閑話、少年が少年だった頃の話
物心ついた時、僕のそばには乳母しかいなかった。
王家の血をひいている……とはいっても、かろうじて王族という末端の位置にいる父親と、流浪の踊り子だった母親の間に生まれたのが僕だ。母は僕を産んで、しばらくしてから出て行ったらしい。
母が非情だとは思わない。きっと、彼女なりの理由があったのだと思う。
いや、違う。非情なのは僕だ。
だって、この話を聞いても「それより今日のご飯は何かな?」くらいにしか思わなかったから。
乳母がいた頃は、まだ幸せだった。
彼女は僕のことを可愛がってくれてたし、彼女の息子の話を聞くのも楽しかった。
状況が変わったのは、自分が『恩寵持ち』だと言われてからだ。
調べたところ、僕の持っている恩寵は『侵食』というものだった。
聞いたことのない恩寵だと周りの大人たちは騒いだ。でも、僕はそれをうまく使うことができなくて、騒いだ人たちもいつしか静かになった。
そして、必要なくなったからと乳母から離された僕は、家の『お荷物』としての地位を確立していった。
「それでいいの!?」
「いいのって言われても、僕は何もできない『お荷物』なのは事実だし……」
「だから、そのお荷物でいいのかって聞いてるの!」
「働けるようになったら、働くけど?」
「もう! かわいくない!」
頬を膨らませた彼女は、ピンクがかった金色の長い髪を両手で背中に払っていく。
同じ色の髪をしている僕だけど、きっと彼女ほど魅力的ではないだろう。
おそろいだねって笑うから、僕は初めて自分の髪が好きになった。
「うん。かわいいのは僕じゃなくて、君だね」
「……もう! そういうところ!」
ひとりでいた僕を、彼女は連れ出してくれた。
短い間だったけれど、年の近い姉弟のように仲良くしてもらえた。
彼女が特別なのは分かっていた。だって、周りの大人や子どもは皆、彼女を愛さずにはいられなかったから。
ほどなくして、彼女は『秋』の『四季姫』に選ばれる。
「おい、ちょっと待て。秋姫様といえば、お前より年齢がかなり上になるんじゃないのか?」
「そのとおりです。師匠は物知りですね」
「いや俺は、ほら、前も騎士やってたから……じゃなくて」
春姫様の筆頭騎士であるレオ師匠は、得体の知れない僕に剣を教えてくれている。
勢い余って?春姫様に「騎士にしてください!」などと無礼なことを言ったけど、誠心誠意謝ったら許してくれた。とても優しいオッサ……オニイサンだ。
でも優しすぎて人に騙されないか心配。いや、補佐のジャスターさんがいるから大丈夫かな?
「無茶な恩寵の使い方をして、ちょっとやらかしました」
「どうりで、見かけと中身が合わないと思った」
いや、この人ダメだ。絶対に騙されちゃうやつだ。
「師匠はそれを分かってて、僕を行軍に入れたんですか?」
「おう!」
「堂々とそういうことを言わない!」
なんとなくだけど、ジャスターさんの苦労が分かってしまう。この人、基本が自由だ。
「うちの姫さんも、俺に一任してくれたからな」
「そう、ですか」
前言撤回。この人の自由は根っこに『春姫様』がいる。だから揺るがないんだろうな。
ありえないくらい天候に恵まれた春姫様の行軍に『侵食』で紛れ込んだ僕は、楽々と砂漠越えをすることができた。
儀式の行軍でも難航すると言われている「砂漠越え」だったから、本当に運が良かったとしか思えない。
「それで、どうするんだ?」
「どうするとは?」
「秋姫様に会って、騎士にでもしてもらうか?」
「身内を騎士にできないでしょう」
「ああ、血縁ってやつか。そりゃ難儀だな」
姫は騎士を伴侶に選ぶことが多く、姫の近親である男子が騎士になることはできないとされている。
だから僕は、あの日彼女を守って死ぬことを選んだ。
「生死の瀬戸際で、自分の持つ恩寵の使い方が分かったんです。おかげで師匠に出会えました」
「俺らの結界を入り込む、厄介なやつだよな」
「あはは、すみません」
僕の恩寵『侵食』は、すべてのものに入り込むことができる。
たとえば魔法で作った結界、恩寵で作った壁。
生きるか死ぬかの瀬戸際で、生にしがみついた僕は、自分の「命」に『侵食』したらしい。
彼女の代わりに受けた傷は心臓に達していて、棺の中で目が覚めたときにはふさがっていたことに驚いた。
そして、僕の外見はあの時のまま、成長していない。
乳母と彼女しか与えてくれないと思っていた、愛情。
でも、その愛情を誰よりも持っていたのは、もしかしたら自分なのかもしれない。つまり自己愛ってやつ。
「それで? お前はどうするんだ?」
「遠目からでも秋姫様を見たら、春姫様の行軍から出て行きます。すみません、お世話になりました」
「そうか……なら、ひとつやってほしいことがあるんだが」
「師匠のお願いなら、なんでも聞きます!」
「ほう、そうかそうか」
レオ師匠の黒い笑みに一瞬「なんでも」と言ったことを後悔しかけたけど、きっとこれが最後だからと自分に言い聞かせる。
春姫様の行軍編成は騎士が少なくて傭兵がほとんどだった。中年の傭兵たちが皆優しく善き人間だったのは、このレオ師匠が元傭兵団長だったからだと知った。
短い間だけどレオ師匠に会えて、教えを受けることができて良かった。
僕は運がいい。
「それなら、今お前が話したことを全部、うちの姫さんに話せ」
「……え?」
「師匠の願いを『なんでも』聞いてくれるんだろう? ちゃんと守れよ?」
「ええええっ!?」
僕は運がいい……のかな?
お読みいただき、ありがとうございます!
こっそり四季姫を賞に出そうかと画策中です!(こっそり、とはw)




