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彼女はその日、ビルの屋上で、吹き抜けを見下ろしていた。
彼女の会社があるビルは口の字型になっている。
ここから飛び降りれば重い頭が下を向いた状態で着地するはずだ。そうなれば間違いなく人は死ぬ。
べつに、特別嫌なことがあったわけではない。
昨日だっていつも通り。やること全てを否定され、夜までやらないと終わらないような仕事を押しつけられただけ。
なんとなく見下ろしただけだった。
彼女は以前にも自殺を考えたことがあった。
そのときには四階建ての建物の屋上から地面を見下ろし、その高さ、飛び降りた結末への恐怖で足がすくんだ。
それがどうしたことだろう。今は『ああ、高いな』程度の感想しか湧いてこなかった。
かつてはどうしてもできなかったけれど、今は飛び降りることが難しいこととは感じない。柵を越えて一歩踏み出せばそれで終わり。
そう、こんなふうに。
―――
その日、ビル内の会社すべての業務が短時間停止した。
たまたまビルの内側の窓に面した場所にいた人々が見た。
時たま落ちる屋上の葉っぱと同じように人間が落下する。
人々は誰も、何もできなかった。
そもそも見た瞬間には人間が落ちていると気づけなかった。何か大きなものが落ちたとしか。
しかし、窓辺にある上司の席の側に立ち報告をしていた八神は反応できた。
すぐれた聴覚はビルの外で何か大きなものが落下していることを感知していた。
八神光一はロボットである。瞬時に落下物=人間であると判断し、自分の腕が壊れることにも構わず硝子を突き破り、自身も外へ飛び出した。
かろうじて彼女の足を掴む。
中庭に配置された木の枝を掴むがすぐに折れた。ビルの壁を制限なしの力で掴もうとするが止まることはできなかった。
地面が間近に迫ったところで八神は彼女を抱きしめるように自分の体で包んだ。
落着の瞬間。八神は彼女を放り出す。
自分の体で衝撃を吸収しても彼女が助からないことは明白だった。
なので落下の衝撃は可能な限り受け止めながらも彼女が床を転がるように投げた。
「――――っ、あぅあぁぁ」
形容しがたい鈍い音が立て続けに響く。
彼女は全身をしたたかに打ち付ける。かろうじて意識は残っていたが視界がちかちかして、そもそも何が起きたかわからなくて困惑する。片腕が嫌に熱かった。
「きゃああああああ」
周囲がにわかに色めき立つ。人が落ちていたことを認識し、音を聞きつけた人も中庭付近にいた人も何が起きたのか確認しに来る。彼女以外の誰も彼もが大慌てで騒ぎ出す。
彼女は動けない。全身の筋肉に普段とはまったく違う力が入ってこわばっている。体を起こさなきゃ、となんとなく考えるがまったく体が言うことをきかない。半身を起こすのがせいぜいだった。
なんとか頭を持ち上げた彼女が最初に見たのはロボットの残骸だった。
物語のようにきれいなお別れなんてない。八神光一と呼ばれたロボットは頭部から落下し、上半身は木っ端みじんというのがふさわしいくらいに壊れていた。足も床に打ち付けたのかあらぬ方向へ曲がっている。
彼女以外の誰も、落ちたのがどこの会社のロボットなのか分からない。
けれど彼女はそのロボットが八神だと確信できた。
「ああ、ああ」
彼女は涙を流しながら眠るように意識を失った。