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第一章 二階堂絵里《永久歯》永久消失事件9

 あの後。

 泣き喚く絵里を必死で宥める菊や椿たち女子を尻目に男子たちの反応は様々だった。へらへら笑っている者、しらけたような顔してすぐ別の遊びに向かおうとする者――松司だ――、心配そうな表情を浮かべ、けれど何も出来ずに立ち尽くす者。

 ま、そうだよな。小三なんて。責任の何たるかなんて分かっていない者も多い。やっぱり女子と遊ぶとこれだから、なんて心の声が聞こえてきそうなため息を、俺の耳ははっきりと捉えていた。

「松司」

「あ?」

 受け止めた絵里を女子たちに任せ、俺は去って行く松司を呼び止めた。傍らには陸もいる。が、陸は何も言わなかった。面倒くさいと顔に書いてある。

「謝っとけよ」

「なんで俺が。手ぇ離した向こうが悪いんだろ。だいたい、何でお前に言わなくちゃいけねえんだよ」

 俺は考える。

 この手の、謝るに謝れない子供を反省させるとしたらどうすればいいのだろう? 同じことが起きてからじゃ遅いのだ。その時は誰かが大怪我をしている時。

 今は松司も冷静に見えるが、内心興奮しているはず。一日経ったら冷静になるはず、なんて目論見もあるが、一日経ったら女子たちと気まずくなるのは目に見えている。

 それじゃあ遅い。

「あのままいったら大怪我してたかもしれない。雲梯があった。骨折、いや、顔面からいったら最悪――」

「行こうぜ、陸」

「ん、ああ……」

 松司が鼻で笑った。背を向ける。どうすりゃいいんだ、というように陸が俺に顔を向けた。

「絵里の家、知ってるだろ」

 松司が足を止めた。振り返る。

「知ってるって?」

 ぶっきらぼうな声。だけど、先を促すような声で訊いてきた。

 よし。とりあえず興味を引けたらしい。皆知っての通り、絵里の家は有名だから。

 俺は言葉を探す。少し溜め、ゆっくりと喋ることにする。

 相手に理解出来るように。相手が子供でも伝わるように。言葉が染み込むように。恐怖を起こせるように。なるべくゆっくりと喋るよう。

「……後で、この事言われたら、相当面倒なことになるぞ? お前の親にまで連絡いく可能性がある。乗り込んで来るとかな。裁判なんてことにはならないと思うが……。誰の口から絵里の親の耳に入るか分からない。その前に、子供たちの間で解決しといた方がいいと思う。何にも無かったですって。お互いきちんと納得して謝りましたってことにしておけば、話はここだけで済む……はず」

「なあ、松司、謝っとこうぜ。絵里の家って」

「確かに、そうかもな。わりぃ、良。行ってくるわ」

 陸が松司の肩を小突き、松司がぶるっと身を震わせた。そうして、女子たちの元へ駆け寄って行く。通り過ぎ際、

「あー。ありがとう。良夫」

 と、どこか気恥ずかしそうに言ってくる松司が印象的だった。




「ありがとうね」

「礼なら絵里……ちゃんを受け止めた愛に言ってくれ」

 ベッドに座る愛を指差した。

「あれ? いつの間に呼び捨て?」

 なんでそこそんなに気にするんだろうな。

「わたしは許可した覚えはないが」

「今まで何にも言って来なかったじゃないか」

「今はじめて名前を呼ばれた気がしたんだが、わたしの気の所為だったか?」

「え、そうだっけ?」

「ねえ。じゃあ、わたしは許可出すから呼び捨てで呼んでもいいよ」

「許可制なのか」

「うん。許可制。今まで良夫くんだけ。女の子もみんなちゃん付けだから。あ、愛ちゃんもいいよ。助けてくれたお礼」

「まるでわたしがおまけみたいだ。わたしが率先して助けたのに」

「?」

 小学三年生相手に皮肉は通じないと思うぜ。

 きょとんした表情を浮かべてる絵里に俺は問う。

「絵里。歯は大丈夫か」

「は? はって歯? なんで良夫くん、わたしが歯生え変わったこと知ってるの? うん。前歯のへんがね。ぐらぐらしてたんだけどこの間でやっと生え揃ったんだ。もう大丈夫だよ? なんで?」

 絵里は不思議そうな表情をした。

 そりゃそうだろうな。なんでいきなり歯って感じだろう。俺は肩をすくめる。

「絵里。松司のしたこと許してやれよ。女子からガンガン言われて、昨日も今日も喧嘩みたいになってたけどさ。あいつも子供だからな。自分のやった行動で何がどうなるかってのがまだいまいち想像出来ていないんだ。今回のことだって少し考えれば分かりそうなもんだったんだろうが、そこまで頭が回らないんだ。分かってやってくれ」

「うん。分かってるよ? 菊ちゃんと椿ちゃんにも言っといたもん。てゆか良夫くん。大人みたいな喋り方するんだね?」

「大人だからな」

 首を傾げられた。

 そして、何かに気付いたようにパッと明るくなる。

「あ、ねえ。わたしも良夫って呼んでいい? それか、レンくんみたいに良って。そっちのが格好いいかな?」

「どうぞ、お好きに」

「それじゃあ、わたしも」

「お前は許可した覚えはないが」

「酷いじゃないか」

 愛が唇を尖らせた。

 おかしそうに、絵里が生え揃ったばかりの永久歯を輝かせて笑った。

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