かじりたい
「まぁつまりあれだ、お前はバカだってことだ。」
歩きながら、雫が私に向かって言い放った。
「………はぁ?どこが。」
「全部だ全部。さっきの奴の話を否定できてない所含めて全部だ。」
「……確かに否定できなかったけどさぁ!?でもさぁ!?いきなりあんなこと言われたら誰でもそうなるじゃない普通!?」
そもそもあんなヘンテコな話を聞かされて、普通の思考をする方がおかしいと思うんですけど!
「お前にとって、[あの話を否定すること]が普通だろ?それなのに否定の材料を用意できてなかったお前はバカだって言ってんだよ。」
「む、むぐぅお……」
「いいか?頭が良い奴ってのは[瞬時の閃き]がスゲー奴じゃないんだぞ。ほぼ全ての可能性を想定できるから頭が良いっていわれるんだ。それができなきゃただの凡人。つまりバカってことになる。」
「凡人がバカ!?そんなわけないでしょ!凡人は普通なのよ普通!」
「普く通用するのか?思考停止の考え方は。どんな時代でも、どんな場所でも、どんな人間の前でも。……いつだってバカは多数派が普通だと錯覚する。バカが蔓延って、[普通]を理解してる普通の人間があまりにも少なすぎるからな。」
うむぅう………斜に構えて全部否定しようとしてくるあんたの方が、私からいわせればバカだと思うけどね!
「人の考え方は正解半分の不正解半分だ。否定できない方がおかしいんだぜ。」
「なんっ……そんなわけあるか!分かんないけど、そんなことあるはずない!」
「……俺の考えを理由をつけて否定できない。つまり、お前はこれといって考えてないってことで、それは生きてないのと同義だぜ。」
本当笑えねーわ……
雫が呟いた。私に聞こえないように小さな声で。
それが、初めて雫の顔に見えた陰りのような気がして、私は閉口するしかできなくなった。悪態じゃない。……それだけじゃあない。頭を引く何かが、言葉と顔から見え隠れしていた。
「……………」
「まっ、バカに何言っても意味ないんだけどな。自分のちっぽけな世界以外を認めようとしないからな。身長だけじゃなく世界観まで小さいとか情けなくねーの?」
「………あんたにだけは言われたくないわ。」
「俺のこと何も知らないくせによく言うわ。」
タッタッタッ………
雫はそう言うと前に進んでいく。
陽が隠れていく。
闇が現れていく。
見慣れた世界が閉じていくように。
真新しい世界が広がりゆくように。
「………どこに行くのよ。」
「………あーん?そんなの聞いてどうすんだよ。」
瑞々しい心は何を求めているのだろうか。
好奇心?懐疑心?相手を負かしたいという対抗心?
……分からない。分からない。……わからない。………けど、
「………教えなさいよ、あんたのこと。私はあんたをバカにしたいのよ。」
星が瞬いた。
豊富な闇を打ち消す僅かな光が、一際明るく、輝いた。
「……………いや、バカだろお前。お前ごときに教えるわけねーじゃん。」
それだけ言うと、雫は歩いて行った。
「……」
「………」
「…………」
………………これだからこいつは否定しなきゃいけないんだ!
私は急いで走り出し、雫の腰めがけて飛び蹴りをかましてやった。
「どうすれば世界はりんごになるかしら。」
椅子に座った女が、何を見るでもなく呟いた。
「紅く、ツヤツヤで、とても歪。丸く収まることなく認められるには、一体どうすれば良いと思う?」
そして、隣の人の手に触れた。
「…………」
「………答えは[何もする必要はない]よ。どんだけヘンテコでも、[それが正しい]と言えば世間はそれを認める。面白い。つまらない。興味深い。興味すらない?……世界はリンゴよ。黒星だらけでも、リンゴはリンゴなのよ。………私がそうと言えばね。」
ツルッ
そして手を離すと、女の手の中に半透明な塊が浮いていた。フワフワと意味もなく動き続けているそれは、素人が作ったガラス細工みたいに歪んでいた。
「………とても醜いこの魂。これさえも私の手にかかれば、リンゴのような、誰にでも認められる形になれる。」
ブクブクブクッ!
手の中で半透明が肥大化していく。立ち込める蒸気のように、存在そのものを極端に大きくしていくのだ。
「世界は所詮、個人の空想。とてもちっぽけで、とても湾曲している。だからあなたも好きなようにやりなさい。元から狂っているんだもの、あなたが壊してもなにも問題はない。」
フッ……
女が濁った魂に息を吹きかけると、それは揺らめきながら持ち主の元に吸い込まれていった。
ダンッ!!
そして、魂と共に肥大化した人は、突如駆け出して消えていった。獣のように、雄叫びをあげながら。
「………私の可愛い雫ちゃん。どこまで変わっていくのかしら。どこまで夢を膨らませるのかしら。」
とこを見るでもなく笑う。見えない先が見え続けているように。
「お人形の謎に気づくかしら?……ふふっ、どうせ気づくに決まっているわ。知育玩具にすらならないただの遊び道具だもの、気づかない方がどうかしている。」
歪んだ世界で、正しくあり続けられるのか?それはきっと無理。私のように、[自分を正解にし続ける]ことができない限り……
私の可愛い可愛い雫ちゃん。齧って食らって頬張って、世界も自分も歪めなさい。
クスクス………
女は控え目に笑う。下品に笑うのを抑えて………
「あんたここ職員室じゃない。」
雫を蹴っ飛ばしたあと(蹴ったのに雫は一切倒れなかった。一体どういう体幹してんだこいつ……)、雫についていくとここに辿り着いた。
「まぁな……お前、ちょっと中見てこい。」
「……脳みそまで縮んじゃったの?」
「何言ってだお前。バカかお前。寒天で脳みそ固めて食うぞお前。」
「あんたにだけは言われたくない!」
「おいおいなにキレてんだ。ただ職員室に入って先生と喋ってくるだけだろ。小学生でもできるぞこんなこと。」
「だ、誰だって嫌でしょ職員室に入るの。」
「………まぁ、勉強できなくてバカまるだしの人間からすれば苦手でも仕方ねーか。」
うっ………
「どうせ[中に入ったら先生に小言言われちゃうんだー]とか、[職員室って勉強道具しかなさそう]とか勝手に妄想してんだろ。お前は本当、バカすぎて想像の範疇から抜け出さねーな。」
「ち、違うもん……」
中に入ったら宿題を増やされそうで怖いだけだもん……
「………はぁ。7時ぐらいか……」
私の顔を見た後、雫はそれだけ言った。
「こんなに早く荒行するとは思わなかったわ。」
そして、静かに職員室に入ると………
トン……
雫が入ってきたことに気づいていない先生の背中を軽く触った。
ブワッ
すると、胸から無色透明な何かが飛び出た。
トントントン
そのまま雫は職員室にいた人達に触ることで、身体から何かを取り出してしまった。
職員室の大きさは分からないけれど、この空間の端から端に散らばるように人が座っていたから相当な距離なはずだ。それを経ったの3秒……音もなく、あっという間の早業だった。
「…………」
身体から何かを取り出された先生達全員は、力無く椅子に座り込み無言で項垂れている。
「………え?生きてる?」
「死んでる。」
「え?え?」
顔だけを職員室に入れて私は混乱していた。
死んでる?ちょっ……大丈夫なの?てか何したの?
「戻せば生き返る。気にするな。」
「戻……ん?んん?」
…………?本当何考えてるかわからないなこの男。
「………てか、なんでこんなことしたの。」
何をしたのかわからないけれど、職員室の先生を行動不能にするほどの理由があるってことは確かなはずだ。
「あ?確認のためだよ確認。」
確認?
「死んだ生徒の名前が正しいのかどうかの確認。」
………何言ってるかちょっとよくわからないですね。