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 私はどこにでもいる普通の人間です。少なくとも私自身はそのつもりです。

 勉強は嫌いでしたが授業で落ちこぼれない程度にして、運動はへたくそだけれど悪目立ちするほどではなくて、家はお金持ちでも貧乏でもないきわめて一般的な家庭で、見た目も特に着飾ったり奇抜なことをしないでそこそこ見栄え良くしていたつもりです。

 良くも悪くも突出しない。そのはずでした。

 思えばタイミングが悪かったのでしょう。中途半端に見栄えを良くしていたことが原因だったのかもしれません。

 私は小学校高学年になったころからクラスメイトに無視されたりするようになりました。


「見栄えがいいことには自信があるんだ?」


 うるさい。

 他の人と自分を比べる余裕なんてないし、比べるにも私が鏡を見れば陰鬱に世の中恨むような目つきの根暗な女しか見えないけれど、私を無視した連中が「ちょっと可愛いからって調子にのって」とおきまりの台詞を言っていたんです。

 ……話を戻します。愚痴を聞いてくれるんでしょう?


 別に、無視そのものは大きな問題ではありませんでした。

 クラスにはいつも誰か悪口を言われる人がいて、悪いことは全部その人のせいにすることで和を保っていたのかもしれません。言ってみれば私にも持ち回りの当番が回ってきた、程度のことです。それだって長くても一ヶ月もすれば終わります。それまでに何度か当番が回ってきたことはありましたが、その間はじっと息を潜めて陰口に気付かないふりをしていればよかった。


 問題は中学に入った直後でした。小学校の頃、女子はませていましたが男子は「女子とつるむなんてかっこわるい」という風潮でした。そのおかげで誰が誰と付き合う、とかそういう話はほとんどありませんでした。

 けれど中学に入って男子が女子を見る目が変わりました。

 たぶん、恋愛を意識し始めたのだと思います。


 そうすると女子の方も意識が変わってきました。

 これまでのように格好良い男子にきゃあきゃあ騒いだり、からかったりするのではなく、もっと具体的な関係になろうと。


 たまたま中学に入って一ヶ月くらい経った頃、私に当番が回ってきていました。

 そしてその頃、女子は男子が自分たちを見る目が変わってきたことに気付き始めました。


 私の当番に気付いて優しくする男子がいました。

 それ自体はとても優しいことだと思います。

 ですが私は心から構わないでくれと思いました。

 だってそうでしょう? みんなが彼氏彼女を意識した頃に、当番でも自分たちより下に見ているやつが抜け駆けしているように見えるんだもの。無視する側からしたら気に入らないですよ。

 変なうわさを立てられて、見つかっても大事にはならないような嫌がらせはだいたいされました。

 これまでと違ったのはもう当番が持ち回りではなくなっていたこと。見せしめみたいに攻撃されて、抵抗すれば自分に当番が回ってくるのが嫌な人たちに徹底的に叩かれました。


「ああ、そういう胸が悪くなるような話はどこにでもあるね。抵抗できないようにしておきながら抵抗しないこいつが悪いと攻撃する。学生……それも中学生の頃から同じとは。社会人にもなって進歩がないというべきか、中学生がませているというべきか」


 どっちでも構わないわよ。どっちでも私が嫌な思いをしたことに変わりはないんだから。


「ごもっとも」


 そのうち優しくしてくれた人たちも他に仲の良い子ができたりして私に構わなくなりました。

 不思議なもので、周りのみんなに「あいつはだめなやつだ」って言われ続けると、本当にダメになっていくんです。体育では思ったように動けないし、勉強にも集中できない。話し声は全部自分の悪口に聞こえるし、自分のことを思って言ってくれているんだろう言葉も自分を責めてるようにしか聞こえない。いくら空気を吸っても肺を素通りしていくみたいな気持ちになりました。


 私は不登校になりました。


 このあとは特に話したいこともありません。

 通信で中卒、高卒の資格を取って、地元を離れた短大で社会復帰して、きちんとした企業に就職したはずでした。


「誤算は就職した企業がひどかったこと、と」


 はい。ですがいいえ。会社は至極まっとうです。社内の雰囲気は明るくて居心地が良いはずです。

 悪いのは私がいる部署だけ。評判の悪いセクハラ上司とお局気取りの先輩職員がいる、吹きだまりだから。


「それはまたついてない……いや、もしかしてエントリーシートや面接でコミュニケーション能力に自信があるとか実績があるとか書いたりした?」


 ……まさかそのせいで。というか、なんでわかるの。もしかしてウチの会社のデータベースにーー


「いや不正アクセスとかできないから。単なる推測だよ。いじめにあって学校って社会から脱落したことがかなりコンプレックスだったんだろう。ならそこをつつかれることを警戒してコンプレックスを覆い隠すように強調したんじゃないかと思っただけ」


 本当に感情が分かるんですね、気持ち悪い。

 そんなわけで、最近の愚痴を除いた私の説明はここまで。


―――


「やっぱり人間は大変だね」


 八神は小さくため息をつきながらつぶやいた。

 簡単な言葉ではあるがため息の湿り気、表情の陰鬱さから実感していることが分かる。

 本当に人間と区別がつかないと思った。


「人事に相談でもしてみたら、と言えたら簡単なんだけどね」

「そんなことをしても証拠がないもの。証拠があったとしても全員が異動になるとも考えられない。仮に嫌がらせをしていた人全員が異動になったとしてもわたしが周りの恨みを買うだけ」

「だろうね。処分が下るにしても時間がかかるだろうしその間は針のむしろだ。そして自分が被害にあってない人からすれば働ける人が減って自分の負担が増えるんだから、その負担はきみのせいだと考える人がいるだろう」


 今度はふたりして深いため息を吐いた。

 愚痴を言ってその場のストレスを解消したとしても職場にもどればまたストレスが溜まるだけ。共感を得て少しだけ気が楽になっても状況は変わらない。

 八神が解決策を提示できればよいのだがそれも不可能。

 セクハラというのが物理的な痴漢行為であれば物証が残る。嫌がらせも同様で、窃盗や器物損壊であれば警察に届けることも視野に入る。

 しかしセクハラというのが態度だけであれば、それをセクハラと感じるかどうかは本人のさじ加減によるところが大きい。悪いうわさを流されたと言ってもうわさを流した人物を特定しなければ処分しようがない。

 あらゆることが機械化された現代においても被害者と加害者は人間だ。情状酌量という言葉は今も生きている。判断がデジタル化していないため決定に時間がかかる。それ自体に賛否両論あるが、この場合は悪い方向に働く。会社としてはセクハラや嫌がらせがあったと断定できる証拠が無い限り社員は今のまま働かせるだろう。その場合、判断が下るまで彼女が保つかどうか。


 八神にも彼女にも解決策はなく、それでも愚痴をこぼせば少しは気が楽になるから愚痴をこぼしてしまう。いつしか彼女は毎日屋上へ来るようになっていた。八神も自分はカウンセリング機能とかないんだが、と思いつつ彼女の話を聞いていた。



 ある日、彼女が力なく、今日の天気は晴れですね、というような何の気なさで言った。


「死んじゃったら楽なのかな」


 その顔に力みはなかった。声から思い詰めた様子や憤りは感じられない。ぼんやりと眠たそうな表情だった。


「私には分からない。けれどうらやましいと思う」


 八神も食堂の日替わりランチのメニューはなんだろう、と話すような調子で応じる。

 驚きはなかった。毎日劇的なことはないようだったが彼女の愚痴は一日たりとも同じ内容がなかった。毎日新鮮なストレスを感じていればこうなるのは目に見えていた。

 むしろ彼女の方が自殺をほのめかす自分の発言と、八神の言葉に驚いていた。


「うらやましいって……」

「すまない、気を悪くしないでほしい。きみの境遇をうらやましがったわけじゃない。あと、命を粗末にしてはいけない」

「それは分かるけど、何がうらやましいの」

「選択肢があることが」


 自殺をにおわせるような言葉には言及しない。八神たちは死ねだの殺すだの自殺だのといった単語は使用できないようプログラムされているからだ。


「たまには私の話を聞いてもらおうかな。……きみはロボット工学三原則を知っているかな?」


 彼女はふるふると首を横に振った。

 古い小説の話だ。ロボット工学に携わる人か小説が好きな人でなければ聞いたこともないだろう。


「SF小説の巨匠と言われている人の小説に出てくる話でね。平たく言うと『1.ロボットは直接的にも間接的にも人間を傷つけてはならない』『2.人間を傷つけない限り命令に従わなければならない』『3.人間を傷つけず命令に違反しない限りロボットは自分の身を守らなければならない』っていう原則。興味があれば詳しく調べてみても面白いかもしれない」

「……それは小説の話? まさかあなたにも?」

「ああ、僕にも適用されている。ほとんどそのままね」


 重要事項は詳細に順位付けがされているので全てが全て三原則通りではないが、人工知能にほぼそのまま入力されている。


「僕たちがある程度自分の裁量による判断が許されていると言ってもね、きみたちみたいに自由じゃない。たとえばの話、きみは上司を張り倒すことができるだろう?」

「できないわよ。わたしが逮捕されちゃう」

「社会的立場とかを考えなければ可能だ。体格の不利は武器を使えばどうとでもなる。どうあってもできないということはないはずだ」

「それはそうだけど」

「私にはできない。人に危害を加えることも、自ら壊れることも許されない。私にはどうすればあなたの悩みを解消できるか分からないし、行動を起こしてもその結果がどうなるか分からない。けれどあなたは行動を起こして何か変化を起こすことができる。私にはそれができない」


 八神が言い終わるとあたりは静まりかえった。彼女も言葉を接ぐことをしなかった。

 その日はしんと静まりかえったまま昼休みが終わり、二人は無言のまま職場へ戻った。


投稿する時期があまりにも悪い気がする。

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