26.傍焼とディテクティブ
昨日の興奮が収まらないまま、私はいつもより早く目を覚ました。
学園祭二日目の朝は、前日とは打って変わって快晴に恵まれていた。今日はさらっとクラスに顔を出して、後は知生に引きずられるままの一日になるだろう。
そんな心持ちで空き教室に入るや否や、先に到着していた知生が私を指差しこう言った。
「おはよう助手くん。遅かったじゃないか」
挨拶と同時に訳のわからない言葉を吹っかけられたせいで、何がなんだかわからなくなった。向けられた指に呼吸を奪われる。
「お、おはよう」
「リアクションが薄いですね。ちゃんと起きてますか?」
「もちろん起きてるよ。えーっと。今日のキャラは何?」
私に向けた指を自身の額に向け、彼女は眉をひそめた。わざとらしい黒色の長い髪がつやつやと空気を揺らしている。
「キャラ、という言葉は好きではないけれども、あえて言葉を借りるならば『美少女探偵キャラ』とでも言っておこうか」
「び、美少女探偵……?」
美少女探偵キャラという意味不明なカテゴリは、もちろん朝一の私にはパンチが強いものだった。なぜ学園祭の日にわざわざ探偵を選んだのかもわからないし、さらりと助手にされているし。
私が虚をつかれている間に、黒髪ロングの美少女探偵さんは再び指先をこちらに向けた。
「さっそくだけれど、まずは犯人探しをしようか」
「犯人? なんの?」
「おやおや。そこまで察しが悪いと先行きが不安になってしまうね」
彼女は最高に失礼な物言いをかました後、溜息を吐いて椅子に腰掛けた。説明不足を棚に上げて察しが悪いとは、なんとも横柄な話だ。
私も彼女同様息を吐きながら椅子を引いた。
「不安になるのはこっちだよ。今日は学園祭を回るんじゃないの?」
「あれだけ妨害を受けておいて、暢気に学園祭巡りとは肝が据わっているじゃないか」
そのままそっくり言葉を返してやりたくなったが、それを覆うほどの驚きが身体を巡った。私は着いたばかりの腰を少し浮かせて正面に座る知生に顔を近づけた。
「えっ。犯人探しってそういうこと?」
「それ以外に何があるんだい?」
「急に重い腰が上がったんだね。どういう風の吹き回し?」
私はもう一度椅子に深く腰掛け腕を組んだ。何を思ったのか、彼女は今まであれほど無関心を貫いていた諸々の騒動に目を向けようとしているらしい。
なるほど、それで探偵キャラなのか。毎度毎度二手三手説明を端折るのはやめてほしい。
「昨日寝る前に思ったんです。ひょっとしたら学園祭を制覇するよりも、この騒動を解決させるという展開のほうがドラマチックなんじゃないかって」
「それで探偵キャラを持ってきたってわけね」
「ご明察だよ助手くん」
彼女はどこから取り出したかわからない虫眼鏡をこちらに向けた。小さくなる彼女の目がじっとりと私を見つめる。
「ということで、ここ数日の嫌がらせの犯人探しをしたいと思います」
「今日は一段とキャラの出し入れが激しいね」
「思いついたばかりなのでまだ詰め切れてないんです。というかそんなこと今に始まったことじゃないでしょ」
「まあそうだけど」
そうにしても自分から言われてしまうと調子が狂う。ぎしりと椅子を揺らし、私は人差し指を立てる。
「それで? 探偵さんはどうやって犯人を捜すつもりなの?」
「何を隠そう、私は足で稼ぐタイプの探偵でね」
なぜか自信満々に告げた知生は、普段より少し赤らんだ頬を上にあげた。余裕があるのは大いに結構だけれど、探偵以外の部分は何も決めていないのだろう。
私は机に肘を置き大きくうなだれた。
「ノープランってことね」
「プランならありますよ。とりあえず近くをパトロールをしてきてください」
どうやら探偵さんは助手の足で稼ぐつもりらしい。そもそも私はクラスの手伝いがあると昨日伝えているじゃないか。あと今更だけど私のほうが先輩なんだぞ。
「パトロール? 私、クラスの当番なんだけど……」
「それならあんふみ先輩に代理を頼みました」
「えっ。嘘でしょ?」
「なんの得もない嘘はつきませんよ」
私がいない間になぜこうもポンポンと話が進んでいるんだ。あと文香はなぜそんな代理を飲み込んだんだ。せっかくアキと和解してクラスでの居心地がよくなりそうなのに。
あんぐりと口を開ける私に、知生はニヤついた視線を向けた。
「僕は上の階が怪しいと踏んでいる。そこら辺を重点的に頼むよ」
「私一人で行くの? 知生も行こうよ」
「少し考えたいことがあるんでね。ここでゆっくりさせてもらうよ」
「人使いが荒いぜ探偵さん」
私は大きく溜息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。ここまでお膳立てをされてしまえば、後はもう彼女の言う通りに動く他ないだろう。幸い犯人探しには興味もあるし、まあいいか。
「じゃあ行ってくるわ」
「よろしく頼むよ。ああそうだ、僕から着信があったらすぐ戻って来るように。あとこれを」
知生は扉まで向かった私に教室の鍵を投げた。普段解放されっぱなしなせいで、この部屋に鍵があることを初めて知った。この部屋に施錠という概念があったことが驚きだ。
「鍵? 鍵を閉めて籠るの?」
「僕は閉めないよ。備えあれば憂いなし。いざという時のためさ」
「いざというとき?」
今のところこの鍵が活躍する場面が全く思いつかないが、これもきっと私が彼女の思考に追いつけていないだけに違いない。深く考えるのはやめよう。
受け取った鍵を胸ポケットに放り込み、私は教室の扉に手をかける。何気なく振り返ると、彼女は普段より蒸気立った顔つきでホワイトボードのほうを眺めていた。
「なんか顔赤くない?」
「えっ。ああ、多分チークを塗り過ぎたんでしょうね。お祭りで張り切り過ぎました。ほら早く行ってください」
「はいはい」
張り切ってお洒落をしてくる柄でもないだろうに。私は渋々校内を歩き始めた。
結局何をどうすればいいかわからないまま、私はとりあえず一つ階を上る。
雨だった昨日の鬱憤を晴らすように、今日は校庭の出し物の方が盛り上がっている。
校舎内、しかも人通りが少ない場所だけあって、やはりこの辺りは学園祭から取り残されたように人の気配がない。
私の思考からすれば、ここは敷地内で一番怪しくない場所と言っても過言ではない。というか、そもそも犯人が犯人っぽい装いで歩くなんてことがあるのだろうか?
誰ともすれ違うことなくふらふらと歩いていると、ふとどこかの陰からギターの音が聞こえた。
流行りのものではないが聴き馴染みのあるメロディで、なおかつ昨日私が大勢の前で歌った曲。すぐにギターの持ち主がわかってしまった。
私は身を揺らしながらゆっくりと足をそちらに向ける。
人目につかない奥の奥の方に座り込んでギターを爪弾いていたのは、予想通り響ちゃんだった。
「響ちゃん」
「ひ、ひゃごめんなさいぃ! こんなところで勝手にギターを――」
「ごめんごめん。私だよ」
こちらが慌ててしまうほど身をびくつかせた響ちゃんは、私の姿を捉えたあとゆっくりと平穏を取り戻していく。
「さ、沙夜子せんぱぁい」
今日の彼女はいつものギターではなく落ち着いた色味のギターを携えていた。私は投げ銭代わりに手を挙げて挨拶を放る。
「おはよ。驚かせてごめんね。こんなところで何してるの?」
「おはようございます。ぎ、ギターを弾いています」
それは見ればわかる。なんなら見る前からわかっていた。なぜこんなところでギターを弾いているのかを聞きたかったのだが、私の言葉が少し足りなかったようだ。
昨日あれだけ目立ったのにいつも通りひっそりとギターを弾いているなんて、響ちゃんらしさ全開だな。
だからこそこの子を推せてしまう。こんな辺境の地で推しを独占できるなんて、私はなんと幸福なんだろう。
私はしゃがみ込んで彼女に視線を合わせた。
「そっか。せっかくだから一曲聴かせてよ」
「は、はい! ……せっかくついでに歌ってもらってもいいですか? ああ、偉そうにすいません……」
「えっ、良いの? 歌いたい!」
「い、いいんですか?お、お願いします!」
思いがけないリクエストだったが、ギターを鳴らす彼女に合わせ私はゆったりと歌を乗せる。
学園祭の日にこんな僻地で歌を歌うなんて、それだけでおかしな話なのだが、二人だけの秘密を共有しているような気がして楽しかった。
心地よく丸々一曲歌い切り、私は大きく息を吐き出した。
「はあ気持ち良かった。ありがとね」
「こ、こちらこそです! やっぱりこの曲は歌が入って初めて命が吹き込まれる気がするんです」
「作曲者が言うんなら間違いないね。こんな声で良ければいつでも貸すから言ってね」
哀愁に駆られ響ちゃんの頭を撫でたところで、ここに来た趣旨を思い出してしまう。そう言えば今の私は探偵助手ではないか。油を売っている場合じゃ無かった。
「あ、そうだ。ここら辺に怪しい人とか通らなかった?」
「怪しい人ですか?」
「そうそう。って見ただけじゃわかんないよね」
響ちゃんはうんうんと頭を捻ってから、何か閃いたように顔を上げた。
「あっ。そう言えば」
「何か思い当たった?」
「ね、猫さんが」
「猫?」
「は、はい。向こうのほうでしゃかしゃかと。チラッと見えただけなので気のせいかもしれませんが……。す、すいません! 人じゃないですね!」
響ちゃんは遠くの方を指差した後急いで頭を下げた。いくら人の通りが少ないからと言って、野良猫に侵入を許すだなんて。どうやらこの学校のセキュリティはガバガバらしい。
「そっか。ありがとう。また怪しそうな人がいたら教えてくれる?」
「しょ、承知しましたぁ!」
彼女がぴしりと手をあげたところで、ポケットに突っ込んでいた私の携帯電話が鳴る。発信主は知生だった。
捜索を開始して十五分ほどしか経っていないのに、意外と早い招集がかかりそうだ。
「もしもーし」
響ちゃんに一礼してから、画面に言葉を向ける。少し待ってみても、画面から言葉が返って来ることはなかった。電波に目を向けるが、こちらは問題なさそうだ。音量ボタンをいじっても特に不備があるように思えない。
「おーい。もしもしー?」
何度か言葉をかけても、やはり返事がない。よく耳を澄ましてみると、僅かながら篭った声で会話をしている様子がある。こんな時に誤発信か?
「ごめん響ちゃん。一旦戻るね」
「は、はい」
私は彼女に手を振り来た道を戻り始めた。電話があったら戻ってこいと言っていたし、これでぶつくさ言われたら怒ってやろう。
様相を変えることない道を折り返して、教室の扉に手をかけたところで私は首を傾げた。
「鍵がかかってる……」
閉めないって言ってたのに。はあと溜息を吐いて胸ポケットから鍵を取り出す。鍵穴に鍵を通したところで、扉の向こうから二人分の声が薄らと漏れてきた。
わざわざ鍵を閉めて誰かと会っているなんて、これはひょっとすると逢瀬か何かなんじゃないか。遂に知生にも春が訪れたのか、ずるいな。
しかしこれはお姉さんとしては見過ごせない。でも邪魔することになったら困るな。下賤な考えで扉にかけた手が止まるが、声が両方とも女性のものだとわかり、私はほっとして扉を開けた。
からからという乾いた音に、二人分の視線が私に向けられる。堂々と腕を組む知生の正面に佇む人物を見て、私は思わず鍵を落とし言葉を吐き出した。
「何してるの?」
「さ、サヤ? どうしてここに?」
「こっちのセリフなんだけど」
慌てて鍵を拾う私に驚いた表情を向けたのは、二階堂明那だった。どうしてアキがここにいるんだ。そしてどうして私がここに来たことにそんなに驚いているんだ。
これじゃまるで、私がいない隙に知生に会いに来たみたいじゃないか。
「戻って来るのが遅いじゃないか助手くん。危ないところだったよ」
「割と急いで帰ってきたよ。……というか何が起こってるの?」
わけもわからず狼狽る私とは相反して、少し余裕を取り戻したアキが口を開いた。
「当番は?」
「文香が代わりに……」
「なるほど。全部お見通しってわけね」
彼女は再び知生に視線を戻した。私が来る前にどんな話し合いが行われていたかはわからないが、和やかなんて言葉は全く浮かばないほど鋭い空気が流れていることだけは理解できた。
視線を躱すように、知生は手に持った虫眼鏡をくるくると回して私の方へと歩みを進める。
「おかえり助手くん」
「た、ただいま。どういう状況なの?」
「怪しい人物は見つかったかね?」
「えっ、いや見つかってないけど」
私は頬を掻いて言葉を返した。
虫眼鏡越しに可愛らしい瞳がこちらを見てくれているが、私が欲していたのはその話ではない。この状況に解を与えてもらえない限り、私の思考が犯人探しに向くことはおそらくないだろう。
私の返答が予想の範囲内だったのか、知生は笑みを浮かべたあと、スロー映像のように緩やかな動きでアキを指差した。
「そりゃそうだ。だって犯人はここにいるんだから」
動き同様、言葉がゆっくりと私に染み込んでくる。知生の指先は澱むことなくアキに向けられている。
「アキが……犯人?」
言葉にはしたものの、理解が追い付かなかった。というか、物事の優先順位が無茶苦茶になってしまったせいで、もう訳が分からなくなった。
アキが? 何故だ。私に意地悪を仕掛けてくるのは百歩譲ってわかる。でもこの数日間で主に悪意を向けられていたのは私じゃなかった。というか昨日謝ってきたじゃないか。
事実を落とし込めず、私は自然と口を開いていた。
「何か根拠があるの?」
「根拠もなにも、階段から私を落とした彼女と目が合いましたから。彼女も私に気付かれていることを知っているはずですよ。だからここに来たんでしょう」
「そんな、でも」
アキを庇おうという気は全くなかったが、どうしてもすんなりと納得できず、言葉が続かなかった。私の理解を促すように、知生が私のシャツの袖を握った。
「どうやら昨日、今までのことについて謝罪してきたそうじゃないですか。随分と急な話だとは思いませんでしたか?」
黒くて艶やかな髪の隙間から、アーモンド型の瞳が重々しく私を見つめている。
「急だとは思ったけど、言ってることは理解できたし」
「階段で私の背中を押したのが彼女だという前提があっても、同じように理解できますか?」
「それは……」
私を見つめる視線に、続けて否定の言葉が吐けなくなった。もちろん昨日アキからそんな話は聞いていない。
それを踏まえると、妨害が上手くいかず、最終手段で私に謝罪をしてきたのではないかと思えてきた。全ては妨害したという事実自体を煙に巻くために。
となると彼女は、私がいない隙に知生を押したという証拠を隠すつもりでここにやって来たのだろう。今に至るまでの知生の思惑と、アキの最初の言葉が遅まきに理解できてしまった。
私の沈黙を理解だと判断したのか、知生は溜息を吐いて私の後ろへと回った。彼女の小さな声が私の耳に届く。
「気付かないフリをして終わらせようと思っていたのに、緩い和解で逃げようとした彼女の根性が許せなくて、一芝居打たせてもらいました。犯人探しなんかじゃなくて、犯人誘いです。今まで心配かけてすいません。あと、きっと先輩に辛い思いをさせる方を選んでしまいました。すいません」
背後を陣取る彼女の表情はわからないが、珍しく沈んだトーンだった。知生が謝ることなんて一つもない。彼女が全てを黙ったまま、素知らぬ様子で高校生活を送っていたほうがよっぽど許せなかっただろうし。
ただやはり意味が分からなかった。私の知っているアキはそこまで愚かじゃない。私のことが憎ければ、直接私にダメージを与えようとしてくるはずだ。
「なんでこんなことしたの? わけわかんないよ。説明してよ」
私は視線をアキに向ける。じわじわと届く嬌声とは打って変わり、彼女は涼しげな表情を私に返し続けている。何を澄ましているんだ。お前が犯人なんだろう。もっと焦れ。
私の念は届かず、アキは落ち着いた様子のまま口を開いた。
「あーあ。ばれちゃったか。残念」
「残念ってそんな軽々しく……。私が嫌いなら私に直接来ればいいじゃん! なんで隠れてこそこそしてるの?」
「今日は単純にその子に謝りに来たのよ。証拠隠滅しようって事実には変わりないけどね」
彼女はわざとらしい溜息を一つ挟んで言葉を続けた。
「あなた達を邪魔していたのは私。ごめん。これでいい?」
「よくない。理由を教えてよ」
「それを言いたくないからサヤのいないところで話をしたかったのに」
「そんなの知らないよ。言いたくなくても聞かせて欲しい」
彼女は視線とともに両腕を天井に向ける。鎧が外れたように軽い彼女の動きが、私の視線を奪った。
恵まれた容姿の彼女は、とてもじゃないが追い詰められた主犯とは思えない様子だった。そんな美しい様相のまま、彼女は吐息交じりで口を開いた。
「入学したての頃からずっと、サヤのことが羨ましかったの」
「羨ましかった? 私のことが?」
意表を突かれて素っ頓狂な声を返してしまう。
「そう。真っ直ぐ剣道に打ち込んでいる姿が輝いて見えて、かっこいいって思ってた。一つのことに打ち込むって、私には出来ないことだったから。進級で運よく同じクラスになったから、みちるに頼んだの。あの子と友達になりたいって」
「え? そうだったの?」
「そうよ」
呆れたようにアキは笑った。プライドが高い彼女がそんな裏回しをしていたなんて事実を、今の今まで私は知らなかった。
それもそのはず、一年の頃は彼女とクラスも違っていたし、私のことを認識さえしていないと思っていたのだから。加えて私はみちるの仲介でふらふらと適当なところに属していただけだったし。
とんと背中に知生の体重がかかる。私は二階堂明那という人間を、大きく見誤っていたのかもしれない。
「でもそれと今回のことに何の関係があるの?」
「せっかく一緒にいられるようになったのに、サヤはずっとつまらなさそうだったよね。一緒に遊んだ時も、些細な話をしているときも、どこか上の空。強かったボスが味方になると弱体化してるみたいな感じ。立ち直らせてあげたい、あの頃の輝きが見たいって、私なりに動いていたのよ。それでもサヤは変わらなかった。それなのにその子とつるみ始めて、あなたは簡単に変わったの。私が羨んでいたあの頃の小牧沙夜子がどんどん戻ってきて、反面私たちの前には顔を出さなくなって……。私はそれが許せなかった。だから全員で無視をしたし、学園祭も台無しにしてやろうと思ったのよ。これが理由。どう? ダサいでしょ?」
アキは胸の内を吐き出し静かに笑った。その様子が、私の心をぐさりと突き刺した。
プライドが高いカーストの最上位というカテゴリで判断して、彼女の胸の内など想像すらしていなかった。
アキの想いを知らないまま、私は彼女の気持ちを無下にし続けてきたようだ。からっぽだのつまらないだのそんなことにうつつを抜かして、目の前の彼女に向き合うことを怠っていたのだ。
目の前にいるのは、慎ましくていじらしい女の子。その根性を曲げてしまったのは他でもない私だ。
なんだ、じゃあ全部私のせいじゃないか。知生が危機に瀕したことも、諸々の妨害も、全ての根幹には私がいたんだ。
「ううん。ダサくなんてない。ごめん。私、アキのこと全然わかってなかった」
私は一度目を伏せ大きく息を吐き出したあと、真っ直ぐ彼女を見つめた。
「でもやっぱりわからない。なんで知生を狙ったの? なおさら私に直接文句を言えば良かったじゃん」
私に腹が立っていたのならば、やはり私に直接手を下すべきだ。そうすればこんな大回りの手順を踏まず、彼女とももっと分かり合えていたと思うし。
私の脳で理解できていることが彼女に理解できていない訳が無かったのか、アキはなんてこともないように言葉を吐いた。
「その通りよ。だから今日は謝りに来たって言ったでしょ」
彼女は大きく息を吸い込んで上靴の先を見つめた。
「サヤに対する苛立ちだったはずなのに、いつの間にか私の矛先はその子に対する悔しさに変わっていたのよ。私が出来なかったことを簡単にやってのけたことに腹が立ったんでしょうね。でも階段から落ちたその子を見て我に返った。私はなんて事をしていたんだって。そしたらそれまでのことが全部自分でやったとは思えないくらい愚かで汚く思えてきて、全部なかったことにしたくなったの。こんなことになるなら最初から包み隠さず話せばよかったわ」
アキは私に背中を預け続けている知生に視線を向けた。空気を読んで私が少し身をずらすと、知生は「うっ」と声を漏らしながらバランスを崩した。
眉を顰めながら体勢を整えた知生が、一つ息を吐いてアキのほうを向く。
「くだらない感情に絆されて馬鹿みたいなことしてごめんなさい。あなたの言う通り正々堂々サヤにもちゃんと事実を伝えるべきだったわ。恵比さん、巻き込んでしまって本当にごめんなさい。罰を受けろというならなんでもするわ」
アキが昨日よりも深く頭を下げる。あまりにも潔いその姿は、憑物が取れたような美しさだった。
「言ったでしょう。元々は見て見ぬフリをするつもりだったって。二人が本当の意味で和解できたならば、私の出る幕はありませんよ。お気になさらず」
知生はそう言っていつも通り悪戯っぽい笑みを浮かべ、右手に顎を置いた。
「ただそうですね。実際私が受けた被害も少なくはありません。罰を与えたほうが収まりがいい気もします。うんうん。罰を与えることにしましょう」
知生はそう言ってアキの隣へと移動し、背伸びをしながらこそこそと耳打ちを始めた。
アキの真意とこれまでの不快感が少し晴れたことで、二人の顔面偏差値の高さに目を向けられるほど私は落ち着きを取り戻していた。我ながら私は顔立ちの良い知り合いに恵まれている。
内緒話が終わったのか、顔を離した知生に向け、アキは驚き目を見開いた。
「ええ? 私がそれを言うの? というかそんなことでいいの?」
「当然です。元はと言えばそこをちゃんとしなかったせいでこうなったんですから」
「そうね。仕方ない。罰ですもの。言うわ」
その言葉にむふむふと満足そうな笑みを浮かべながら、知生は再び私の後ろに戻ってきた。
両手の汗をスカートで拭う仕草を挟んだアキが、大きく息を吸う。
「サヤ、改めて言うわ。私と友達になって」
波の小さな言葉と共に、アキが私に右手を向けた。知生め。なかなか粋な計らいじゃないか。
目線を外して顔を真っ赤にして、こんなアキの姿を私は今まで見たことがなかった。こんな一面も、私が彼女に向き合ってこなかったせいで見逃していたものなのだろう。だとしたら惜しいことをしていたな。
私は浮き上がった気持ちを右手に込め、アキの手をしっかりと掴んだ。
「私こそ、友達になりたい。アキのこともっと知りたい」
「やめてよ恥ずかしい」
さらに顔を赤らめながら、アキは手を払ってぷいとそっぽを向いた。ただの犯人探しだと思っていたのに、物事はどう転ぶか終わってみないとわからないと改めて思わされる。
私はアキの横っ腹を肘でつつき、知生の如くにやついた顔を向けた。
「照れんなよー」
「あなたは何でそんなに清々しい顔をしているの?」
「嬉しいからに決まってるじゃん。というか今まで気がつかなくてごめん。ありがとう。これから仲良くできたら嬉しいな。あ、でも知生を落としたことは本当に怒ってるからね。知生が怖い思いをしたことは事実なんだから。お詫びとして知生とも仲良くすること!」
「おっ。良いこと言うじゃないですか。敵対視されていた人と肩を並べるなんて、激熱展開です。ということで私とも仲良くすることも罰に加えましょうか」
「馬鹿じゃないのあんた達」
ずいずいと身を寄せる私たちを躱し、アキは扉のほうへと歩き始めた。
「とにかく今回はごめん。何でこんなことになったのか自分でもわからないけど、完全に目が覚めた。もう変な迷惑をかけることはないと思うわ」
改めていつも通り最高にクールな顔つきを作り直したアキが、こちらを振り向いて堂々とそう言った。
彼女が教室を出ようと扉に手をかけたタイミングで、知生が声を上げる。
「最後に一つだけ気になったんで聞いてもいいですか?」
「なにかしら?」
「階段から落とした後に我に返ったって言いましたよね? なぜステージ照明をいじったんですか?」
知生の言葉で、私の中の時系列が整備された。確かに階段の一件の後も妨害は続いていたじゃないか。我に返ったという言葉と合致しない。
アキは再び振り返り、怪訝そうな顔を浮かべた。
「照明? 何のこと?」
「いやいやこんなところで惚けなくてもいいじゃん。私たちの演奏の時のやつだよ」
「私がこんなところで惚けるように見える? 本当に何も知らないわ」
「えっ。じゃあ誰が?」
「知らないわよ。じゃあね」
アキは謎を残したまま教室を出ていった。からからという音の後、教室は一層静けさを増す。
だったらあの照明は誰の仕業だったんだろうか。なんだか釈然としない気持ちを浮かべて知生を見ると、こちらはさらに難しい顔を浮かべていた。
「アキじゃないんだったら、誰なんだろうね? 本当にただのトラブルだったのかな?」
「はい」
言葉を向けても、返ってくるのは心の入っていない返事だけだった。
しばらくの後、彼女は何かを思いついたように顔を上げて言葉を並べ始めた。徐々に表情が曇っていく。
「照明は別、我に返った……。だったら今までの妨害は……。そうか。そうだったんだ。なんでもっと早く気が付かなかったんだ」
「ど、どうしたの? 怖い顔――」
おかしな様子にツッコミを入れている途中、視界からふわりと知生の姿が落ちる。彼女はそのまま地面に突っ伏した。
「ちょっと! 大丈夫?」
躓いたわけでもない、しゃがみ込んだわけでもない。彼女はただただその場に倒れこんだのだ。
急いで近づくと、彼女の肩から手に伝わる熱にぎょっとしてしまう。身を起こすと、赤みを帯び汗ばんだ顔がゆっくりとこちらを向いた。私は彼女の額に手を伸ばす。
「熱っ。熱あるんじゃないこれ?」
「ふふっ。ここまできて立てなくなるとか、我ながら可憐な身体ですね」
熱い息を吐き出しながら、彼女は細く笑った。こんな状態がいきなりやってくるなんて思えない。きっと彼女はぎりぎりの状態で今日を迎えていたのかもしれない。
「もしかして朝からずっと調子悪かったの? なんで言わないの!」
「いけると思ったんですよ」
「もう、ほんとに……」
そこまで言葉を吐いて、朝一の彼女の様子を思い浮かべる。お洒落なんてしてくる柄でもないだろうに、そう思っていたが、嫌なことに大正解だったらしい。
朝から真っ赤な顔だったじゃないか。なぜあそこでもっと問い詰めなかったんだ。
いや、後悔なんて後で死ぬほどすればいい。今はそんなこと考えている場合じゃ無い。
「とりあえず保健室に行こう!」
私は彼女を担ぎ上げ、急いで保健室へと向かった。




