いや違うからね!?
私は心というのがダンサーだと思っている。タップを刻み、大きな身振りでその人の今を魅せる。疲れたらステージの端にはけて人の目につかないところで休憩をする。心は今を表現するダンサーだ。でも、その心が、ダンサーが死んでしまったらどうなるのか。それはきっと、今を生きられなくなるのだと思う。踊る者もなく、今を表現する者もなく。ただただ意味もなく、自分では無い誰かがタップを刻むだけ。
「…………………」
だから私の目の前にいる智子の踊り子はきっと、家に帰って寝ているのだろう。そう思いたくなるぐらいに彼女の心は見つからなかった。
「自責の念って奴だろうな。お前と一緒にいたらそうなっちまうのも無理はないわな。」
雫も智子の部屋に入ってきて口を開いた。
「誰がくるわけでもない部屋をきちんと掃除して、見栄え良くするために本棚の本も大きさ順に並べている。服だろうとバッグだろうと使わなくなった昔のものはゴミになるから処分して………[人に見られた時の自分]をとても意識してたんだろうな。…………そういう奴はお前の無邪気さがとても辛いんだよ。」
「…………辛い?私が?」
そんなことがあるわけない………だって智子は私よりもずっと頭が良くて、誰とでも仲良くなれて、社交的で……………
「良い人間演じてるとな、自分の心がどっか行ってしまうのさ。お前風にいうと、踊り子がいなくなるってやつか。自分ではない誰かがただステップを刻むだけ。…………だからお前みたいに、心のままに踊る人間を見ていると悲しくて辛くなるんだ。[いつの間に私の心は消えてしまったのだろう]ってな。」
そんな………でも私は、心のままに踊ることしか知らないんだ。それ以外の方法が分からないだけなんだ。バカなだけで………智子とは違ってただ頭が悪いだけなのに!
「智子はだから、ずっと前から抜け殻だった。それが今回の事件で尚更自分を好きになれなくなっただけで…………こいつの踊り子は完全にどこかに消えた。悪いのは間違いなく智子だが、お前の心がそれだけ綺麗で輝いて見えるってことは自覚した方が良い。無自覚で得物を振り回す奴ほど危険な人間はいない。」
「そうか………そうなんだね。」
目を開いているはずなのに、智子が前を向いているように見えない。本当に前を向いているのだろうか。ちゃんとご飯を食べているのだろうか。生きているのだろうか。
「智子の心はどっかに行っちゃったんだね。」
「そういうこったな。………お前はどうしたい?」
どうしたいかだって?そんなの決まってるじゃない。
「どっかに行っただけなのなら、私がその心を取り戻せば良い。毎日毎日語りかけて、毎日毎日手を取って、毎日毎日音楽でもなんでもかけて!……………」
私は両手を、手の甲を骨が突き破るんじゃないかってぐらい強く握りしめた。
「…………絶対に智子を助ける!心が踊りたいと思えるその日まで私が智子の側にいる!」
「ふーん…………人の魂を壊すのは簡単だが、治すのは結構難しいんだぜ。それでもやるのか?」
「やる!なにがなんでもやる!だから私に力の使い方を教えて!」
「そうか…………よかったな智子。」
雫は智子に笑いかけると、すぐに無表情に戻った。
「いい友達がいて幸せもんだな。…………んじゃ明日から頑張れよお前。俺はスパルタだからな。」
雫は智子の部屋の窓から飛び出し、紺色の空に消えていった。相変わらず忙しそうな奴だ。もっと智子のことを労ってやってもいいじゃないか。薄情だなぁもう。……………でも、
私は何も言わない智子の指に私の指を絡めた。
雫はきっと根は良い奴なんだろうなぁ。なんだかんだで人を助けてる。ちょっと素直になれないだけで……人の心を助けるヒーローだ。
「私ね、もうちょっと雫とつるむことにしたよ。智子のためにってのもあるけど…………きっと、ううん。私の心がそうだと言うの。もっとあのクソ生意気な男の事を知りたいって。」
私の心は今踊っている。悲しみと喜びと、希望の4人で手を取って。私1人で踊るのはもったいない。智子の心とも踊りたいな…………
夜が老けるまで私は心のままに智子に語りかけ続けた。
「あーーー勉強とかマジでつまんなぁーい!義務教育消えろ!」
「お前って本当バカだよな。」
翌日、夏休みが始まったというのに私は補習に駆り出され、テキストの前でウダウダしていた。これから1時間目が始まり4時間目まであるとかつらすぎぃ!勉強できないからってねぇ、人間生きていけるんだよ!勉強なんてしなくて良いんだよ!
「なぁ四矢倉。」「なにさ雫。」「ここに塩素系の洗剤と、酸性系の洗剤があるんだけどちょっと混ぜてみないか?」「えーーなんか面白いの?」「刺激的な体験ができるぞ。」「よっしゃまかせときな!」
ボシューー……………
「おはようござい…………ええ?」
補修を受けにきた別の人が教室に入ると、四矢倉が倒れて泡吹いているところを見て顔を青ざめさせながらひいた。
「ああ、換気しといたからもうこの教室に塩素ガスはないので大丈夫ですよ。」
「え、ええ?バイオテロ?」
「いや、自殺ですよ自殺。練炭自殺的な要領で塩素ガスで自殺を図ったみたいなんです。赤点とっただけで自殺を図るとは…………しかもよりにもよって練炭なんかよりもよっぽどキツい塩素ガスを選ぶなんて…………ああ、だから赤点なんですねこいつ。バカなんだきっとアッハッハッ!!」
「言わせておけば雫あんたさぁ!!」
私は急いで起き上がり雫に飛びかかる!危うく死ぬところだったなんてことさせるんだ雫のやつぁ!!
「もっと真面目に化学を勉強すれば、[なぜ洗剤を混ぜてはいけないのか]という探究心が芽生え、今回俺に騙されることはなかったんだ。いいか、今起きたことは実際の一般家庭でも起こる可能性はあるんだ。使用者が バ カ で 無 知 だと尚更起こりやすい。」
「ぐうっ………」
「義務教育ってのはな、生活や、自分が従事するかもしれない仕事に取り組むにあたり必要な知識の最低限を学ぶ場なんだ。そんな必要最低限を学ぶ場で、何も学んでいないお前に価値はあるのか?ん?」
「……………」
「どうした?あんのか?」
「……………あ、あるもん。」
「ほう?どこらへんだ?」
「誰よりも清い心を持った私は価値に溢れてるもん!」
「生まれてきてから何も得てねーのかよお前は。」
ぐはぁっ!!!
私は心の中で吐血した後よろめき床に寝転がった。今の言葉はかなり心に来た…………私の鋼の心でも今のは耐えがたいよ!
「…………え?私、この人達と一緒に勉強するの?」
「残念だけどこんなバカと勉強するらしいですね。あ、俺雫って言うんですけど、貴女は?」
「この流れで自己紹介!?………樟葉優里香よ。」
樟葉優里香?どっかで見た名前だな………えーっと………
「あーー!!順位が丁度学年の半分の人!!」
「なにこの女、人の恥ずかしい順位を大声で喚き散らして!?」
「四矢倉っていうの宜しく!それに半分なんて自慢できるじゃん!私なんて最下位だよ!」
「最下位と私を比べるな!私はもっと上を見てるんだよ上を!」
「え?それじゃあ半分はださいね………」
「だから大声で言うなって言ってんだよぶっ飛ばすぞ!!」
「思ったよりも相性が悪そうなのがクラスメイトになっちゃったな。」
私と雫と樟葉さんは机に向かい先生が来るまで待つ。
「……………」
「……………」
「……………」
そしてこの沈黙だ。おかしいなーー私はかなりフレンドリーに話しかけたはずなのに、なんでこんなに重たい空気になってるんだ?もしかして失敗?…………いやいや、あれのどこに失敗する要素があったんだ?…………ま、まぁいいや。これから仲良くなれば良いんだ。その為には質問アーンド会話が大切!
「そ、そういえば優里香は………長いからユリユリって呼んでいい?」「馴れ馴れしいな!?てか更に長くなってるんだけど!?」「あ、本当だ。………ナイスツッコミ!」「気づいてなかったの!?」「それでユリユリはさぁ。」「もうあんたの中ではそれで決定なんだ!?」「学年の真ん中の順位なのになんで補習なんか受けるの?受ける必要ないじゃん。」「無視かよ!しかもまた順位の話して失敬だね四矢倉さんは!それに私は上を目指す人間だよ!補修を受けて問題あるわけ!?」
いや、別に問題はないけど………
「この学校は進学校だ。そんな学校の生徒なら補修なんて受けずに一流の塾に行って勉強するのが普通だろ?つーことわだ、この樟葉ってのはお金を持ってないのか、はたまた特別な目的があるかのどっちかだろうな。」
雫が耳打ちしてくる。
なるほどねぇ。私は受けなきゃいけないけれど、樟葉さんみたいに選択できる人ならば目的があるってわけか。
「それにこの補習の先生はこの学校で1番頭が良い生徒が受け持つんだからね。レベルが違うよレベルが。」
この超がつくほどの進学校で1番頭がいいって凄いな。私じゃあ理解できないような天才なんだろうなぁ。
キーンカーンカーンコーン…………
ベルが鳴った。うわーー補修が始まっちゃうよぉ!
ドタドタドタッッ!!
「はいギリギリセーフ!!うわっと!!」
ドターン!!
ベルが鳴り終わると同時に駆け込んできた男は、扉のレーンに足を引っ掛けて思いっきりすっ転んだ。
「ふふっ………遅刻さえしなければいいのさ遅刻さえしなければ!例え醜態をさらそうとな!」
なに独り言を言ってるんだこいつ…………
「おっと、大切な授業の時間がなくなってしまう。面倒くさいとは言え遊んでいては先生方に怒られてしまう。」
男はテキストやチョークを教卓の上に載せた後ブレザーの襟を正すと、私達生徒の方を見てにっこりと笑った。
「はい、この補修を受け持つことになりました飯田狩虎です。こんな奴に教えられて不本意だとは思いますけど、一緒に頑張っていきましょう!」
「ねぇ雫。なんか変な人だねあいつ。………雫?」
雫の方を見ると、雫は細い目を大きく見開かせ飯田狩虎をガン見していた。なんだ?そんなに驚くことがあるのか?
「…………お前、まだ魂を見れないんだっけか。」
「う、うん………なんかモヤモヤしたのしか見えないよ。」
人の胸のあたりに何か大切な物があるのは分かるのだけど、それを詳しく見ることができない。モヤのかかった海にライトを照らすみたいに、その先を見つめることができないのだ。
「それじゃあこの補習期間中に見えるようになってもらおうか。…………ちびるぞ、あの飯田狩虎の魂を見ちまったらな。」
そ、そんなにヤバいのか?
私は飯田狩虎の方をチラッと見た。彼はニッコリと笑ったままだ。まるで判断がつかない…………本当にこんなに優しそうな人がヤバいのか?
こうして私達の補修地獄が始まった。