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エンゲージリスト  作者: 豆内もず
4章 黎明と黄昏

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24/31

24.調音とパフォーマンス

 雲、雲、雲。どこを見上げても深い灰色。学園祭初日は、今にも雫をこぼしそうなどんよりとした雲に覆われていた。

 お昼からは傘が必要になる、なんていう気象予報士の言葉を思い出す。確か私たちの出番は午後二時。雨にしっかりとぶち当たってしまいそうだ。

 大きな欠伸を一つ挟み、私は通学路を辿る。昨日のスタジオ練習が長かったせいでしっかりと寝不足だが、身体のだるさに反して気持ちは非常にしゃっきりとしている。


 西代ちゃんはもちろんのこと、知生も文香もつつが無く各パートをこなしていて、即興バンドにしてはまあ聴けるレベルにはなったんじゃないかなと思う。

 何を隠そう、偉そうにこんなことを考えている私が一番の不安材料なのだ。

 今日の私の使命は、彼女達の邪魔にならないよう細々とギターを鳴らすくらいだ。ここまで力量差があると、もはや恥ずかしさも無く清々しい。ただ一丁前に緊張だけはしているけれど。


 学校に近づくにつれ浮かれた空気が漂ってくる。その空気に混ざり切れない丸まった背中が目に入った。あの自信のなさは間違いなく西代ちゃんだ。

 私は小走りで彼女に近づき、細い髪がかかった背中をとんと叩いた。

「おはよっ」

「ひゃぁ!」

 丸まっていた背中がぴんと伸び、括られた後ろ髪がぴょこんと跳ねる。声につられた学生達がちらりとこちらを向き、くすくすと笑みを浮かべた。

 西代ちゃんは恐る恐る振り返り、私の顔を見てほっと胸を撫で下ろした。

「こ、小牧先輩。おはようございます」

「いよいよ当日だね。意気込みは?」

 向けた私の右拳に向かって、彼女は息をこぼす様に言葉を吐いた。

「みなさんに迷惑をかけないように、頑張ります……」

「あはは。まんま私のセリフなんだけど」

「ご、ごめんなさい……」

「いやいや謝るところじゃないから」

 もじもじと視線を落とす彼女に合わせ私は足の動きを緩める。演奏している時は驚くほど堂々としているのに、日常生活での彼女は非常にか細い。

 それもまあ可愛いところではあるので私的にはグッドなのだが、この気弱ガールの存在を外界に知らしめることも今日の演奏の肝なのだ。

 ここは先輩らしく、発破を掛けてやろうではないか。

「ほれほれ、私の意気込みとか聞いてみてよ」

「えっ。じゃあ、はい。意気込みを」

 柔らかく西代ちゃんの手が向けられる。こほんと咳を一つ挟み、私は口を開いた。

「自分が好きなものってさ、みんなに知ってほしいよね」

「えっ?」

「私、この数日間で西代ちゃんのファンになっちゃった。だから今日は、西代ちゃんがみんなに見つけてもらえるように頑張る! これが今日の私の意気込み。どう?良いでしょ?」

「先輩……」

「ほら、行こ!」

 私はもう一度彼女の背をとんと叩き足を動す。私の一歩後ろを進む彼女から声が返ってきた。

「せ、先輩!」

「んー?」

「ありがとうございます! 私、頑張ります! あ、あと、さ、沙夜子先輩って呼んでいいですか……? あぁ! ち、ご、ごめんなさい急に」

 彼女は慌てて顔を両手で覆った。

 なんだこの可愛い生き物は。このしおらしさを、私をコマキサと名付けたどこぞのちんちくりんにも見習ってほしいものだ。

 私は吸い込んだ息で歓喜を封じ込め、落ち着いて言葉を吐き出した。

「もちろんいいよ。というかむしろそう呼んでほしいくらい。頑張ろうね、響ちゃん」

 私たちはそのまま開会式が行われる体育館へと向かった。


 ずらりと並べられたパイプ椅子に適当に腰掛けしばらく待っていると、会場が暗転して開会式が始まった。

 先制パンチと言わんばかりに、ワンカットで撮られたオープニングムービーが流れる。

 お調子者が目立って笑いを取り、堅物の先生が珍しくふざけ、流行り物のパロディで大盛り上がりのムービーだった。隣に座る響ちゃんは、音楽に合わせてのほほんと手を叩いている。

 こんなものを見たら、来年知生がやりたいだとか言い出すかもしれないな。ワンカットを撮るってものすごく労力がかかりそうだ。

 そういえば知生の姿がまだ見えない。強制参加というわけではないが、学園祭を余すことなく味わうと言っていたから、オープニングセレモニーにも当然参加するものだと思っていた。

 開会の挨拶や高揚した生徒たちの声に身を揺らしていると、ああいよいよ学園祭だなぁ、なんて間抜けな考えがふわりと浮かんだ。

 私は楽器に必死になっていたけれど、いろんなところでこの学園祭に賭けているであろう様子が受け取れる。流石は影響力の大きいイベントと言ったところか。

 包み込む空気がいつもと違いすぎるせいで、柄にもなく私の心も浮かれていた。


 結局知生が現れないままつつがなく開会式が終わり、私達はいつもの空き教室に向かう。

 扉を開けると、仁王立ちでこちらを見つめる知生と目が合った。なんだ、こんなところにいたのか。

「ここにいたの?」

 私の言葉に、彼女は片方の口角だけを上げた気持ちの悪い笑みを浮かべた。普段ならここで、大声で挨拶をしてくるところなのに、彼女はただただむふむふと佇んでいる。

 私と響ちゃんは顔を見合わせ首を傾げた。

「開会式にも好きそうなものあったのに、もったいない」

「ムービー、すっごく面白かったよ」

 私たちが言葉を並べると、うむうむと頷いた知生が無言のままホワイトボートに向かって行った。

 キュルキュルという音が真っ白なホワイトボートに文字を紡いでいく。

『声が出なくなりました』

 ぺろりと舌を出した知生が、お茶目に明後日の方へと視線を向けた。学園祭にも関わらずいつもよりも装飾の少ない髪を揺らし、彼女は嘘っぽく照れ笑いを浮かべる。

 声が出なくなった。ほう。それは大変だ。

 冷静に字面とにらめっこすること五秒。私は思わずカバンを落っことしてしまった。

「えーー!」

「えーー!」

 私と響ちゃんの声が、綺麗に重なった。響ちゃんの最大ボリュームがこんなところで更新されるなんて思わなかったが、それ以上に予想外な文字列がホワイトボードには並んでいる。

「こ、声が出なくなったってどういうこと?」

『昨日練習しすぎ。声枯れた』

 異国の人のような片言な表現を、彼女はさらさらとホワイトボードに書いた。長時間練習のしわ寄せがこんなところに来るなんて。

「嘘でしょ……? 超ポンコツじゃん」

『呪』

「怖いわっ!」

 漢字一文字と知生の恨めしい視線がこちらに突き刺さる。その視線を向けたいのは私のほうだ。

 自分からバンドをやりたいと言い出しておいて前日に全力を出し切るなんて、なんとおまぬけなことか。

「えっ。じゃあボーカルはどうするの?」

『もちろん』

 そこまで書いて、知生は私を指差した。

「私っ? 本気なの?」

 こくこくと頷く彼女は、流れのまま文字を書き始めた。

『出ない、ありえない。代わり、コマオンリー』

 暗号のような文面がホワイトボードに並んでいく。隣から響ちゃんの「ふぇ」という奇妙な声が聞こえた。

 ライブを取りやめるなんて事はしたくなくて、代わりに歌うならコマキサしかいない。知生は多分こういうことを言いたいのだろう。私が歌う? 馬鹿な。ギターだけでも手一杯なのに。

 知生の自信満々な顔を見ていると、自然に熱い息が漏れた。普段は人気のないこの教室にも嬌声が届くほど、学校内は学園祭の空気に汚染されている。

 漏らした溜息を吸い込み、私は担いだギターを下した。

「……仕方ない。わかった。私がやる」

 なぜこんなにもあっさりと状況を飲み込めたのか、自分自身でもわからなかった。

 単に断る理由がなかったのかもしれないし、祭りの空気にもっと深く混ざりたいと思っていたのかもしれない。

 ただ間違いなく、辞退をしたくないという部分において知生と私は同じ気持ちなのだ。そして何より、湧き上がってきているこの熱を収める手段を私は知らない。

 知生のためにも、響ちゃんのためにも、手伝ってくれている文香のためにも、自分自身のためにも、ここで断るなんて事が出来ないだけだ。そうに違いない。

 私のあっさりとした返答は後輩二人の動揺を誘ったらしく、知生はぽかんと口を開け、響ちゃんはあわあわと身体を揺らし始めた。

「さ、沙夜子先輩! 大丈夫なんですか?」

 響ちゃんの慌ただしい声にも、私は落ち着いた言葉を返す。

「大丈夫かどうかはわからないけど、出たいのは間違いないし、これしかないかなって。それに私のパートが一番負担が少ないし。ただでさえボロボロなギターがさらに崩れるだろうけど、響ちゃんがどうにかしてくれるでしょ?」

『驚』

「書かなくても驚いてるのは顔を見ればわかるよ」

『!』

「だからわかったってば。ほら、練習付き合って」

 自分で言い出したくせに心底意外そうな知生は、ゆっくりペンに蓋をした。

 大元は私が書いた歌詞であるし、昨日散々聞いたし、なにより声を出すだけなら拙いギターより幾分ましだ。本番までの数時間あれば何とかなるだろう。ありがたいことに今日はクラスの配膳当番もない。

 驚く二人を席につかせ、私は歌の練習を始めた。


 正午を過ぎた頃、手に香ばしい匂いを携えた文香が合流した。曇天がいよいよ雨を降らせようかという空気を纏っている。

「それで小牧が代わりに歌うと。信じられないわ」

 諸々の流れを話すと、文香は持ってきた出店の焼きそばを広げながら唖然とした表情を浮かべた。

 ちょうど空腹感が顔を覗かせてきたタイミングにこんな差し入れをしてくれるなんて、彼女は神の使いか何かなのかもしれない。

「というか昨日散々注意したでしょ? ほんと何考えてるかわかんないわ。……ああ、私のカバンの中にのど飴あるわよ。食べときなさい」

 罵声とねぎらいを織り交ぜながら、文香はテキパキと焼きそばを取り分けていく。ふわふわと彼女の毛先が揺れる。普段の文香はここまで髪を巻いていないはずだ。彼女は彼女で学園祭の空気感に浸っているのかもしれない。

 取り分けが終わった文香は、我が物顔で空いた席に腰かけた。

「剣道部も校庭で出店出してるんだけど、朝から入れ食いよ。大忙しでもうへとへと。昼から雨が降るかもしれないから、例年より客の入りが早いみたいね」

「そうなんだ。出店って何を出してるの?」

「フランクフルト。というか小牧、あんたも手伝いに来なさいよ。どうせ暇でしょ」

 文香がこちらに視線を向ける。私は急いで焼きそばを口に運んだ。

「えー。嫌だよ気まずいし」

「もう、まだそんなこと言ってんの? 別に部活に戻れってわけじゃないんだから、気軽に遊びに来ればいいのに。って私が言っても説得力ないか」

 最後まで押し切ることなく、文香は大きく息を吐いた。数日前の説得困難な彼女の様子から考えると、こんな些細なことでも未だに信じられない。

「ふふっ。やけに物分かりがいいね。突っかかってきた時と別人みたい」

「あんたもそんなにオープンに失礼なこと言う奴じゃなかったわよ。……でもまあ、そのほうが絡みやすいからいいわ」

 文香は呆れたように笑い、ふうと息を吐いた。そのあと取り皿を机に置き、思い返すように宙を眺めた。

「正直ね、自分でもよくわからないの。なんであんなに意固地になってたんだろうって、今思い返しても意味が分からなくて胸糞悪い。なんというか、目が覚めたって感じ? ……ってなに言ってんだろ。ほら、冷める前に食べな」

 促されるまま焼きそばを平らげ、私たちは最終調整を始めた。時間はあれよあれよという間に流れていき、あっさりと本番がやってくる。


 開会式が繰り広げられていた体育館が、私たちに用意されたステージだ。ダンスであったりバンドであったり、去年はすごいなあなんて事を思いながら眺めていたこの場所に、まさか自分が立つことになるなんて思いもしなかった。

 空き教室から移動し、舞台袖で待つ私たちの耳には、直前のグループが締めのMCをしている声が届いていた。もうあと五分もすれば私たちの出番がやってくることだろう。

 とんとんと鳴る心臓の音がとてつもなく喧しい。大舞台は割と慣れているほうだなんて思っていたが、やはり勝手が違う。

 大きく息を吐いても治まらない震えを止めるため、私は一番腕力が弱そうな響ちゃんに声をかけた。

「あー緊張してきた。響ちゃん、背中叩いて」

「えっ、そ、そんな。私ごときが沙夜子先輩の背中を叩くなんて……」

 わたわたと響ちゃんが遠慮がちに両手を振っている中、強い衝撃が背中に走る。

「いったぁ!」

 振り返ると、知生がにんまりと笑みを浮かべて私の背中を叩いていた。

「知生には頼んでないでしょ!」

 私の言葉に対し、彼女は手に持った小型のホワイトボートを返した。

『?』

「うわっ。それずるいよ。というかやっぱり静かだと可愛いだけだね。連れて帰っていい?」

 知生から再び右手が飛んできて、今度は肩口に衝撃が走る。これはもうただの暴力だ。

「いたいっ!」

 やれやれと知生は首を左右に振る。やれやれと言いたいのはこちらの方だ。

「ふふっ。楽しそう」

 小さな言葉の後に、軽い衝撃が背中に走った。振り返るとおどおどした響ちゃん右手が視界に映った。

「ひ、響ちゃん?」

「ご、ごめんなさい!つい……楽しそうだったので……」

「ううん。そのぐらいの衝撃がベストだよ。ありが――いたいっ!」

 言葉を言い終わる前に、強めの衝撃が背中に走る。私はこの短時間で何回振り返ればいいんだ。振り向いた先には、知生ではなく文香の右手があった。

「小牧うるさい」

「文香まで……。もうなんなの! 背中がボロボロだよ!」

「いい感じでリラックスできたんじゃない?」

 言われてみれば、確かに気が楽になった。計四発パンチを食らっただけだが、緊張感が高揚感に変わった。

 うだうだとくだらないやりとりを交わしているうちに幕が降り、前グループが舞台の下手へとはけていった。舞台に向け足を踏み出し、自らを励ますように私は声を張った。

「せっかくの機会だから、楽しんでいこう!」

 一応ギターは担いでいるものの、どうせ歌いながら弾くなんて芸当は私にはできない。ほぼ飾りではあるが、練習した過程に背中を押してもらえるような気がする。


 薄明かりの元、各々が配置につく。私はとにかく大声で思いの丈を吐き出せばいい。あとはみんながどうにかしてくれる。時間感覚が麻痺したように、とんとんと時計の針が進んでいく。

 全員の準備が終わったところで、舞台がゆっくりと暗転した。あっという間に幕が上がった。薄く見える客席は、雨もあってかそれなりに埋まりきっていた。


 いよいよ始まる、そんな覚悟を掲げて数十秒。本来であれば幕が上がると同時に私たちを照らすはずの照明が、全く機能していないことに気がついた。

 観客も異変に気がついたようで、雨音がじんわりとざわめきに変わっていく。

 雨粒を落とす濃い雲が後押ししているのか、体育館は非常灯がやんわりと光る程度で真っ暗と言って良いほどの闇が広がっていた。

 機材のトラブルだろうか? いつまで経っても点かない照明が、会場のざわつきを苛立ちに変え始めた。

「なになに? 真っ暗なんだけど」

「こわーい。なんで始まらないの?」

「おーい! さっさと始めろよ!」

 方々から声が飛んでくる。むしろ全部私の口が吐き出したい言葉達だった。なんだこれは。


 じっとりと背中に張り付くシャツが、焦燥感を助長させた。脳裏にはここ数日の出来事が浮かんでくる。数々の嫌がらせ、知生が階段から落とされたこと、それを踏まえると、これがただの機材トラブルには思えなかった。

 やられた。恨めしく光源を眺めてみても、うんともすんとも動きが見られない。

 落胆の溜息や苛立ちの怒号が私たちを押しつぶすように暗闇から降りかかる。鉛のような空気がじんわりと会場全体を覆っていく。


 どんなトラブルがあろうと、私たちに与えられた時間は十分間。最悪のスタートどころか、このままでは舞台が台無しになってしまう可能性まである。

 響ちゃんに日の目を浴びさせると決めた。マメを作りながら必死に練習もした。知生の邪魔はさせないと心に固く誓った。それなのに棒立ちで終わるなんてありえない。このまま縮こまったままで終われるか。

 わずか数秒の決意の後、私は会場内の不平を全て飲み込むように大きく息を吸う。

「うるさーーい!」

 私は体中の全ての空気を吐き出した。どうやらマイクは生きていたようだ。金属を千切ったようなハウリングと、私の言葉が体育館を飛び跳ねた。ざわめきが晴れ、客席に一瞬で静寂が訪れる。

 我ながら爆弾みたいだった。その爆発に呼応するように、ふんわりと薄明かりが灯った。


 二階で一台だけ光る照明装置が目に映る。光の元には、親指を上げる佳乃ちゃんが見えた。本来使われない照明を無理くり動かしてくれたのだろう。なんて頼もしいんだあの先生は。後で目一杯よしよししてあげよう。

 私達に光が灯っただけで、観客の顔は未だ見えない。笑っているのか、驚いているのか、それ以外なのか。よくわからない。

 その不鮮明さが私の背中を押した。ゆっくりと右拳を観客席に向ける。

「今からすごいの聴かせてあげるから、騒ぐのはそれからにしてね」

 振り向き全員に目配せをする。ニンマリと微笑む知生、意を決したように頷く響ちゃん、呆れたように溜息を吐く文香。よし。みんな大丈夫そうだ。

 意思疎通が終わり、息を吸い込んだ文香がスティックを叩いた。たんたたんと正確なリズムが刻まれ、合わせるようにギターとベースが鳴る。

 再び大きく息を吸い込み、私は思いの丈を歌に乗せた。


 湿度の高いじっとりとした体育館をマイクに乗った歌声が包んでいく。心臓を激しく叩くメロディが、私の高揚感を助長させていく。

 ぽたりと汗が落ちた。音に合わせて声を出す。音程とかリズムとか、私にそういう上手さはきっとないだろう。それでもこの気持ち良さを止めたくなくて、私は喉を震わせ続けた。

 必死すぎて歓声は聞こえないし、暗くてよく見えないが、おそらく会場中の視線が私達に向いていることだろう。

 人から注目されるなんてまっぴらごめんだと思っていたが、この感じはなんだか癖になりそうだ。私は意外と目立ちたがり屋だったのかもしれない。

 サビの終わりに釣られるように楽器隊の音が大きくなる。さあ、ここからはギターソロ。響ちゃんの見せ場だ。

 歌詞の切れ目に合わせ彼女に手を向け、私は一度は言ってみたかった台詞を大声で叫んだ。

「ギター!」

 光を集めた響ちゃんが、軽快に弦を揺らす。練習でも幾度となく見ていたはずだが、今日の響ちゃんはそれらを凌駕するほど絶好調だった。

 ちょっとギターをかじったからこそわからない。あの指は何本あって、どうやって動いているんだろう。ギュンギュンと凄まじい音を鳴らすギターが、会場の空気を飲み込んだ。

 ギターソロが終わると、響ちゃんは会場にウインクを向けた。それと同時に思い出したように会場が大きな歓声に包まれた。

 普段なら絶対にしないくせに。かわいいなぁ。彼女のテンションも跳ね上がっているんだろう。そうだよね、楽しいよね。私も最高に楽しい。


 私も負けていられない、そんな思いが各々に芽生えたのか、ベースもドラムも後半に向けどんどん迫力を増していった。

 そうして私達に与えられた最後のパート、ラストのサビ。全てを出し切ってやろうと声を出すと、隣から可愛らしい歌声が私の声に合わせてハーモニーを奏で始めた。

 このコーラスは誰のものだろうか?微かに視線を向けると、気持ちよさそうにベースを奏でながらマイクに口を向ける知生が映った。

 歌っている、知生が。声が出ないと言っていたのに、きれいな声でコーラスを奏でている。

 本来であれば会場に響くはずだった声に、一瞬感嘆符が弾けそうになったが、上がり切ったテンションが私を歌の終わりまで導いた。そうして最後の一音が刻まれ、余韻がしんしんと伝っていく。


 今すぐにでも知生に詰め寄って尋問したかったが、私達を覆うように拍手と歓声が体育館に響き渡っており、それどころではなくなってしまった。気が付かなかったが、いつの間にか照明もしっかりとステージを照らしている。

 高揚した観客の顔つきが視界に入り、私は無意識に声を上げていた。

「ありがとう!」

 私の声に呼応するように、歓声が大きくなる。ぐわりと押し寄せる音の波が、じんじんと身体全体に染み渡っていき、ぽかぽかと心地よい感覚が私を支配した。

 もうスタート時のトラブルなど頭によぎらないほど、会場全体が高揚感に包まれている気がする。

「ほら先輩MCですよ! 喋って喋って!」

 完全に復活している知生の声が、私の背中を押した。私は慌ててマイクを握り直し、観客席を見つめる。

 百人以上は入っているだろうか。雨も後押ししたのか、体育館には大勢の人間が押し寄せていた。本当に今更だが、急に緊張してきた。

「えーっと、なんだっけ。ああそうだ。私は二年の小牧です。本当はベースの恵比知生がボーカルをする予定だったんですけど、急遽私が代役をすることになりまして……。その、た、楽しんでもらえましたかー?」

 拙い私の問いかけに、会場から大きな歓声が上がる。私は畳み掛けるように言葉を放り続ける。

「私達はバンドを組んだばかりで、まあ至らないところもあっただろうけど、今の歓声聞いたら全部吹き飛んじゃった! 本当にありがとう! そして何より、聞きましたかギターソロを! 一年生の西代響ちゃんです! 超カッコ良かったですよね! 皆さん彼女に今一度大きな拍手と歓声を!」

 響ちゃんに向けた手に、さらなる歓声が降り注ぐ。ギターを弾いていたときとは別人のように、彼女は落ち着かない様子で歓声に手を振り返した。

 この声援を聞いた感じ、彼女を世に知らしめるという私の目標は、おそらく達成できたのではないだろうか。

「あいにくの雨だけど、みんな学園祭楽しんでねー!」

 締めの言葉に拍手が収まってきた頃合いに、ゆっくりと幕が降りる。私達は示し合わせたように大きく息を吐き、下手の方へと足を進めた。

 体育館を出ると、雨音がざあざあとひどい音を立てていた。私たちの足は無意識に空き教室へと向かう。


「あーもう! 悔しい! 間違えた!」

 雨音をかき消すように、一番最初に声を上げたのは文香だった。テンションが上がりきっていてみんなの演奏がどうだったかろくに聴けなかったが、それでもそこまで大きなミスはなかったように思える。

 それよりも何よりも、今の私を支配しているのは純然たる達成感だった。

「うそ? 超良かったじゃん」

「あ、安斎先輩素敵でした。丁寧なリズムで、すごく弾きやすかったです……。って、ごめんなさい偉そうに……」

 私の言葉に続き響ちゃんが声を上げる。ストラップから下がった彼女のギターは、薄暗いの中でも煌々と光っているように見えた。

「何言ってんの。あんたが一番カッコよかったわよ。小牧なんて声震えてやんの。ふふっ」

「ふ、震えてないよ!」

「うるさーいって、何かが爆発したのかと思ったわ。あれは伝説よ伝説」

 時系列がバラバラになったかのように、今更恥ずかしい気持ちが舞い降りてきた。ステージに上がってからの記憶や感情が、行き場を見つけたように私の元へと押し寄せている。

「しょうがないじゃん、あれはもう声を出さずにはいられなかったんだから」

「さ、沙夜子先輩もカッコよかったです!」

「ありがとーっ。響ちゃんのウインク超かわいかった! もう一回やってもう一回!」

 バチバチとへたっぴなウインクを披露する響ちゃんに笑い声を返したところで、ふとコーラスをしていたちんちくりんに思考が移った。

「というか知生! 声戻ってるじゃん!」

「何がですか?」

 何事もなかったかのような冷ややかな目と言葉が知生から返ってくる。

「うわ普通に喋ってる。なんで惚けられるの?歌ってたじゃん」

「ああ、なんか戻りました。びっくりですよね」

「まさかわざと……」

「楽しめたから良いじゃないですか。ハッピーハッピー」

 話を無理くり締めくくるように言葉を吐いた知生は、軽快なリズムで足を動かした。そんな中、未だに悔しみが晴れないのか、浮かない顔つきで文香が大きく手を挙げた。

「というか練習期間短すぎ! 来年リベンジするわよ!」

「来年?」

「間違えたまんまで終われるかっての。来年またこのメンバーでやるわ。異論は認めない」

 文香らしくない熱血なセリフに、私は思わず笑ってしまった。巻いた髪同様、やはり彼女も祭りの空気に絆されているのだ。それがなにより面白くて、なにより嬉しかった。

「あんふみ先輩。珍しく意見が合いますね。ふふっ。来年はもっと盛大に会場を盛り上げてやりましょう」

「当たり前よ。じゃあ私は剣道部に戻るわ」

 同調する知生にふんと息を返して、文香は剣道部の方へと戻っていった。彼女には忙しい中私たちを手伝ってくれたという恩が出来てしまったな。仕方ないからあとで出店に顔を出してやることにしよう。


 何はともあれ、無理難題だと思っていた演奏は大成功で幕を下ろした。しかしながら、照明が点かなかったことを含めた妨害の数々については結局何もわからないままだった。

 照明の件もやはり妨害の一環と考えるのが妥当ではないかとは思うが、知生は満足そうにずかずかと足を進めている。犯人云々は無視して、ここは素直に成功の余韻に浸っておくべきだろう。

 雨音を割りながら、私たちはいつもの空き教室に戻った。

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