65、さらわれた姫と怒りの騎士
鼻と口に当てられた布には、何か薬が染み込んでいたのだろうと思われる。
当てられた瞬間に強烈な眠気を感じたけど、恩寵のせいか徐々に頭がハッキリしていく。気づけば両手両足が麻っぽいロープで縛られていて、ガタゴトと車輪の音がうるさい幌馬車でどこかへ運ばれているようだ。
横になっている私の体には、ご丁寧に毛布のようなものが敷いてある。乱暴に扱う感じではなさそうだ。
「あー、キラ君とサラさん、セバスさんに怒られないといいけど……」
こういう時、縄で肌が擦れて痛いとかそういうのもありそうだけど、驚異の身体能力強化のせいか体に不具合を感じないのが恐ろしい。なんなら縄も千切ってしまおうかと思ったけど、いくらレオさんから戦闘訓練を受けていても実践する気は起きない。
私はごく普通の、か弱き乙女?なのだから。
それにしても私をさらうことが、何の得になるのかが分からない。
お金持ちのお嬢様にでも見えたのかな? 町の古着屋で売ってた服を着てたから、町娘に見えてたはずなんだけど。
うるさい車輪の音を我慢しながら、聴力を強化して遠くの音を拾おうとすると、御者台らしき所から男二人が話す声が聞こえてくる。
「おい、まだ子供じゃないか」
「とにかく若い女を連れてこいって話なんだ。お貴族様の言う通りにしておかねぇと後が怖い」
若い女? 確かに異世界補正と恩寵で若く見えるようになったけど、子供と言われるのは解せぬ。いやいやそれはともかく、貴族の命令で人さらいとかしてるの? 訳がわからん。
疑問符をたくさん飛ばしていると馬車が止まる。おっといけない寝たふりしないと。
「死んでるんじゃないだろうな」
「強い睡眠薬を使った。このまま朝まで寝たままになる」
「馬車に置いていくのか?」
「お前はここで見張ってろよ。俺は依頼主を連れてくる」
「おい!」
そのまま遠くなっていく足音。歩きで行ったってことは、依頼主のいる場所がここから近いってことかな?、もう一人が不安げに声をかけているけど結局残されたみたい。深々とため息をついててなにやら寂しげな感じだ。
人さらいが寂しそうとか、そんなん言ってる場合じゃないのにね。
「……戻ってくるまで、まだ時間があるな。よし」
見張りとして残っている男がブツブツ言いながら御者台に上がっている。見張りのためにしては何かがおかしい。だって馬車が動き出しているんだもん。
「こんな仕事だって聞いてない。俺は逃げる」
いやいやいや、ちょっと待ってお兄さん。逃げるのはいいけどこの馬車がお兄さんのじゃない場合、窃盗になるんじゃないの? とりあえず落ち着こう?
急展開に次ぐ急展開に少しだけパニックになったけど、これはもしかしたらチャンスかもってブチリと縄を引きちぎる。
見張りが一人しかいないならどうにでもなるだろう。私は戦えないし逃げることしかできないけど、レオさんが危険に対して逃げることができるというのが一番大事だって言ってた。
うーん、それにしても貴族が若い女の子ばかりを集めているって、よからぬ企みとしか思えないなぁ。しかも『塔のお膝元』である町の中でやらかすなんて、神罰が下るのとか怖くないのかしら。
御者台にいるお兄さんはこのままどこか遠くへ逃げようとしてるみたいだから、こっそり馬車から降りようと思う。
走ってる馬車は結構スピード出てるし、かなり揺れてて降りるのが怖いけどなんとかなるだろう。
「いける。私ならいける。がんばれ恩寵」
結局恩寵頼みかよって感じだけど、私にはこれしかないからね。幌をめくって「えいっ」とジャンプすれば、意外と軽々ふんわりと着地できた。
土ぼこりをたたせて去っていく幌馬車を見送ると、さてどうするかと辺りを見回す。
「ああ、せめて民家とか見えてきてから降りればよかったかも」
道はあれど、私が立っているこの場所は林道。建物はどこにも見えない。
移動魔法陣の不具合で飛ばされた時は森だったし、ちょっと木が減って良かった気がしなくもない。
ダメだ。良かった要素がまったく見つからない。どうしよう。
「何やってんだ? 姫さん」
「ひゃっ!?」
突然、低い男性の声とともに、私の目の前に出てきたのはやけにガタイのいい傭兵……にしか見えないレオさんだ。息を切らしながら、紺色の髪を鬱陶しげに搔き上げるその仕草に大人の色気を感じる。
なんて。
その眉間のシワと怒りのオーラを察知した私は、早くも現実逃避をしていた。あはは。
「なんでこんな所に姫さんが一人でいるんだ。護衛はどうした?」
「いやぁ、その、町にいたんですけど、ちょっとしたアクシデントがありまして……」
「あくしでんとだぁ?」
「ええと、見知らぬ人の馬車に乗って、ここまで……」
「姫さん、俺を怒らせたいのか?」
「ごめんなさい! 町で買い物していたら見知らぬ人にさらわれて! 今、逃げ出してきたところです!」
いつもとはまったく違うレオさんの冷たいオーラに、涙目で報告をする私。深々とため息を吐いたレオさんは、身につけていたマントを外すと私の肩にかけてヒョイっと抱き上げる。
「れ、れれれれおさん!?」
「震えてるぞ姫さん。怖かったんだろ? 強く言って悪かった」
いや、怖かったのはレオさんですよって返したかったけど、ジワジワとさらわれた時の恐怖みたいなものが湧いてくる。絶対に助けてもらえるのは分かっていたけど、変な薬を使われたりして怖かった。恩寵がどこまで健康な状態を維持してくれるのかもわからなかったし、毒みたいなものだったら死んでいたかもしれない。
「うん。怖かった。怖かったよレオさん」
「おう、もう大丈夫だからな」
抱っこしてもらえるのは嬉しいけど、子供にするような縦抱っこなのが気になる。それでもレオさんの体温と匂いを感じて、すごく安心できる状態だから何でもいいやってなってる私。くんかくんか。なんかすみません。
「さーて、護衛の騎士は誰だったんだ? ジャスターじゃないことは確かだよな」
レオさん、それ、キラ君一択になっちゃうやつでは?
うわーん! キラくーん! 逃げてーーー!!
お読みいただき、ありがとうございます。