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エンゲージリスト  作者: 豆内もず
4章 黎明と黄昏

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28.終演とチークダンス

 重々しい身体を引きずり保健室に戻ると、ベッドで眠る知生と傍にもたれかかるギターケースが目に入った。

 どうやら響ちゃんはどこかに行ってしまったようだ。ほっぺを突いて体力を回復しようと思ったのに当てが外れてしまった。

 流れのままベッド横の椅子に腰掛けると、根が生えたようにそこから動けなくなってしまう。

 大量の価値観を一気に吹き込まれたこの数時間は、私には高カロリーだったらしい。連日の睡眠不足も後押ししてか、急激に眠気が襲いかかってきた。

 穏やかな寝息を立てて眠る知生を見つめ、ぼうっと思考を泳がせる。

「ねえ、頑張ってきたよ」

 眠気覚ましにぽつりと言葉を漏らしてみる。

「アキのことも、みちるのことも、いつの間にか私が真ん中に立ってて、知らなかったこともいっぱいあって……。正直ちょっと重かったよ。でも、ぶつかり合わないと分からないこともいっぱいあるんだね……」

 ゆらゆらと言葉が揺れる。独り言がいい塩梅で波を作り、眠気を加速させていく。

「私、上手くやれたかな……? やれてたら……いいなぁ」

 こくりこくりと頭が揺れる。無地の布団の温度に吸い込まれるように、意識が落ちていった。


 腰に鈍い痛みが走る。ぼんやり顔を上げると辺りはすっかり暗くなっており、眠っていた知生の姿も見えない。

 いつの間に眠ってしまったんだろう。私は急いで身を起こした。

「はっ! しまった!」

「ふふっ。漫画みたいな起き方ですね。おはようございます」

 声の先を見ると、窓の外を眺める知生の姿が映った。暗闇ではっきりとは見えないが、立てているということは幾らか体調は回復したのだろう。

「おはよう……。私寝ちゃってたんだ」

 私は前髪を払いながら言葉を吐き出した。

 いや、そんなことより今は何時だ。携帯電話を取り出す。時刻は十九時三十分。後夜祭が始まってしまっているではないか。

 記憶があるのが昼過ぎくらいまでと考えると、学園祭二日目をガッツリと睡眠に費やしてしまったらしい。

 告白なんかを密かに期待していたのに、この様ではもう間に合わないだろう。

 私は軋む身体をほぐしながら溜息を一つ挟み、窓際に佇む知生の元へと向かった。

「体調は? もう大丈夫?」

「大丈夫じゃありません。後夜祭が始まっちゃいました。無念です」

「今からでも間に合うんじゃない?」

「まだ本調子までは戻ってませんから、大人しくしておきます」

「そっか。たまにはまともなこと言うじゃん」

 彼女の視線の先には、賑やかな学生達の姿が映っていた。音楽に合わせて身を揺らしていたり、肩を組んで友情を深め合っていたり、照明のせいもあってか昼間とは大きく彩りが違っていた。

 ステージでは何故か響ちゃんがギターをかき鳴らしており、夢でも見ている気分になってしまう。

 窓ガラスに手を添えると、ひんやりとした感触が伝わってきた。

「これに懲りたら無茶はしちゃダメだよ」

「……気をつけます。それより、解決しましたか?」

「なんとかね。まあまあしんどかったけど」

「そうですか。よく頑張りましたね」

 知生はこちらを向くことなく言葉を返した。ステージを見る彼女の目は、とても穏やかで嬉しそうだった。

 おそらく響ちゃんをステージに派遣したのは知生なのだろう。派手な照明に照らされる彼女は、間違いなく会場で一番目立っていた。

 知生同様、私も笑みをこぼした。

「先輩。私なんて放っておいて後夜祭に行ってきていいんですよ。あんなに楽しみにしてたじゃないですか」

 知生はまだこちらを向かない。珍しく気を使ってくれているのだろうか。ここで彼女を放って享楽に傾くほど、寝起きの私は浮かれていない。

「行かないよ」

「なぜですか?」

「放っておけるわけないでしょ」

「私が好き勝手やっていた結果こうなったわけですから、自業自得です。先輩まで背負わなくていいんですよ」

 知生は小さく息を吐いて微笑んだ。アキやみちるの話を聞いたこともあってか、ここ最近彼女が無茶をしていた一因が私にあるように思える。

 しかしよくよく考えれば、どちらに責があろうと私はこの場を離れるつもりなんてなかった。

 私は彼女の頭に手を置いた。

「私が嫌なの。知生がいなきゃダメなんだよ、今年の後夜祭は」

 賑やかな校庭を眺める。色めき立つ生徒たちの真ん中には、文香の目の前で悔しそうに崩れ落ちる男の子が見えた。

 後夜祭のジンクスは文香には通じなかったんだろうか。面白いものを見てしまった。後で精一杯いじってやろう。当番を代わってもらったお礼も言わないといけないし。


 くすくすと笑みを浮かべていると、知生が私に体重を預けてきた。

「先輩は、本当に魅力的な人になりましたね」

 こんな状況で褒め言葉を語られると、ドキッとしてしまうじゃないか。ハグくらいは許してもらえるだろうか。視線が回遊魚のように泳いだ。

「そ、そう?」

「自分の良いところを大切にし始めたと言うべきでしょうか。勉強も、スポーツも、剣道部でのいざこざも、あなたはしっかりと乗り越えました。そして、多分今回も――」

「それは知生がいたからだよ」

 褒めてもらえるのは嬉しいが、私が全てを乗り越えられたのは間違いなくこのちんちくりんのおかげなのだ。

 私一人だとおそらく一つも解決出来なかっただろうし、そもそもここまでのことが起こらず未だ空気のように生活していたに違いない。

 しかし知生は大きく首を振った。

「私の力なんて些細なものです。今の先輩はしっかり他者と向き合って、自分の想いを大切に出来る人になりました。言葉にするのは簡単ですが、実行するのって意外と難しいことなんですよ」

 知生は私から身を離し、ベッドに腰かけた。

「珍しくちゃんとお話がしたい気分です。おしゃべりに付き合ってくれませんか?」

 そう言って彼女はウィッグを外した。ぺったりと張り付いた栗色の髪が、頭の動きに合わせてサラサラ揺れる。

「もちろん」

 私は彼女の隣に腰かけた。淡い光だけが差し込む保健室は少し肌寒い。

 知生は視線を窓際に向けたまま、再び私に体重を預け、ポツリと言葉を漏らした。


「最初に会った時のことを覚えていますか?」

「男装してた時でしょ? あれは衝撃的だったなあ」

 夏が始まる前。読み終えたばかりの小説の登場人物に扮したこの子が、目の前に現れて台詞を叫んでいたあの姿は、多分今見ても驚いてしまうだろうな。

 思えばあそこから全てが始まったのだ。

「……あの時、高校生活に悔いを残さないためには、やっぱり一人じゃダメだなって思ってたんです。そこにあなたが現れました」

「そっか」

「今まで言ったことがありませんでしたけれど、先輩の第一印象は最悪でしたよ」

「ふふ。なにそれひどい」

 冗談っぽく言葉を返した私に、彼女は静かな笑みを向けた。

「だって大きい身体を丸めて、何かから逃げるように歩いてて、退屈そうで無気力で、物事を楽しもうという気なんてなさそうで」

「言ってくれるね」

 しかしながら全てその通りだ。

 あの頃の私は挫折を理由に物事に熱くなることが怖くて、自分の気持ちは空虚だと誤魔化すことで精いっぱいだったのだから。

 それらを見透かされていたと思うと、今更ながら恥ずかしい。

「だから思ったんです。こんな人に楽しいって言わせられたら、それはきっととても凄いことだって。私の歩んだ道が正しかったというなによりの証拠になるって。そう、思ったんです」

 知生は大きく息を吸って、私の瞳をまっすぐ見つめた。丸々とした可愛らしい目が、空気を柔らかく動かした。

「今ならはっきりと言えます。あの時現れたのがあなたで、本当に良かった。私は今、これ以上ないくらいハッピーですよ」

 きめ細かい髪が揺れる。きゅっと心臓が締め付けられる。

 その言葉はそのまま私が吐くべきものだ。しかし、それが彼女の口から飛び出したという事実が、私の心をじんわりと溶かしていく。

 不思議な感性をしているくせに、どこかいつも温かい。そんな彼女が、今は何より愛おしい。

「私も同じ気持ちだよ。ありがとう」

 思いの丈を全て一言に詰め込む。お互いの体温を感じながら、学園祭の夜が更けていく。


 響ちゃんと出会ったり、文香と仲直りしたり、舞台に立ったり、アキと向き合ったり、みちるの本心を知ったり。本当に怒涛の学園祭だった。

 始まる前は、『学園祭は相関図を変える』なんてことを思っていたが、まさか自分にもそれが降りかかってくるとは思いもしなかったな。

 

 私達はそのまま話を続け、知生を家まで送り届ける頃には九時近くになっていた。

 結局一瞬たりとも後夜祭には参加できなかったが、これはもう来年の楽しみに取っておく事にしよう。代わりに嬉しい言葉が聞けたことだし。

「文香達もやる気みたいだし、来年もまたライブやろっか」

 夜道を歩きながら、私は言葉を吐き出す。

「それもいいですね」

「知生とやりたいこといっぱい見つけちゃった。来年こそは後夜祭も楽しもうね。魅力にあふれすぎて告白とかされちゃったらどうしよう」

「余計な心配ですよ」

「失礼な! でも、来年こそは、気兼ねなく一緒に楽しみましょう。響ちゃんや文香も巻き添えにして」

「そうなれば、良いですね」

 そんな話をしていると、あっという間に件の高級マンションの前までたどり着いてしまった。

 余韻やらなんやらで、まだまだ話し足りないくらいだが、そもそもこの子は病み上がりなのだ。無理をさせ続けるのは本意じゃない。

 吐き出したりない言葉たちは、来週から始まる新しい日々の彩りに加えてやればいいだけだ。

「じゃあね。ゆっくり寝るんだよ」

「はい。お世話をかけました」

「寂しくなったら電話しなよ。添い寝しに来てあげるから」

「ふふっ。襲われそうなので遠慮しときます」

「残念。週明け、元気な顔を見せてね」

 弱々しい微笑みだけを返し、知生は自動扉をくぐる。

 私がその背中に手を振り見送っていると、彼女は少し先でこちらに向き直った。

「沙夜子先輩」

「ん?」

 ゆっくりと閉まりゆく透明な隔たりの向こうに、少し寂しそうな知生の表情が浮かぶ。

「ありがとうございました」

 とんと音を立てて閉まる扉に知生の言葉が挟まり、彼女はそのまま建物の奥へと消えていった。

 何か言葉をかけてやりたかったが、透明なガラスの先にはお洒落なエントランスだけが映っている。

 なんて意味深な別れ際なんだ。空には知生の瞳に似た丸い月が浮かんでいた。

 帰り道を辿りながら、私はのんびりと学園祭の思い出に耽る。


 大きなイベントを乗り越えた後、週明けの授業から私を取り巻く環境は良くも悪くも変わるだろう。なんだか今はそれも楽しみに思えた。

 今度はどんなちいリストが始まるんだろうか。またテストも近くなるし、それにちなんだ何かの可能性もある。これもまた楽しみだ。


 しかしそんな私の浮かれに反し、学園祭以降知生が空き教室に姿を現すことはなかった。

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