ロボット画伯
鈴木吾郎は画家である。
齢十四にして、鈴木の作品はフランスのラ・ヴェール美術館に飾られることになり、一躍有名な絵描きとしてニュースにも取り上げられた。
しかし今、彼の名前を、世間一般の人々は覚えてすらいない。
なにしろ彼はここ三年間、筆を握ってすらいないのである。
都内のアパートの一室。
床はあちらこちらに雑誌が散らばっていて、六畳間はもはや、ゴミ屋敷と化していた。
そんな部屋に、身をひそめるようにして、スマホを眺める男が一人。
ただ、何もしない男。
何もできない自分を呪い、時に涙する。
これが、齢十八の鈴木吾郎の姿であった。
「おーい、吾郎。家にいるんじゃろ」
突然、外からかけられた声に、鈴木はたじろいだ。
ドアを開けるべきか三秒悩む。
やがて、床の雑誌を跨いで、ゆっくりと、腰を低くして玄関に向かう。
「師匠、どうして」
ドアの前に立っていたのは、全身白いタキシード姿に身を包んだ、英国紳士とでも称するべき老人。
師匠と呼ばれたその老人は、白い髭を指でつまんで、鈴木を見る。
「お前、スランプなのだろう」
どこで聞いたんですか、と掠れた声で鈴木がいう。
「なに、私はお前の師匠だ。お前のスランプを直すため、ある物をフランスから持ってきたのだよ」
「ある物、ですか」
老人は、自分の足元に置いてある段ボール箱を指さす。
「ここに、私がフランスで開発した絵描きロボットが入っている。名を『ロボット画伯』という」
「ロボット画伯」
「そう。私の芸術の心を全て注いだ、高性能な絵描きロボットじゃよ。これの描く絵を見て、それでも絵を描きたくならないのなら、もう描く必要はない。」
最後の希望。
鈴木は、自分の背中が真っ直ぐになるのを感じた。
「では、せいぜい頑張りたまえよ」
「ありがとう、ございます」
部屋に段ボール箱を持っていくと、意外と小さいことに気付く。
「さて、早速開けてみるか」
そうして取り出したロボット画伯は、プラスチック製であった。
さらに、リモコンも付いていた。
試しに、「起動」と書かれたボタンを押してみる。
無機質なマシンの音が、部屋に響く。
そうして、ロボット画伯から、一枚の画用紙が、印刷機のように出てきた。
「なんだこれは」
手に取ってみて、驚いた。
そこには、散らかった部屋、つまりこの部屋の風景画が、色鮮やかに描かれていたのだ。
散らばった雑誌をオレンジ色に塗るセンス。
なんてことのない平凡な木製の机は、真っ青に染まっていた。
「これはまさに、そう、まさに芸術だ」
鈴木は興奮を堪えきれないでいた。
まさか、ロボット如きがこんな所業をこなせるとは。
「次、もう一つ、何か、この皿を描いてみてくれ」
スイッチを入れて、あっという間にプリントアウトされた絵を見る。
そこには、形容しがたい深みがあった。
鈴木はうずうずと、足元が落ち着かない。
それは決して、次にロボットが何を描くのか楽しみだからではない。
自分も、こんな絵を描いてみたいという、純粋な少年の心がそうさせていた。
「よし、もっとロボットの絵を研究して、そして描こう」
ロボットは音を上げることもなく、淡々と新しい絵を完成させ、その度に鈴木の心に火をつけた。
そして、百枚は描いただろうか。
「私も、何か、そうだな。この部屋の風景を描いてみるか」
三年振りに筆を握った。
埃被った画材道具のなかから、使えそうな物を取り出して、真っ白なキャンバスに赤、青、黄色、様々な色を散りばめる。
○
完成した絵を、誰よりもまず先に、師匠に見せたい。
そう考えた鈴木は、フランスにとんぼがえりした師匠を追いかけた。
「それで、お前は三年振りに、どんな絵を描いたというのかね」
無言で、鞄から一枚の絵を取り出し、師匠に渡す。
師匠はそれを受け取り、しばらくすると、うーむ、と唸り声を上げた。
「吾郎。これはお前が描いたのか」
「はい」
自信満々に答える鈴木。
しかし、その答えを聞いて、師匠は顔色を変える。
「大馬鹿者め。何だこの絵は。喜びも哀しみも感じない。暖かくも、冷たくもない。そう、無機質な、ロボットのような絵だ。人間味のカケラもない」
師匠に罵詈雑言をくらって、一瞬頭が飛びかける。
しかし、ふと、師匠の言葉の意味を理解した。
つまり、鈴木は、ロボットに影響されるがあまり、ロボットから学習してしまったのである。
そう気付いた時には既に、彼はロボットのように涙も流せなかった。