第六章 少女の王国 14
チャプター14 馬鹿の考え
下川夏希。彼女は小学校三年生後半のとある騒動を境にして彼女の足元に敷かれていた人生のレールを盛大に外れてしまったわけであるが、外れてしまったということは本来辿るべきだった道筋があったはずであり、彼女と一緒のクラスで長い年月過ごしたことのある俺はそのレールがとても無難で穏やかなものだったと知っているし信じている。
傍から見る限りにおいては。
少なくとも、後藤いろはが関わってくるなんてことはなかった。
俺が辿ってきた道筋こそが本来の歴史であり、正史である。今の夏希は間違ってる。だから正した方がいいんだ。……なんて言うつもりはないし、夏希からしてみても横から俺が知ったような顔で口出ししてきても嫌だろう。しかし、それでもこれは良くない歴史だと俺は思う。下川夏希にとって。
責任感、というのはもちろんある。何か出来たんじゃないのか、と。
今更起きたことは覆せない。そこをくよくよ考えていても仕方がない。ごちゃごちゃ理屈を捏ねくり回すつもりもない。俺に出来ることがあるとすれば思い出すことで、本来の歴史において俺の知っている下川夏希はどうであったのか、ということ。
あのままだった。誰にでも――当時まごまごしていて言いたいことを強くはっきりと言えない俺みたいな奴でも積極的に接してくれて、気の弱い男子ならば誰でも勘違いさせるような、そう、イメージ通りの下川夏希だった。
何が言いたいのかというと、夏希は本来、後藤いろはから興味を持たれるような人物じゃなかった、ということだ。
いろはが興味を持つのはあからさまに問題を抱えてそうな奴だったり、何かを秘めていそうな奴であって、夏希は外から見る限りにおいてそういうのとは無縁の存在だった。無論、その内側は知らない。知っていたとは言っても、そこまで踏み込んだ会話はなかったから。あっちでもこっちでも下川夏希は何かを内に秘めていて、それを見せないよう必死に生きていたのかもしれない。だがそんなものはみんなそうだ。皆内側には何かを秘めている。外側から見えないだけ。ただいろはも万能じゃないから。いろはが何人もいるわけでもないから。だから、あっち側ではあからさまに問題を抱えてそうな奴に興味がいった。
夏希と関わりになることはなかったんだ。
俺の知ってる歴史において、夏希といろはには接点がなかった。
つまりである。
元の交友関係が広い、誰とでもわけ隔てなく接する夏希。好かれる少女。当然、そんな夏希が一人でいるわけがない。四年生クラス替え以降、そんな夏希と急接近した少女たちが二人いる。
牛頭寧々(ごずねね)と馬頭向日葵である。
あっちでもこっちでも俺と卒業まで一緒の同クラス。元六組、現四組のリーダー的存在。クラスどころか、学年でもトップの女子。ヒエラルキー、その頂点に立つ二人。
色恋沙汰大好きなあの二人は、複数の男子から想いを寄せられる夏希に目を付けた。夏希自身男子との恋愛に興味あったのかは疑問だが、四年生五年生六年生と学年が上がるに従って告白される数が多くなってきたり、告白とまではいかずとも「あの人が夏希のこと好きらしいよ」なんて会話に応じないわけにもいかない、戸惑いながらも楽しげに話していたのを今もよく覚えている。……だって気が気じゃなかったからな……。閑話休題。つまりさ。何が言いたいのかやりたいのかというと、本来の歴史に戻してあげようかなという試みだよ。今夏希はいろはにべったりだしな。まず、俺が牛頭寧々と馬頭向日葵と関わる必要がある。親しくなってきたところで夏希に興味の目を向ければいいだろう。話題はアレだ。俺も夏希のことが少し気になってたんだ。とかそんなんでいいだろう。なんせ事実だし。
「よう。いや実はな? ずっと話してみたい仲良くなってみたい一体どんな子たちなんだろうと思っていたんだ。せっかくこうして一緒のクラスになれたことだし。これから仲良くしていきたいじゃないか。元六組だろう? 知ってるよ知ってる。目立ってたしな二人とも。人の色恋沙汰には目がなくってみんなの好きな人とかにめっちゃ詳しいんだけどもそんな二人の好きな人が誰なのかは誰も知らない。気持ち悪い? はは。まあ、そう括って貰っても構わないけどさ。自分の気になっている人がどういうモノに興味を抱いているか。何が好きなのか。どんな人なのか。知りたいって気持ちはあるだろう? 事前に知っているからこそ、もしかしたらこんな俺なんかでも多少会話出来るんじゃないかって考えちまうもなんだよ。男女だからさ。そこはほら。気使うだろ。でもやっぱり気になってたからな。ずっと。本当に。正に。や。別に好きってわけじゃないんだけどさ。でも、二人のことをもっともっと知りたいと思っているのは事実だ。そうだな。お近づきの印に二人に絵をプレゼントするよ。実は俺、絵、イラストが得意でな? 好きなアニメや漫画のキャラクターでもいればそれ描くよ。何かあるか?」
「セル。第二形態」
「なんでだよ」
ものっすっごい疑わしい目付きでそうリクエストしてきたのは色恋大好きコンビの片割れ、牛頭寧々の方。喋り方が若干高飛車な方。
放課後の教室。固まって喋っている二人に俺は真っ先に近づいて行った。何の前触れもなく突如二人の元にやってきた俺を、二人は「なんだこいつ」とでも云わんばかりの視線でジロジロ見てきた。……大丈夫。慣れてるから。腐っても元営業だし。
という、想いであらん限りの好意を俺は二人に伝えた。はじめはこんなんでいいのだ。だんだんと慣れてもらえればいい。変な奴、とでも思って貰えれば御の字だくらいの精神じゃないと営業なんてやってられないぜ。漫画家も然り。まずは自分を知ってもらうこと。その為に自分の好きなことや得意なことを恥ずかしがらず隠さないこと。さらけ出し、相手に知ってもらうんだ。こっちは仲良くしたいとお願いしている立場。相手は上で、こちらは下なのだ。
好き勝手喋くり散らかす俺にやっと口を開いてくれた……のだが……。
「なに。得意って自分から言っといて出来ないの?」
「出来る。まってろ。あ。すまん紙あるか」
「ん」
牛頭は机の中から算数のノートを差し出してきた。とりあえず一番後ろのページを開きそこに描くことにする。
頭の中では無数のツッコミが湧いている。何で第二形態なんだよ、とか、ドラゴンボール好きなのか? とか、他にもっとなんかあるだろ? とか……が、今それをわざわざ言う時じゃない。俺も寡聞にして知らなかった。実は牛頭寧々はセル第二形態が大好き。ここでツッコんだが最後、それを否定しているように取られてしまう。仲良くなるどころか嫌われてしまう。なんて嫌だからな。人の好きなものは笑わないこと。
「描けた」
「うっま」
「……上手」
差し出したノートを覗き込む少女二人を見て一安心する。よかった。お気に召してもらえたみたいだ。心なしか牛頭の頬が緩んでいる。
「次あたし! 次あたし!」
ノートを広げニマニマしている牛頭を横目に片手を上げリクエストを示す馬頭。俺は精一杯の甘いマスクを意識する。
「いいよ。何がいい?」
「似顔絵。あたしのね。こっち。あたしのノートに描いてね」
「よしきた」
そういうのが欲しかったんだよ。ノートを受け取る。俺はあらん限りの画力を尽くし馬頭を描く。真正面からじっと見つめる視線にだんだんとむず痒くなったのだろう。馬頭は視線を逸らした。
「動かないでくれ。こっちを見て」
「……ん」
「ありがとう」
若干の躊躇いの後、再度こちらに向き直ってくれる。その小さな行為ひとつひとつに感謝を入れつつ、俺は精一杯盛る。かわいく。とにかくかわいく。
「できた」
「上手」
「……ほえー」
一見するとよくわからんリアクション。溜息の付き具合や唇の動きを見る限りは、感心と驚きが入り混じってパッと返事が出来ないってところだろうか。俺の希望的観測じゃなければだが。悪い評価じゃないってことは確かだな。
「これ、貰っていい?」
「もちろん。その為に描いたんだからな。お近づきの印だ。ま、今日はこんなところで」
「え? もう行っちゃうの?」
「そうよ。そっちから近づいといて離れちゃうの?」
「悪い。こっちから近づいといて何だが用事があること思い出したから離れとく。じゃあな」
「ばいばい?」
「さよなら?」
戸惑いの表情浮かべる二人を尻目にさっと離れた。ふふふ。こういうのは引き際が肝心なのだ。駆け引きで、繰り返しだ。
いきなり入って行ってこちらの要求を述べるより、数熟し、印象付け、会話しやすい関係性をまず創る。今日みたいなお絵かきプレゼントだって数熟すんだ。返報性の原理。与えられたらこっちも何かを返さなくてはという人間の心理を突く。
恋愛関係の交渉ごとで散々その手のことをやって来たという二人である。しかし、俺には与えられる情報が何もない。俺に出来るのなんて、せいぜいが、未来でお前らがどんな道を歩むのかを教えてやることか、今やったような落書きくらいだ。前者は頭のおかしい奴だって思われるだけだし、それが本人の望まない未来だった場合反感を買い兼ねない。何より面倒臭い。ならば絵だ。プレゼントだ。セル第二形態だろうが、フリーザ第二形態だろうが、デスタムーア第二形態だろうが、幾らでも描いてやるぜ。勿論、盛り盛りの似顔絵だってな。
「愛」
教室の入り口、扉に隠れるようにして愛が半眼で睨んでいた。俺はロッカーからランドセルを肩につっかけ走って近づいて行く。愛は俺が近づいて来たのを悟り廊下へと出て行った。
「?」
いない。廊下を少し進むと階段をタンタンと駆け下りていく赤いランドセル姿が。
はて?
そっちはどうなのか聞きたかったのに。ま、いいや。明日も学校だ。休み時間。懸念点はあるが、あいつも一緒に過ごす仲間が出来たみたいだ。向こうも頑張ってるんだ。俺も数熟して牛頭馬頭と親しくなっていくとしよう。




