1時間後から来ました。
「くそ、また三振か……」
午後3時前、昼下がりの公園のベンチで、俺はスマートフォンをにらみ付けながらつぶやいた。春も深くなり、五月下旬のこの時間帯では、もう温かいどころか、暑さも感じさせる陽気だった。
「この回も無得点、せめてこれ以上の失点は避けてほしいがなぁ……」
スマートフォンを横に置き、大きく伸びをしながら、また独り言をつぶやく。天を仰いでみると、わずかな雲を残して、透き通るような青空が広がっているのに気づいた。そして、公園で遊んでいる子供たちの笑い声や、大人たちの談笑が次々と聞こえてきた。
ああ、いいね。これこそ休暇って感じだよ。
今日は土曜日で、俺のシフトは終日勤務のはずだったのだが、急な変更がはいって、午後の勤務が取り止めになった。期せずして休暇を得ることになったものの、俺には昼食をとった後の予定が何も無かったのだ。とくに目的もなく、小一時間散歩をした後、ぶらりと公園に立ち寄り、ひいきの野球チームの中継を見ながら、こうして暇を持て余している。しかし、天気がいいのもあってか、思いのほか居心地がいいので、もうしばらくはここに居たいと思うようになった。
「あの、すみません」
不意に、声をかけられた。俺と同じくらいの年齢とみられる、男性だ。
「ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが……」
「あ、はい、なんでしょう」
俺は道案内が欲しいのかと思い、軽く返答してみたのだが、彼が次に放った言葉は衝撃的なものだった。
「実は、私、1時間後から来たのですが、その、何か知っていることはありませんか?」
「は……い?」
なんだって? 1時間後? 聞きまちがいか? 何かの、冗談だろうか? それに、知っていることと言われても……。
疑問符ばかりが浮かび、言葉に詰まっている俺の顔を察したのか、彼は少し小声で続けた。
「本当に、何も知らないのですか?」
「え、ええ……」
そう返答する以外の選択肢は無かった。
「すみません、お手数かけました」
彼はそう言うと、足早に公園の出口へと行ってしまった。姿が見えなくなる直前に、首をかしげるような仕草をしていた。
俺は、しばらく呆気にとられていたが、徐々に気を持ちなおすと、先ほどの会話を思い返してみた。
異常者? と、最初に勘ぐってみたものの、彼の顔つきや言葉遣いから、そんな感じはしなかった。もしほんとに、彼がタイムトラベラーで、時空を超えてやってきたとしても、10年や20年ならともかく、わずか1時間先からやってきて、俺にモノを尋ねるというのも、おかしい感じがする。
やっぱり、何か聞きまちがえたんだ。結局俺はそう結論づけて、スマートフォンの野球中継に意識を戻すことにした。
ひいきのチームは、相変わらず状況が良くなかった。俺は、下唇を軽く噛みながら、しばらくの間、スマートフォンの中で苦しい表情を浮かべる選手たちと、睨めっこをしていた。
「あ、あの、ちょっといいですか!?」
急に甲高い声がひびいたので、驚いた俺はスマートフォンを落っことしそうになった。声の主は、今度は女子高生だった。その表情は、なんだか焦っているかのように見える。
「ど、どうしました?」
「あ、あ、私、その、信じられないかもしれないんですけど……、実は、30分後から来て……、な、何か、何か知っていることはありませんか!?」
またか、と、一瞬思ったが、彼女の焦り具合からして、とても冗談を言っているようには見えない。とはいえ、とは言ってもだ、30分後から来たので、何か知っている事はと尋ねられても、俺には、何も答えるものが無い。
「も、申し訳ないけど、俺も……よく知らないんだ」
可能な限り、彼女の気持ちに沿うような返答をしてみた。彼女はわずかに沈んだ表情を見せたが、すぐに立ち直り、俺に向かって礼をした。いくぶん、落ち着きを取り戻したようだった。
「すみません、お忙しい所を。他に知っている人がいないか探してみます」
彼女はそう言うと、公園の出口へと、落ち着いた足取りで去っていった。最初に緊迫した表情で話しかけられた時とは、また違った印象だ。案外育ちがいい所の娘かもしれない。
そんなのんきな感想を浮かべて間もなく、俺の心に不安が湧き上がってきた。
どういうことだ? やっぱり最初の彼も、聞きまちがいじゃなかったのか? 30分後……いや、もうあと20分後か、ちょうど4時くらいになるな、その時に何が起こるっていうんだ? それとも、なんだ、これは何か、趣味の悪いバラエティ番組の、ドッキリ企画だとでもいうのか?
混乱した頭でいろいろ思索してみても、いっこうに不安は振り払えない。ふと俺は、スマートフォンで今日の午後4時について検索をしてみることにした。
藁をもすがる思いだったが、やっぱり、検索しても何の情報も――
「ちょっと、あんた!」
横でまた大声が響いた。とうとう俺は、スマートフォンを砂地に落としてしまった。
「あっ、これは、失礼……」
「い、いえ、大丈夫です」
俺はドキドキと心臓の拍動を感じながらも、普段通りに応対した。しかし、声の主である壮年の男性は、俺の肩をつかんで、哀願するように叫んだ。
「な、なぁ、あんた、何か知らないか!? 俺は、ついさっき、10分後から来たんだ。いや、10分どころじゃない、これまでを考えると、もう、何時間も……」
「ちょ、ちょっと、落ち着いてください!」
「頼む……、もう気が滅入ってしまいそうだ……」
彼を落ち着かせてから、これまでのように、俺も知らないと返答するつもりでいた。しかし、彼の憔悴しきった顔と、今にも目から溢れそうな涙を見ていると、どうにも言葉に出すことができなかった。
どうしたらいいか悩んでいるうちに、俺はふと気が付いた。
「そ、そうだ! 俺は何も知りませんが、これまでにあなたのような、少し先の未来からやってきた人から質問を受けましたよ。何か、知っている事はないかって」
すると、彼はハッとした表情で、目を見開いた。
「それは、本当か!?」
「え、ええ。俺ぐらいの年齢の男性と、女子高生の2人です。先ほど公園の出口から出ていったので、まだ遠くへは行っていないと思うんですが……」
そこまで言うと、彼は俺の肩をパン、パンと叩き、声を震わせて言った。
「ありがとう! ありがとう!」
そして一目散に、公園の出口へと駆けて行ってしまった。
その場しのぎで言った感は否めなかったが、それでも俺よりは、同じ境遇の2人に会った方がまだマシだろうと、自分を納得させた。
さて、いよいよ4時まであと3分ちょいだ。何だかんだやっているうちに、3人がやってきたと言う未来が目前に迫っていた。もはや、ひいきのチームの試合結果なんてどうでもいい。
俺は何らかの大災害でも起こるのかと予想して、公園の、危険性の無さそうな開けた広場で立って待機していた。空は相変わらず青々と晴れていて、そんな絶望の未来が襲いかかる様子は少しもない。だが、油断は禁物だ。4時まで秒読み段階になると、俺はスマートフォンをポケットにしまい、おごそかに、その時を待つことにした。
公園の広場で仁王立ちになり、静かに時が過ぎる……。
過ぎる……。
……。
………………。
……もう、過ぎたんじゃないか?
さすがにもう数分は経っているだろうと思い、俺はスマートフォンをポケットから取り出した。スマートフォンの時計は、『15:02』を示していた。なんだ、結局、何も起き――
15時2分!?
慌ててスマートフォンの画面を見返した。まちがいなく15時、午後の3時だ。
1時間前に戻っている!? スマートフォンがバグったのか? そう思ってスマートフォンを弄ると、さっきまで見ていた野球中継のブラウザが、意図せず開いた。
そこでは、3時のころと全く同じ試合展開が繰り広げられていた。おまけに、画面の右上にはLIVEの表示もある。
どういうことだ!? 俺も……タイムトラベルしてしまったのか!? し、しかし、何の予兆も起きなかったし、全然、何も感じなかったぞ? 知らないうちに、時間だけが逆戻りしてしまったなんて……そんなことあり得るのか!?
激しい混乱の中で、必死に何かを考えてみても、どうにもならない。ふと、公園の木陰で、スマートフォンをしきりに弄っている男性が目についた。
もしかしたら、この人も俺と同じで、1時間後からやってきたのかもしれない。
そう考えると、俺はその男性に近づき、尋ねた。
「あの、すみません、俺は、えーと、1時間後からやってきたんですが、何か知っていることはありませんか?」
-END-
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。