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第三章 霞ヶ丘小女子児童自殺騒動10

 チャプター21 愛、反省す。


 愛は読んでいた文庫本を枕元に伏せた。

 タイトルは『ガダラの豚』。計三冊に分冊されており、第一部となる新興宗教編では、怪しげな宗教団体の手口が事細かに記されていた。

 単純な好奇心もあったが、今現在、愛、良夫、レン、及び、この霞ヶ丘町全体が陥っている――ような気がする――状況に不安になり、なんとなくの説明が得られるんじゃないかという淡い期待の元、父に購入を頼んだものだった。

 父は大変に厳しい人だが、愛のその繊細な性格を慮ってか必要以上に良くしてくれる。愛もそれに甘えている。父自身の立場が、愛に友達が出来にくい原因なんじゃないかと父は思っている節があり、愛はそれに気が付いてもいた。愛はそれを最大限利用して現在の立場を築いている。

 保健室登校万歳。教室になんて行きたくない。図書室で本を読んでいたい。おばちゃん先生とお話している方が好き。みんなみんなよくわかんない。

 もちろん父に原因などない。原因は大体が愛の性格にある。興味のあること以外には冷たく接してしまうのだ。困ったことに。斜に構えてもいる為、反感を買いやすく、その癖臆病で意気地がないことも、この状況を長続きさせてしまっている要因である。

 ……この辺りは父の怒った時の剣幕があまりに恐ろしい為、父に原因がある。猟や勉強に関して父は大変に厳しいのだ。感情のアップダウンがとんでもない。だから、教室に行かずとも、勉強は必死にやっているし、猟にくっついていく時は全力だ。

「はあ」

 布団の中で天井を見上げながらふと溜息をついた。

 酷いことを言ってしまった。良夫じゃなくて。絵里ちゃんに対してである。吐いた言葉の罪悪感は圧倒的にそっちの方が大きかった。

『絵里ちゃんなんてもっと嫌! 友達なんてごめんだ!』

 布団を頭まで被った。

 良夫はどうでもいい。あれは反省をしない性格だ。学ばないタイプ。陸や松司と同じく自分を客観視出来ないタイプであろう。たぶん、また登校したら性凝りもなく向こうから寄って来るはずだ。だから大丈夫。たぶん大丈夫。絶対大丈夫、な、はず。

 ただ、

 絵里ちゃんを、絵里ちゃんのいないところで、ああいう風に言ってしまったことには、如何とも言い難い罪悪感を抱いていた。気持ちがもにょもにょとした。この前からずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとである。

 体調は悪い。妙なことも起きている。不安はどんどん膨らんでいった。言い触らされて嫌われたらどうしよう。絵里ちゃん絵里ちゃん。

「はあ」

 何かある事に愛に明るく話し掛けてくれる絵里ちゃん。他の金魚の糞みたいな二人は愛を嫌っている風なのに、ああして毎回毎回声を掛けてくれる絵里ちゃん。

 愛はいつも思う。まず、その後ろの二人をどこかにやってくれ。それからなら仲良くしてあげてもいいよ。もちろん思っているだけだけど。

 愛は絵里ちゃんが嫌いなわけじゃない。

 絵里ちゃんの家が嫌いなのだ。

 不法投棄のあの現場――大きな岩の山は、あの土建会社、階堂組が築いたものである。

 父も再三やりあっているみたいで、向こうも向こうで一端は了承はしてくれたのだが、一度崖底に捨てた物をもう一度引っ張り上げるのはかなりの労力がいるらしく、これまでのらりくらりと片付けを先延ばしにされていた。そこに、

 さらにあの家庭ゴミ粗大ゴミの山である。それはもう地層の如く。

 愛は、「まずはアレ、どかしてもらわないとね」という、土建会社の責任者らしき男の声が忘れられなかった。舐めた態度。松司よりは陸っぽいあの感じ。父と男が話し合っているのを廊下で聞いていた時、愛は飛び出して引っ叩いてやろうかと思った。

 腹が立った。あの父が怒鳴らないことにも。そんなにも厄介なものなのか。ヤクザというやつは。

 ――鳥雲会に階堂組、空き巣被害に……。あと、

 ガダラの豚は大変面白かったが、参考になりそうで参考にならなかった。面白かっただけだ。小説としてはそれで素晴らしいのだが。

 警察が頭に浮かんだ。

 ――警察ねえ。

 未だに警察は愛の家をチョロチョロしている。ずっとチョロチョロしている。

 そもそもが変だと感じていた。

 言っても、ただの空き巣だ。幾ら銃が盗まれたからといってもあの人数はおかしいだろう。まるで小説で見るような殺人事件だ。

 ――ニュースで見た強盗。それも関係あるのかな。

 空き巣があった日に強盗もあった。珍しいこともあるもんだと感じていた。同一犯だったとしたら納得がいかなくもない。……が、やっぱり腑に落ちなかった。大げさだ。結局のところ家に人がいたかいないかだろうに。よっぽど、何かやったか。

 まず殺人が頭に浮かび、次いで自殺を連想した。

 自分が飛び降りている姿を思い描く。

 屋上。自殺と言ったら屋上だ。びゅうと吹く風。靴は揃えて置いておく。高い。高い高い。大勢の生徒が愛を見上げている。はらはらとなびく髪。その時の愛の表情は……。

「……」

 あまり、上手くいかなかった。六年生の自分というのが想像出来ない。

 高い所から飛び降りるというのはどんな気持ちなのだろう。生き辛さを感じている愛にとって、それはある程度は魅力的に思える。気持ちが良さそう。

 でも。

「わたしはどうして死んだんだろう」

 家庭環境に不満はない。与えられるべき物は全て与えて貰っている。やりたいことだって読みたい本だっていっぱいある。学校生活には多少不満もあるが、死ぬ程とはどうしても思えない。無論、先々は想像しかできない。この先、死ぬ程の嫌なことが待ち受けている。お先真っ暗。不安でいっぱい。これからこれからどうしよう。なんて悩むところだろうが、現実感がなさ過ぎてどこか他人事。

 死ぬ。自殺。はあ。そうなんだ。へえ。くらいの気持ち。

 何か継続して嫌なことが続いていて、さらに、突発的に嫌なことがその日発生した、というのがやはり妥当な線か。

 死ぬほど嫌なことってなんだ。

 愛は布団から顔を出した。キョロキョロと辺りを見渡し、それが遠く、手の届かない場所にあるのを確認すると眉を寄せた。

 そして、腹に思いっ切り息を吸い込んだ。


「パパ~っ!! そこにあるご本取って~っ!! パパ~っ!! ねえ~ったらぁ~!! 二巻!! 二巻が読みたいの~っ!! 取れない~っ!! 取って~っ!! パパ~~~~っ!!」


 ドッタンドッタン廊下を走るやかましい音が愛の部屋まで聞こえてきた。

 愛は布団の中でニコニコしている。


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