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エンゲージリスト  作者: 豆内もず
3章 残光と火花
16/31

16.杪夏とリコレクション

 私は夏の夜が好きだ。夏を象徴する太陽が沈み、ほのかな光が涼しげに浮かんでいる様が何とも風情深い。

 それなのに気温はやっぱり高くて、じっとりと汗が浮かんでくる。このアンバランスな感じが心を焦がすのだ。こういうのをなんて言うんだろう。そうだ、をかしをかし。

 遠くではちきちきという虫の声が夏草を揺らしている。カランコロンと下駄で地面を焼きながら、私はくすりと笑みを浮かべた。

 慣れない浴衣に身を包み、「さっこもデートなんてお年頃なのね」という母の言葉に一抹の申し訳なさを浮かべ、私は神社へと向かっている。


 怒涛の夏休みももう残すところ数日。

 昔からそこまで夏休みに暇を持て余したことはなかったが、知生に引っ張られた今夏はそれらに肩を並べるほどあっという間に過ぎていった。

 四十日弱の夏休みは、矢どころか鉄砲玉のような速度で進み、退屈する暇すらもなかった。

 海にも行った。山にも行った。市民プールにも行ったし、キャンプもしたし、知生のバイトも手伝ったし、なんなら行く気のない大学のオープンキャンパスに顔を出したなんてこともあったか。

 そして今日は夏祭り。この夏の風物詩とも言えるイベントが知生いわく、夏休みリストの最終項目らしい。

 ひしめく色に目が眩みそうな日々だったが、これで夏休みが終わってしまうと思うとどこか寂しさすら感じてしまう。

 こんな気持ちは、きっと夏を全力で謳歌した何よりの証拠だろう。なんとも私らしくない。


 ぼんやりと待ち合わせ場所に足を運ぶと、人混みに紛れて知生と思われる影が見えた。

 彼女は手元の携帯電話をいじっており、こちらに気付いた様子はない。私は拙い足元を必死に動かして知生に近づいた。

「おっす。かわいいお嬢さん。私とお茶しない?」

 私に肩をぶつけられた知生は、嫌そうな顔を浮かべて携帯をポーチにしまい込んだ。仕返しとばかりにぶつけられた団扇の面が私の視界を遮る。

「ナンパはお断りです」

「ふふっ。お待たせ。待った?」

 団扇を退け知生の全身を眺める。薄いオレンジ色の花柄があしらわれた浴衣は、肩口で揃った髪によく似合っていた。

 薄い光で照らされていることもあってか、普段の爆発的な行動力が想像できないほど慎ましい様だ。

 じろじろと姿を見られたことが不服なようで、知生は少し身をよじった。

「今来たところです。先輩が時間ギリギリに来るなんて珍しいですね」

「いやぁ。慣れない服は着るもんじゃないね。時間がかかって仕方がないよ」

「慣れなさすぎて別人に見えます。デカくて綺麗な怖い人が絡んできたのかと思いました」

「褒められてるような……貶されているような……。というかどうよ? この浴衣姿」

 私はその場でくるりと一回転して見せる。

 ひらひらと揺れる落ち着いた色合いの浴衣は、我ながら私のポテンシャルを最大限に引き出していると思う。

 ゲレンデマジックならぬ浴衣マジックとでも言うべきか。今ならそこいらを歩く男の一人や二人、簡単に落とせるんじゃないだろうか。というか落ちろ。

 私がくだらないことを考えているうちに、仕返しとばかりに知生から視線が注がれる。

「綺麗な色の浴衣ですね」

「でしょー! って浴衣だけかよっ。知生のもいいね。かわいい。ちょっと回って見せてよ」

「普通に嫌です」

「なんでよー」

「しのごの言ってないで早くいきますよ!」

「えーっ……」

 感慨にふける間も無く、知生は人混みの方へと歩き始めた。うーん。後ろ姿も可愛いなあ。あれと並んで歩いたら、また私が大女に見えてしまいそうだ。まあいいけど。

 こちらに気を止めることもなく弾む足を、私はいそいそと追った。


 人混みをかき分けながら、私達は出店を巡った。

 この地域では毎年花火大会が行われており、絶好の位置にあるこの神社には賑やかな出店がたくさん並ぶ。

 それに合わせて、老若男女問わずこの一帯は人で溢れかえるのだ。そろそろベストポジションの陣取りが始まる頃だろう。

 がやがやという喧騒や、香ばしさが混ざった匂い。時系列がバラバラなヒーローを模したお面達。時刻を忘れてしまうほどの光量。全ての情報が高揚感を煽ってくる。

 徐々に近づく祭囃子に合わせて、私はかりかりとりんご飴を齧った。

「やっぱり人が多いなぁ。大丈夫? 潰れてない?」

「優秀なボディガードのおかげでなんとか生てますよ」

「えっ、私のこと言ってる?」

「当たり前でしょ。ああ、やりたいことが多すぎる! ジャージで来ればよかったです」

「風情のかけらもない……」

 私に袖を掴まれながら歩く知生は、デパートではしゃぐ子どものように目を爛々と輝かせていた。

 出店を巡り始めて一時間は経過しているのに、未だ彼女の勢いが衰える様子はない。

 最初はあんなにも可愛かった後ろ姿には、もうお面が三つも付けられている。

 もういくつ店を回ったかも思い出せないし、このままこのわんぱくケルベロスに付き合い続けていては私の身が持たない。

「ねえ、ちょっと休憩しない? 歩き疲れちゃった」

「えーっ! まだまだこれからでしょ!」

「足とか超痛いし」

「——コマキサ先輩。食べたい物はありますか?」

 なぜ急に食べ物のことを聞かれたのかは全くわからなかったが、私は胃袋に相談を投げかけた。

 手には半分ほど残ったりんご飴、さっき食べた諸々。満足には程遠い。

「そうだね……やきそばとか?」

「流石の食い意地。先輩はあっちの木陰で休憩しててください。偵察がてら買ってきてあげますから」

「ちょ、ちょっと。一人で行くの?」

「一瞬で帰ってきますから!」

「ちゃんと戻ってくるんだよー?」

 私の言葉が到達したかどうかもあやふやなほどのスピードで、知生は人混みの中へと消えて行った。

 なんという生命力なのだろうか。花火までに疲れ果ててしまわなければ良いけれど。

 はあ、と溜息を吐いた私は、適当な出店でラムネを買い、ふらふらと人気の少ない方へと足を進めた。

 木陰には人もおらず、加えて少し祭りの気配が遠くなったせいか、なんだかとても孤独な気持ちになる。

 カップルであればムーディなシチュエーションかもしれないが、今の私にこの減色は心許ない。私は意味もなくしゅわしゅわと弾ける炭酸を眺めた。


「夏休み、楽しかったな」

 無意識に口から独り言が漏れた。

 もうすぐ高校二年生の夏が終わる。今日みたいな楽しい時間も、泡のように思い出となり、日々に混ざって溶けていくのだろう。こんな寂しさも今は愛おしく思える。

 数ヶ月前まで抜け殻のように力なく生きていた私がこんな気持ちにさせられるなんて、なんだかおかしな話だ。

 暗闇に小さな笑みが浮かぶ。それに呼応するように、雑草がかさりと音を立てた。


「あれ? 小牧?」

 突如かけられた声に私は驚き身を揺らした。赤い提灯を背景に、数人の影が見える。そのうちの一人が徐々にこちらに近づくにつれ、影が鮮明になってくる。

「やっぱり小牧じゃん。久しぶりだね」

「こ、香月(こうづき)先輩……。お久しぶりです」

 こちらに近づいてきたのは、一つ年上の先輩だった。それも剣道部の。

 先ほどまでの高揚感が、彼女の登場に合わせ一瞬で色を変えた。

「こんなところで何やってんの?」

「友達と遊びに来ていて、休憩中で……」

「ふーん」

 じろじろとこちらを見る目が、重力を発生させたかの如く身体を重くする。嫌な思い出に蓋をするように、私は言葉を発した。

「あ、先輩こそこんなところで何を?」

「小牧っぽい人影が見えたから見に来たの。さっき文香達にも会ったよ」

「そうなんですね」

「ほんと久しぶり。いつ以来だっけ?」

「半年ぶりくらいじゃないですか?」

「もうそんなに経つかぁ」

「早いもんですね」

 適当な相槌を返し、私はすがる様にラムネの瓶を強く握った。

 どの面下げて普通に振る舞っているんだこの人は、という憤りがふつふつと煮え始める。


 認識というか、価値観は本当に人それぞれなんだなと思い知らされる。私はこの人には会いたくなかったし、見かけても声なんてかけない。

 なんと言っても、私が剣道を辞めた一因が彼女たちにもあるからだ。

 実際ドロドロとした忘れたい感情が溢れてきているし。文香という剣道部時代の同期の名前も、嫌な感情を生み出す要素にしかならなかった。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は呑気に言葉を放る。

「受験勉強の息抜きに来たけど、こうも人が多いと嫌になるわね」

「えっ、部活はどうしたんですか?」

「早々に負けて引退したわよ。文香に聞いてないの?」

「はい……。最近会ってないので」

 もう一度聞きたくない名前が目の前に姿を現した。私の返答に彼女はわかりやすく眼を丸くした。

「同じ学年なのに? あんた達仲悪いの?」

「いえ、そういうわけでは」

「ふーん。そっか。ああ、あんたも私ももう剣道部じゃないんだから、そんなにかしこまらなくていいよ」

「はい」

 私は精一杯の営業スマイルを浮かべた。あまりにケロっとした彼女の様子に、内心腹わたが煮え繰り返りそうだったが、ここで本心を出せるほど私は無邪気ではない。

 それよりも文香達も来ているということも分かったのだから、一刻も早く祭り会場から離脱したくてたまらないのだ。

 会話を終わらせる言葉を探したが、私が口を開かない事をいいことに、彼女はさらに会話を続けた。

「怪我は治ったの?」

「えっと、まあだいたいは」

「剣道部に戻らないの?」

「ははっ。どうでしょうね」

「戻ればいいのに。あんた強くてみんなの憧れだったんだから」

「そう……ですか」

 わざとらしく息を漏らし、私は残ったりんご飴を齧った。しゃりしゃりと感情を削ぎ落としていく。

 ぶん殴ってやりたい。思いっきり。飴の方の手がいいか、瓶の方の手がいいか。憎悪を奥歯に詰め込み、ゆっくりと噛み砕いていく。

 強いだの憧れだの、そういう思ってもない上っ面の言葉が嫌だったんだよ。怪我なんてとっくに治ってる。というか、いつまでそんな体のいい理由を信じているんだ。

 張り付くような甘みが口内を満たしていく。


「お待たせしましたぁ。焼きそばでぇーす」

 落ち着かず下駄を眺めていた私に、言葉が降り注いだ。

 遅いよ、知生の阿呆。顔を上げると、両手に大量の戦果を抱えた知生が、ゆっくりと私たちに近づいて来ていた。

「おや? 先客ですか」

 キョトンとした顔を浮かべる彼女を見て、香月先輩はふっと息を漏らした。

 人を小馬鹿にした様な懐かしいこの笑い方が、急激に過去の記憶を思い出させた。

「あはっ。最近おかしな後輩とつるんでるって噂、本当だったんだ。ウケる」

 からんとビー玉が揺れる。ふっと上がってきた血液を抑え込むため、けらけらと笑う顔に睨みを返す。

 もう限界だ。これ以上こんなところにいてはいけないという危険信号が、私の身体を動かした。

「誰ですかこの失礼な人は——ってちょ」

「ツレが来たんで失礼します」

 私は返答も待たず、眉を顰める知生の手を引いて歩き出した。なんですかと苦情の声が聞こえるが、それを無視して人混みを割って行く。

 よく我慢した、偉いわ沙夜子。むかつく。ああむかつく。憤りを下駄に込め、かつんかつんと足を進めていく。


 気がつくと私達は、祭り会場から随分と離れた公園にいた。

 公園に入った途端、私は我に返ったようにはあと溜息を吐く。花火が上がる方向とは反対に歩いてしまったのは誤算だった。公園には人もいないし、祭りの気配など全くの存在しない。せっかくの楽しい気持ちが台無しだ。

 いや、まずはここまで黙ってついて来てくれた彼女に謝罪せねば。

「ごめんね、こんなところまで」

「先輩が無理やり引っ張ってくるから、お面を一個落としちゃったじゃないですか」

「それ、そんなに重要?」

「当たり前でしょ。大きな文句も言わず付いてきた私を褒めて欲しいくらいです。まだまだやりたいことがたくさんあったのに」

「ほんとごめん。えらいえらい。ありがとね」

 お面のついた頭をゆっくりと撫でる。汗で少し湿った髪が、束になり揺れた。猫のように身を反らせた知生は、じろりと私の方を睨みつけた。

「ところで、誰ですかさっきの」

「一個上の先輩……。剣道部の時の」

「ああ、なるほど。感じが悪いのはわかりましたけど、逃げなきゃ駄目なほど嫌いなんですか?」

 私はゆっくりと息を吸い込んだ。それなりの距離を歩いたこともあってか、思考は随分とクリアになっていた。

「逃げたんじゃないよ。あのままあそこにいたら瓶で頭かち割っちゃいそうだったから」

「怖っ。珍しいですね。先輩がそこまで怒るなんて」

「冗談だよ冗談」

「本当ですか? 実際怖くて何も言えませんでしたし、目もキリって感じでしたし。野生動物みたいでした。がるるるるーって」

 知生の腕で水風船がぷよぷよと跳ねる。

 そういえば、彼女の前でこんな姿を見せたことはなかったかもしれない。いつもは引っ張られるばかりだったのに、有無を言わせず引っ張ってきてしまった。

 私は未だしかめっ面な知生の頭を更に撫で続けた。

「怖がらせてごめんね。ああ、癒される。枕元に置いておきたいわ」

「それはそれで怖いですからね」

「うそ。愛嬌をたっぷり詰めたのに」

「相変わらず愛が重いですね。ほら、せっかくですから焼きそば食べましょうよ」

 やれやれと息を吐きながら、知生はベンチに向かった。装飾品で賑やかになった後ろ姿が、ゆらゆらと揺れる。

 祭も半端に終わり、花火も遠くなった。山ほど文句を言いたいだろうに、彼女はそれをしなかった。

 なんとも知生らしくなくて、どことなく知生らしい、そんな不思議な距離感。上辺の言葉じゃなくて、本当に私は癒されていた。

 これが今の私の日常で、さっきのは見たくない過去だ。冷静になった今ならはっきりとわかる。

 怒りで離れたと思っていたけれど、私は間違いなくあの場から逃げ出したんだろう。

 怒りに傾倒した傍ら、向き合いたくない過去に私の大切な現在を馬鹿にされそうな気がして、怯えていたのだ。

 野生動物とは上手く言ってくれたものだ。その通りじゃん。恥ずかしい。

 私はベンチを陣取った知生に並んで腰掛ける。彼女は戦利品を整理しながら、買い込んできた食材を並べ始めた。

「随分とたくさん買ってきたんだね」

「コマキサ先輩の食いしん坊さを舐めないでくださいよ」

「本人に言うことかなそれ。流石の私もその量は――」

 並んだ食材たちが香ばしい匂いを放つ。ソースの独特の香りが私の気分を祭へと連れ戻した。じゅるりという音がなりそうなほど、急速に唾液が作られていく。

「食べられそうだね」

「プライドに持久力がないですね。全部食べちゃダメですよ、私も食べるんですから」

「むー生意気だなぁ。でもありがとう。慎ましくいただくわ」

「ガツンといっちゃってください!」

 どっちなんだよ、と脳内でツッコミを入れつつ、私は焼きそばを摘んだ。

 時間が空いたせいか熱々とは言い難かったが、濃い味付けが身体中に染み渡った。横では知生がたこ焼きを口に運んでいる。

「たこ焼きうまぁ。作れば安上がりなのにあんなぼったくりみたいな金額取られることも含めてお祭りの醍醐味って感じですよね」

「急にドライになるのやめてよ。我に返っちゃうじゃん」

「今度たこ焼きの中身はなんでしょうってやつやりませんか? 闇鍋みたいな感じで」

「あーいいね。ってなんかヤバイもの入れようとしてない?」

「ふふふ」

 気味の悪い笑みを浮かべ、知生は串刺しにしたたこ焼きを口に運んだ。中身当てと称して人体実験でもされそうだな。

 私も彼女に続いてたこ焼きを口に運ぶ。こちらは焼きそばに比べるとどこかひんやりとしていた。

 熱々だったらもっと美味しかっただろうな、なんて感想が浮かんだ直後、凄まじい勢いで申し訳なさが芽吹いてきた。

 この子は今日の夏祭りを楽しみにしていた。ぴょんぴょんと跳ねながら出店を回り、年甲斐もなく遊戯に勤しみ、こんなに大量の食べ物まで買い込んできてくれたのだ。熱くて火傷した、ドジだなぁ、なんて会話がこのたこ焼きで出来ていたはずなのに。

 それを私の身勝手な行動で台無しにしている。そんな事実がふと身に宿ってしまった。

「ごめんね」

 申し訳なさが私の口を動かした。

「もっとお祭りを楽しめたはずなのに、私がこんなところまで引っ張ってきたせいで――」

 動いていた私の口が蓋をされる。冷めたソースの味が口に広がる。気がつくと、知生がたこ焼きを私の口に放り込んでいた。

「過ぎたるは及ばざるが如し。謝罪は一度貰いました。二度もいりません」

「でも――」

 言葉を封じるように、もう一度口にたこ焼きが放り込まれる。くそ、なんでこんな時に限って大玉なんだ。

「でも、じゃないです。私は今を楽しんでるんです。水を差さないでください」

 でも、もっと楽しい時間を過ごせたかも知れないじゃない。そう言おうと口を開いた途端、再びたこ焼きが放り込まれた。口の中がたこ焼きまみれだ。息ができない。

 私は急いでそれらを咀嚼し、水で一気に流し込んだ。

「ち、窒息するわ! わんこそばかよっ!」

「蕎麦じゃないですよ」

「わかってるわ! 例えだよ!」

「ふふっ。でしょうね」

 深く息を吐きながら、私はもう一度水を口に含んだ。歯に青海苔が付いてたらどうしましょう、なんて麗しいことも考えられないほど、必死に水を流し込む。

 もう色んなことが水と一緒に胃袋に流れていった気がした。

「私はどこにいたって楽しいです。こんな私に付き合ってくれるお人好しもいることですし。だから、必要以上に謝るのは禁止ですよ」

「わかったよ。ありがと。これでいい?」

「よくわかってるじゃないですか」

 知生は愉快そうに微笑んで遠くの空を見上げた。視線の先には薄く星が浮かんでいる。

 なんて綺麗な横顔なんだろう。強くて鋭い瞳が、私の心を動かした。


 彼女ぐらい強かでありたい思った。私と一緒に楽しんでくれている彼女に水を差さなくて済むように、逃げ出さない自分でいられるように。

 そのためには、やっぱりあの過去は綺麗さっぱり流しておかないといけない。熱くて脂っこくて胸焼けしそうでも、ちゃんと飲み込まないといけない。

 そう思った私は、知生と同じように空を眺めて口を開く。

「昔話していい?」

 知生の顔がこちらを向いた。どんな顔をしているかはわからないが、言葉無くゆっくりと頷いた気配があった。

 知生に話すことが向き合うことになるかはわからない。けれどこの話は、両親にも親友だった人間にも、佳乃ちゃんにも隠してきた、誰にも打ち明けなかった私の向き合いたくない過去だ。

「私の記憶の一番嫌なところ、知生には知ってほしい」

 そう言葉を置いて、私は過去の記憶に想いを馳せた。

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