新釈 古談筆乗 浪人VS大名ルール無用のタイマン試合編
大坂の陣の後のことである。
但馬国の浪人が、大坂で剣の道場を開いていた。
門弟は数百に及び既に名も売れていたが、男は志を立てて江戸へ移ることにした。
すると江戸でその名を聞いて教えを乞う者が多く現れ、旗本の師弟で学問の道に進まぬ若者たちもが門弟となった。
他人の成功が気に入らない者というのはどこの世にもいるもので、当時のとある大名もその一人。
よそからやってきた男が大きな顔をしている。
これはひとつ、懲らしめてやろう。
そう大名は思い立ち、人を使いに立てて尋ねた。
「世に貴殿を師とするもの、極めて多いようだが何を得意とされる。」
「貴殿の術と自分の捕り手、柔術どちらが勝るか、ひとつ試してみようではないか。」
自らの領地に招いての言葉である。
男は剣の道に通じてはいても、ただの浪人。
浪人と大名では身分が違う。
仮に浪人が大名との勝負を受け、大衆の面前で大名を打てば、試合に勝ってもただでは済むまい。
負けを恥じた大名はあらゆる手で男を殺すだろう。
つまりは、これは公開処刑。
試合が成立すれば勝ち目はない。
男は言葉を選ぶ。
「私には誇るほどの術はなく、ただ人々が学びたいというので剣の稽古をしているだけに過ぎませぬ。」
「殿様の御高名は私が大坂にいる頃から承っております。殿様の妙術にかかれば私は間違いなく死ぬでしょう。どうか、試合はお許しいただきたい。」
しかし、大名は取り合わない。
「いやいや、是非勝負してみよう。能ある鷹は爪を隠すと言う。実に楽しみだ。」
当時の大名の一部は戦乱を生きた一種の無頼漢であり、そうした者たちは己の力を誇示する傾向にあった。
男はやむを得ず言葉に従い、その上で明日一日だけ暇を願いたいと言う。
「たわけ、一日間をやれば汝は他国に立ち去るに違いない。」
「是非、今日立ち会え。」
このまま立ち会えば、男は門弟に何も語ることなく殺されることになるだろう。
死人に口なしである。
立ち会いに至るまでの過程など、いくらでも捏造できる。
何らかの罪をかぶせられる可能性もあった。
脳裏によぎるのは門弟達と大坂にいる老いた母の姿である。
男の心中は必死を極めた。
「一度立ち会えば、私は必ずや殿様の御手にかかって死にましょう。」
「大坂にいる老年の母にこの度の事情を伝え、後のことを頼む必要がある。どうか明日一日だけ御猶予いただきたい。」
ぬかせ、と。
言葉を返さんとする大名の心を、男は読む。
ここで大名を満足させなければ、私の命はここで終わるのだ。
「――もし。」
「もし、私が逃げ出せば天下の笑い者となる。」
「私にとって剣術は生命そのもの、そうなれば今後世に立つことはできない。」
「武士である以上、決して約束に違うことはしませぬ。」
大名はにたりと愉悦する。
彼にとって重要なのは試合の勝敗ではなく、男を辱め、名を地に落とすことだ。
逃げ出せば、天下の笑い者。
それだけで愉快なことであるし、この男があくせくと身辺を整理する様を想像すると心が躍る。
力とは剣のみにあらず。
地位、権力、身分の差。
これを前にして、いかなる鍛錬も心がけも無意味。
大名の心中に暴虐の甘露がしたたり落ちた。
「いいだろう、一日だけ時を許してやる。」
大名の邸から去る男には、逃げるつもりが無かった。
門弟たちに事情を話し、老いた母への手紙を託し、腹を決めて夜を過ごした。
一方、大名はあらゆる根回しをした。
部下を用いて男の門人や親戚知人に試合のことを触れ回り、退路を断っていたのである。
大名の根回しにより、試合当日朝から多くの客が大名の邸に集まっていた。
男は刻限通りに現れた。
死を覚悟していたのだろう、その身なりは整ったものだったという。
勝てば死、負けても死である。
逃げれば命だけは助かっただろうが、武士としての矜持がそれを拒ませた。
「お断りしたが許されないので約束通り参上致した。」
大名は試合舞台を土手のようにとりまく見物に見守られながら男を招いた。
舞台上に登った様子を見るに男は無刀だった。
観念して剣を置いたか。
大名は立ち会うや否や、裂帛の声と共に接近。
男を掴み、差し上げると、その早業に満座がどっと褒めそやす。
元より、生かして返すつもりなし。
一振り振って、大名は。舞台の板に投げつける。
男の身体は舞台の板敷きを貫通し、縁下まで打ち込まれ、二言と言わず即死した。
「大名様ァ! お強い!」
「流石、大名様ァ!!」
見ていた一同が声を揚げて褒めそやすと、大名が見栄を切る。
「ハハァ! たかだが浪人の分際で……!」
その時のことである。
顔色が草の葉のように蒼ざめ、よろめいたのは。
「殿、いかがされましたか。」
「早く戻って休まれよ。」
その言葉、果たして届いていたかどうか。
大名はその場でばったりと倒れ、薬よ医者よと騒ぐ間もなく絶命した。
これはどうしたことかと身体を調べると、大名の胸に小さな柄が打ち込まれている。
柄が三、四分ほど見えているものの血は出ておらず、引き抜いてみると長さ五、六寸ほどの小刀が下から上へ穿っていた。
余程見事な手際だったのだろう。
刺された大名自身、刺されたことに気づかず。
見物していた者たちも、いつ刺したかわからなかった。
この男は真に及びない剣の達人であって、この大名はなんの益にもならぬことを自慢して命を落とし、後にその家系も断絶した。
時に厳有院家綱公の治世が始まったころである。
――古談筆乗より、一部脚色。