猿の前説 その⑧
「バッドトリップゥ〜??」
自分の声が施設内に響き渡る。
そこまで大きな声を出した覚えはないがそこそこに声が通る。
「はい、バッドトリップ(悪夢)ですね。」
当たり前だと言わんばかりにハッキリした口調で目の前の男は伝える。
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話はすこし遡る
あれから俺は広場を突き抜け現代建築…現住民から(農夫のおっさんから聞いたが)『黒い箱』と呼ばれる一面黒いガラス張りの役所に足を踏み入れた。
まずは自動ドアが俺を出迎える。そこをくぐり抜けるとなんとも威圧感がある…殺風景で面白みもない空間が広がっていた。壁一面は白く無地の壁で床はグレーで清掃がいき届いているのか自分の足元が反射している。天井には蛍光灯もありここの世界にも電気は通っているのかと思うとかなりこの世界は技術力があるそうだ。(自動ドアがあるなら当たり前か)そこに申し訳程度の観葉植物と、どこの誰だか知らない画家が書いた山の風景画か飾られていた。
イメージで言うならばここは役所というより刑務所に近い。それか病院。一切の無駄がないような作りとインテリアだ。素人が作ってももう少し遊び心がありそうなものだが。
出来の悪い贋作を見たような気分になりつつもここが役所と言うからにはフロントがあるはずだと周りを見渡す。数人の住人らしき人と…いた。
注視する程でもない、入り口を通って眼の前に受付と思われるカウンターとスーツを着たスタッフっぽい茶髪に黒い眼帯が目立つ男がポツンと立っていた。
眼帯の男がこちらが近づいているのを気づくと少し目を見開いた様子で言葉を発した。
「ようこそファスト区役所へ、私の名前はブルーノ・ウェリントン。なにか御用でしょうか?」
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そして今に至る。
「ってことはだなこの地図が変わったのもドアを開けたらどこでもドアみたいに広場に出されたのも時間が巻き戻ったのもそのバッドトリップのせいだっていうのか?」
「どこでも…ドア?は私は存じませんが…えぇ、地図上変わったのも時間が巻き戻ったのも大方バッドトリップの影響かと思われます」
「そのバッドトリップってのがわかんないだけど」
「ええと…それはですね…あっ!すみませんちょっといいですか」
そう言って眼帯の男…ブルーノはカウンターの横にある事務机についてそうな引き出しからクリップに挟んだ何枚かの書類をペラペラと目を通す。
そして、何かを見つけたようで自分と書類を交互に
確認するかのように見る。
「…失礼ですがお名前は…?」
「え?あぁ…加藤英一だが」
一呼吸の沈黙。
「あのう…」
ブルーノは申し訳なさそうな声を出した。
「あぁ。そういえばここに来たワケを言ってなかったな。ええと、冒険家になりに来たんだが」
ブルーノが見比べているのは多分俺が冒険家になるためにギルドから役所に送られた許可書を発行するための個人情報だろう。なにか不備があったのだろうか。
「あ、それがですねぇ…」
「…?あっ、そうかバッド・トリップで時間が戻っているから必要な書類がまだ来てないのか」
「そうなんですよ…お手数なんですけど…」
「あぁ、もう一度書こう。新しい書類貰えるか?」
「ご理解いただきありがとうございます」
ブルーノはホッとしたように顔が緩み、また引き締めるようにしばしお待ち下さいと言ってはコツコツと焦げ茶色のホールカットの革靴をイソイソと鳴らしながらバックヤードと思われる扉へ入っていった。
数分後、またコツコツと慌ただしく革靴を鳴らしながら必要な書類を持ってきたブルーノが現れた。
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「自然のバッド・トリップって結構珍しいんですよね」
どういう流れでこの話になったかは不明だが雑談しながら書類をカウンターで書いているとポツポツとブルーノがバッド・トリップについて話し始めた。
俺もバッド・トリップについては興味があったので
続けるようにブルーノに促した。
「もともとは魔法の1種なんですか、極稀にその魔法が自然に発生することがあるんです。そうなってくると時間が巻き戻ったり扉の先が想定外の場所だったり…酷い時には違う世界や次元に飛ばされたりしますが…。」
驚いた。この世界にはそんな厄介なことが起こりうるのか。まぁ、魔法が存在する世界だ。そんな事も起こりうるのだろう。
「自然の…ってことは自然じゃないのもあるのか?」
「どちらかと言えば自然じゃない…習得や生まれつきでバッド・トリップが使える人はいますよ」
「時を戻せたり?そんな事ができるのか」
「いや、流石にそこまで具体的なのは出来ませんが…人や物を取り込んだり己の世界を築き上げたり…いわば固有結界のようなものです」
固有結界。自分専用のオリジナル魔法と言うことだろうか?
「人や物を取り込む?なんだか曖昧だな」
「使い手によっても能力は様々ですからね。」
「お前も使えたりするのか」
冗談のつもりでいった。子供の頃からよく冗談をいうのが俺の悪い癖だ。それでいくらかトラブルも起こしたがそこまで大したこともなかったような気がする。別にバッド・トリップを信じてなかったからではないが、ここまで詳しいと少し気になってしまう。
「…ええ、使えますよ。役員のほぼ全ての人はバッド・トリップを扱えますが。」
「…使えるのか?」
俄然興味が湧いてきた。この世界に来ては驚きと困惑の連続であったがそのどれをとっても好奇心がついてきた。俺も多感な時期なのだ、興味は尽きない。俺の前にいるのは自称超能力者みたいなものだ。ここでは超能力者なんて何ら不思議ではない。事実俺が超能力者なのだから、似たような不思議な同類をみて興味が出ないほうがおかしいであろう。
「まぁ、お見せは出来ませんけどね」
一気に興味が削がれた。多分顔に「見てみたい」と出ていたのだろう。気づけば少し自分がカウンターに対して前のめりになっている事に気づく。しまった、行動にも出ていたか。
「それは残念だ」
一応見たかった気持ちを声に出してみる。
それでどうにかなるとは思っていなかったが。
…しかし、一瞬ブルーノの顔が曇ったのは気のせいだろうか
「…バッド・トリップは名前の通り悪夢なんです。僕だって上からの許可無しじゃあ使えませんよ」
「ふむ。確かに警官も無闇矢鱈に拳銃を発泡できないもんな」
「まぁ…?そういう事です」
ブルーノの顔を見る限りあまりピンときてないようだった。
結構いい例えだと思ったんだが。