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幼馴染が女になってた1

 生きるのは疲れる。

 何をするにしても、しないにしても。


 簡単な規則があり、周囲からの評価もまだゆるい高校生の今でさえ面倒なことだらけだ。


 高校生活も二年目。何度目かわからない夏休みを目前に、地球がうだるような暑さを小出しし始めたある日。

 俺に一通のメッセージが届いた。

 夏休みにそっち行くからちょっとの間泊めてほしい、とかなんとか。差出人は俺の幼馴染。男。


 俺はもともと地方住みだった。進学に際して単身学校のある都心へ移り住んだのだ。現在はアパートで一人暮らしをしている。

 周囲にそのことは伝えていたので、ホテル代を浮かせるために声がかかったのだろう。

 高校に上がってからは疎遠になったが、彼とは親しい仲だった。面倒ではある。しかし短期間部屋で寝泊まりさせるくらいどうということはない。


 そしてその日は来た。


 インターホンが鳴る。

 冷気に満たされた部屋を横切って玄関に立った。

 スマートフォンの通知を確認。

 一分前に『着いた』のメッセージ。

 中学以来だ。本当に、久々の再会だった。


 ドアを開ける。

 夏の熱、光。蝉の騒がしい声。

 室内を満たす冷気を害するように外の熱気が滑り込んでくる。


 不快感を覚えるなか、来客の姿を認める。


 そこにいたのは、ノースリーブのシャツに暗い色のロングスカートを履いた少女。手には何やら色々入った大きめのビニール袋。彼女の(かたわら)にはキャリーバッグが立てられている。


 宗教の勧誘。国営放送のアレ。友人。飲料を売る女性。親族。

 どれも違う。


 誰だ、彼女は。


「あー……赤羽……だよね? 久しぶり……。南だけど覚えてる?」


 緊張の面持ちで彼女はそう言った。


 俺の姓は赤羽。

 待ち人の名は南。

 そんな訳はなかった。


「南は男だ」


「う、えっ!?」


 南を自称する少女は目を見開く。


「詐欺か? 南の苗字は?」


 少女は間髪入れず「麦」と答えた。俺の知る南の姓で間違いない。


「俺のフルネームは?」


赤羽雀(あかはじゃく)


「俺のあだ名は?」


「ジャック」


「俺に兄弟はいるか?」


「弟が」


「名前は?」


(がく)、だったよね」


 すべて正解だった。

 考える仕草をわずかも見せない。

 まるで全て知っていたかのようだ。


 少し怖くなる。

 俺の幼馴染を名乗り、俺に関する情報を承知している。

 だが俺はこの少女を知らない。気味が悪い。


 扉を閉めようかと考えた時、彼女はビニールを持っていない側の手でスマートフォンをささっと操作する。

 すると俺の手に握られていた携帯が振動し着信音を鳴らす。驚いたが、ドアノブから決して手を離さないように片手に持ったスマホへ視線を向ける。

 南からの着信だった。


 すぐに通話を開始する。


「もしもし! 今――」


「もしもし」

『もしもし』


 電話の向こうから聞こえる声と、目の前からする声が一致している。


「私が南」

『私が南』


 そんなはずはなかった。だって彼は間違いなく男だ。


「相変わらず面倒くさいなお前は。これ持って」


 少女が持っていてたビニール袋をこちらに渡してくる。思わず受け取ってしまった。


「いい加減部屋に入れてよ。暑い」


 苛立った様子でそんなことを言う彼女は俺を押しながら玄関に入ってきた。ちゃっかりキャリーバッグも入れている。

 事態に気づき慌てて彼女を外へ出そうとするが、後ろ手に鍵を閉められた。


「何してるんだお前! 警察呼ぶぞ!」


「待て! ほんとに面倒くさいなもぉ。これなら可愛子ぶってちゃっちゃと上がりこめばよかった」


「なん……」


 この感じ、覚えがある。

 強引で乱暴なこの振る舞い。


「手短に話す。高一の春に朝起きたら女になってた。以上。早くくつろがせて」


「ま、待て待て待て! なんの話をしてる?」


「高一の春に朝起きたら女になってた話」


「いやそんなツイッターのリプで続ける漫画のツイートみたいに言われてもわからない!」


「ほんとに座らせて。足痛い」


「ちょ、ちょっと」


 彼女は俺の横をするりと抜けて、部屋の奥にあるベッドの手前、貰い物のソファにぐでっと腰を下ろした。


「マジで一人暮らしなんだねー。お前臭する」


「なんだその言い方」


「テレビないし」


「スマホで足りるだろ」


「Wi-Fiある?」


「……ある」


「パス教えて」


「……」


「……なに。ダメ?」


 こんなふてぶてしい人間、俺は一人しか知らない。

 麦南という男はまさにこんな男だった。


 とりあえず自称南からスマホを受け取ってパスワードを入力してやりスマホを返す。


「サンキュー」


 サンキューじゃない。


「あっ、さっきのビニールの中にコーラ入ってるから氷入れて飲んでいいよ。というか喉乾いたから入れてよ」


「……」


 とりあえず袋からコーラを出し、氷を入れたコップ二つに注いでソファ前のテーブルに置く。


「サンキュー」


 サンキューじゃない。


「やばっ、足痛え。あとでマッサージするからちょっと揉んでくれない?」


 とりあえず彼女のふくらはぎやアキレス周辺、足の裏と足の指なんかをしばらく揉んでやった。細くてプニプニしていた。


「きもちー。楽になったわ。サンキュー」


「いやサンキューじゃないんだよ。お前ほんとに南なのか?」


「言ったじゃん」


「んなわけあるか! 一応警さ……」


 待てよ。こいつがもし、ナイフを隠し持っていたら? ここで怒らせてしまって、俺に命の危険はないだろうか?

 最悪、南が特殊な犯罪に巻き込まれている可能性は? ゼロとは言い切れない。

 目的はわからない。が、俺の個人情報をある程度調べ上げているのは事実。もしかして、俺は今虎と同じ檻の中に居るような状況なんじゃないか?


 下手に刺激はできない。

 騙されているフリをして逃げ出そう。


「あれ、よく見たらお前全然南だわ。アハハ。ごめんごめん久しぶりに見たらすげえ変わってて気づけなかったわ! ちょっと近くのスーパーにお菓子買いに行ってくる!」


 自称南はかばっと立ち上がり俺のふとももを蹴りつけた。


「なわけあるか!」


「いたあああああっ!」


「警察って言いかけてからのその下手くそな演技なんなの。気づくよ?」


 脚をやられた。

 俺を逃さないつもりで脚を潰しにきたのだろう。

 俺が思っていた以上に危機的状況で、かつ相手は危険な人物らしい。

 ハッ!

 そういえば玄関の鍵も閉められていた。

 もう、逃げられない……!


「その絶望の顔やめて。だから私が南だって言ってるでしょ」


「……このうざさ……南だ…………」


「うざさ認証やめて」


「納得した?」


「……まぁ、疑うのは止めることにする」


「そ」


 しばらく彼女の横に座って思考を整理する。

 しかし信じられない。

 もしそんなことが起こったなら、少なくとも同級生たちから何かしらのアクションがあったと思われる。


「周りの奴らは驚かなかったのか」


「いや全然。最初から私が女だったみたいに振る舞ってた。交友関係とかも勝手に変わってたし、いろんなことが初めから私が女だったってなってた。だから自分が男だったのが妄想かと思ったんだけど」


「……妄想なんかじゃない。俺は覚えてる」


「だから驚いたんだよ。お前が覚えてて」


「他にいないのか。俺以外でお前が男だったって覚えてるやつは」


「いる。澪って子覚えてる?」


「……覚えてる」


 俺の嫌いな女だ。


「澪だけだったよ。私が急に女になったのに気づいたの」


「………………なるほど。同じ高校だっけか」


「そうそう。あいつにはほんとに色々助けてもらったよ。今回のこの旅行? もあいつと来る予定だったんだけど体調崩してさー」


「なんだお前、二人で俺のとこに転がり込むつもりだったのか?」


「えへへ……ダメ?」


 彼女は上目遣いで首をこてっと傾げた。


「いや急に女の子ぶってもダメなんだけど……」


「女の子ぶるというか女の子なんですけど。口調もちょっと女の子っぽくなってるでしょ?」


「なんか変だと思ってたら喋り方がちょっと違うな。一人称も私だし」


「今まで通りにしてたらさすがに女の子としてはダメかなって思ってさ。矯正した!」


 女の子として、か。


「男に戻る気は?」


「いや、特には。……面倒なこともあるけど別に困ってないし。しかも可愛いし。ねっ!」


 今にもハートマークが飛んできそうなウィンクをしてきた。たしかに、整った顔立ちだ。うざい。


「え、こんな可愛い女の子にウィンクされてるのに動じなさすぎじゃない!?」


「それどころじゃないし……」


「まぁそうだね」


「ていうかお前、男一人で暮らしてる俺んとこに泊まろうとしてたのか? 女だけで」


 元男とはいえ、周囲は南を女性として認識しているらしい。俺が彼女を最初から女だと思っていた可能性は高い。

 危機感が足りていない。


「ジャックなら大丈夫でしょ」


 懐かしい呼ばれ方だ。

 俺をジャックなんて呼ぶのは小中の頃のやつらだけだった。


「確かに……」


 女性が家にいたとしても俺が手を出すことは絶対ない。俺をよく知る彼なら分かりきったことだったのかもしれない。

 どちらにせよ男としては不甲斐ないと遠回しに言われている気がしないでもないが。


「ねぇジャック、その腕に貼ってるのなに?」


 再びジャックと呼ばれ一瞬だけ感傷的な気分になるが振り払う。

 俺の左腕には長さ十センチ、幅六センチ程度の肌色のシールが貼ってある。彼女はこれのことを言っているのだろう。


「怪我を保護するやつ。アキレス腱と踵のあたりに貼れば靴擦れ予防できるぞ」


「マジ!? 早く教えてよ。私今めっちゃ靴擦れしてるんだけど」


 靴擦れができてからじゃ遅い。だがそんなことを言ったところでこいつは文句を言ってくるだけなので適当に流しておいた。


「……何度も聞いて悪いが、男に戻る気は無いんだな?」


「無い。……なに? その気なら手伝うつもりだった?」


「当たり前だろ」


「……手伝って欲しいなら私から言うよ。それより昼ごはん! 食べたい!」


「なにその言い方。要求してるのか?」


「お、ね、がい」


 自称南はその整った顔であざとくお願いしてくる。このうっとおしさ、相変わらずだ。

 容姿も話し方も記憶と異なるが、彼女は南なのだろう。疑うのも面倒だ。


「はぁ……」


 面倒なことになった。



  ◇



 その後はテーマパークやら話題のお店やら観光地やらに連れ回された。

 もちろん一日で、ではない。すでに一週間経っている。そう。南は一週間俺のアパートに住み着いている。

 彼女は夏休みに備えてなかなか蓄えがあったらしく、俺の出費はそこそこに抑えられていた。金銭的には助かるが、疲労は溜まる。彼女はなぜか全然疲れた様子はないが。


 有名どころの飲食店が立ち並ぶ通りから、少し外れた住宅街。遠くから人のうねりが感じられる公園に俺たちはいた。

 彼女は黒を基調としたティーシャツをだぼったいデニムにインしたなりでブランコに乗り揺れている。俺はただの長袖のワイシャツとデニムで傍のベンチに腰掛けていた。


 空は青黒くなり始め、蝉の声もいくらか収まっている。どこからか夏の夜の香りがした。


「家族とか実家から解放されて遊び倒せる夏休みって最高だね!」


 確かに、しがらみを忘れて過ごすというのは楽だ。


「そうだな」


「……疲れたの?」


「インドア派なのに1週間も連れ回されてんだよ。疲れるだろそりゃ」


「いつからインドア派になったの」


「胎児の頃からだな」


「年季入ってんね〜」


 彼女は立ち漕ぎで勢いをつけると、とおっ! と男子小学生のように跳んで着地。こういう端々から男だった名残が出ている。自覚はしてないようだが。

 彼女の容姿も相まってこういうところに惹かれる男も多いだろう。


「よいしょ」


 俺の隣に南が腰掛ける。ふわりと彼女の匂いがした。

 中学の時までの彼の体臭とは異なる異性の匂い。


「まだ歩ける? 近くの焼き鳥屋さん行きたいんだけど」


「いいよ。次で今日は最後にして」


「はーい」


 張ったふくらはぎに喝を入れて立ち上がると、体の節々が痛んだ。

 疲労や筋肉痛が溜まってしまっている。


「キツそーだね。明日は休みにしてあげようか?」


「夏〝休み〟のはずなんだけど」


「知ーらないっ。早く行こっ」


 南は当たり前のように俺に腕に自分の腕を絡ませてくる。薄着というのもあり胸の感触を直に感じた。


「当たってるぞ」


「なにが?」


「知らない」


 こいつはタチの悪いことに自分の容姿がいいのを自覚している。おそらく、ご褒美か何かのつもりで俺にこんなことをしているのだろう。そういうやつだ。


 そんな恋人のような様相で人気の多い場所に繰り出した。知り合いに見られたら、と思うと気が気ではない。


 通りは夕飯時も近づき人でごった返していた。俺は人酔いなどしないが、人混みは邪魔くさくてうんざりしてしまう。


 スマホで地理を調べながら歩く南。

 俺は腕を引かれただついていく。


 南が女になって、そして腕を組んでいるだけで、俺たちはあまり変わってない。

 俺たちは昔からこうだった。

 こいつがぐんぐん進んでいって、俺がその後ろについていく。


 色々変わってしまったが、変わらないものも残っている。

 変化は疲れる。

 全部変わらなければいい。


「あ、ここ!」


 目の前には行列があった。並ぶのか。

 お店の中から賑やかな声と香ばしい香りが漏れていた。


 俺たちは静かに最後尾につく。

 いつのまにか南は俺の手を握っていた。ほんとにいつのまに。


 繋がれた手に視線を落とせば、彼女は目ざとくその動きを発見する。


「恋人みたいだね?」


 男だった頃からこいつはやたらと何かいたずらとかからかいとかを仕掛けてきたが、女になるとこうなるのか。

 面倒だが嬉しくないわけではない。

 けれどそれを悟られるのは癪なので黙って視線を逸らした。


「反応にぶいなー」


 この言葉にどう反応しようがうざい返しがされるので黙殺。

 黙って並んでいる間、特にすることもないので人の往来を眺めていた。するとやけに気にかかる顔がいくつかあった。


 思い出す。

 彼らはクラスメイトだ。装いがいつもの制服ではなく気づけなかった。

 面倒だ。非常に。


 一も二もなく南と繋いでいた手を離そうとするが、知らぬ間に指同士を組んだいわゆる恋人繋ぎにされていてすぐには抜け出せなかった。

 俺の行動を察知したらしい南は、逆に俺の手をがっちり握った。


「お前の悪いとこだぞこういうの」


「どうしたの?」


 喧騒の中声は届きづらい。彼女の耳元に顔を寄せて伝える。


「クラスメイトがいる。見られると面倒だから他人のフリをしてほしい」


「出た面倒。やだ」


「なんでだよ!」


「それ聞いちゃう?」


 上目遣いでいたずらっぽく微笑む。

 こいつの行動原理は理解している。面白いことになりそうだからこんな事をしてるんだ。

 説得できるか? こいつを? 無理だ。


「はいはい冗談だよ」


 そう言ってパッと手を離された。


「はぁ……」


 また遊ばれていたらしい。

 クラスメイトらは俺たちに気づくことなく雑踏に紛れどこかへ行ってしまった。

 行列は店に飲まれていき、ようやく俺たちは入店。


 テーブル席に案内されお通しを出される。それを適当に食べながらさっさと注文を決めた。俺もこいつもメニューを選ぶのに時間はかからない。


 ベルを押してすぐ、若い男が俺たちのテーブルの前に立った。知った顔だった。


 たまたま入った店で知り合いがバイトしてるなんて、高校生であればよくある。


「あっ、赤羽! もしかして彼女!?」


 はい面倒。


「ちが」


「そうです! 麦って言います。(じゃく)と同じ学校の人ですか?」


「ども、吉瀬です。こいつとは一年の時同じクラスで。よろっしゃっしゃす!」


「よろしくー! うちの雀もよろしくね」


「はいはい。そりゃもう」


 吉瀬に肩をバンバン叩かれる。こいつ……。


「誰にも言うなよ」


 割と強い口調で吉瀬に釘をさす。


「ん? ああオーケー。ただ見ちゃった以上はイジるけどな」


 そうそう。こいつも面倒なやつだった。


「…………わかった」


 俺が意気消沈している間、南が注文を済ませていた。


「かっしゃありあしたー。しょしょ待ちくださいあせー。じゃあな赤羽ーと、麦さーん」


「おう……」


「バイバーイ」


 面倒が眼前に迫っている。

 夏休み明け、どうなるかわかったもんじゃない。

 これを発端にいじられキャラとして成立してしまったらどうなることか。


「……どうした? まだ人と関わるのが嫌だとか思ってんの?」


 優しげな声音で南が問うてくる。

 その問いの答えは決まっている。

 彼女もそれは知っているはずだった。


「まぁ……そうだな」


 人と関われば自分と向き合うことになる。

 同時に、相手に自分を見せなければならなくなる。


 テープの貼られた左腕に意識が集まった。

 もうこれ以上自分と向き合いたくなどない。

 いいじゃないか。自分と向き合わなくたって。

 人生の選択はめいめいに託されてるんだから。


 逃げたっていいじゃないか。

 それもまた、俺が選んだ道だ。

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