1年3組のヒマラヤ山脈
「皆さんは人間とはどういうものだと思います?」
お茶を淹れて戻ってきた夢華さんが開口一番、頭が痛くなるようなことを言い始めた。
「………生物。」
「確かに生物ですが……少し範囲が広いですね。もうちょっと具体的に。」
「………動物。」
「もうちょっと。」
「……………二足歩行。」
「………んーー限界かな。」
わかるわけないじゃん人間が何かっていきなり言われてもさぁ!?
「意識があるか……とか、なんかそういうのじゃない?」
なんてこった、智子が答えてしまった。私と同類のはずなのに意識なんてカッコいい言葉を軽々と使いこなしている。
「よくあるじゃん、機械に自我が芽生えて〜みたいな映画。」
「ああ、なんかあるね。デデッデッデデっみたいな?」
「違うと言いたいけれど違くない。」
機械に自我……自我?なんだこの漢字!改めて見ると意味が重複しすぎじゃん!
「自分がなんたるかを理解し心からの発露により人格を形成する自我。自分の行動の全てを決め、確固たる覚悟を固める意思。魂とでもいうのでしょうか………人が他の動物と区別され、人として定義されるのはそれがあるかないかです。」
ふーん……難しくてよくわからんね。
「それじゃああの怪物達は………」
私がボーッと話を聞いている中、智子が夢華さんに尋ねる。
「あれには明確な意思があります。また、魂をも持ち合わせている……その点に関してだけ言えば人間ですね。」
「人間………でもあんなの……」
「そう。人間と呼ぶには彼らは私達からあまりにもかけ離れすぎている。なぜか?それは………足りないからです、自我が。…………彼らは人間未満の出来損ない。紛れもない化け物です。私達はあれを[ジャンク]と呼んでいます。」
うわー嫌な名前。もしこんな名前つけられたら私だったら絶対グレるわ。生物につける名前じゃないよ。
「自分が何者か分からず、なぜこんなことをしているのかもわからず。ただ人に化け、人に紛れ、夜中に自分がわからないままその意思を解放する。……欲求を満たそうとする。」
「……よ、欲求というのは、やっぱり……」
「殺人……それも自分の魂に付き従い無邪気に行うのでリミッターがありません。自我のないものに理性は存在しないのです。」
「それじゃああの化け物たちも自分の欲求を満たそうとしたわけですか。」
「はい、どうやら彼女達は若くて可愛い女の子を心底憎んでいたようです。だから毎夜毎夜、自分の心に従って女の子を殺していたんです。」
………あ、連続殺人事件の犯人はあれだったのか。なるほどねぇ………
「不完全で、人間に似た何か………求めているのでしょうかね、人の魂を。」
夢華さんはちょびっとお茶に口をつけ、ホッと息を吐きながら地面を見つめた。その目に映る光、それが停滞と揺らぎを宿らせていた。
「まっ、化け物のことはもう良いでしょ。これからもう会わないからさ。そんなことより雫君のことを聞きたいです。」
「…………」
私がニヤニヤ、ニヤつきながら夢華さんに話しかけると、雫が大きく目を開いて私を睨みつけてきた。
そんなに聞かれたくないのぉ?しょうがないなぁ……そんなに見つめられたら、俄然興味が湧いちゃう。悶え苦しんで♡
「そのことなんだけど………雫から聞いてあげてくれないかしら?」
「………ん?えーっと、それはどう言うことで?」
「つまり私の口からは教えられないってことなの。」
「え、ええ……….なんで?なんでですか?せっかく雫君を陥れるチャンスだったのに………」
ブフーーっと私を見ながら奴は笑ってくる。………ちくしょう!!憎たらしぃい!!
「怪物達のことは貴方達の命に関わることなので教えなければいけませんでした。でも、雫のことを知るのはやっぱり、雫からの方がいいでしょうから。友情ってそういうものでしょう?」
確かに!一理ある!
「ねー雫君。君ってどんな人なのー?」
「教えるわけねーだろチビ。」
「あんたもチビでしょうがこのスットコドッコイがぁあ!!」
ビュンビュン!!
私の腰の入っていないパンチは、雫にかわされて空をきった。
このすねやがってぇ!小ちゃいんだからニヒルにならないでよ!もっと可愛く振る舞え!そうじゃなきゃダサいよお前!
「まぁまぁアヤ、そう怒らないで。」
智美が殴りかかる私をヘッドロックで抑えた。
ギブギブ!!なにこの腕力!?頭が痛いんだけど!!
「この女はそこのチビよりも礼儀を知ってるな。好感持てるわ。」
「チビじゃないわ!四矢倉綾だチービ!」
「この女じゃないよ、古石智子よ。」
「じゃあチビとうんこだな、宜しく。」
「ネズミはやめろチビクソ!!」「うんこって、女の子に名付けていい名前じゃないでしょ!!」
私と、さっきまで平常心だった智子がブチギレ2人で雫に襲いかかるがダメだ!一切攻撃が当たらない!振った腕の間をスルスルとかわしていく!
えーい!今ここで殴っておかないと私達の今後が色々と危ない!絶対に当ててやる!
「ふふっ……良かったわ。」
ギャーギャーと3人で騒ぐ私達を見て、夢華さんはクスッと笑った。
バシャっ
暴れていたせいで机が揺れ、夢華さんの服にお茶が溢れた。
「…………」
「…………あ、」
私達の動きが止まった。
「………骨が粉末になる覚悟あるかお前らぁあ!!!」
こうしてこの夜、私達は解散して家に帰った。ずっと走り続けたね、夜の街を。いや、なんか走りたいなーってね、思ったからさ。
「……ジャンクか………」
そして私は走りながら昨日のことを、そして、雫のことを考えていた。ガラクタ……出来損ない……人を食う人間。夢華さんから話を聞いたのにわからないことだらけだ。彼を追跡した時から、何かわからない世界に潜り込んでしまったかのような………日常が崩れていく。
「………知らなきゃいけないのかな……」
でもなぜだろうか、知らなくちゃいけないと思った。今、この、当たり前のようにある意味のない世界を壊してくれる気がしたからだ。
私は、ただ輝くだけのこの世界を駆け抜けた。
〜翌日〜
「いやっはーー体育だぁあ!!」
3時間目、4時間目の授業が体育のせいで私の心はウキウキワクワクドキドキだ。嬉しさのあまり弾け飛びそう。
「うるせぇ……」
そして雫は隣の席に座りながら、眉をひそめ黒板を見続ける。
「お前徹夜明けじゃねーのかよ。」
そうさそうさあんたのせいで徹夜明けさ!!わろしでいとをかしだ!!あはーー!!あんたのこと心憎しだよ!!
「徹夜明けだからナチュラルハイなのさ!!もう走りたくて走りたくて気分最高!!」
「走ってる時お腹が重たくなって吐くぞ。俺が保証する。つか早く出ろよ、着替えんだぞこっちは。」
男子は教室で、女子は着替え室で着替えることになっている。この学校、元は女子校だからそういう些細なところで女子が有利だ。
「はいはーい、あんたの細っちい貧相な体を見ても何も得るものがないからね。さっさと出ますよー。」
「何もないお前が言うんじゃねぇ。肩凝る心配がなくて良かったでちゅねー。もう少し重たいものを生やした方がいいんじゃないでちゅかぁ?」
「なんだとこのチビドングリが!!そんなにこの私のグラマラスボディーに圧殺されたいか!!」
「してみろよオラ!!こちとら谷間もない平地に潰されるほどヤワじゃねーぞ!!」
はぁ!?山あり谷ありですがぁ!?凹凸が激しすぎて[1年3組のヒマラヤ山脈]って言われてるから!!もうね、ボディーも人生も壮絶!!起伏がやばいよ本当!!
「まぁまぁ、そう騒がない騒がない。」
私が雫に掴みかかろうとした時、智子が私の襟首を掴んで引き止めた。
「そんなことしたら雫が死んじゃって刑務所送りだよ?やめときなって。」
「おっとそう言えばそうだったね!!この私は胸も度胸も大きい、母性溢れる女の中の女!!こんな奴に手を煩わせているわけにはいかない!!さらばだ!!」
フハハハハ!!!
私は笑いながら、ジャーズを持って更衣室へと走った。
「………なんだあのおめでたい女は。」
教室で雫が呟いた。
「まぁ、ちょっと頭が弱い普通の女子高生さ。あんまり責めないであげて。」
「らしいな………ちょっとイジったらムキになって反論してきやがる。もう関わるのがめんどくさーわ。」
雫は立ち上がると、机の横にかけていたジャージが入った袋を持ち上げた。
「………しかしお前、昨日から思ってたが利口だな。よくあんなのと一緒に居られるな。」
フフッ………
智子はクスッと笑った。
「まぁ……一緒にいて疲れるけど……なんていうのかな、純粋なんだよ。良くも悪くも。だから一緒にいると助かるんだ。」
疲れたような目をして、智子は、四矢倉が走って行った方に目を向けた。
「………だろうな。」
「えっ………」
雫は馬鹿にするように目を細め、智子の目を見た。真っ黒な、淀みのない純粋の暗黒が、智子を射抜いていた。
「だってお前、38点だからな。」
「3……は?」
「さーーいったいった!!早く着替えないと遅刻しちまうんだよ!!」
教室にいる男子の大半が智子を睨みつけていた。何人かはもう着替えていてシャツとパンツ姿ではあるが………
「あ、ああ……悪かったね。」
そういうと智子は教室から出て行った。
変に利口ぶるよりも、馬鹿に徹した方が人生楽しいものですね。ここ最近切実にそう思います。