荒野の死神
現在よりはるか未来、人類は永遠の安寧を手にしていた。
人類は、ついに争うことなく、また貧富の差を生むこともなく、人類全員が幸せになる未来にたどり着いた。
国も、人種も、宗教も、互いに衝突することは無かった。そしてこれからも永遠に、衝突することが無いであろう。
世界は、一つになった。
西暦三〇二一年 六月二十一日。
僕は二百日ぶりに、カプセルの中で目を覚ました。こめかみに接続していたUSBケーブルを引き抜いて、カプセル内面のスイッチを押す。ういん、と鳴って、カプセルが開いた。カプセルが開くまで中を満たしていた栄養液の雫が、肌を滑り落ちる。
楕円体のカプセルから出ると、初夏の太陽が裸の僕を照らした。カプセルの周りには何もない。
無人の荒野が広がっていた。遠くに、台地が連なっているのが見える。
僕はうん、と伸びをして、さっき引き抜いたUSBケーブルを、再びこめかみに差し込む。今時、USBケーブルなんていう骨董品を使っているのは、僕だけだろう。
目の前に現れた半透明のキーボードを操作すると、楕円体のカプセルの下部からアームが伸びてきて、飲み水の入ったペットボトルと、Tシャツと短パンを僕に渡す。
それを受け取り、僕は水を一気に飲み込んだ。やっぱり、栄養や水分補給は経口摂取が一番だ。
続いて、USBケーブルを引き抜き、先ほどアームに手渡された服を着る。肌にまとわりついていた栄養液を衣服が吸い込む。
僕は、一度息を吐いた。さあ、今日から始めよう。
西暦三〇二一年 六月二十一日。
世界は、黄土色の荒野と化していた。
固形の携帯食料を水で流し込んで、簡単な朝食を済ませた後、僕はカプセル外側の側面に付いているスイッチを押した。すると、ガシャンという音とともに、引き出しが飛び出て来た。中には様々な電子機器やメンテナンス用の工具などがごちゃ混ぜになっている。
僕はその中から旧式の携帯電話を取り出した。指輪状のそれを右の人差し指に嵌め、指輪の小さな赤いボタンをうろ覚えのリズムで押すと、発信音が響いた。
これは九百年ほど前にはやったリングフォンと言う奴で、指に嵌めて使う。スイッチは一つしかついていないため、着信はスイッチを一回押すだけだが、発信にはモールス信号を使う。かつては子供たちの間で大流行した玩具だ。
当時は社会現象にもなったこの文明の利器を使う人は、今はもう、僕以外にいない。
「お電話ありがとうございます、日本電送、中部支部です」
電話に出たのは、若い女性の声、に設定されたAIだった。
「中部支部の居住区に入りたいんだけど、開門してくれない」
「少々お待ちください。ただいまお客様の座標を探索中です……。完了しました。ただいまより三分後、中部支部正門を開門いたします。お気を付けてお越しください」
電話が切れる。僕は電話を引き出しにしまい、側面のスイッチを押した。引き出しが引っ込む。
少し急がなければ。カプセルに乗り込み、USBケーブルを接続する。キーボードで行き先を指定すると、カプセルがうぉん、と浮き上がり、一気に加速を始めた。
僕を乗せた楕円体の乗用機は、一直線に遠くに見える大地めがけて飛んでいった。
三分後、僕は大地の麓に到着していた。台地は、左右に延々と続いていた。標高は二百メートルほどだろうか。少しすると、音もなく台地の側面に真四角の穴が開いた。
僕を乗せたカプセルが底を通り抜けると、背後で音もなく、穴がふさがった。
中に入ると、空中照明の小さな明かり以外、光の無いうす暗い眼下には、巨大な直方体の容器が四つ並んで鎮座していた。縦横二キロメートル、高さ一キロメートルはある。巨大なガラスの箱には、無色の保護液が満たされていて、ミサイル、核、隕石、あらゆる衝撃を吸収することができる。
容器内には、さらに小さい容器が何億とあって、その一つ一つには、人々が眠りについていた。否、容器に収められているのは人の体ではない。
収められているのは、脳だった。
何億もの脳が、緑色の栄養液の中に浮かんでいた。
この台地は、かつて日本本土と呼ばれていた場所だった。僕が目を覚ましたのは、千年ほど前まで海の底だった場所だ。昔、地球の表面積の七割を占めていた海水は、生活に必要な分を除き、そのほとんどすべてが火星における発電のために水素と酸素に分解された。その結果、海は干上がった。何度か、戦争があった。かつて海底だった地面は核によって均され、乾燥した大地に変わった。
日本電送中部支部は、関東にある本部に次いで二番目に大きい電送施設だった。
電送とは、平たく言えば、人間の脳状態を解析し、それをコンピュータ上で再現する技術の事である。伝送技術は、人類史上最大の発明だった。今までできなかった、あらゆることができるようになった。脳をコンピュータ上で再現すれば、鳥の体になって空を飛んだり、魚になって海を泳いだり、現実では味わえないような体験も可能になる。
また、電送後の電子脳に、コンピュータが生成した知覚を付与することによって、障がい者も健常者と同じように暮らすことができるようになった。さらには、脳に直接ドーパミンやオキシトシン、オピオイドなどの脳内麻薬を流し込むことで、永遠に快楽を得るという生き方も出来るようになった。多くの人が、廃人になる選択をした。人生の不安も苦しみも消え去った人々は、争いを止めた。
僕はカプセルを、四つある容器の真ん中へと移動させた。カプセルが空中で止まると、僕は頭に繋いでいたUSBケーブルを引き抜いた。カプセルを開けて身を乗り出し、眼下の居住区を見渡す。
おびただしい数の脳が、静かに、けれど活発に活動していた。今、ここには幾億もの意識が存在していると思うと、わずかに体が震えた。幾億もの意識は、互いに重なり合うことなく、独立して存在している。たとえ、他人が見ている光景を見ることができても、他人そのものにはなることができないように、意識は決して重なり合わない。意識は一人に一つ与えられていて、それを本人とは別の人間が乗っ取ることはできない。
各々が世界の認識の開始点、世界の開闢、世界の原点なのだ。誰もが自分の世界しか生きることができず、他人になることは出来ない。どれだけ近くにいても、どれだけ多くの脳が犇いていても、それぞれの人間の意識が重なり合うことは無い。
自分の体を持っている人間は、世界で僕だけだった。人類最後のアナログ人間には、やるべきことがあった。
僕は、周囲を見渡して、監視システムの様子をうかがう。強化ガラスと保護液で守られている人間たちは、どんなことがあっても死ぬことは無い。保護容器はそのように設計されたため、逆に監視システム自体は脆弱だ。ハッキング対策も十分になされておらず、ほとんど無いに等しい。
監視システムは問題ない。残る問題は保護容器なのだが、これも問題ではなかった。ミサイルを一千発打ち込んでも、核爆弾を一万発撃ち込んでも、隕石を一億個降らせても、傷一つつかないであろう容器――まさに神の盾とも呼べるであろうそれも、僕の前では無いに等しい。
一気に行こう。
僕はカプセルに監視システムをハッキングさせた。ここから数分間のログを、記録しだい削除されていくように設定する。
続いて、僕は意識を研ぎ澄ませた。ゆっくりと深く呼吸する。七百年前に大流行した、瞑想の呼吸法だった。
人の意識は、脳の活動によって生じる。意識は、その人だけが持ちうるもので、他人と共有することも重なり合うこともない。なぜそれが可能なのか。これは人類にとって最大級の問いだっただろう。
なぜ、意識は互いに重なり合わないのか。なぜ、人の意識はその人だけのものなのか。
否。意識は重ね合うことができる。他人と意識を共有することは可能なのである。
だんだんと、自分の体と外界が曖昧になっていく。人が世界を捉える時、僕たちは無意識に自己と外界を区別している。外界もさらに人、物、植物など、それぞれを独立した存在として識別している。しかしそれは人間の概念が作り上げた分類であって、本来は生物も無生物も、有機物も無機物にも、いかなる存在にも、根本的な違いは無い。なぜなら、全ては等しく存在だからだ。全く同じように、世界に存在しているからだ。僕たちはただ、存在しているに過ぎない。僕たちは自分で物事を考えて、これをしよう、あれをしようと能動的に生きている、と信じているが、実は違う。僕たちは外界からの刺激を感覚器官で受け取り、その信号により、計算回路である脳が受動的にホルモンなどの物質を操作させられ、体の各部に信号を送らされる。それが、人間が意思だと思っているものの正体だ。僕たちは自分で何かを考えている・感じているのではなく、脳内の無数の微小な化学反応や物質の移動によって、考えている・感じていると錯覚しているだけなのだ。その錯覚さえも、無数の微弱な化学反応や物質の移動で起こっている「現象」なのだ。
感情は心から生まれる、と人は言う。しかし、それは間違いだ。まず、感情は脳から生まれる、と言うのが一つ。そして、その脳さえも、全くのゼロからものを考える、ということは無いのだ、と言うことが一つである。
つまり、この世界には、真に能動的なものなど存在しないのだ。
外界が曖昧になり、形を失い、自己と世界全体とが一体になったような気になる。心地よい、と思ったのも一瞬で、次の瞬間には、一切の感情を失ったのが分かった。
「僕」は、ただ世界を認識していた。世界をあるがままに認識していた。見るのでも、聞くのでも、嗅ぐのでも、味わうのでも、触れるのでもなく、ただ、世界を認識していた。「ある」という事を認識していた。それ以上でも以下でもなかった。あらゆる概念が形を失い、世界に溶け出していく。石ころも人も惑星も、全て同じ「存在」となって、世界そのものになっていく。
区別のなくなった世界の表層に、人々の意識が浮かんでいるのを「僕」――否、もう世界そのものになっている――は、認識した。
すると、世界は、表層に漂っている意識の群れを取り込み始めた。水に浮かぶ油のような意識達は、為す術なく吸い込まれていく。
人にとって死とは何か。それは、自らの意識が、完全に消失することである。植物状態でも、人は世界を認識している。「ある」という事が分かっているのだ。それが脳死になると、意識は消失する。世界の原点が消失し、その人の世界が終焉を迎える。すなわち、死とは世界の終焉なのだ。
世界が、全ての意識を取り込んだ。世界中に存在する人間の意識は世界と一体となった。人々は世界とともに、何者でもない単なる存在として、「ある」という概念として、存在し続けるのだ。
世界がにわかに振動を始めた。だんだんと光や音の概念が戻ってくる。やがて、僕の内に、心地よい、という感情が戻ってくる。僕が世界と切り離され、独立した存在となるのを感じる。
僕は、目を覚ました。
眼下に再び目を戻す。栄養液の中に浮かぶ脳にも、監視システムにも何の変化もない。
脳の群れは今も大量の脳内麻薬を注入され、幸せを感じる回路をフル稼働させていることだろう。
しかし、もはやそれらの脳は人ではなかった。単なる有機物で構成された不完全な計算回路となっていた。
人々の意識は、世界と融合した。つまり、僕の真下に存在している幾億の脳たちには、意識は宿っていない。例えば、人工細胞で肉体を作り、それに脳を接続すれば話すことも走ることも笑うこともできるだろう。しかし、そこには意識が無い。意識、つまりそれを感じる主体がない。世界を、存在しているという事を認識している意識そのものがない。話したり、走ったり、笑ったりするそれはもはや人間ではない。意識を持たないロボットと同様の存在なのだ。そこに感覚のはじまり、世界の原点は存在しない。
長かった、と思った。やっと終わるのだ。
僕は、カプセルの上に立ち上がった。巨大な洞窟には、僕以外には一つの意識も残っていない。意思のない知能が、虚しく蠢いているだけだった。もはや世界の原点は僕だけになってしまった。世界を認識できるのは、僕しかいなくなってしまった。つまり、僕がいなくなれば、世界を認識するものは居なくなる。という事はすなわち、僕の死が、世界の終焉となるのだ。
ああ、なんて素晴らしい。世界を終わらせることができるなんて。体が燃え上がりそうなほどの激しい高揚感に満たされる。
さようなら。
僕は両手を真横に開き、遥か下方の地面へと、身を投げ出した。
落ちていく。墜ちていく。堕ちていく。
西暦三〇二一年 六月二十一日。
意思も感情も思考も、何もかも「与えられるもの」である僕は。
今日、世界の死神となる。