人、獣に追わるること
昔、藍国に賢人あり。この者、諸国を漫遊し、己の見聞するところを以って書百遍を著す。賢人、盧国に招され、将に国境を越えんとするに、獣に遭う。其の丈九尺、尾四尺、牙五寸。賢人、これより逃れんと欲するも能わず。獣、甚だ俊なりて賢人忽ち足下に捕らえらる。
獣、曰く「今、吾、獣に形すれど、元より獣にあらず。問う、吾は何ぞ」と。
賢人答えて曰く「知らず」と。
獣、重ねて問う。「吾は天道に順う影なり。吾は低きに流れる水なり。吾は盆より落つる砂なり。吾は炎尽きる燭なり。然れど人は吾の真なる姿を知らず。再び問う、吾は何ぞ」と。
賢人答えて曰く「時なり」と。
獣、これを聞きて忽ち賢人を食らう。然る後に嘲いて曰く「是なり。而して吾は爾の今際の際なり」と。