2つの現実
「ははっ…ははは………はぁ…」
乾いた笑いが膨らんでいく。
ああ、もう、終わりだ。全てが見えるようになったあの日から、私の人生がこうなることは決まっていたんだ。
願わなければこんなことには……人の死を願わなければ……
ガリガリガリッ
震える手を無理矢理押さえつけ、いままで書き溜めてきた日記に続きを書き殴る。終わらぬことを願いながら、日記の終わりに進み続ける。
荒れていく文字群。文字というには体裁を保っておらず、ただの太い線だ。
引かれていく後悔と言い訳の線列。砕けた黒鉛の欠片が日記と手を汚していく。
私の足下に、まるで偶然のように落ちていた人形。今思えば、あれは必然だったのだろう。私にあの2人を殺して貰うために………
[ゴメンナサイゴメンナサイワタシハワルクナイ〆〜○○#]
潰れていく。言葉も、心も。焦りと恐怖に巣食われた心を吐き出すように、ただ何度も何度も………
[イヤダイヤダイヤダイヤダ まだ しニタくな]
ガッ!!!
ペンを握っていた手が掴まれる。
黒く、醜く腫れ上がった右手……
いつも見えていた正体不明の何か。その真っ赤な瞳が、私の目を突き刺す。
「イヤ……イヤイヤイッッ」
そして、音もなく、2つの影は消えていた。
[まだ しニタくな〜〜〜〜〜」
何かに引き摺り込まれたように引かれた筆記。言葉足らずのその文字だけが、唯一、首を吊った彼女の心を物語っていた。
ボッ
いや、それすらも、姿なく消えていた。
「いつのまにか、誰かの元に人形が落ちている。それは、赤毛のとても可愛らしい人形で………見ているだけで何か惹かれるものがあるんだ。」
エロ本じゃない方が紙芝居を迫真の演技で読み終えた後、いつもの……いや、心を込めながら喋り始めた。
「それに願いを口にするんだ、囚われたように。[あの人死んでくれないかな……]って。………でもこんなの、正直、ただの愚痴みたいなものでしょ?どんな聖人だって、嫌いな人間はいるものだ。孔子だって殺そうとして来た弟子をメタメタにけなしたのだから。……誰も、何も、本気でそうなることを望んでいるわけではない。………でも、人形はそれを叶えてしまう。口にした人間の首を吊ることで。」
「…………そして、最後は使用者をも殺してしまうと。」
雫がポツンと呟いた。何か確信めいた意思があるような、そんな語調で。
「………はっ、はは……作り話でしょ?」
私も、乾いた笑いと共に呟いた。喉に突っかかった否定を絞り出すのが辛かった。
「うーんまぁ……そうね。沢山溢れている噂話の全てを集めて平均化したからね。作り話と言えば作り話。実話と言えば実話。……核心をつくなら標本平均、そんなところね。」
「いやそういうことじゃなくてさ………噂話自体冗談でしょ?作り話でしょ?笑えない笑い話でしょ?」
「…………なんでそんなことが言えるの?」
エロ本じゃない方はニヤリと笑った。目を薄く細め、狙い通りだと言わんばかりに。
「実際に自殺は起きている。そう、起きているの。それだというのに私の統括を笑えない冗談だと締めるのは、あまりにも断定的すぎないかしら?」
「いや、でも、あり得ないっていうか……」
普通に考えてこんなことはあり得ない。あり得てたまるか。化け物がでてきて、それが人を殺しているなんて………
「…………」
私はつい雫を見てしまった。そして、すぐに視線を変えた。
あいつは無言で何かを考えていた。この話のことだろうか?それとも自殺のことだろうか?それとも………もっと別の何かかも。
「3人ずつ死んでいく。3人、6人…9人……そして1人。合計10人の自殺が1サイクルとし、それが何回もこの学校で起こっている。確かに私の話が100%真実かどうかは分からないけれど、[与太話だ]と事実を否定することはできないはずよね。」
「むっ……むぅー………」
唸ることしかできない私。ここで頭が良い人なら上手い切り返しを思いつくのだろうけれど、別に私は天才ってわけじゃないからね。頭脳に関しては普通レベルの人だから、なーんも思いつかないよね。
「………3・6・9と、3人ずつ死んでいくんですよね?この3と6、6と9の間にも何か規則性とかあったりしますか?………例えば、」
「5年のクールタイムがあるわ。」
「つまり3人自殺したら、次の自殺は5年先になるってことですね。」
「そういうこと。5年ごとに3人自殺するってのは結構高い頻度よね。でも、高校生でいられるのは3年だけ。……学校の寿命と比べたら、青春の寿命なんて儚すぎるものね。だから、この学校内でこの噂は広まり辛い。」
……雫。なんでお前は話を受け入れてるんだ。普通に考えてこんなの作り話でしょ。………私の頭じゃ否定できないってだけで、普通に考えてこんなのおかしい………
「………それじゃあ、今回の自殺は……」
「………8人目。私の話通りだと、次に死ぬのは悪魔に魂を売った犯人ね。」
「……………」
自殺……犯人………この2つが会話の中で一緒にあるっていうのだから、私は唖然とした。
話がこんがらがって、よく分からないものになっていると感じないのだろうか。聞いてるだけであまりにもおかしすぎる。あり得てはいけない会話だ。
「………ふぅー。わかりました、ありがとうございます。」
雫はそう言うと席を立ち、エロ本じゃない方に頭を下げた。
「頭なんて下げなくて良いのよ別に。私だって喋れて満足しているんだから。こういう話に興味を持ってくれる人って全然いないからね。」
だよねー。普通の人間なら「頭おかしい…」と切り捨てるレベルの内容だもん。なんてったって私が切り捨ててるからね!
「また何か知りたいことがあったら来てねー。バンバン吹聴してあげるから。」
うーん……さっきあんなに奇妙なことを言ってた人とは思えない笑顔で、出て行く私達を見送るエロ本じゃない方。人ってどうなってんだ一体。
「……あっ、最後に興味本位で聞くんですが………」
引き戸の前で雫は立ち止まり、エロ本じゃない方に顔を向けた。
「今の話が本当に現実で起こっていると思いますか?」
「……………」
「……………」
薄く笑いながら、雫は聞いた。
だから、私とエロ本じゃない方は止まった。口も、動きも……多分思考も。
「………あり得ないから、話していて面白いんじゃない。もし本当にそんなことが……例えば化け物が人の死に絡んでいる……とかが起こっているのなら、私はさっさと転校しているわ。」
しかしエロ本じゃない方はすぐに動き始め、自分の考えを口にする。
「怖い話、ミステリーっていうのは、ありもしない幻想を楽しむためのものよ。………もしそんなのが本当になるのなら………」
エロ本じゃない方は、冷え切った目を細めた。机についた頬杖が、ギシッと音を立てた。
「それはただのつまらない現実じゃない。」
「…………ですよね。僕もそう思っていました。」
雫は反して柔らかく笑った。
「それじゃあ僕は失礼しますね。」
雫が扉をくぐり、戸を閉めた。
………エロ本じゃない方は、ある意味現実的な人なんだ。あんなヘンテコな話を好んでするような人だけど……根は真面目。世界を疑うことがない。
………やっぱり1番おかしいのは雫だ。誰もが疑わない現実を、彼だけは疑い。誰もが疑う現実を、彼だけは受け容れる。それって、あまりにも異常すぎる。
エロ本じゃない方となら、まだ仲良くなれるかもしれない。またさっきみたいな話に付き合わされるのはごめんだけど………ん?
「……そういえばエロ本の方はどうしたの?」
この部屋に入ってきた時にはいたエロ本の方が、今はいないことに私は気づいた。
「エロ本の方?………ああ、くるみ?くるみならよくこの時間は屋上に行ってるのよね。…………にしては帰ってくるのが遅いけどねぇ。」
………まさかっ!?
ガラララッ!!!
急に目の前の戸が開かれた!
「……ふざけんなよ私の前でイチャつきやがって…………」
エロ本の方だ。彼女がブツブツと呟きながら美術室に入ってきたのだ。
「あいつらの顔記憶したからな……あの2人の薄い本描いて学校にばら撒いてやる……」
ブツブツ……ブツブツ……
喋りながら机に向かうと、エロ本の方は物凄いスピードで何かを描き始めた。
「大概ねぇあんたも。やることが下世話すぎて私もひくわ。」
「……………」
「………はっ、やっぱ……」
開きっぱなしになった戸。そこから見える廊下の先で立ち止まっていた雫が、口を開いた。
「お前は異常だよ。現実を受け容れ始めてんだからな。」
先に広がる薄暗い廊下。その先に吸い込まれるように………雫は立っている。いや、むしろ、吸い込まれそうに……飲み込まれそうになっているのは私なのか?
立ち尽くす2人。一体どっちが明確な現実なのだろうか。