魔物情勢-1
雲は夕陽に赤く焼かれ、刻々とその色を濃くして辺りを染め上げていた。
山々の間を吹き抜ける風が鬱蒼とした春の木々をかき鳴らす。
ギーア=インフィルトは時々、寝室の暖炉の前に座って揺れる炎を眺めることがある。窓の隙間から流れる風に揺れ、綿毛が飛ぶかのように弾ける火の粉。城の外では何羽ものカラスが乱舞している。
インフィルト領、レクトール城は平穏に包まれていた。
魔界と呼ぶには似つかわしくないのどかな景色だが、毎日見ていると何の感動にわいてこない。外界に出ようという今日この頃、人間と顔を合わせると思うと気が重い。
普段ならばひと眠りほどして昔の夢でも見る時間帯。毎日の生活の中に取り入れていた夕寝ができないのは惜しい。
風にあおられるように、ふと鏡を見やる。
ギーアはシルエットこそ人間であるものの、血の気のない白っぽい肌が目立つ。黒い海に金色の月を浮かべたような異質な目。その周りに根を張る青い血管や頭部の角はデーモンと判断するに十分な外見的要素だろう。
人間に紛れこむには無理があるな、そう考えていると不意に部屋のドアがノックされた。
「ギーア様、少々よろしいでしょうか?」
きりっとした冷たい女性の声がした。
「いいぞ、入れ」
ギーアの一声に扉を開けた女性、メリエル=ウィン=ベスタは灰色の長髪をなびかせ、黒い瞳を見せた。華奢ですらりとした体だが、とげとげしく鋭利な爪を備えた籠手が物々しさを感じさせる。
人間としての姿で言えば20歳前後であろうか、その凛々しさも相まって大人びていた。冷静沈着という言葉のよく似合う彼女は、宵の空よりも黒くて深い瞳を持っている。
外見こそ人間そのものだが、その本性はフクロウの魔獣。本来の姿は扉など通ることもできないほどの巨体を持つ霧梟である。
そう示すかのように灰色の翼がメリエルの背部に備えられていた。
「客間にホムート様がお出でです」
「分かった、すぐに向かう」
「重要な会合かとは思いますが、お酒もほどほどにしていただければありがたいのですが」
固まったままの冷淡な表情だが、彼女の呆れた色は見て取れた。今回のような特別な客人が訪れた際には、自分たち臣下が最大限の労力を尽くさねばならないのだから。
「分かっているさ、こんな日にまで酔いつぶれていたら俺の名誉に傷がつく」
「いいえ、会合のある時には酒樽をいくつも空にするようですので」
「なら主犯はホムートだな」
メリエルの淡々とした言葉にギーアは苦笑しながら部屋を後にした。表情に変化のない彼女の言葉はときどき突き刺さってくる。
彼女は至って冷静で聡明、部下としては申し分のない逸材である。が、話相手になるかと言えば否。意気軒昂とは言い難い状況下、かろうじて腰を持ち上げるための一押しという程度に過ぎない。
城の廊下は至る所まで真っ赤な絨毯が続いており、等間隔にならぶ鋼鉄の鎧の下にはアンデッドが潜んでいる。装飾と警備の両方を兼ねているのだ。食料を必要としない彼らは極めて有用な兵力。簡単な作業なら労働力にもできるだろう。
一かけらの緊張も生まず、死して忠実なアンデッドたち。どんな小言にも反応することのない部下がどれだけ気を軽くしてくれることか。組織の最上に立つギーアは、死者にのみ気を許すという皮肉な生活が長らく続いていた。
物言わず、気にも留めない……そんな存在に癒しを感じてしまうとは。
ギーアは内心で、自らにのしかかるプレッシャーを悔いた。
重厚たる巨城、ひしめく魔物たちの数々。それら全てがこのプレッシャーの元凶にして具現なのだ。
画一でない無数の魔物たちがはびこる城ではあるものの、内装はやたらと統一されており、こだわりが反映されていた。清潔感もあって居心地は良いのだが、敷き詰めた絨毯といい燭台といい、人間臭さを感じさせる様式ばかりだ。
「ギーア様、今後の予定について他のヘプタグラムたちの間でも情報を共有しておくべきかと」
「俺が自分の口から伝えるよ。今まで魔界に引き籠っていた魔族の一角が、海を越えて遠出するなんて言ったら驚くだろうしな」
「私も驚いていますよ」
「なら直接伝えておいて正解だったな」
メリエルはギーアの少し後ろについて歩いていた。足音ひとつ立てることなく、言葉が明瞭に流れてくる。
その素質は暗殺や偵察を行うのに十分すぎる適性を持っていることを如実に表していた。実際に彼女はギーアの持つ精鋭部隊――七芒星の一人である。
特にメリエルに対しては戦闘技術や忠誠心の高さ、指導力からも一目置いている。七芒星の指揮は彼女がとっているようなもの、実質的な統括だった。
「ところで、ゴーレムの製造に必要な材料は足りているか?」
「はい、エルブルスの報告では動力源であるコアが枯渇しているようです。どうやら調達も困難なようで、生産再開はまだ先になるかと」
「まあいい、これから先で手に入るかもしれない。しばらくは待機させておけばいいか」
「本当に外界へ向かわれるのですか?」
メリエルは心配そうに言うが、ギーアは迷うことなく答えて見せる。
「ああ、もちろんだ」
魔界と呼ばれるこの土地は、人間のはびこる大陸から遠く離れた広大な島である。
島の周囲は円を描くように張られた瘴気によって人間や竜族の侵入を長年阻んでいた。というのも、群雄割拠で動乱の続いていた魔界は大陸へ攻め込む力を持たず、迎え撃つ力もない。
だからこそ、島を覆い隠している間に再び統一するというのが、大昔に没した魔王の計画だった。計画も半分しか成功していないのだが。
長年の動乱が終結したのはほんの二年前である。
軍閥の数はかなり数を減らし、魔物たちが組織化することで一定の秩序を保って今や軍の体裁を得ている。
しかし、敵が減って喜んでいる場合ではなかった。
島を覆い隠す瘴気は日々薄れていき、やがては全体が露出することになることが明確となっている。そうなれば未知なる敵に内情を知られることになるだろう。
動乱以上の惨禍は必至だ。
窓から外を見てみると遠くでグリフォンが数体ほど上空を舞っているのが見える。城のふもとでは武装したゴブリンやミノタウロス、鷹猿が列を成していた。
城周辺の見回りか、あるいは訓練といったところだろう。兵の育成というよりは、指揮官の指導力を養うために行われるようなものである。
種族の垣根を超えた魔物たちが組織の中で活動するには、やはり統率者の存在は欠かせなかった。
指導者の不在が原因で動乱が発生したようなものである。
とはいえ、自分やメリエルが手取り足取りで指導者の何たるかを教えることも無理があった。不遜と冷淡ゆえんである。
「既に中でお待ちです」
メリエルの招きで客間に入るやなや、酒の臭いが混じった空気がむわっと押し寄せた。窓から差し込む夕日と燭台の火の光は、部屋の中をあたかも酒場の雰囲気に変えている。
部屋の奥、ホムート=レヒヌが椅子に腰かけていた。
傍らに人造人間の老人にして使用人である、オルドが控えていた。彼の存在もあって、人間に顔合わせをすることにためらいも緊張もなかった。
ホムートは獅子のたてがみように茶色の豊かな長髪を持ち、隆々とした筋肉を鎧のように身に着けている。外見に誠実なまでの豪胆さを持つホムートはワインボトルを豪快に持ち上げ、酒を喉奥へ流し込む。
すでにテーブルの上には空のボトルが何本も置かれていた。いったいどれだけ酒蔵を荒らせば気が済むのか。
「よう、ギーア!」
ホムートはギーアを見るなり、にんまりと笑みを浮かべて声を張り上げる。
どこまでも豪胆な男だ。見た目だけならば腕っ節だけの飲んだくれにしか見えないのだが、実は魔界でも限られた有力者の一人。その本性は獅子、山羊、蛇の三体が合わさったキマイラである。
それにしても、このボトルの量は一体何なのだろう。奴の胃袋はどこに繋がっているのか。
「来るたびに酒を飲み漁るのはやめてくれないか。兵たちの糧食でもあるんだぞ」
「まあそう硬いこと言うなよ。これから先はお前と一緒に飲む時間も、そう多く取れるわけじゃないんだからよ。ほら飲めよ」
そう言ってホムートはボトルを渡す。が、中身はすでに空になっていた。
「空じゃないか。まったく……」
ギーアは呆れてため息をつく。表情こそ変えないものの、メリエルやオルドも内心あきれ果てているに違いない。
端から見れば、指揮官の立場にある者がこんな飲んだくれでは士気も下がりそうなものだ。だが、ホムートの指揮する部隊はどこも等しく士気が高い。
酔った勢いで兵たちとの距離が縮まるからなのか、ホムートに親しみを感じている魔物たちが多いようだった。
結局は酒か!
ギーアは心の中で毒づく。
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