第一章 二階堂絵里《永久歯》永久消失事件3
「元気ないねえ。人生ボーナスステージじゃないか。プラス二十五年くらい貰ったってことになるんだろ?」
そんな計算になるんかね。プラスというより、今までの分帳消しになったような気分なんだが。俺の人生返せよ。
「戻れる方法があるとは思わないのか」
「良夫くんはあると思うのかい」
訊かれて黙る。
未来へ行く方法。そんなもんがあったら誰だって知りたいだろう。
確かに――。
予知。明晰夢。前世の記憶。生まれ変わり。デジャヴュ。
不可思議な現象は世の中ありふれているんだろう。そこに意味を見出す人も大勢いる。だが現実問題見い出したとして、そこに明確な回答が得られるとは限らない。むしろ殆どないことが大半だ。大抵は起こったことを当人が素直に受け入れるだけで終わる。
理解は及ばずとも。手に負えずともな。
それを愛から指摘されたことで意識し、俺の得た感想といえば……。
「めんどくせえな」
嘆息する。これ以上ないってくらいに面倒くせえ。
「人生やり直したいと思ったことはないのかい?」
「ない」
断言する。
「前向きだねえ」
感心するように身を引き愛は腕を組んだ。その動作にふっとおかしくなった。
「後ろ向きなんだよ。知ってるか? 良かったことより悪かったことの方が、人間はっきりと覚えてるもんなんだぜ」
「知ってる」
少女は膝に手を置き静かに微笑んだ。続けて言う。
「ただ」
「ただ?」
「現象、それ事態に物語性はなくとも、そこに物語性が生じないとは言っていない。むしろ、全てを知っている君だからこそ、起こり得る物語もあるのかもしれない」
俺は、愛が一体何を言おうとしているのか、いまいち分からない。
「悪かったことって例えば?」
「んーあ? あー、例えば俺は外で遊ぶのは嫌いじゃなかったんだが、実際運動神経は鈍くってな。体育の授業なんかは大嫌いだったよ。ドッジは好きだけどバスケは嫌だった。球技が嫌だったんだろうな。苦手な奴だっていた。そいつらとまた今後数年一緒だと思うと気が滅入る。それから」
「じゃなくって」
俺の言葉を遮り、少女は問う。
「避けなければならない事態や事件」
それで分かるだろと云わんばかりに目線で問うてきた。俺は微かに首を傾げて示す。愛が唇を尖らせた。阿吽の呼吸とやらを期待しているんだろうか。すまんな。俺の頭はぽんこつなんだ。
「悪かったことはよく覚えているんだろ? だったら、それは知っているから今後避けられるじゃないか」
「嫌なことばっか避けて生きてたら人間ろくでもなくなるぞ」
愛が唇を尖らせる。
「そういうことを言いたいんじゃない」
「理解ってるさ」
云わんとしていることは分かったよ。ええっと。小学三年時、冬、一月となると――。
「あ」
「何かあったのかい」
再び身を乗り出してくる少女に、俺はため息をつき視線を逸らす。
……あった。あったわ。
戻れるなら戻ってやり直したい、起こったこと事態を無かったことにしたい事件がな。自分事じゃないから、今日の今日まですっかり忘れていた。けれど、こうして時を戻ってみて思い出した過去の嫌な記憶。
俺たちの間で語り草となった、口にするのも躊躇われるその事件の名は。
「二階堂絵里《永久歯》永久消失事件」
「なんだい。その悪趣味な名前」
告げた言葉の不穏な響きに愛は嫌そうに顔を顰めた。