74、二回目の儀式
雪と氷で白くなった木々の間を、私たちは歩いていく。
陽の光が氷に反射してキラキラとする幻想的な風景。目を痛めるかと思ったけど大丈夫みたい。レオさんたちも問題なく歩いている。
こっちの世界に来てから恩寵で体が変化したのか、元の世界の常識からどんどん離れていく気がする。まぁ、体が弱くなるよりはいいけどさ。
儀式の場所が近づくにつれ、本来の寒さをじわじわと感じるようになってきた。
サラさんが用意してくれていた厚手のモフモフコートは、外側は青だけど裏地にはピンクウサギの抜け毛がふんだんに使われている。
ありがとう! ピンクのモフモフたちよ!
最初はあの子たちに名前をつけようと思ったんだけど、気づくと増えてるし見分けがつかないから諦めたんだよね。でも「ピンクのモフモフたち!」って呼べば嬉しそうに集まってくるから、集団でひとつの存在みたいなものなのかもしれない。
ウサギの考察をしながら歩いていると、前回の儀式と同じくひらけた場所に出る。
前を歩くレオさんが振り向いて、よく通る声で知らせてくれた。
「ここだな。姫さん、準備をしてくれ」
「はい! がんばろうね、アサギ!」
『うん! いっぱい応援するよ! ハナ!』
「ありがとう!」
気合いを入れた私は、コートを脱ごうとしてやめておく。これを脱ぐのは最後にしよう。
徐々に感じる寒さに震えつつ、持っている荷物を開いて取り出したのは温かいスープの入った水筒だ。
これは魔道具で、温かいのも冷たいのも両方キープできる優れものなのだ。セバスさんが旅のお供に買ってくれて、レオさんたちにも持たせている。
儀式の場は『冬』だ。少しでも体を温かくしないと、指が動かなくなっちゃう。
宿で作ってもらったトロリとしたスープを一杯飲んで、お腹と指先を温める。ほんと、寒い中でピアノ弾くのってキツイんだよねぇ……。
引き取ってくれた所で、義弟が「姉ちゃんと一緒にピアノやりたい!」とか言ってくれたから習えたけど、そうじゃなきゃピアノを弾くとか考えもしなかっただろうなぁ。
レオさんたちには後ろを向いてもらうと、さくっと儀式用の薄手のドレス姿になる。
コートを脱ぐだけなんだけど、前回、レオさんたちの目の前で脱いだら顔を真っ赤にして驚いていたからね。なんか「はしたない!」とか言われたし。レオさんなら女性の裸なんて見慣れてそうだけどねぇ。
今回は、女子として男子に気をつかってみました。ドヤァ。
……キラ君は真っ赤になっているけどね。
広場の真ん中に立った私は、ゆっくり深呼吸すると背筋をしっかりと伸ばす。
「これより『春姫』ハナ・トーノは季節を改変する『春の奏で』を始める!」
言葉を発したと同時に黒い大きな箱が地面からゆっくりと浮き上がってくる。
すでに脱いだコートが恋しくなっている私は、手早く箱の側面から椅子を引き出し鍵盤があるであろう場所の蓋を開ける。
うん。塔にある練習用のと同じだ。
椅子に座れば、蓋の裏に浮かび上がる譜面。音符の部分が光っていて、その音を辿ればどういう曲か何となく分かる。
「これ、知ってる。取り寄せてもらった楽譜にもある『目覚めの歌』だ」
「塔で練習してた曲ですね。簡単な曲ですが、ゆっくり奏でましょう姫君」
「肩の力を抜け、塔にいると思えばいい」
知っている曲であることにホッとしていると、ジャスターさんとキラ君が気遣わしげに声をかけてくれる。
笑顔で手を振ると、一度座り直して譜面と向かい合う。
鍵盤に手を置けば、まるで雪のようにゆっくりと光が落ちてくる。
蓋に光がのれば、それは音符として譜面の上を流れてくる。
弾き始めの瞬間が一番緊張する。
それでも一度音が出てしまえば流れができて、それに乗れればあっという間だ。
雪が残っていた地面は、いつの間にか乾いてちらほらと緑の芽が見えているところもある。真っ白だった木々も元々の色をのぞかせ、枝には葉が繁っていく。
「雪がとけているな」
「この近くには水を司る冬の姫がいますからね。水害はないでしょう」
「長いこと冬が続いている地域だが、そこを心配しなくていいのは良かったと思う」
「あの好戦的なところがなきゃ、素直に感謝できるんだがな」
かすかに聞こえるレオさんたちの話に、弾きながらホッとする私。春の塔で練習してた最初の頃は、川の橋が流されたり雪崩があったりしたからね。
アサギは黒い箱の上で、おとなしく寝そべっている。尻尾を左右に揺らしてリズムをとっているのが、メトロノームみたいで可愛い。
弾いている『目覚めの歌』は長い。第一楽章から第三楽章まである。
始まりはゆったりとした曲調で、次は早足に進んで、最後は華々しく目覚める。
ああ、最後。
飛んで、和音で、じゃじゃーんってなるの、ほんと苦手……。
だがしかし! 事前に練習していたハナさんに死角はないのだ!
たっぷり拍をとって、ためて、ドラマチックに終わらせてやったぜ!
儀式は無事成功したのを知らせるかのように、儀式の場から広がる緑の絨毯。
そんな春の訪れを満足げに見ていた私の肩に、レオさんがコートをかけてくれる。
「姫さん、いつになく激しかったな。劇的っつーか、大げさっつーか」
「う、うるさいですよレオさん。成功したんだからいいじゃないですか」
「最後はトチると思ってたんだけどなぁ」
「もう!!」
ムキーッとなる私を、ジャスターさんがまぁまぁとおさえてくれる。
「こんな口を叩いてますけどね、こう見えて筆頭は寝不足なんですよ。昨日は姫君が儀式で何回も失敗したら寒いだろうからかわいそうだの、もっとドレスをあたたかいものにできないのかって神王様に直訴するだの一晩中うるさくて……」
「お前だって宿の主人に何種類もスープを作らせてただろうが! 姫さんの好みはどうのこうのって!」
え、それはちょっと宿のご主人に迷惑だったんじゃ……。
「あれは宿の主人からの提案なんです。依頼したのは自分ですが強制していませんよ」
「くそっ、腹黒めっ!」
さすがジャスターさん。うまくご主人をのせて作ってもらったんだね……あのスープのおかげであたたまりましたありがとう。
やいのやいの言っているオッサンたちをどうしてくれようかと考えていると、キラ君がそっと近づいてくると目の前でしゃがみこんだ。
「ん? どうしたの?」
「……背負ってやろう」
「歩けるよ?」
「まだ寒さが体から抜けていないように見える」
確かに、地面を蹴っても足の感覚がない感じがする。ちょっと恥ずかしいけど、キラ君に甘えさせてもらおう。
「ありがとう。キラ君」
「大したことではない」
「寝てもいい?」
「いい」
「くんかくんか」
「それはやめろ」
首すじの匂いをかいだら怒られました。
ユーカリみたいなスッとした匂いがしました。くんかくんか。
お読みいただき、ありがとうございます。