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エンゲージリスト  作者: 豆内もず
4章 黎明と黄昏

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25/31

25.脱力とノスタルジック

 遠くに聞こえる賑やかな放送とさめざめと鳴る雨の音が、非日常感を醸し出している。それでも見慣れた空き教室は学園祭の空気と混じることなく平穏を保っていた。

「どっと疲れた。一日目にして全て出し切った感があるわ」

 指定席に腰を下した私は、一週間分の達成感を天井に向けた。

「いやぁ最高でしたね。想像の何倍も盛り上がりました。興奮覚めやらぬとはまさにこの事ですね!」

 遅れて教室に入ってきた知生がホワイトボードに向かい、大きく花丸を描いた。

 朝の様子とは一転して、彼女は喉を震わせながら身を揺らす。

 今となっては過ぎたことではあるが、どう考えても声が出ないというのは芝居だったのだろう。

「喋り始めたと思ったら絶好調だね。なんで声が出ないだなんて嘘をついたの?」

「嘘かどうかはともかくとして、私にはあんな声量はありませんからね。コマキサ先輩に任せて正解でした」

 あっけらかんと答える知生に、私は溜息を返した。

 あれほどなんでもやりたがる知生が私にわざわざタスキを渡した意味は全く分からないが、正直私としては楽しい思い出が出来たので良かった。

 諸々を考えるほどの余力ももう残っていない。

「思い返すと恥ずかしくなってきた。あんな大勢に向かってうるさいとか、脳がパンクロックすぎたわ」

 照れながら発した言葉を庇うように、響ちゃんが反応を示した。

「で、でもスカッとしました! ぶわぁぁって緊張が飛んでいった気がして……」

「ならよかった。もう無我夢中だったからあんまり覚えてないんだけどね。というか照明一つであんなに空気が悪くなる観客も観客だよ。佳乃ちゃんがいてくれて助かった」

 私の頭には始まった直後の体育館のざわめきが浮かぶ。

 照明担当を問い詰めた訳ではないが、私達の次のグループでは元気よく照明が動いていたこともあり、あれが単に機材のトラブルだとはどうしても思えなかった。

 知生の頭にも同じことが浮かんでいるようで、彼女は呆れたように溜息を吐き出した。

「山上先生に手を回しておいて正解でしたね。端から何か起こることは予想していましたから。音響の方じゃなくて助かりました」

 どうやら佳乃ちゃんをあそこに配置していたのは知生だったようだ。飄々と対抗策を考えているあたり、さすがとしか言いようがない。

「やっぱりあれ、わざとだよね」

「さあどうでしょう。なんにせよ終わったことです。これからの楽しみのことを考えましょう!」

 知生はそう言ってパンフレットを眺め始めた。もう彼女の興味は他のものに移ってしまったらしい。

 確かに今さら犯人を突き止めたとてどうなる訳でもないか。様々な妨害を経てまでも、私達は事を為し終えたのだから。

 全てのリアクションに遅れるように、響ちゃんが何かに気付き身を震わせた。

「ええっ? と、トラブルじゃなかったんですか? ……す、すいません。はしゃいですいません」

 あれだけの喝采を浴びても、彼女は彼女らしさを貫いていた。それがなんだか面白くて、私は彼女に笑みを返した。

「もっとはしゃいでいいんだよ。ほれほれ」

 私は言葉と同時に彼女の頬を突く。程よい弾力が指先を押し返した。

 頬を膨らます響ちゃんとじゃれていると、知生から言葉が飛んでくる。

「それより先輩。もう一つの目標、忘れていませんか?」

 目標。バンドで演奏することと全ての出し物を回るというのが今回のちいリストのテーマだ。

 達成感で浮かれていたが、バンドに並ぶほど重量がある課題がまだ残っているじゃないか。

「全出し物制覇だっけ?」

「その通り! 片っ端から回り始めますよ! ――と言いたいところですが」

 知生は両手を上げて大きく首を振った。

「ん? 何か予定があるの?」

「私と響ちゃんはこれから自分のクラスの模擬店を手伝いに行かねばならないのです!」

「のですぅ……」

 知生の言葉に響ちゃんが並ぶ。文香が剣道部の方へと戻ってしまった今、二人が去ると私は一人になってしまう。

「ええー。もうちょっと余韻に浸りたかったのに」

「そんなもんは家で勝手に浸ってください。今は祭りの真っ只中です。とりあえずここから一時間くらいは自由時間ですから、存分に羽を伸ばしてきてください。まあ、伸ばせれば、の話ですけどね」

 矢継ぎ早に言葉を並べた知生は、最後に意味深な単語を放り出口の方へと歩き始めた。

「言われなくても伸ばしますよーだ」

「ではではまた後ほど」

 途中まで知生に追随していた響ちゃんが、はっと思い出したようにこちらに戻ってくる。

「さ、沙夜子先輩。本当にかっこよかったです! あ、あの、私たちのクラス、良ければ来てくださいね。サービスしますから。……はっ! 私にそんな権限ありませんでした……」

「うん。ぜひ行かせてもらうよ」

「響ちゃん、早く行きましょう」

「ま、まってぇ」

 知生の声に呼ばれ、響ちゃんも足早に教室を後にした。


 熱がぽわんと残ったまま一人になってしまった。

 とりあえず冷やかしに彼女達の教室には行くとしても、余韻のままアクティブに過ごすなんて気概は今のところ湧いてきていない。しかし、多少の空腹感はある。

 早速文香のところに顔を出してやるか。私は立ち上がり、フラフラと校舎を歩き始めた。


 空きっ腹を満たせそうなものを探しながら校舎を徘徊していると、所々でこちらに視線が向けられている気配を感じた。

 特に身なりを気にするわけでもなく出てきてしまったから、ひょっとすると汗やらなんやらで顔がひどい状況になっているのかもしれない。

 こちらを見ながらこそこそと会話が広がる空間は、それなりに居心地が悪い。そんな空気の中、見覚えのない男女が私の行く先に立ち塞がった。

「あのっ! 小牧先輩!」

 それなりのボリュームで声をかけられる。言葉尻から考えると後輩だとは思うが、必死に思考を回してもやはり彼女たちに見覚えはない。私は一歩身を引いて、おずおずと言葉を返した。

「は、はいなんですか?」

「ライブかっこよかったです! それで、えっと。一緒に写真撮ってください!」

 女の子の方が大きく頭を下げた。なるほど。先ほどのライブで僅かながら私の知名度も上がってしまったらしい。

「わ、私でいいんなら、いいですけどぉ……」

 響ちゃんが乗り移ったように私の語尾が揺れる。言葉を受けた彼女は飛び上がって喜び、傍らの男の子に携帯電話を渡して私の隣に並んだ。

 少し腰を曲げ、ぎこちないピースと笑顔を浮かべたところで、シャッターが切られる。

「ありがとうございました!」

 二人組が去っていったと同時に、堰を切ったようにわらわらと群れが出来始め、私は瞬く間に籠の鳥と化した。

 なるほど。確かにこれでは羽を伸ばすどころの騒ぎではない。足りていなかったのは私の想像力だった。仮にも私はあの団体の一員だったのだから。

 その後、私はパネルのように硬直したままカメラを向けられ続けた。


 しばらくしてようやく群れから解放される。わずか十分ほどの出来事で、がっつりと体力を奪われてしまった。

 人目を避けるように移動し始めた私は、気がつかぬ間に自分の教室の前にたどり着いていた。

「おやぁ。さやちんじゃん。おっすー」

 教室前で私を捕らえたのはみちるだった。

 彼女はいつも通りの制服に、猫の着ぐるみの頭だけを脇に抱えるという非常に愉快な様相をしていた。

 客引きにでも使うのだろうか。学園祭らしくていいじゃないか。隣にアキを装備しているということを除けば。

「おっすー」

 適当な言葉を返し、私は折れた背筋をまっすぐ伸ばした。

「いやぁやばかったねライブ。超盛り上がってたよぉ! めっちゃアガったわぁ」

「えっ、見てたの?」

「そりゃぁさやちんウォッチャーとしては見逃せないしぃ」

「いつからあなたは私のお目付役になったの? というかそれ何?」

 私はみちるの腕に収まった猫の頭を指差した。

「ああこれぇ? かわいいっしょ? 校内のゴシップを集めるための変装用だよぉ」

 彼女は猫の頭を被り、むふむふと微笑んだ。斜め下を向いたリアル志向な猫の顔に、女子高校生の身体が付随するという絵面は、想像を超えた気持ち悪さだった。

「逆に目立ちそうだけど……」

「私だとバレなければなんでもいいんだよぉ」

 けたけたと曇った声を発しながら、みちるは被り物を外した。目線を動かしたことでうっかりアキと目が合ってしまい、私は急いでみちるに視線を戻した。

 立ち去ってくれた方がありがたいのに、アキは斜め下を向いてその場に居座り続けている。彼女の処遇に困っていると、みちるから声が上がった。

「んで? アキは? どうするのぉ?」

 彼女は猫の頭でぐいっとアキの横腹を小突いた。それでもアキは微動だにせず沈黙を貫く。

「焦ったいなぁ」

 しばらくの後、虚無に飽きた様子のみちるがアキの背中を押した。私の目の前にアキが差し出される。彼女は依然として斜め下を向いたままだった。

 訳もわからず微動だにできない私に向かって、アキはようやく口を開いた。

「はあ。私の負け」

「えっ?」

 思いもよらぬ言葉に私は思わず目を丸くする。アキはそんな私を見上げて堂々と言葉を続けた。

「いろいろ大変だったみたいだけど、あんなかっこいい姿見せられたら、認めざるを得ないわ」

 顔色を変えずそう言った後、彼女は深く頭を下ろした。

「長いこと意地悪して悪かったわね。最近のあんた見てたら、なんだか自分のやってることが馬鹿らしくなってきた」

「アキ……」

「ごめん。仲直りしてほしい」

 謝った。あのアキが。ストレートに、素直に。驚天動地とはまさにこのことだ。

 大方ライブやらの私の振る舞いで、今関係を元に戻しておかないと自身の立場が危うくなると踏んだのだろう。そのぐらいの想像は容易い。実際この数分は魔法がかかったように人から声をかけられたし。

 それでもプライドの塊のような彼女が頭を下げてくるとは思わなかった。


 意表を突かれたが、このタイミングで手打ちを打診してくるなんて都合が良すぎるにも程があるとは思う。ふざけるなとも多少思う。

「謝らないでよ。ここで身を引くとかずるいじゃん」

 とりあえず不平を述べてみたものの、それ以上の言葉が思いつかなかった。夏前から今に至るまで、アキの手口によって私が受けた傷は浅くはないが深くもない。

 後半は吹っ切れて多少居心地が良かったくらいだ。クラスメイトとの距離感という部分に脳容量を割かずに済んでいたのだから。よくよく考えれば、ここで和解をしようがしまいが私にメリットもデメリットもない。

「頭を上げて。仲直りも何も、私から険悪ムードを出した覚えはないんだけど」

 だから正直なところどうでもよかった。どう思われていようが、無視されようが、私が高校生活に充実感を覚えるための要素はもうすでに揃っている。こんなものはただのボーナスステージだ。

 アキの顔が上がる。整った顔立ちが歪むことなく私の方を見据えた。こちらに物言わせぬような独特な雰囲気は健在だが、相手がアキであろうと、今の私は自分を曲げるつもりはない。

「ただね、前と同じってわけにはいかないよ。私はアキのやり方が好きじゃなかったみたいだから。でも、邪険にするほど嫌いじゃない。好きにしたらいいんじゃない?」

 私は彼女の前に右手を差し出した。彼女が手打ちを望むのであれば、それを拒むほどの嫌悪感もない。彼女は驚いた顔で私の手を握った。

「悔しいわほんと。サヤ、変わったわね」

「変わってないよ」

「変わった。空気とか顔色を窺ってばかりで、やりたいことが見えなかったもの」

 確かに彼女たちの前での私は、そう言われて然るべき振る舞いをしていた気がする。知生と出会う前の私は、間違いなく空気や顔色しか窺っていなかったし。

「うっ。それは間違い無いかも」

「とりあえず、つまらないことはもう辞めるわ。仲違いはここで終わり。明日は十時から当番でしょ? せいぜい売り上げに貢献してちょうだいね」

「観光名所として活躍してみせるよ」

 アキは静かに微笑みを返しながら、教室の中へと消えていった。なんだか非常にあっけない流れで遺恨が晴れてしまった。拍子抜けこの上ない。

 それらを全て見ていたみちるは、被り物をくるくると回しながら溜息を吐いた。

「ほんと素直じゃないんだからぁ。アキね、ずっと仲直りしたがってたんだよ」

「そうなの? なんか意外」

「私としては、さやちんが怒らなかったことの方が意外だったけどねぇ」

 教室の方を眺めながら、みちるは再び被り物を小脇に抱えた。怒らなかった、確かにそうだ。というか、微塵もそんな感情は湧いてこなかった。そしてそれはそんなに意外なことだろうか?

 そもそも楽しいことをしていた余韻が残っているのに、わざわざ必要以上にアキと揉める理由がないのだ。

「別に。それにさ、クラスのみんなもアキに乗っかったわけじゃん? 私にそれくらいの魅力しかなかったってことだよ」

 あっけらかんと言葉を返す私に対し、みちるはくつくつという曇った笑みを浮かべた。

「ふーん。視線に怯えていた頃とは大違いだねぇ。んじゃ私もゴシップ集めが忙しいから行くねぇ。どうやら三年のマドンナの恋愛事情が動きそうなんだよねぇ」

「面白そう。また聞かせてね」

「おけまるー」

 しっかりと猫の面を被り、みちるは小走りで私の横をすり抜けて行った。忙しなく動く下半身と猫の後頭部を見送った後、私は窓の外を眺めた。

 幾重にも重なった雲は光を遮り、数分前よりも大きな雨粒を落としていた。さっきまでの高揚感が、アキの謝罪でなんだかしっとりとしてしまったな。

 今一度一人になった私は、感情を持て余したまま歩き始める。

 

 剣道部の模擬店が校庭にあるせいで、私はわざわざ傘をさしながら濡れたグラウンドを踏みしめた。

「あー! 小牧先輩じゃないっすか!」

 目的地に着くや否や、声をかけてきたのは長谷川陽子だった。

 透明な傘から透けて見える彼女は、この間コテンパンにしてしまった割に、こちらにきらきらとした目を向けてきていた。

「おっす」

「もちろん買っていきますよね? 何本いりますか?」

「あー、えっと」

 大きすぎる彼女の声で、テント内の全ての視線が私に向けられ始める。毅然と振舞っているつもりだが、やはりこの場所はまだ居心地がいいとは思えない。

 アキのことと同様、引っ掛かりが無くなったとはいえ、傷がきれいさっぱり消えたわけではないのだ。

「なんだ。結局来たんだ」

 出方を伺っている部員たちの間から文香が現れる。頭に三角巾をつけて腕を組む彼女は、何だかいつもより母性があって面白かった。私はほっとして言葉を吐いた。

「行くところなくってさ」

「後輩は?」

「当番だってさ」

「ふーん」

 目を細めてこちらを見る文香の隣から、陽子が大きく身を乗り出した。

「そうだ小牧先輩! また試合してくださいよ! 今度は良いところまで戦えると思うんすよね!」

 なんて熱いんだこの子は。フランクフルトをじわじわと焼いている鉄板に並ぶほどの熱量を向けられ、私は一歩身を引いた。

「え、ああ、気が向いたらね」

「マジで強いっすよね。どうやったらあんなに強くなれるんすか」

「はいはいそこまで。今日はそんな日じゃないでしょ」

 今度は文香が陽子を遮るようにフランクフルトを私の前に差し出した。湿気を遮って届く匂いで、私は空腹感を思い出してしまう。

「え? 食べていいの?」

「サービスよ。こんな天気だし、もう今日は閉めようと思ってさ。さっそくリース代の元も取れたし」

「そうなんだ」

 受け取ったフランクフルトをありがたく頬張り、私は空を仰いだ。ビニール越しに見える空は未だに深い灰色を帯びており、ぽつりぽつりとやかましい雨音を鳴らしている。

 そそくさとフランクフルトを食べ終えた私に、少し考えた様子の文香が声を向けた。

「どうせこれから暇なんでしょ? 学祭回るの付き合ってよ」

「私?」

「あんた以外に誰がいるのよ」

「いいよ。というか文香はいいの?」

「質問下手ね。いいから誘っているに決まってるでしょ」

 文香は三角巾を外し、何人かに声をかけた後、私の傘を掴んで歩き始めた。ずいずいと進む傘に引っ張られるように私は足を動かす。

 背後から陽子が何かを言っていたが、彼女の声は雨音に遮られ流れていった。


 そそくさと校内に入り露を払いながら、私は文香に目を向ける。

 文香は私と違って潤沢な友人数を誇っているはずだ。わざわざ私なんかと回らなくても、彼女が余るなんてことはありえない。

 何を考えてるんだろうと不思議に思ったが、これは彼女なりの気遣いなのかもしれない。油断しきった心が緩み切った言葉を吐き出した。

「ねえ文香。お腹すいた」

「はあ? さっきフランクフルトあげたでしょ。というかお昼も食べてたじゃない」

「大声出してお腹すいちゃったの」

 雨粒のように冷ややかな視線が文香から返ってきた。へらへらと笑みを返すと、彼女は呆れたように息を吐く。

「じゃああの後輩達のところに行きましょ」

「ん? 飲食店なの?」

「たしかメイド服を着てパンケーキ売ってるんじゃなかった?」

「そうなの?」

「なんであんたが知らないのよ。とりあえず顔出しついでにそこで食べればいいんじゃない?」

 私の脳構造は彼女たちのように効率よく作られていない。なぜかそれを知っている文香とは違い、私は楽器とか諸々のことに精一杯で、知生たちのクラスが何をするのか把握していないのだ。

 メイド服でパンケーキか。食欲的には物足りない気もするが、これはなかなかに他の欲求が満たせそうな予感がする。

「よし、そうしよう!」

 目的地が決まり、私たちは一年三組の教室の方へ向かう。


 華やかな催し物群を流し見していると、ふと文香が思い出したように声を上げた。

「そういえば、あんた二階堂と揉めてるんだってね」

「知ってたんだ」

「そりゃ耳に入るわよ。クラスのボスみたいなもんでしょ? あの子と揉めながら迎える学園祭とか最悪のイベントじゃない?」

 思えばクラス単位で無視されているのだから、他の教室にそのうわさが届いていてもおかしくはない。

 その事実を知って私を誘ってくれたということは、やっぱり気遣ってくれてたんだ。しみじみと感慨深さを覚える私のよそに、文香は言葉を続ける。

「あんなややこしいのを敵に回して良い事なんて一つもないでしょ。あんたも馬鹿ね」

「ああ、でもなんかさっき謝ってきたよ」

「はあ?」

「ほら、私がこんな感じになったから、敵に回すのも厄介だと思ったんじゃない?」

 こんな感じというのがどんな感じなのかは私自身にもよくわかっていない。しかし、謝ってきたという事実は間違いなく存在する。

 元よりそこまで影響はないが、この学園祭はあの子とのいざこざも払しょくしてくれたのだ。最悪でも何でもない。

 文香は怪訝そうに目を細め、過ぎ去る看板のほうへと視線を移した。

「ふーん。あの二階堂が簡単に負けを認めるとは思えないけどね。まぁいいわ。……というかクラスが居辛いなら早く言いなさいよ。昼ご飯くらい付き合ったのに」

 文香はさらに視線を外し、どこともつかない方向に言葉を吐いた。

 馬鹿だとかなんだ言いながらも、なんだかんだこの子は世話焼きなのだ。こういうところが好きで、かつての私は彼女を親友だと思っていたのだから。

 学園祭の空気感が、どんどん私達の距離感を修復している気がした。

「ありがと。なんか文香って感じ」

「どういう意味よそれ」

「この感じが懐かしいなって思っただけだよ」


 そわそわと会話を続けているうちに、いつの間にか目的の教室の前まで到着していたらしい。フリル満載のエプロンに手持ち看板を携えた少女が私たちに声をかけた。

「おお! こまちゃん! あんちゃん!」

 少女だと思った人物は立派な成人女性、佳乃ちゃんだった。ハンドメイドっぽいメイド服に身を包み、珍しくポニーテールを携える彼女は、少女と形容しても違和感がない装いをしていた。

 まさか副担任が客引きをしているとは。ここが知生たちの教室じゃなくても私は足を踏み入れてしまっていただろう。

「おっす佳乃ちゃん。メイド服かわいー」

「でしょ! わたしもまだまだいけちゃうと思わないかね?」

「もう最高。かわいい」

 目の前で一回転する彼女の頭を私は思わず撫でた。身長差もあってかすっぽりと私の手中に収まった彼女は、じっとりとした瞳をこちらに向けた。

「私は君より十年くらい歳上かつ先生なんだけれども、それでもそのアプローチは正解かな?」

 本来であれば正解ではない。そんなことは重々承知だ。しかし私はこの先生のノリの良さをよく知っている。

「佳乃ちゃんだからセーフ?」

「……。お祭りだから許す! 存分に撫でてよし! あんちゃんも撫でてよし!」

 ほらやっぱり。存分に頭を撫でまわす私の横から、文香が口を開いた。

「というかなんで佳乃ちゃんが店番してるの?」

「生徒が頑張っているのに頑張らないのは、私のポリシーに反するのだよ。年甲斐もなくフリフリのメイド服を着ろと言われれば着るし、客引きをしろと言われれば招き猫になっちゃうの」

 空いた右手を丸めた佳乃ちゃんは、ハッとしたように私たちに笑顔を向けた。

「そういえば、二人ともかっこよかったよ!」

 佳乃ちゃんの言葉で、私は彼女の頭を撫でる手に更なる感謝を込めた。いろいろな感情に揉まれたせいで、すっかりと立役者への感謝を忘れていた。

「そうだそうだ。さっきは照明ありがとね。すごく助かったよ」

「大したことはしてないよ。でもちょっとテンション上がっちゃった。青春のお裾分けご馳走様。来年は私も出させてよー」

「えーどうしよっかなー」

「あー! こまちゃんの意地悪! というか入って入って! 中に知生ちゃんとにっしーちゃんもいるから」

 ぴょこぴょこと動く佳乃ちゃんに案内され、私たちは教室の扉をくぐった。

「はいはーいお嬢様二名お帰りですよー! んじゃ楽しんでねぇ」

 そそくさと室内に私達を追いやった佳乃ちゃんは、再び客引きへと戻っていった。バトンを受けたメイドちゃんが、たどたどしい様子で私達を席へと案内する。

 パンケーキの甘い匂いが広がる教室は、ティータイム時ということもあってかほぼ全ての席が埋まっていた。

「思ったよりちゃんとしてるのね」

「そうだね」

「紅茶は……ないのね。小牧、私コーヒー」

「私はメイドさんじゃないよ」

 知生のアルバイト先に比べると幾分チープに見えるが、教室内は賑やかな色合いが浮かんでいた。ちらほらと執事の格好をした男の子の姿も見える。

 ジャンルで言うと何喫茶というべきなのかはわからないが、しっかりと非日常感が醸し出されていた。

 自作なのか微妙にサイズ感が合っていない制服や、冷やかしに来てるであろう友人達。学園祭という空気感でなんとか空間が一つにまとまっている感じだった。

「お、お帰りなさいませぇい……。お、お嬢様ぁ」

 席についてのんびりしていると、メイド服を着た響ちゃんが不思議な呪文を唱えながらとことこやってきた。

 店員配置的に正解かどうかはわからないが、見慣れない服装でもじもじしてて可愛い。

「いやーんかわわぁ! 写真撮っていい?」

「しゃ、写真は禁止となっておりますゆえぇ」

「なにその変な喋り方。小牧も変だけど」

 失礼なことを言ってくれる。私のどこが変なんだ。目を細めて文香を見た後、もう一度響ちゃんに笑顔を向ける。

「残念。じゃあ注文いい?」

「へ、へい! なににいたしやしょう!」

 いたしやしょうときたか。見知った客に対してそこまでガチガチになっていて本当に大丈夫なのだろうか。数時間前ギターを弾いていたあのかっこいい子と同一人物とは思えない。

 でもそのギャップは私的には非常にグッドだ。私は響ちゃんの語気に合わせ、メニューに書かれた文字を読み上げた。

「パンケーキ二つとコーヒー二つで!」

「私は食べないからパンケーキは一個で良いわよ」

「私が二個食べるんだよ」

「うわぁ」

「パンケーキとコーヒー。二つずつぅ……。う、けたまわり、ましぃ……」

 奇妙な言葉とともに、かくかく動く響ちゃんはパーテーションの裏へと消えていった。

「それより、さっきの二階堂の話。詳しく聞かせなさいよ」

 かくかくメイドさんを見送っていると、文香が気持ち小さな声で私に尋ねた。私はとりあえず宙を仰ぎ言葉を返す。

「詳しくもなにも、謝ってきただけだからなぁ」

「そこを詳しくって言ってるのよ。なんて謝ってきたの?」

「最近の私見てたら邪険にしてるのがバカバカしくなったんだってさ」

「はあ? なによそれ。ただビビってるだけじゃん。都合良すぎでしょ。んで? 許したの?」

「許したよ」

「うわぁ。チョロいわ」

「というか別に私から敵意を向けたわけじゃないし、正直言ってどうでもいいというか……」

「相変わらず変なところであっけらかんとしてるんだから」

「それに昼休みは文香様が一緒にご飯食べてくれるんでしょ? なおさらクラスなんて括りどうでもいい」

「気を使って損したわ」

 文香が溜息を吐いたタイミングで、注文した食べ物が運ばれてくる。甘い香りが目の前に広がった。

 無言で配膳を終えたメイドさんは、至極かわいくない表情でこちらを見下ろしていた。

「誰かと思ったらあんこまコンビじゃないですか」

「恐ろしい呼び方で括るんじゃないわよ」

 パンケーキを置き腕を組むメイドさんは、案の定知生だった。文香の視線にもふんと吐息を返す彼女は、ツンデレ喫茶に変貌してしまったのかと思うほどの塩対応だ。

 本業時の彼女を見てしまっている私からするとやはりチープな姿だったが、それでもスカートからすらりと伸びる生足は目を喜ばせるには十分な破壊力だった。

 私の下品な視線を避けるように、知生が言葉を吐いた。

「何やら面白い話をしていましたね」

「ああ、揉めてた子と和解したって話だよ。面白くはないかもね」

「ほう……なるほど」

 何かを咀嚼するかのように頷いた彼女は、口角と人差し指を上げた。

「ところで、コマキサ先輩は明日何時から当番なんですか?」

「確か十時からだったと思うよ。一時間の拘束は避けられないけど、ちゃんとお腹空かせておくから一緒に回ろうね」

「ふふふ……。そんな平和ボケたことを言えるのは今のうちですからね」

「えっ」

 八重歯を見せ悪魔のように笑う姿に唖然としている間に、次なる冷言が降りかかってくる。

「さっさと食べて、さっさと出て行ってください。それじゃまた後で」

「えー! かわいくなーい!」

 知生は不穏な言葉だけを残して他の席へと注文を取りに行ってしまった。上がる語尾、満天の笑顔。私達には向けられなかった数々が他の生徒たちに向けられていく。

「ふふっ。さっさと食えだってさ」

「うう。求めていたサービスを受けられなかった……」

 不平不満をパンケーキと一緒に流し込む。あとで佳乃ちゃんにクレームをいれてやろう。目の前で優雅にカップを傾け笑う文香に睨みを返しながら、私は大急ぎで皿を空にした。


 その後、文香と学園祭をふらふらと巡った後、結局空き教室に集まった四人でダラダラと過ごして、何事も起こらないまま一日目のお祭りが終了した。


 そして、怒涛の学園祭二日目がやってくる。

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