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 八神光一はロボットである。

 より正確に言えばアンドロイドである。外見は人間そのものでありよほどの技術者でなければ人間と判別が付かない。

 コルディス社製の第八期モデル、一般事務用のタイプ1だからという理由で付けられた通称が八神光一である。


 ロボットとしてのいちばんの特徴は、人間と同等の感情を持っていることである。


 もともとはただの人型ロボットだったのだが、人間そのものの見た目に反し全くの無感情であることが怖いとの声が相次ぎ、コルディス社と提携関係にある神坂グループが開発していた感情プログラムを追加で配布したのである。

 それに伴い八神光一は感情を手に入れた。

 当初は感情の起伏は薄かったが周囲の人間と接して瞬く間に学習し、感情プログラム導入の一ヶ月後には普通の人間と遜色ない人格を手に入れた。感情にまつわる判断も精度が増して業務成績は上がった。

 感情プログラムの導入は八神を購入した会社にしても神坂グループとしても万々歳の結果となった。

 会社としては無感情で扱いが難しかった社員がさらに有能に、扱い易くなった。コルディス社は八期モデルの評価が爆発的に上昇したことに伴い九期モデルの開発に膨大な投資が集まった。神坂グループは感情プログラムの評判が呼び水となり株価は上がるわコルディス社との提携関係が深くなるわと嬉しい悲鳴が止まらない。

 ロボットに関係するあらゆる人々が大喜びであった。


―――


「ぶあはー」


 昼休憩の時間。八神はひとり屋上の片隅を歩きながらタバコを吸うまねをした。本物のタバコも電子タバコも吸えない身のため、タバコを吸う動作をまねながら派手にため息をついただけであるが。

 八神がロボットと言えど常にフル稼働していれば不具合が出てくる。昼休みは緊急の用件さえなければ自由が許された。

 そうは言っても八神に食事は(可能であるが)必要ないし、あらゆる遊びと(知識はあれど)縁遠い。

 ゆえにストレスの原因となる人間が少ない場所で機能を抑えて記録の整理をするのである。


 八神を所有する会社は非常に大きなビルを区分所有してオフィスを構えている。

 ビルの屋上は緑化されておりちょっとした公園の様相を呈している。

 昼休みともなれば上層の企業に勤める職員が大勢利用する。

 しかし、管理が行き届いている屋上には庭園を維持するための道具が置かれた倉庫があり、その周辺は植物が茂っており薄暗いため人がよりつかない。

 八神にとっては倉庫の裏こそが昼休みにおける安息の地であった。



 その日、安息の地が安息の地ではなくなっていた。

 八神が誰もいないはずの倉庫裏に入ると、ひとりの女性と目が合った。


「…………………」

「…………………」


 双方無言。どちらもこんな場所で誰かにでくわすと考えていなかったため思考が止まった。

 先に行動したのは八神だった。


「ああ、これは失礼。邪魔をした。あなたがここにいたことは誰にも言わないから安心してほしい」


 八神は目を閉じ踵を返す。

 特に何も感じていないふうを装ったが内心は大荒れだった。

 数少ない安住の場が失われ、ストレスを感じない場所を探さなければならない。

 このビルの中で立ち入りが許されており人がいない場所なんてほとんどない。

 倉庫裏以外では自室くらいだが、自室はほぼメンテナンス用のカプセルに埋められているため休憩できるスペースがない。(メンテナンス用カプセルは入ったら自動的に一日分のデータ整理やエラーチェックが始まる不便仕様である。安物買いやがって!)

 後ろからはばたばたと慌てたような気配がする。先ほどの女性がこの場を離れようとしているのだろう。

 無駄に優秀な知能はその行動の理由を解析してしまう。

 先ほど目が合った女性は目の周りが腫れていた。植物が茂る中にいたことを考えても季節的にも花粉症ではないだろう。

 何か嫌なことがあったと推測できる。それも社会人女性が人気の無い場所でひっそり泣く程度には。

 倉庫裏にいたのは人が近寄らないから。けれど八神が現れたせいで人が来ると思ってしまい、八神が帰っても倉庫裏から立ち去ろうとしている。そして他に人気の無い場所を探すのだろう。

 しかし八神は知っている。このビルはスペースを最大限有効活用しているため空きスペースなんてほとんどない。八神の会社が所有している区画以外でもデッドスペースなんてないだろう。

 つまり、彼女は腫らした目を治すまもなく職場に戻らなければならなくなる。


 八神には感情があり、行動もある程度は自身の裁量で選ぶことができる。

 選べる中でも優先度は決められており、困っている人を助けるというのは非常に優先度が高い。命令遂行や自己保存に次ぐ優先度であり、命に関わる事態であれば自分の安全すら度外視して最優先となる。

 このままでは彼女が困ると判断してしまった以上、何もしないことはできなかった。

 屋上に備え付けられた自動販売機でお茶と水を買い、倉庫裏に戻る。

 するとちょうど倉庫裏から立ち去ろうとする彼女と出くわした。


「すみません」

「ちょっと待って」


 と目を伏して八神の横を通り過ぎようとする彼女の前に立ちふさがりやんわり止める。


「きみ、化粧が落ちて目の周りがひどいことになっている。せめてきれいに落とすなり化粧を直すなりしてから出て行った方がいいと思うよ」


 彼女は今になって自分が涙を流したことに気付いた様子で手鏡を取り出す。目の周りは落ちた化粧で汚れており、ひと目見れば誰でも泣いていたと推測できるような有様だった。この状態では手近な化粧室に行く短い間にも必ず誰かに気付かれてしまう。


「ここ以外に人が来ない場所っていうのもそうはない。もう少しゆっくりしていくといい」


 どうぞ、と八神は彼女にお茶を渡す。おずおずと彼女はお茶を受け取る。

 お茶を渡してなお帰るそぶりを見せない八神に困惑した様子だった。


「ついでといっては何だけど、私でよければ愚痴くらい聞くよ」


 彼女はその場から動かず眉根を寄せる。

 どこかで化粧を直したい。けれど化粧室に行くまでに悪目立ちしてしまう。ここで化粧を直しても良いがさすがに男性がいる前で化粧を直すのは気が引ける。愚痴なんてなおさらだ。下手なことをいえばどう吹聴されるか分からない。

 そんな彼女の思考を、感情を理解できてしまう八神は正確に把握していた。


「私はロボットだからきみに嘘はつけない。私がきみの秘密を漏らさないということは信じてくれていいよ」


 八神は彼女に半歩近づき目を合わせ、近くから遠く、遠くから近くへとピントを調整した。

 アンドロイド、カドフェクツシリーズはあらゆる部分で「人間らしくあること」を優先して設計されている。コンピュータと有線接続できる端子はないし、全身どこからも駆動音なんてしない。鼻や口の内側まで人間を模している。

 その中で1カ所だけ、ロボットらしい挙動を確認できる部分がある。眼球だけは瞳孔の収縮によるピント調節が再現できなかったのである。見た目として瞳孔の収縮は再現しているが、ピント調整はカメラのように行っているため眼球を近距離で注視すればロボットと判別できる。

 ロボットは嘘をつけない。所有者からの命令があり犯罪性がない時には可能な場合もあるが、基本的に人間を害する目的で嘘をつくことができないよう設計されている。

 彼女は八神がロボットであると確認すると倉庫裏に戻り、改めて座った。八神は彼女から少し離れた場所に座った。


「……あの、本当に愚痴ってもいいんですか」

「いいさ。私はきみの名前も知らない。所属している会社も違う。同僚の悪態でも上司への不満でも外に漏らすようなことはしない。こうして約束した以上それは絶対だ」


 ロボットは約束を破らない。

 物理的に不可能な条件であればそもそも約束しない(人間に嘘がつけないように設計されており、明らかに実行不可能な約束をすることは嘘をつくことと同義と判断する)。

 秘密を漏らさないという約束であれば、その約束を守ることで人命が脅かされるような事態にならなければ口を割らない。それ以外で秘密を奪取しようと思ったら専門の業者に解体・解析させる必要がある。

 彼女の愚痴を知るために八神の会社が八神を解析させるなんてことはまずない。


 彼女は化粧を直しながらぽつぽつと話を始めた。

 その愚痴はとてもありきたりな話だった。

 新卒採用でこのビル内の会社に就職が決まったこと。

 少しでも早く仕事を覚えようと頑張ったこと。

 仕事を覚えられないうちはせめて仕事以外で役に立とうと事務所の掃除をしたり、人間関係を構築しようといろいろな人と話したこと。

 次第に周りからの視線が変わってきたこと。

 女性からは男にこびを売るいけ好かない女として。

 男性からはちょっと押せば手が届きそうな女として。

 上司に相談しようにも告げ口のようではばかられたこと。

 そもそもその上司からセクハラを受けるようになっていたこと。

 社会人一年目にも関わらず、分からないことを男性の先輩に聞けばプライベートに踏み込んで来ようとされる上にこびを売ったと言われる。女性の先輩に聞けば自分で考えろと言われる。同期は彼女と同程度の知識しか備わっておらず、男性は男性、女性は女性の先輩たちと同じような反応をするようになっていた。

 入社してから任される仕事が増えてきたが、マニュアルに載っていないことなんて毎日のようにやってくる。何をやっても失敗だらけ。気付けば身に覚えのない失敗まで自分のせいになっている。奇跡的にうまくいったときには「先輩の指導がよかったから」と言われる。

 本当に、やっていられない。


「なんてロボットに愚痴を言ったって意味ないですよね。共感してくれるわけでもない……し?」


 ひとしきり愚痴った彼女が隣を見ると、半泣きになっているのをこらえるような顔でうんうん頷く八神がいた。

 最初はそれをプログラムされた演技と思ったが、それにしては妙に生々しい。わかるわあ、というつぶやきは他の誰に愚痴をこぼしたときより遙かに実感がこもっていた。

 ロボットってどれだけ上手に演じてもこんなに感情表現出来るものだっけ、と彼女が小首をかしげると八神が口を開いた。


「不思議そうな顔をしているけれど、私は感情があるロボットなんだ。それで……と、そろそろ昼休みも終わる。私はだいたいいつも昼休みにはここに来るから、愚痴があったらまた来るといい。もちろん、場所を譲った方がいいであればそうするが」

「あなたの方がこの場所の先客みたいですし、そんな図々しいことは……」

「助かる。ではまたいずれ」


 こうして八神と彼女の交流が始まった。


恋愛要素はないです。

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