60、格闘する姫と飛んだ騎士
大きく息を吸って、細く長くゆっくりと吐く。
塔の中にある訓練場の対人戦用スペースに立つ、私の目の前には悠然と立っている夜色の髪を持つ美丈夫、千剣の使い手であり春の筆頭騎士のレオさん。
とにかくスゥーハァーしながら呼吸を整えている私は、緊張しているせいか呼吸が浅くて血の巡りが悪い。観覧席にはジャスターさんとキラ君、心配そうにしているサラさんがいる。
「姫さん、いつでもかかってこい」
「は、は、はははい!」
どんだけ噛んでいるんだ私は。落ち着け。とにかく落ち着け私。
この状態を続けていてもしょうがない。覚悟を決めると体勢を低くしてしっかりと足で地面を摑む。
「……いきます」
宣言すると同時に、思いきり地面を蹴るとともにズシンと地響きが鳴る。私の突撃を軽く避けるレオさん。
攻撃を躱された私は、着地した瞬間に体の向きを変える。
「なかなか早いな姫さん!」
「まだまだ! ですよ!」
不敵な笑みを浮かべて余裕があるようにみせている私。実際は膝はガクガクだし、体はぶるぶる震えている。それでも私からお願いしたんだから、ちゃんとヤらないと……おっといけない、ちゃんと稽古しないとってことね。
サラさんの用意してくれた稽古着は柔らかな素材のシャツに、ハーフパンツの下にレギンスみたいなのを組み合わせている。
武器を持つ習慣もないし、むしろ無手で戦える手段があるほうがいいかなと考えた私は、せっかくの身体能力強化の恩寵を使わないのは勿体ないと思ったんだ。まぁ、キッカケはあのデカいミミズに追いかけられたからなんだけど。
対人戦なんてやったことはない。いやほら、その前に基礎みたいなのをやると思うじゃない。そしたらいきなり「かかってこい」だもんなぁ……レオさんマジスパルタ。
「俺からは手を出さないぞ。ほら、当ててみろ」
「ぐぬぬ……スパルタレオさんめ……」
当ててみろって言われても、私の素人パンチなんか当たるわけがない。もちろん足蹴りなんてもっての他だ。身体能力強化されてても元は私なんだから、とにかく確実に当てられる方向に持っていかないと……。
思いついて、ちょっと動き方を変えてみる。
「お、なんか良くなってきたな」
なるべく最短距離で手を伸ばしてレオさんを捕まえようとする。そう、これはもう戦いというよりも鬼ごっこだ。
「えいっ! このぉっ!」
「ん? おい、ちょっと待った」
「せいっ!」
ようやっと掴んだのは、レオさんの上着の端っこだ。そこからしっかりと手の中に布を握り込み、そのままレオさんの胸元に飛び込んでいく。
「姫君!?」
「な、なにを!?」
見学しているジャスターさんとキラ君の声が聞こえた気がするけど、構わず私はレオさんを背負うように体勢を低くして懐に入り込む。
「よいしょーっ!!」
ぐいっと腰を跳ねさせてレオさんをポーンと投げる、背負い投げもどき。プチプチとボタンが弾け飛ぶ音に、思わず「ごめんなさい!」と叫んでしまう。そうだよね、道着じゃないんだよね……やっちまった……。
投げ飛ばされたものの、驚異の身体能力で足から着地したレオさん。かっこいいっす!
「あの筆頭を投げ飛ばすとは、素晴らしいですね姫君!」
「まぐれですよ。次は投げさせてもらえないと思います」
「娘……もう少し姫らしく、だな……」
「キラ君! 何かあってからじゃ遅いから、姫だって強くならないとなんだよ!」
熱弁?をふるう私の所に、なぜかシャツの前をガラ空きにしたレオさんが来る。ふぉ、胸筋が、腹筋が、あ、ああ、ダメダメ近寄らないでぇぇ……。
「なに顔赤くしてんだ。姫さんが無理やり……したんだろ?」
「ち、違います! ふ、ふ、不可抗力です!」
「なんだよ、二人っきりの時にしてくれりゃあ……」
「レオさん! もう! 知らないです!」
私をからかってニヤニヤ笑うレオさんだったけど、サラさんの氷点下な視線とブリザードみたいなオーラにやられてジャスターさんの後ろに隠れている。
「ほら筆頭、美しい女性たちの前でする格好じゃないですよ。着替えてきたらどうですか?」
「そ、そうだな」
ジャスターさんに助け舟を出されたレオさんは訓練場から出ようとして「言い忘れてた」と立ち止まる。
「姫さん、今日はここまでだ。明日から基礎練習やるからな」
「え? あ、はい! ありがとうございました!」
私が慌てて礼を言うと、レオさんは振り返らないまま手をひらひらと振ってくれた。
うん。今振り返ったら見えちゃうからね。それが正解ですよレオさん。
部屋に戻りお風呂で汗を流した私は、ベッドで丸くなったアサギとピンクのモフモフたちがくっついて寝ている姿に悶えてしまう。
なにこれめちゃくちゃ可愛い! 見てるだけで癒される!
すごく撫でたくなったけど、ぐっすり寝ているようだしやめておく。ウサギたちはともかく、アサギは最近寝てばかりいるんだよね。まだ子供みたいだし寝る時間が長いのはしょうがないと思っていたけど、ちょっと長すぎる気がする。ちょっと心配だ。
「サラさん、神王様の『麟』について詳しい人はいるかな?」
「そうですね、ジャスター様ならば何かご存知かもしれませんが」
「うーん、書庫も調べてみようかな。ああ、こうなってくるとあの膨大な冊数の本を整理してくれる人が切実に欲しい」
「執事長が司書の候補を見つけたと言ってたので、近々お会いできるかと思いますよ」
「ありがたい……これで本を探す手間が省ける……」
さすが有能セバスさん。どんな人が来るのか楽しみなような、ちょっと怖いような。
でも『塔』に入れるのは、害のない人だけっていうから大丈夫だよね?
お読みいただき、ありがとうございます。
活動報告にも載せましたが、もちだ作品『オッサン(36)がアイドルになる話』4巻の表紙画像が公開されました。
そしてコミカライズの公開日が、7月13日(金)に決まりました。
よろしくお願いします!




