第一章 二階堂絵里《永久歯》永久消失事件
「す、すいません。起こしてしまったみたいで」
独り言を聞かれていたことによる照れと、病人の眠りを妨げてしまったことによる焦り、罪悪感で、俺は見えるはずもないのにカーテン越しにベッドの上でぺこぺこ頭を下げた。
長い営業職時代で培った技術とも呼べない技術。
見えてなくても、電話越しでの態度って意外と伝わるんだぜ。気をつけような。だから俺は基本謝る時はオーバーに、例え相手に見えていなくても、を心がけている。最早癖だ。
「変な喋り方をするね。今日は昨日までとは別人みたいだ。それとも本当に別人なのかな?」
「えっと」
変な喋り方。お前じゃいと叫びたくなる。相手、小学生だよな。って、あ。
『そんなに気になるなら保健室行けよ』
『とぼけんなって。どうせこっから先そこで寝てんだろーし』
松司の言葉を思い出した。そうか。いつも保健室で寝てる子。そしてたまに授業に出てくる子。
――崎坂愛。
全部思い出した。
小学校時代の同級生。
その名前に、心が、ずっしりと重くなる。
それほど、どころか、ほとんど会話らしい会話すらしたことが無かったはずだ。隣の席だったことがあるってことも改めて驚きなくらい。
忘れていたのか、忘れていたかったのか。
この子の未来を知っている身としては……。
俺は。俺にもし、出来ることがあるとすれば――。
「ところで良夫くんはトランクス派なのかい。大人だねえ」
感慨に耽っていた思考がすっぱりと断ち切られた。
「あいや違くて。パンツってかキャラクター、って。あ、俺今ブリーフなのか」
どうりで。これ絞めつけきつくて苦手なんだよな。尻のへんがむず痒かった。
「乙女に男性の下着事情をあまりせきららにするものではないよ」
「あ、すまん。いやでも訊いてきたのはそっち」
「ちなみにわたしはコットンパンツ派だ。履き心地が良いからボーイズレッグが好きだねえ」
「それは訊いてねえよ」
「トランクスよりはバック・トゥ・ザ・フューチャーじゃないかい?」
「どっちも変わんないだろ、それ。タイムマシンなんて物があればまだ良かったんだけどな。いきなり身一つで放り出されても、って、あ」
「ふうん。そういうこと」
得心いったのか少女が頷いた。無論、カーテン越しである。見えるはずはないのだが、ただなんとなく、声の調子的に、顎に手を当ててふんふんとやっている様子が目に浮かんだ。
そういうのは意外と伝わるんだ。
シャッとカーテンが開かれる。突然の西陽に目が眩む。神々しい光を背負った真っ白な肌の病的な少女。黒いセーターと白いベッドの対比がどこか不吉に映る。
崎坂愛がベッドの上で正座していた。
崎坂は言う。
「君の言う言葉を信じよう」
「まだなんも言ってねえよ」
俺は呆れて返した。