100、走り出す春姫
窓から見える景色の中に、秋姫のいる塔があった。
昨日、塔からここまでどうやって運ばれたかとか、あまり考えないでおこうと思う。
「春姫様、お時間をいただきありがとうございます」
「大丈夫ですよ。それで、私に話というのは?」
彼の話は、秋姫が『四季姫』として選ばれるもっと前、子どもの頃から始まった。
彼女と出会い、彼は初めて孤独というものを知ったという。
「彼女が姫として選ばれた時、寂しいけれどとても名誉なことだと僕は嬉しく思いました。塔へ旅立つ最後の夜、僕は彼女の部屋で別れを惜しんでいました。その頃の僕は、恩寵を使うと他の人から自分の姿が見えなくなると、勘違いしていました」
「ちょっと待って。昨日、秋姫様は姫になる前に襲われたって……まさか……」
「運が良かったんです。たまたま彼女が部屋から出ていた時、彼女がいるはずの部屋に僕がいたのですから」
秋姫の実家は、王家に連なるいくつかの商会のうちのひとつだった。
四季姫を輩出したことにより、さらに力を持つようになるのを恐れた他家の者が、秋姫を襲わせようと動いたのだ。
「そ、それで……?」
「押し入ってきた男は、秋姫様と間違えて僕を襲おうとしました。しかし『侵食』が解け、間違いだと分かった瞬間、奴は僕を刃物で刺しました」
「!?」
思わず息を止めた私だけど、目の前の少年は生きているし、大丈夫だと自分に言い聞かせる。
横で立っているキラ君が一歩踏み出す気配がしたけど、私と同じ気持ちだったのかも。
「はい。なんとか生きています。瀕死の重傷でしたが、自分の生命に『侵食』することで生き延びたのです」
「生命に『侵食』するなんて、そんなことができるの?」
「すみません。実は僕にもよくわかっていなくて……たぶん、そうじゃないかなぁと思うくらいでして」
「この話、筆頭殿は知っているのか?」
「はい。話をしたところ、春姫様にも話すよう言われました」
「そうか」
問いかけたキラ君が、すごく難しい顔をしている。
そうだよね。命に関わることで恩寵を使うとか……そうなると彼の『侵食』は、かなり特別なものである可能性が高いよね。
あれ? ちょっとおかしくない?
「ねぇ、君と秋姫様って、同い年くらいだったりする? それにしては、若すぎる気がするんだけど……」
この世界の人たちは成長が早いと思っていたけど、もしかしたらピンク少年は違うのかしら?
するとキラ君が「違うのではないか?」と言った。
「ジークリンド殿とジャスター殿に診てもらわないかぎり確実なことは言えないが、もしやこの少年、成長が止まっているのでは?」
「え?」
「騎士となってから、誰かが恩寵を使うと分かるようになってきた。昨日は彼は塔に入るために使っていると思ったが、今、この場で彼が『侵食』を使う必要はない」
「はい、そのとおりです。僕はあの日からずっと、自分自身に『侵食』を使い続けています」
秋色の葉がちらほらと地面に落ちているのを、辿っていくように歩いていく。
後ろにいてくれるキラ君は、そんな私をただ黙って見守ってくれている。
ビアン国は、子どもでも働いている子はたくさんいるそうだ。
自分の成長が止まっていると気づいた彼は、誰にも言わずに家を出て、国中を渡り歩いたらしい。
子どものままで、ずっと。
宿泊施設の塔とは反対側に広がる砂漠。
そこは、極端に恩寵が効きづらくなるらしい。そこで昔、神王の怒りに触れた民がいるそうな。
「ビアン国の人間は、何度となく神王様の怒りに触れている」
「え? そうなの?」
ぼんやり砂漠を見ていた私に、キラ君が話しかけてくれる。
「きっと、秋姫様を襲おうとした者たちも、何かしらの怒りに触れているだろう。砂漠が広がっているのも、そのせいだろう」
「その人たちを罰することはできないのかな」
「数年前に王都にいた頃、ビアン国の王家に連なるもののひとつが断絶したと聞いたことがある」
「ざまぁ、だね!」
そう明るく言いながらも、なんだかとても悲しくなってしまう。
少年は「彼女を守れれば、それでいい」って笑っていたけど、そんなんおかしいよ。
遠くから、傭兵のおじさんたちを鍛えているレオさんの声が聞こえる。
たまらなくなって、その方向に走り出した。
「レオさぁーんっ!!」
「うぉっ!? どうした姫さん!! ひとりでいたら危ないだろう!?」
あれ? キラ君いたんだけど……それよりも、今はレオさんだ!!
「レオさん! レオさん! 助けて!」
「姫さん、なんで泣いて……おいコラ!! どうなってやがんだ下っ端ぁっ!!」
「ぜぇ……はぁ……いや、こちらは何も……ゲホッゴホッ」
「レオさん! やだ! あんなのないよ!」
息を切らすキラ君に殺気を放つレオさん。そんな二人の様子に構うことなく、思い切り走っていた私はその勢いのまま飛びつく。
「ぐっ! なんて力だっ! 『鉄壁』!!」
「レオさーん!!」
「ぐはっ、ど、どうした、姫さん?」
あばらをやられたと呟くレオさんは、あぶなげなく私を抱きとめて背中を優しくポンポンと叩いてくれる。
どうしてだろう。涙が止まらない。
「ぜぇ……はぁ……あの少年、から、話を聞いた、ところだ」
「ああ、そういうことか。姫さん、一緒にいてやれなくて悪かったな」
「ううん、話すように言ってくれて、ありがとう」
感情がたかぶりすぎて泣いてしまったことが、ちょっとどころじゃなくとてつもなく恥ずかしい。
なぜ。なぜ私はこんなにも悲しく思ってしまうんだろう。
「俺は、姫さんに決めて欲しかった。アイツの話を聞いて」
「わかっています。すでに、私は彼に提案をしてきました」
「そうか。ありがとうな」
春の騎士になりたいと言った時、あれほど冷たく対応したレオさんだけど、なんだかんだ師匠として気にしていたみたい。
やっと息が整ったらしいキラ君が、額の汗をハンカチでおさえながら不安げな表情になっている。
「いいのか? あの少年を『塔の関係者』にするなどと提案をして」
「姫さんがいいって言ってんだから、騎士は黙って従うもんだ。それよりお前、姫さんの走りに追いつけないとか、騎士として体力なさすぎじゃないか?」
「そ、そんなことは……」
「罰として、施設のまわりを五十周してこい! 筆頭命令だ!」
「これに筆頭命令とか使うのは、卑怯だぞ!?」
涙目で走り出すキラ君に、私たちだけじゃなくて傭兵のおじさんたちも皆、笑っていた。
よーし! 私も泣いてないで、気合い入れていくぞー!
「姫さんは、ほどほどにな」
……はーい。
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