。
「はい?」
もう一度夏希は言った。構わずいろはは喋り続ける。
「空虚を埋めようと大抵の人は藻掻き、足掻く。知ってる? 知らないでしょ? そこに付け込む悪い大人っていっぱいいるんだ。世の中にはね。ほんと、そのへんにいっぱい。蟻みたいにいるよ。大人だけじゃないかもね。だからこそ放置しているのはよくない。傷は膿む。そこに何れ天使のふりした悪魔がやって来る。何かで埋めなくちゃ。ね? 貰ってくれる?」
ちりん――、と鈴が鳴った。
「う」
夏希はこの音が苦手だった。風鈴のような涼しい音色とは違う。想像でしかないが、教会にある大きな鐘のような荘厳な響きとも違う。甲高く、障る音。
意識が、少し、持っていかれる音。
「…………お母さんに訊かなくちゃ」
やっとの想いでそれだけ口にした。そもそもだ。うちは動物を飼ったことがないんだった。
「お母さんは私でしょ?」
ちりん――。
もう一度、ダメ押しのように鈴が鳴った。




