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プロローグ 

よろしくお願いします。



 風が死んでいる。

 木々は押し黙ったように沈黙し、身じろぐこともなく佇んでいた。

 辺り一帯に漂う血と焦げの醜悪な臭いに鳥獣が去り、虫たちが寄ってくる。

 農民たちは夕焼けの明かりを宿す家屋に閉じこもり、小さな村に密やかな焦燥を漂わせている。


 草むらの上に引かれた砂道の上には、プレートアーマーを身にまとった衛兵の亡骸が数人ほど転がっていた。

体は焼け爛れたものが多く、未だ微かに火を帯びて赤く光っている。鎧には禍々しく爪で裂いた跡が滑らかに描かれ、溢れ出る大量の血液が傷の深さを物語る。

しかし肉体は炎だけでなく、青紫の毒々しい光さえ宿り絶え絶えに輝いていた。


「何とも哀れな生き物よ……己の矮小わいしょうさに気づけぬか」


 男は村のど真ん中、兵舎の前にある砂道の上で亡骸をまじまじと見つめている。

 塵一つ付かぬ外套を身にまとい、高貴なまでの威風で悠々とした男――コレール=シュライエンは、前方から聞こえてくる怒号を耳にして顔を向けた。涼し気な表情で辺りを見渡しては凛々しい面持ちで待ち構える。

 村はずれの監視塔から駆けつける兵たちの数は、わずか十数名。衛兵の能力と兵力を鑑みれば、抵抗という言葉でさえも成立しないことだろう。


 どこの国とも識別し難い小さな農村には、せいぜい二十人程度の衛兵しか配置されていないらしい。そのためか、衛兵のまとまった姿が現れるのはずいぶんと遅かった。


「何者だ、貴様はッ!」

「ここで一体何をしていたッ!」


 十数人の衛兵が鞘から剣を抜き、コレールの周囲を取り囲んだ。顔見せぬ兜の下からは、得体のしれない敵に対する恐れが見て取れる。

 沈黙を貫くコレールは長く雅やかな髪をなびかせた。揺れる髪の下から覗く艶やかで冷徹な笑みが、衛兵たちの鎧を震わせる。どれだけ知識が乏しかろうと、目の前にある雰囲気を感じることはできるらしい。

 衛兵たちは互いに様子を伺いながら、最初の一歩を踏み出すのに戸惑っていた。


「雑兵という言葉がよく似あうものだ。敵を目の前にして恐怖をみせてしまうとは」


コレールの呟きに対し、ついに衛兵の一人が動き出す。投降も求めずに思い切り剣を振り上げ、叫び声をあげながら斬りかかる。

 しかし、夕焼けの影に冷酷な目を浮かべるコレールは動じることがない。おもむろに腕を上げ、剣が振り下ろされるのに合わせて薙ぎ払う。

すると腕に直撃した剣は鈍い音を立てて砕け散り、コレールの手が衛兵の胴を捉えた。


「ぐあッ!」


 胸を押しつぶされたように吐き出される断末魔。

 鎧をまとった衛兵の重たい体が軽々と宙に浮きあがり、兵たちの目の前に振り飛ばされた。そのままぴくりとも動くことなく絶命し、辺りに沈黙を塗り広げた。

 倒れた衛兵の胴には綺麗にひかれた三つの爪跡が残されており、そこから噴き出る血液がプレートを伝って地面に垂れる。


「お、おい……どうしたんだ?」

「な、何が起きたんだ……!?」


 衛兵たちが身じろいだ。武器も持たぬ男がどうやって斬撃を弾いて、衛兵を殺害したのかがわからないのだ。兵たちが持つ剣の先が小刻みに揺れる。

 コレールはつまらぬと言わんばかりの表情で、衛兵たちに自らの血塗られた腕を見せつける。その腕は、無数の堅牢な鱗で覆われたドラゴンの腕そのものである。

 鳥の潜む森に石が降ったかのように、硬直していた衛兵たちが驚愕の声を上げた。


「何だ、あれは……! 人間じゃないのか⁉」


 兵たちは対峙したのを後悔したのか、少しずつ後退る。

 コレールは腕についた血を振り払い、にやりとした表情に移り変わった。下等で脆弱な生き物を前に、強者の為すことは誇示に限る。


「その通り、我が種はレーツェルドラゴン。人間が何千何万と束になったとて同等にはなり得ない」

「馬鹿な……どう見ても姿は人間……」

「腕が……!」


 その言葉を聞くやコレールの人間の皮膚が焼け剥がれ、禍々しく鮮やかな赤い光が全身を包んでは大きくなっていく。光のシルエットは、衛兵たちの頭の中にある童話の絵柄と合致していた。

 衛兵たちは茫然とし、口は開いたままになっている。


 コレールの肉体は赤と青の入り混じった神々しい色の鱗に覆われ、背中から広がる巨大な翼が遠くの空を隠した。家屋一棟とほとんど同じ体格で兵を見下ろす。

 竜の尾が地面を削り、長い首の先にある尖った頭が天を仰ぎ、空気を砕くような咆哮を上げた。その気迫に草木が煽られ、潜んでいた鳥たちが一斉に飛び立つ。

 高所で金色に輝く眼がふもとの人間たちをぎろりと睨みつけた。


「ば、化け物だああ!」

「みんな、退却だ! 急げ、逃げろ!」

「うわあああ!」


 衛兵たちは一斉に背を向けて逃げ出した。それでも、人間の足の速さではドラゴンの巨体が生む影から逃げるにも時間がかかる。

 この世にまたとないほどの恐怖を覚えた衛兵たちの足取りはおぼつかなく、何人もが草に足をとられては膝をつく。

 コレールはドラゴンの尖った顔で兵たちを見下ろし、目を細めて嘲笑った。


「数千の兵からは逃れられても、我から逃れることはできぬ」


 コレールは鎧の鱗をまとう剛腕を持ち上げ、指先の鋭利な爪を衛兵たちに向けた。

バチバチと唸り声をあげる連鎖する稲妻(チェインライトニング)が指先から放たれ、辺り一面が青白い光に包まれた。雷撃が地面に落ちると、植物のツルのように伸びて衛兵の背中に直撃する。


「ぐあああッ!」


 瞬間的に一人を殺めた稲妻は、他の人間へとその手を伸ばしていく。その速さから逃れることのできる人間は、ここにはいないだろう。

衛兵たちの体に電撃がまといつき、プレートもろとも下の肉体を焼いて生命を奪い取った。微かな煙を上げ、断末魔の叫び声がかすれて聞こえなくなると、兵たちが力なく倒れこんだ。


 再び竜の轟音が村中に響き渡る。

居ても立っても居られなくなったのか、村人たちが次々と家屋から飛び出してきては悲鳴をあげ、一目散に逃げていく。


「あの化け物、魔法が使えるのかッ?!」

「ど、ドラゴンだああ!」

「みんな、逃げろッ! とにかく遠くへ逃げるんだッ!」


 衛兵の隊長だろうか。周囲の人間たちに指示を出して誘導しているものの、もはや指揮系統は恐怖によって完全に崩壊しているようだ。

 コレールは一歩、また一歩と太い足を進めていく。特段どうしてやろうという意図を持たないまま、人間たちを観察しては喉奥を鳴らす。

 ふと右肩に何かがふれたような感触に気づくと、またふもとを見下ろす。あの衛兵隊長が弓を引いて唯一反抗してきている。だが、この村には魔法を使える人間は一人もいないようだ。

 コレールは隊長を見下ろし、薄らと微笑んだ。


「ふむ、人間にしては良い度胸をしているな」


 矢は鱗に傷ひとつつけることなく弾かれ、空しく地面に落ちた。衛兵隊長の表情にも恐怖が滲み出し、農民たちの流れに乗って走り出す。


「だが、所詮お前たちは人間だ」


 レーツェルドラゴンは両腕を胴の前に出す。すると地面に炎の円が描かれ、自身を囲んだ。全方位に殺意を向ける炎の拡大(ファイアエクスペンド)が、淡々と逃げ場の無きを告げた。


 コレールは無情に両腕を広げる。

炎の円は爆発的に拡大し、巨大な津波のように炎が村々を飲み込んでいく。衛兵や農民たちの悲鳴が轟音にかき消え、奔流ほんりゅうに身を食され、家屋でさえもバラバラに砕け散る。

 炎は村全体に広がって全てを焼き尽くすや、吸い込まれるように消えていった。焼け焦げた草木や亡骸を残し、天高く黒煙を上らせる。


「なんとも……脆い生き物だ」


 巨大な翼で黒煙を振り払うと、レーツェルドラゴンは長い首を振って辺り一帯を眺めた。

数秒前までは文化というものが生きていた村が死に絶え、呻き声の一つさえも残すことなく生命が灰燼に帰した。コレールには何の負い目を感じる様子もなく、積る残骸の山を流れるように眺めた。


コレールの重たい体が大地にのしかかり、物々しい竜の足跡、爪痕をくっきりと刻み込む。痕跡を発見した者は何を思うだろうか。

 次第に空も焦げて暗くなっていくものの、魔法によって出来た炎の残り火が闇で揺らめいている。

 村を失ったこの土地は平野に帰り、生き物の姿一つ見せない静寂に包まれた。どれだけ目を凝らしても、誰一人として見つからない。


 おおよそ、一週間足らずで村の惨状が知れ渡るに違いない。人間の群れに響き渡る動揺や混迷、竜へのおののきが容易に想像できた。

 コレールは虚空を見つめてにんまりと邪悪な笑みを浮かべる。

 人間と竜、双方相容れない種族との間の抗争が目に浮かぶようだ。


「さて、我が身に敵う者がこの世にどれだけいるのか……」


 沈黙の中に竜の独白が浮かぶ。

 コレールの竜としての顔は表情こそ変わりづらいものの、何かを睨みつけるようにして輝いている。

 レーツェルドラゴンは喉を鳴らし、強く羽ばたいてその巨体を天高く舞い上がらせる。

 山々の背が徐々に低くなっていき、雲間に竜の咆哮が鳴り響いた。

 奴らを、決して許しはしない……!










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