第一章 二階堂絵里《永久歯》永久消失事件8
俺が呟くと同時、二人の人間が動いた。
まず、松司がジャンプした。勢いよく。
そして、愛が雲梯に登り始めた。決死に。
次に、松司が鉄の輪を掴んだ。同時に、回転塔ががくんと傾いた。
ぎいいい、と耳障りな音が鳴った。
その音を耳にし、勢い増し雲梯を上がった愛が這い蹲り、雲梯の、本来ならば登るべきではない上へと到達した。『火事場の馬鹿力』という言葉が頭を過ぎった俺は、皆と同じく、ぽかんと口を開け、ただただその行動を見ていた。しかし何も愛ばかりを見ていたわけではない。
松司が掴んだのとは反対方向、逆側の輪を掴んでいた絵里を見ていた。
正確には、宙に投げ出された絵里を見ていた。
遠心力と、てこの原理、慣性の法則、その全てが乗っかった絵里は、たぶん、その時、皆と同じくぽかんと口を開けていた。何が起こったのかさえ分からなかっただろう。真逆いきなり空中へ、四五メートル先へ吹っ飛ぶだなんて考えてもいなかったはずだ。
絵里が宙で一回転した。
まるで、後ろでんぐり返りみたいに。
この場合、バク宙だろうか。
顔面が、地面の方へ、雲梯の横棒、鉄柱の方向へと向く。表情は予想した通りのそれ。
そして、絵里の落ちる場所、その先に、
「ぐぇ」
鉄柱じゃない。愛がいた。
振り向き、絵里を受け止めた愛が蛙みたいな鳴き声を発する。
傾き、ぐらりと揺れた二人が雲梯から落ちる。
己の腕の中で泣き喚く絵里の存在と、渋い顔して呻く愛の存在で、俺はやっと自分が動くことが出来たんだと知った。
「なーにが、『知ってるか? 良かったことより悪かったことの方が、人間はっきりと覚えてるもんなんだぜ』だよ。何にも覚えていやしないじゃないか」
「申し訳ありませんでした」
ぴっちり斜め四十五度。綺麗な角度を意識し、俺は心からの謝罪を示した。しかし、何時まで経っても返ってこない応え。俺は訝しみ顔を上げる。
「大人からそんな風に謝られてると思うと……怖い」
愛がもの凄く嫌そうに顔を顰めていた。
俺は肩をすくめる。
「うーむ。相手が同じ背丈だとなあ。子供だと頭では分かっていても、相手も対等な大人なんだと接してしまうな。お腹周りとか、大丈夫か? 痛くないか?」
「……ちょっと痛いけど。大丈夫」
お腹を擦った。肋の辺りも。子供ははっきり肋が浮き上がってるから手の感触で分かるな。とりあえず折れちゃいないようだが。不安なんであちこち触ってみる。ぐっ、ぐっと押し込んでみる。
「どうやら大丈夫のようだな。何もない」
「発言を撤回しろ」
「は?」
怒ったような声がしたので顔を上げた。頬が赤い。
こうして見る限り熱はないようだが。
俺は疑問に感じていた点を尋ねることにした。
「よくあそこに絵里が降ってくると分かったな?」
愛はふんと鼻を鳴らす。
「絵里ちゃんのいた位置や松司くんの勢いでね。鉄棒の上に降ってくるって可能性もあったろうが、その時は雲梯の上から飛び降りて蹴っ飛ばすつもりだった」
「お前の方が怪我をしそうだ」
「だいたい、始めの千円の時に気付いてくれよ」
「あー……」
あれな。百円づつ出し合って千円ってやつ。あんなことが起きてしまって結局流れたみたいだが、その場に九人しかいない時点で気付くべきだったな。
「申し訳――」
「それはもういい」
腹、胸周り、一応背中、と擦っていたところでカラカラと、まるでこちらを伺うみたいに扉が開かれた。
「愛ちゃー……お邪魔しました?」
「? いや」
絵里が立っていた。
笑顔で。
俺の知っているあの頃の絵里とは違って、なんだか若干ぎこちない笑みを浮かべているけれど、たぶん、愛とそこまで仲良くないからであろう。
場所は保健室。時間は――、事件を解決した為、無事戻って元の時代……なんてことはなく、普通に翌日の放課後。




